Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全九州最高協議会 広布の戦士こそ「無上の人」

1999.3.1 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  仏は″一筋に信仰する人″を守る
 「勝利! また勝利!」の全九州の行進を、私は心から称えたい。
 私にとっても、「四年三カ月ぶり、七十七回目」の本当にうれしい九州訪問となった。
 美しい大月天も祝福してくれている。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「強敵を伏して始て力士をしる
 「強敵を臥伏するに始て大力を知見する是なり
 広宣流布の試練の法戦を堂々と戦い、そして晴れ晴れと勝ち越えてきた、九州の勇敢なる全同志と、私は″心と心の握手″を交わしたい。
 けなされようが、ばかにされようが、仏意仏勅のために一番苦労し、働き続けておられる皆さまこそ、どんな有名人よりも尊い方々である。「無上の人」である。大聖人が、お守りくださらないわけがない。
 信心という「最高の宝」をもった皆さま方の功徳は、末代まで永遠であることを確信していただきたい。
 御書には、こう仰せである。
 「釈迦・多宝等の十方・無量の仏・上行地涌等の菩薩も・普賢・文殊等の迹化の大士も・舎利弗等の諸大声聞も・大梵天王・日月等の明主諸天も・八部王も・十羅刹女等も・日本国中の大小の諸神も・総じて此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし
 大切な九州のわが友が、一人も残らず、「現世安穏・後生善処」の大福徳に包まれゆくことを、私は祈り、また確信している。
 沖縄から宮崎に向かう機中より、私たち夫婦は、奄美の島々の友にも、また鹿児島の同志にも、お題目を送らせていただいた。「徳之島圏」と「種子島圏」の新たな誕生も、心より祝福申し上げたい。
2  友の悩みを知るのが指導者
 文永九年(一二七二年)の一月、佐渡で、有名な塚原問答が行われた。
 雷鳴のごとく騒ぎ立てる数百人の悪坊主どもを、大聖人は、たったお一人で、「利剣(鋭い剣)をもって瓜を切り、大風が草をなびかすがごとく」破折していかれた。
 この、何ものにも負けぬ、何ものをも恐れぬ折伏精神、広宣流布の精神が、永遠不滅の「九州魂」である。人間の道をはずれた、愚かな黒き心の反逆者など、悠然と見おろしていけばよい。我らは「賢者」の集いである。
 大聖人は、法論が終わり、皆が立ち去っていく時、立ち会っていた地頭の本間六郎左衛門を呼びとめて、言われた。
 「いつ鎌倉に行かれるつもりですか?」
 地頭が答えた。
 「七月ごろです」
 すると大聖人は、「急いで鎌倉に行かれたほうがよい」と助言をなされた。
 大聖人は、この翌月に起こった、鎌倉幕府の内紛劇(二月騒動)を予見され、武士として、それに備えておくべきことを、地頭に教えられたのである。
 やがて、その仰せの通りになって、地頭が大聖人のもとへ感謝と信服のごあいさつに飛んできた。
 大聖人は、仏眼、法眼をもって、社会の動静を鋭く見つめておられた。また、その人の立場になって、こまやかに思いやっておられた。そして、内外を問わず、一人一人の心を強く深く、つかんでいかれたのである。
 法華経には「観世音菩薩」が説かれる。観世音の「世」とは社会である。社会の声を観じ、世の中の動きを観じていく力が「観世音」にはある。
 仏法の指導者は、観世音の力を発揮しながら、適切な手を打ち、味方を増やし、広宣流布の正義の陣列を固めていくのである。
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか
 この「観心本尊抄」の仰せを、聡明なる九州のリーダーは、よくよく生命に刻んでいただきたい。
3  「課題」があるから「成長」できる
 ドイツの大文豪ゲーテは言う。
  臆病な考えや、
  不安なためらいや、
  女々しい足ぶみや、
  あわれな訴えは、
  すこしも悲惨をすくうことができぬ。
  決してきみを自由にせぬ。
  暴力に抗して
  つよく立ちあがり、
  屈服をいさぎよしとせず、
  あくまでも戦いぬいて、
  初めてきみは、神聖な神々の
  救いの手をよぶことができるのだ(『ゲーテ詩集』大山定一訳、小沢書店)
4  「煩悩即菩提」が仏法である。悩みがあるから前進がある。人間革命できる。何があろうと、徹して強く強く、戦いきっていく以外にない。
 御書にも「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」と仰せである。
 ゲーテは言った。
  世界はきみたちに大きく開かれている。どしどし遠慮なく進むがいい。
  大地は広々とつづき、
  空は宏大無辺にひろがっている(同前)
5  同志は尊敬し合いつつ、しかも互いに遠慮せずに、広宣流布へ打って出るべきである。
 ゲーテは、うたう。
  歌ごえはどこまでも遠くひびいてゆく。どんなに離れていても言葉は心にとどくのだ。
  たとえ肉声がどこかへ消えてしまおうとも――(同前)と。
 各県の文化祭、そして二〇〇一年の「十万人の第九」を世界に轟かせていただきたい。
6  弥生三月の春の光に照らされて、ここ宮崎研修道場では、桃の花も開き始めた。
 有名な「三国志」の物語では、花盛りの桃園に集まった三人の英雄が、「力を合わせ、心を一つにして」苦しんでいる人々を救い、民衆を安穏にしていくことを誓い合う。
 二十一世紀の広布の山を、全国、全世界の先頭に立って登り、進みゆく誉れの使命が、わが大九州にはある。どこよりも「異体同心」の団結で、前進をお願いしたい。
 結びに「異体同心事」の一節を拝したい。
 「一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし
 心から敬愛する全九州の同志に、どうかくれぐれもよろしくお伝えください。
 (宮崎研修道場)

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