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日蓮大聖人・池田大作

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第32回本部幹部会、第9回東北総会、第… 人類貢献の人生! これぞわが誇り

1999.3.9 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

前後
2  雄弁家としても早くから有名であった。若くして政治家として活躍を開始した。
 しかし、議会(元老院)をはじめ権力者からは妬まれた。
 「妬む」より「妬まれる」ほうが偉大である。いわんや最高権力者に妬まれた彼であった。
 命も狙われた。地中海のコルシカ島に、八年も追放。後に、ナポレオンが生まれたので有名な島である。
 本気で立ち上がれば、追放や流刑は当然なのである。
 彼は迫害を越えて、やがてコルシカから帰ってきた。そして宮廷の有力者の後見を受け、のちに皇帝となるネロの教育係となった。懸命に指導にあたった。
 ネロの即位後も補佐にあたった。この間のネロは、善政をしいたことで有名である。
 だが、やがて悪名高い″暴政″がはじまる。「市民のための政治」が「自分のためだけの政治」に堕ちた。市民は単なる″手段″にすぎなくなった。腐敗の政治である。裏切りの政治である。
 「何ということか!」。セネカは胸を痛めつつ、政界を引退した。
 ひとたび道を踏み外した権力者は、「正義の人」が目ざわりでならなくなる。ネロは、自分の恩師をも、なきものにしようとした。
 ネロは、セネカに「自決」を命令する。″皇帝打倒″に加担したという嫌疑によってである。
 セネカは嘆いたであろう。「とんでもない国になってしまった!」と。
 しかし彼は悠然として、心配する友人たちを、かえって励ましながら、死に臨んだのである。
 この荘厳な死の場面は、後世、多くの画家たちの題材となっている。彼の「力強き勇気」が、すべての心ある人々の胸を打ってきた。
 私たちも戦いましょう! 生き抜き、悪を倒しましょう!(拍手)
3  話は変わる。
 ドイツの文豪ゲーテいわく。
 「ただ、はつらつとした活動によってのみ、不愉快なことは克服される」(『真実に生きる』関泰祐編、社会思想社)
 その通りである。はつらつと活動していれば、ちっぽけな「不愉快」なんか吹きとんでしまう。勤行するにも、奥さんから言われて、しぶしぶ始めるのか。「ようし!」と決めて、自分で勇んで始めるのか。はつらつと開始したほうが、自分が得である。
 その他の行動も同じである。人から言われてやるよりも、「なすべきこと」を自ら見つめて、自ら立つ! それでこそ、人生は「愉快」になる。
4  痛快な人生の逆転劇に喝采!
 先日、痛快なホームランのような、うれしい知らせが飛び込んできた。
 わがアメリカSGI(創価学会インターナショナル)の同志であるオーランド・セペダさんが、アメリカ野球界の最高の栄誉である「野球殿堂入り」することが決定したのである。(拍手)
 氏は、大リーグの往年のホームラン・バッターである。私は即座に、祝福のメッセージを送った。
 セペダさんは六十一歳。サンフランシスコで、地区部長をされている。
 今年の新年には、私に、ご自分の写真を贈ってくださった。円熟した素晴らしい顔をしておられる。
 (写真には「先生! 私の人生を助けてくださり、本当にありがとうございます!」というメッセージと署名、トレードマークである「背番号30」が記されている)
 このように、世界のトップクラスで活躍する同志が、今、陸続と現れている。時代は、どんどん変わっている。
 アメリカの人々の野球への愛情は、まことに深い。
 「殿堂入り」は、あのベーブ・ルースをはじめ、最高峰の野球人にだけ贈られてきた「不滅の栄誉」である。選手としての記録だけでなく、人格や社会貢献の行動など、すべてを総合して評価される。名士による投票で決まるという。
 今回のセペダさんの殿堂入りのニュースは、さわやかに、また衝撃的に、大きく報道され、喝采を集めた。私どもにとっても、本当にうれしい「同志の勝利」である。(拍手)
5  思えば一九六〇年、私がサンフランシスコに第一歩を印したちょうどそのころ、彼は名門「サンフランシスコ・ジャイアンツ」で、大活躍していた。若き強打者として、多くのファンを魅了していた。
 守備は一塁。一九五八年に「新人王」。六七年には「最優秀選手賞(MVP)」。十七年間で、通算三百七十九本のホームランを放った。
 ″一九六〇年代の大リーグで、最も恐れられた打者の一人″と評されている。打撃王としての記録は、今も燦然と輝きわたっている。
 ところが、氏には、大きな人生の試練が待ちかまえていた。まず、ひざの故障のため、やむなく引退せざるを得なくなった(一九七四年)。
 そのまま活躍を続けていれば、更なる大記録が期待できた。ファンも皆、それを期待していた。彼が、どれほど無念であったことか。
 しかも、その後まもなく、麻薬がらみの事件で逮捕されてしまったのである(七五年)。
 フロリダの拘置所へ。約十カ月にわたる牢獄生活。
 脚光に包まれた「スターの座」からの転落は、あまりにも急激であった。名声も財産も友人も、すべてを一瞬にして失ってしまった。
 出獄した彼には、人々の冷ややかな視線が浴びせられた。差別もされた。
 だれにでも皆、苦労がある。試練がある。何もない順風満帆だけの人生など、あり得ない。
 セペダさんは、その時、「人生のどん底」の苦しみにうめいた。しかし、この暗闇の中で、友人に紹介されて、「太陽の仏法」に巡りあうことができたのである。一九八二年のことであった。
 初めて知った創価の世界は、限りなく温かな、慈愛深い世界であった。同志の励ましが、どれほど大きな希望になったことか――。
 「人間革命」という希望の哲学が、どれほど素晴らしいものであるかを、彼はだんだんと、身をもって感じていったのである。
6  「自分のため」から「人々のため」へ
 蘇生と勝利への「人生の逆転劇」が始まった。
 ″ようし、俺は、広宣流布の名選手になろう!″彼は「自行化他」の仏道修行に挑戦し、自分自身を変え、環境を変えていった。どこまでも真剣であった。
 もはや「有名」に、うぬぼれることはなかった。スターであることが偉いように、錯覚することもなかった。
 彼は苦悩の中で、人生の真髄をつかんでいた。もう迷わない。もう一回、立ち上がって、戦って、今度は本物の「人間としての栄冠」をつかむのだ!
 まさに「煩悩」即「菩提」――「悩み」即「成長」のドラマであった。
 やがて彼は、「サンフランシスコ・ジャイアンツ」の渉外担当という重要な仕事にも恵まれた。野球界に復帰を果たせたのである。一切を野球に捧げてきた彼にとって、どれほどの喜びであったか。
 仏法との出あいによって、人生への姿勢は、一八〇度、変わった。「自分のためだけ」の人生から、「人のため」「社会のため」「未来のため」に自身を捧げる人生への大転換をした。
 これこそ正道の人生である。なかんずく指導者が「自分さえよければ」という心であっては、あまりにも卑劣である。
7  彼は、「広宣流布の組織」の第一線に立って、生き生きと活躍を始めた。
 ひとたび「やる」と決めたら、徹してやる。海外には、そういう人が多い。
 ひざを痛め、足を悪くしていた彼は、時には、杖をつきながら奔走した。アパートの階段も一段一段、杖をついて上った。不自由な足を引きずりながら、一軒一軒、学会員の家を訪ねた。
 何という誠実! 何という情熱! 皆の心は揺さぶられた。奮い立たずにいられなかった。
 また彼は、多くの青少年の「更生」と「育成」にも全力で取り組んだ。若者を前に、自分の体験談を赤裸々に語った。麻薬の事件、刑務所に入ったこと――。
 「君たちには、かけがえのない人生があるんだ。自分を大事にして生きるんだ。失敗して苦しんだ私だから、青春の尊さがわかるんだ! 同じ苦しみを味わわせたくないんだ!」
 こういう心境だったろうか。
 各地の病院、刑務所も訪問した。多くの人々を激励して回った。
 言いしれぬ苦しみを乗り越えてきた彼だからこそ、真の人間性の光があった。苦悩の人々に「希望」と「勇気」を贈ることができたのである。
 この姿が本当の信仰者である。この姿が本当の創価学会である。
 彼の「温かな人柄」と「真摯な行動」は、地域からも社会からも、大きな信頼を寄せられ、高い評価を勝ち得ている。
 反対に、有名に酔い、地位に酔ったままの人間は、やがて必ず信頼を失い、軽蔑されていく。
 セペダさんは、多くのメンバーから、父や兄のように慕われている。頼もしい地区部長であり、率先して「模範」を示しておられる。
 どんな会合にも、新来者を誘って一緒に参加するという。二月の座談会にも、三人の友人を誘って出席したと、うかがった。
 仕事で全米各地を飛び回る忙しいスケジュールのなかでも、同志との連携は絶やさない。時間を割いて、家庭訪問に、メンバーの激励にと、懸命に動いておられる。
 こういう人が「創価学会の本物の同志」なのである。「日蓮大聖人の直結の弟子」である。
8  学会活動こそ「無上の誇り」
 あの黄金の「ホームラン・バッター」は今、創価学会の一人の地区部長として、広布の最前線に立つことを「無上の誇り」としているのである。
 社会的な名声などは、妙法から見れば、小さな、まったく次元の低いことである。
 彼は、「創価学会の組織にあって、自分を有名人として特別扱いすることは、絶対にされたくない」という。
 「皆が平等」である世界が正しい。それが本当の創価学会のはずだ。正しい学会だからこそ、私は真剣に行動するのだ――こういう信条であろうか。
 ともあれ、学会のリーダーとして、この人生を生きられることが、どれほどありがたく、崇高なことか。それを自覚できない幹部では、あまりにもなさけない。その根底は、見栄っ張りである。
 戸田先生は、「見栄っ張りな人間」を厳しく戒めておられた。
 ある幹部が戸田先生に聞いた。
 「私たちは、何をもって故郷に錦を飾ればいいのですか?」
 先生は厳しく答えた。
 「創価学会の幹部として故郷の土を踏むことが、最高の錦ではないか!」と。(小説『人間革命』第九巻「上げ潮」の章に詳しい)
 質問した人間の「虚栄の心」を鋭く見抜いておられたのである。
 社会で有名になることが偉いのか。地位を得ることが偉いのか。そうではない!
 何の位もなくとも、創価学会の幹部として、広宣流布に挺身する人生ほど偉大なる、価値ある人生はないではないか! この学会精神を忘れるな!
 これが戸田先生のお心であった。今、私も同じ叫びを叫びたい。
9  六年前(一九九三年)の三月、私は、サンフランシスコで「国連貢献・国際文化交流推進賞」をお受けした。
 授賞式の会場は、国連発祥の地となった歴史的建物「ウォー・メモリアル・芸術センター」。その時も、セペダさんは、祝福に駆けつけてくださった。その心がうれしいし、忘れられない。
 また、九四年の来日の折には、過密なスケジュールを縫って、わざわざ創価大学まで来てくださり、野球部の学生を激励してくださった。それ以来、創価大学野球部は、破竹の勢いで、「リーグ戦八連覇」の偉業を達成したのである。(拍手)
 その時に、氏が励ましてくださった創大生のなかから、三人のプロ野球選手も誕生した。
 青年に「よき刺激」を与えることが、どれほど大切か――。
 また、その翌年(九五年)、関西創価学園生がサンフランシスコを訪問した際にも、温かく歓迎してくださった。アメリカ創価大学にも足を運び、学生との交流を深めてくださっている。
 温かい方である。親切な方である。
10  「仏法のおかげで私は勝った」
 今年はじめ、氏は私の誕生日を祝って、完成したばかりの「自伝」を贈ってくださった。献辞がしたためてあった。
 「一九九九年一月二日 先生へ すべてに感謝申し上げます お誕生日おめでとうございます オーランド・セペダ」(自伝の題名は『BABY BULL(ベビー・ブル)』。ベビー・ブルは、氏の現役時代のニックネーム。ブルは「雄牛」の意味)
 自伝では、一章まるごとを割いて、「仏法の偉大さ」と「SGIの同志の素晴らしさ」を堂々と論じておられる。その中に、こう書かれている。
 「私の人生は、仏法への感謝なくしては、語ることはできません。
 野球よりも、ホームランよりも、打点よりも、新人王よりも、最優秀選手よりも、仏法が今日の私を築いてくれたのです。
 すべての輝かしい記録や人々の歓声や栄誉さえも、私の心の中に平和をもたらしてはくれませんでした。
 しかし、仏法は、私の精神を救い、私の苦痛を薬に変える方法を教えてくれたのです。仏法を信仰することで、私はよりよい人間となり、夫となり、父親となり、友人となることができました」
 (氏は、自伝で、名誉会長が、ハーバード大学、モスクワ大学、北京大学はじめ世界の大学で講演してきたことも書いている。名誉会長の平和・文化・教育活動に関しても、ありのままを紹介している。「これが私の師匠です!」という誇り高い記述である)
11  今回の「野球殿堂入り」の決定を受けて、「サンフランシスコ・ジャイアンツ」は、彼の現役時代の背番号「30」番を永久欠番にすることを決定した。(拍手)
 彼は、殿堂入りが決まったその日、報道陣を前に、胸を張って語った。
 「我々にとって、最も大きな勝利とは、自分自身に勝つことです。きょうのこの私の勝利は、『仏法』と『友情』の力の素晴らしさを証明するものです」と。
 堂々たる信念である。
 日本では、学会に限りない恩を受けながら、社会に向かっては、一言半句も、その事実を語らない――そんな卑怯な、見栄っ張りの人間が、たくさんいる。そんな人間とは、根本的に違う。そんな虚栄の人間は、すでに心が「敗北者」である。人生の最後を勝利で飾れるわけがない。
 ともかく、「人生は勝負」である。「仏法も勝負」である。皆さまは、それぞれのお立場で、あらゆる苦難を突き抜けて、「大勝利の人生」を飾ってください!(拍手)
12  「自身の宮殿」の扉を開けよ
 「野球殿堂」も、もちろん素晴らしい。しかし、もっと素晴らしいのは仏界という「生命の殿堂」である。セペダさんは、そのことを知っている賢者である。
 御義口伝には、「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」と。
 だれびとたりとも、「わが生命」の中に「最高の宮殿」が広がっている。宇宙の無限の宝で荘厳された、わが「永遠不滅の殿堂」。その扉を開けば、いずこにいようが、その場で、ただちに「幸福」になる。ゆえに何も恐れる必要はない。何ものを、うらやむ必要もない。
 仏法では、「当位即妙(当位即ち妙なり)」「不改本位(本位を改めず)」と説く。
 要するに、「九界の凡夫が、その身を改めずに、そのままの姿で仏界の境涯を勝ち取っていける」という法華経の極意である。
 お金があろうがなかろうが、地位があろうがなかろうが、学歴があろうがなかろうが、名誉があろうがなかろうが、本物の「信心」がある人こそが、そのままの姿で「仏」の境涯を開けるのである。いわんや「(坊主の)衣を着ているかどうか」など、成仏にまったく関係ない(爆笑)。
 大聖人は、たとえ無間地獄であっても、妙法の光で常寂光の都に変えていくことができると書いておられる。
 すなわち「無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ」と。
 たとえ地獄の底であろうと、題目の力によって、そこが寂光土に変わる。ゆえに、皆さまは、絶対に「勝利の人生」を生きられるのである。最高の「栄光の人生」になるに決まっているのである。卑下なんかしてはならない。人を妬む必要もない。
 「広宣流布の人生」を送る皆さまほど尊貴な人生はないのである。胸を張って、自分がいる「その場」で立ち上がっていただきたい。(拍手)
 「自分は、こう生きるんだ!」「この私の舞台を革命してみせる!」
 そう決めた人は強い。だれもかなわない。
 「幸福」は、我が「胸中」にある。ゆえに、人と自分を比べる必要はない。
 たとえば芸術部の皆さんは、かりに今、自分が晴れ舞台に立っていなくても、同志の一人が晴れ舞台に立てば、実は芸術部全員が立っているのと同じなのである。
 法華経では「本末究竟して等しい」と説く。ゆえに、「一人」の代表の中に、全員が含まれている。晴れ舞台に立つ人を応援し、心からたたえ、喜んでいけば、自分も本末究竟して等しい福運と境涯になっていくのである。
 どの世界も、二十一世紀へ、生き残りをかけた戦いが始まっている。
 広宣流布を、二十一世紀に、さらに一歩も二歩も開いていくために、私は今、一生懸命に布石をしている。世界中で、今世紀の総仕上げをしながら、二十一世紀――「創価の世紀」を迎える準備を着々と進めている。
 私は、「広々とした広布の大道が必ず開かれていく」と信じている。我々には三世十方の諸仏そして諸天善神という強い味方がついている。
 胸のすくような決定打で、二十一世紀へ勝ち抜きましょう!(拍手)
13  ″世界を救う″気概で進め!
 皆さまに、ネパールの哲人の言葉を贈りたい。
 「健康と厳然たる勇気は、君が前進する限り、常に君とともにある」
 国民詩人のビクシュの言葉である。
 たしかに前進している人は、生き生きとしている。
 また詩人・サマの言葉。
 「エベレストのごとく、常に毅然として揺るがず、心に真実と美と永遠をいだこう」
 世界最高峰のエベレストの国・ネパール。私も、同国最高のトリブバン大学に招かれ、講演させていただいた。にぎやかな歓迎が心に深く刻まれている(一九九五年秋)。
 ヴィクトル・ユゴーは、革命小説『九十三年』で書いた。
 「大きな苦しみは、魂をとてつもなく大きくする」(榊原晃三訳、潮出版社)
 魂を大きくするのは「苦しみ」である。悩みである。背負っている責任の重さである。
 「世界を救おう」「人類を救おう」「大折伏をしよう」「大法を弘めよう」こうした大きな苦しみを、自ら担い立ってこそ、「大いなる魂」となる。
 要領よく、遊んでいたり、格好だけよく見せたりしている人間の魂は、小さく、醜く、しぼんでいく。
14  リーダーの皆さまにお願いしたい。どうか「大事な同志を抱きかかえて進もう」「わが組織を完ぺきに建設しよう」「世界を救おう」という、大きな気概に燃えていただきたい。「小さな心」では、後輩が、かわいそうである。
 とくに男性は、女性を絶対に叱ってはいけない。尊敬しなければいけない。けなげに戦ってくださっているのは女性である。(拍手)
 リーダーは、皆を、うんと励ましていただきたい。会員を愛していただきたい。大事にしていただきたい。ほめたたえていただきたい。
 自分の小さな感情に引きずられて叱ったり、意地悪をしたり、そんな幹部は、わがままである。卑怯である。いばるなら、悪い権力者に対して、いばればよい。叱るなら、魔を叱りつければよい。
15  ともあれ、「広宣流布の戦い」は勝たねばならない。断じて勝たねばならない。他のだれのためでもない。自分自身の鍛えのためである。仏勅の、かけがえなき学会を盤石に強くするためである。
 人のためではない。自分のためであり、我ら同志のためである。ゆえに、からっとして、楽しく前進しましょう!
 信心には感傷はない。愚痴はない。悲観もない。そんなものにとらわれたら、自分が損である。わが胸中で、すべてを乗り越え、楽しく、朗らかに勝利しましょう! 「広宣流布」のために!(拍手)
 風邪をひかれませんように。また元気に、お会いしましょう! きょうは本当に、ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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