Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川・大田合同会議 仏法は証拠主義! 社会で勝て

1999.3.27 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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2  不敗の伝統は「いかなる障害も打破!」
 レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリア・ルネサンスの芸術家)は言った。
 「障害は私を屈せしめない。あらゆる障害は奮励努力によって打破される」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳、岩波書店)
 また、「勇気は恐怖より、はるかに爽快」(『生きる姿勢について』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房)と言ったのは、アメリカのルーズベルト大統領の夫人エレノア女史である。
 さて晩年の大聖人が「何よりも爽快なことである!」と喜んでおられた報告がある。それは、一つは、ここ神奈川の先輩・四条金吾の「勝利の晴れ姿」であり、同じく、大田で活躍した、あの池上兄弟の「模範の実証」であった。
 ご存じの通り、四条金吾と池上兄弟は、御聖訓どおりの正しき信仰のゆえに、「驕慢」と「嫉妬」の悪坊主の讒言の標的となった。そして絶体絶命の苦境――。四条金吾は主君や同僚からの圧迫であり、池上兄弟は父親からの勘当である。
 しかし、大変な逆境にも、一歩も引かず、金吾も池上兄弟も、大聖人の限りない励ましを抱きしめて、戦い通した。それは、御本仏を迫害し続けた、悪逆な権威・権力に対して、弟子が自分自身の戦場で、厳然と仇を討つ闘争でもあった。そして、彼らは、社会の人々から、「第一の人なり!」「天晴れ! 天晴れ!」と刮目される堂々たる「勝利の劇」を演じ切ったのである。
 仏法の真髄は、社会で勝ち抜くことである。社会で「眼前の証拠」を示しゆくことである。
3  なお、昭和三十年(一九五五年)、二十七歳の私は、戸田先生の厳命に応えて、多摩川をはさんだ横浜の鶴見区と東京の大田区の両方の法戦の責任者となり、指揮をとった。そして、草創の友と、勝利の初陣を晴れ晴れと飾った。
 ここに、大田と神奈川の常勝不敗の道は、切り開かれたのである。これからも、一体不二の連携で、「学会の名門」の誉れも高く、勝ち進んでいただきたい。
4  仏法勝負は、まず二十年を節に
 ところで、戸田先生は、仏法勝負の一つの節として、「二十年」と言われていた。四十五年前(昭和二十九年=一九五四年)の四月十一日に開かれた、蒲田支部の総会でも、先生は言われた。
 「仏法の勝負は、二十年たてば明快に現れる。正しき信心を貫いた人は、必ずや、勝利の姿を示す。臆し去った者は、みじめな敗北の姿を晒す」
 この方程式を遺言のごとくに、繰り返し強調しておられた。
 また、戸田先生は、こう教えられた。「功徳は目に見えない。罰も目に見えない。しかし、十五年、二十年たったときには、天地のごとき違いができてくる。これを冥罰、冥益という。末法の本当の罰とは『冥罰』である」と。
 この神奈川文化会館で、真正の同志である皆さま方とともに、「正義」の法戦を開始して二十年――。わが学会は、太平洋に昇りゆく旭日のごとく、比類なき大発展を遂げている。
 宗門は、衰亡の闇から闇へ、見るも無残に転落している。「宗門の冥罰」、そして「学会の冥益」は、あまりにも歴然としている。(拍手)
 因果の理法は、絶対である。仏法の裁きは、厳粛である。ゆえに、何があろうと、妙法を根本に生き抜くことである。
 日蓮大聖人は、四条金吾の夫人である日眼女を励まして、こう仰せになっている。
 「一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・乃至梵王・帝釈・日月等にだにも・ふびんと・をもはれまいらせなば・なにかくるしかるべき、法華経にだにも・ほめられたてまつりなば・なにか・くるしかるべき」と。
 御本尊にさえ、お褒めいただければよい。人がどうあれ、世間がどうあれ、大聖人が、すべてお見通しである。
5  鎌倉に「SGI教学会館」が誕生
 この時に符合して、大聖人が「発迹顕本」なされた竜の口に、待望の「SGI(創価学会インタナショナル)教学会館」が、いよいよ誕生する。
 きょうは、「竣工引き渡し式」がとどこおりなく行われた。やがて、世界の友も、喜び勇んで馳せ参じてこられるであろう。
 大聖人は、竜の口の法難に始まる佐渡流罪の大難について、こう仰せである。
 「大梵天王や帝釈天、四天王と戦うことのできる大阿修羅王がいて、邪教の指導者の心に付け入り、次第に、国の権力者をはじめ国中の者の心に移り入って、賢人をなき者にしようとする」(御書一四一ページ、趣意。以下、同じ)
 修羅の炎――驕慢と嫉妬の炎である。この二十年来の学会に対する迫害も、まったく同じ構図である。
 「このような大悪は、梵天・帝釈でさえも防ぐことは難しいであろう。いわんや日本を守護する、力の小さな神など、なおさらである。
 ただ、千世界を微塵にしたほど数限りなく出現した地涌の大菩薩や、釈迦如来、多宝如来、諸仏の御加護でなければ、防げないであろう」
 邪教と権力の結託には、地涌の菩薩と諸仏の力以外には、勝てない。
 「日月は、四天(世界)の明鏡である。諸天も、必ず日蓮を知っておられるであろう。日月は、十方世界(宇宙)の明鏡である。諸仏も、必ず日蓮を知っておられるであろう。(だから、竜の口の法難も、厳として守られたのである)」
 この御文に喝破されているように、あらゆる狂気の攻撃を、学会が乗り越え、勝ち越えてきたのは、まさしく奇跡といってよい。それは、まことの地涌の菩薩である学会員の皆さま方が立ち上がったからである。そして、御本仏・日蓮大聖人が、学会を守ってくださったからである。
 このたび、落慶を迎えるSGI教学会館は、学会の「発迹顕本」の勝鬨とどろく法城といってよい。大聖人が、創価の世界を、「善哉ぜんざい善哉、善哉よきかな善哉」と賛嘆してくださっていることを確信していただきたい。
 なお、竜の口の法難の折、大聖人は、御自身を徹夜で連行してきた兵士たちのために、わざわざ酒を取り寄せて、ふるまい、ねぎらっておられる。
 こうした人間性の極致そのものの御振る舞いが、凍てついた人々の心さえも、太陽のごとく溶かし、正法正義へと導いていったことを知らねばならない。
 「信仰の次元」は言うまでもなく、「人情の次元」「生活の次元」等々、あらゆる角度から、誠実に、聡明に、仏縁を結び広げていくことが、広宣流布の具体的展開なのである。
6  天才バイオリニスト・メニューイン氏との忘れ得ぬ交友
 今月の十二日、大芸術家の訃報が、世界に衝撃を与えた。今世紀最高の天才バイオリニスト・メニューイン氏である(享年八十二歳)。
 氏が少年時代、あのアインシュタイン博士も、絶妙な演奏に感動したあまり、舞台に駆け寄って、少年を抱きしめた。そして「君は、天上に神が存在することを証明してくれた」とまで語ったエピソードは、音楽史に残る名場面になっている。
 彼が残した名演奏は、人類の不滅の宝である。また、平和と人道の勇気ある行動、そして、音楽学校を創立しての教育への貢献も、燦然と輝いている。
 私も、友人として、懇ろに追善し、ダイアナ夫人に弔電を打たせていただいた。
 「音楽の帝王」メニューイン氏は、七年前の四月、ご多忙のなか、聖教新聞本社にお越しくださった。
 開口一番、「あなたとの出会いを、待ちこがれていました!」と、みずみずしい少年のように言われた。
 対談は、夕食をともにしながら三時間半。「人間」と「音楽」と「哲学」と「宗教」をめぐって、協奏曲を奏でるように、楽しく語り合った。
 メニューイン氏も、「対話によって、一体となる喜びを得ました」と、心から喜んでくださった。
7  メニューイン氏は質問された。
 「なぜ、在家団体の学会が、これほどまでに驚嘆すべき大発展をしたのですか?」
 「学会の師弟の絆は、なぜ、このように人間的で麗しいのですか?」等々。
 私は、率直に、第一に、「法を厳格に守り、教えの通りに行動してきたから!」。
 第二に、「どこまでも、人間中心できたから!」。
 第三に、「民衆の側に立ってきたから!」。
 第四に、「宗教のための宗教ではなく、人間のための宗教であり、社会のために、平和、文化、教育の運動を展開してきたから!」などの点を挙げさせていただいた。
 文化の王者たる氏は、聖職者や権力者の傲慢には、じつに厳しかった。
 「長年、権力の座にある人間が、過ちを犯すことほど、愚かなことはありません。長く君臨するうちに、『権力』は『人間』を忘れてしまうのです」
 淡々とした口調の中に、深い憤りを込めておられた。また、しみじみと「南無妙法蓮華経は、本当に口ずさみやすいし、心地よい音律です。心理学的にも、生理学的にも、非常に興味深い」とも語っておられた。
 音楽の究極の美を探求してこられた氏だけに、重い言葉である。
8  じつは、メニューイン氏は、亡くなる一カ月前、フランスのSGIの友に手紙を送ってこられた。
 そこには、私の大学講演集(フランス語版)を手にしたことが記され、SGIのメンバーが題目を唱えることが、どれほど素晴らしいかが綴られていたと、うかがった。
 氏の仏法の理解は鋭く、私との対話の中でも、「仏教では、生身の人間が聖なる人(仏)になれると説いている。それほど、人間を信じている」と、感動を込めて語っておられた。
 氏は、亡くなる前の国際会議(スイス・ダボスでの世界経済フォーラム)でも、「神は心の中にいる」と主張された。これはテレビでも、大きく紹介された。
 メニューイン氏は、「学会の民衆運動の歩みは正しい」と強調され、「池田会長の思想を世界中が実践しゆくことを、私は心から願っています」とも語ってくださっていた。
 氏は、私との語らいを終えて、こう述懐されていた。
 「普通、宗教団体というのは、一人の教祖がいて、そのもとに狂信的になります。しかし、創価学会は、数千年前からの正統な教義に基づいて発展してきた組織であることが、よくわかりました」
 そして、「自由、民主主義、共産主義――これらは、すべて、それだけでは限界があります。自分が自由であるためには、人の自由を考えてあげねばならない。そうした責任感というものが、今の世の中には、欠落しています。その意味で、創価学会には、本当の自由、民主主義というものがあると思います」と。
9  善の民衆が「強力な声」を!
 メニューイン氏は、じつに謙虚な方であった。
 最近、作家の牛島秀彦氏から、勇気ある著書『目かくしされた日本人』(ニュートンプレス)をお贈りいただいた。その中に、こういう一節があり、深く共鳴した。
 「日本は、そして日本人は、根無し草のように常に揺れ、揺らされる。それは、結局のところ、『個我の確立』が無く、従って確固とした哲学を持たぬことに基因する。謙虚と反省を失った傲慢ほど人間を、そして国を駄目にし、破滅に導くものは無い。傲慢は、他を尊敬し、他から学ぶことをできなくする。それは、己を盲目にし、理性を奪う」
 「充実した人間、国は頭が低い。オソマツで、中味が空っぽなほど、そっくりかえり傲慢なのだ。ギリシヤの哲人ソクラテスは、『無知の知』という表現で、謙虚さの重要性を説いた」
 まったく、その通りである。
 現在、中国大使館のご後援をいただき、神奈川青年部が戸田平和記念館で、「日中提言三十周年記念展」を行っている。私たちは、さらに謙虚に、さらに誠心誠意、アジアとの連帯を深めてまいりたい。
 なお、対談後、まもなく、メニューイン氏から、丁重なお手紙をいただいた。こう記してあった。
 「私は、多くの異なる集団の人々の『善なる意識』を結集し、一枚の壮大なタペストリー(壁などに掛ける織物)へと織り上げていく、力強く、有能で、崇高な理念を持つ団体を探し求めてきたのです。私たちは、政治の常套手段から決別すべきです。そして地上の善なる人々に『政治への声』を与えるべきです。
 彼らは偏見を乗り越えて、人間と自然、人間と人間の間に平和を確立するために、世界の持てる力を分かち合いたいと願っているのです。そういう善の人々に、現実の政治を超克しゆく、新しい、力強い『政治への声』を与えるべきです。それは、きょうにもできることだと私は思うのです」
 「庶民の善の連合体」への尊き遺言として、謹んで紹介させていただく。
10  池上兄弟に対して、大聖人は仰せである。
 「しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり
 ――潮の干るときと満つるとき、月の出るときと入るとき・また、夏・秋・冬・春の四季が変わるときには、必ず普段と異なることがあります。凡夫が仏になるときもまた同じことです。すなわち、仏になるときは、必ず三障四魔という障害がでて来るので、賢者は喜び、愚者はひるんで退くのです――。
 有名な御金言である。要するに、何か戦いがなければ成仏はできない。戦わなければ堕落してしまう。自分が弱くなり、崩れてしまう。強くなれないということは、不幸である。
 強い強い、何ものにも負けない自分自身へと「人間革命」していくための仏道修行であり、学会活動である。
 思えば、波乱万丈の創造的人生を生き抜いた、メニューイン氏の信条の一つも、「私は、あきらめたことがない!」であった。
11  広布の闘争は永遠の誉れ!
 昭和三十年(一九五五年)のきょう、三月二十七日、戸田先生は、鶴見支部の総会に出席し、こう獅子吼された。
 「一人ひとりが広宣流布の闘士として働いた名誉は、どれほど大きく、どれほどの功徳を受けることでありましょうか。また広宣流布の暁に、この大闘争に加わることのできなかった人々の悲しみは、さぞや、どれくらいでありましょうか。『時にめぐりあう』ということは、重大なことであります」
 「広宣流布の闘士として、これから百年、二百年の後に、『あれみよ、あの人々は、広宣流布のために働いた人々である。広宣流布の闘士であったよ』と、後の世の人にうたわれ、かつはまた御本尊様にほめたたえられる人が、幾人あることでありましょうか」
 今、二十一世紀の広布の山を登りゆく、重要なこの「時」に、ともに戦える私どもは、幸せである。その喜びを、かみしめながら、一歩も後ろに下がらず、前へ、そして前へ、生き生きと「不老不死の大生命力」で、正義の中の正義の大道を進んでまいりたい。
12  最後に、二つ、箴言を紹介したい。
 「将来に備えることは、現在の土台を固めて行くことにつきる」(田辺保編『人生を決める言葉』創元社)
 サン・テグジュペリ(フランスの作家)の言葉である。
 「女性が自信をもてば、勢力の旋風となり、強さの泉となる」(「若き女性のための人生論」石垣綾子訳、『世界の人生論』所収、角川書店)
 パール・バック(女性としてアメリカで初めてノーベル文学賞を受けた作家)の確信である。
 神奈川と大田の全同志の皆さまの健康と長寿と栄光をお祈りし、記念のスピーチとしたい。神奈川万歳! 大田万歳!
 (神奈川文化会館)

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