Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宮崎最高会議 「太陽の国」宮崎に「黄金の旭日」を

1999.2.27 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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2  太平洋に昇る旭日。この研修道場から仰ぐ朝日は荘厳である。さすがは「日向の国」「太陽の国」である。
 ところで、「二十一世紀の最初の夜明けを迎える国」は、いったいどこか?
 その一つが、南太平洋のニュージーランドである。
 ニュージーランドは、一九八二年までに、ほぼ全自治体で、「非核(核兵器に反対)」を宣言している。また「南太平洋非核地帯条約」の締結(一九八五年)、さらに「非核法」の制定(一九八七年)など、平和の先進国として、まことに名高い。
 光栄にも、今回、私は、多数の招聘をいただき、また数々の顕彰をお受けしている。(バンクスペニンスラ市から池田SGI会長夫妻に、世界平和への貢献をたたえて「名誉市民」称号が贈られた。また同市内の歴史の町アカロアの「自由の鍵」を受けた。さらに香峰子婦人に対し、「カメリア〈椿の花〉賞」が贈られた)
 私は、この栄誉を、平和の理想郷たる宮崎をはじめ、わが同志の皆さま方とともに分かち合わせていただきたい。
3  「女性にも参政権を!」それは、ニュージーランドから始まった
 ニュージーランドは、一八九三年、世界で初めて「女性参政権」が勝ち取られた国としても有名である。それは、アメリカ(一九二〇年)、イギリス(一九二八年)、日本(一九四五年)などに比べて、はるかに先駆ける、世界史の快挙であった。
 (SGI会長夫人が受けた「カメリア〈椿の花〉賞」も、この世界に誇る女性運動の歴史に由来する賞である)
 「男性であれば、どんな野蛮な人間にも、選挙権が与えられている。それなのに、なぜ、女性が政治に参加することが許されないのか?」
 百年ほど前の十九世紀の終わりに、この正しき道理を叫んで、ニュージーランドの女性は立ち上がった。
 リーダーであるケイト・シェパード女史を中心とする、ほんの数人からの出発であった。彼女たちには、何の権力もなかった。しかし、勇気があった。行動の力があった。友情があり、団結があった。
 彼女たちは、それぞれに子どもを抱えたり、また仕事に追われる多忙ななかで、地域や職場やサークルなど、あらゆる場を通して、女性の声を結集していった。全国を生き生きと駆け巡った。
 しかし、そうやって戦えば戦うほど、さまざまな侮辱や非難が、嵐のごとくわき起こった。彼女たちの国会への請願も、幾度となく却下された。
 だが、彼女たちは挫けなかった。じっと座って不遇を嘆く――そんなことは愚の骨頂であることを、聡明な彼女たちは、よく知っていた。
 ″共鳴者が増え、国会が請願を却下できなくなるまで、全力投球で戦い抜きましょう! いつか、必ず、私たちの正義の声を国中に聞かせてみせましょう!″
 この揺るがぬ決心を貫き、地道に、着実に、辛抱強く、七年にわたって連帯を広げていったのである。
 ついに、彼女たちは、三万を超える「婦人参政権を求める署名」を国会に提出した。これは、当時のニュージーランドの成人女性の実に約四分の一にも当たる。これだけの民衆の声を前にして、頑迷な政府も動かざるをえなかった。
 こうして、一八九三年、世界初の婦人参政権が、晴れ晴れと実現されたのである。
 このような先人たちの血のにじむような労苦を受け継ぎ、人類史を画する「女性の世紀」に向かって、先頭に立って進んでいるのが、わが創価学会婦人部である。
4  さて、「非暴力の教師」ガンジーに非暴力を教えたのは、だれだったか。
 それは有名な高僧でもなければ、聖典の勉強だけでもなかった。それは、ガンジーの奥さんであった。お互いが十三歳の時に結婚し、六十年以上も一緒に生きた女性である。
 ガンジーは言った。
 「私は、妻から非暴力の訓練を受けた。(私が間違ったことをしようとしていると)彼女は、ある時には私に頑強に抵抗し、ある時は私の愚かさに耐えながら、静かに服従した。(そうやって、賢明に操縦しながら)結果として、私が自分で自分の間違いを悟って、自分を恥じるように仕向けた。こうして私の愚かさを治してくれたのだ」
 日蓮大聖人は、家庭内にあって「物に随つて物を随える」智慧を教えておられる。
 当時の社会状況を踏まえて、人の心をとらえる聡明さを女性に教えられたとも拝せよう。ガンジー夫人も、そういう智慧の持ち主であった。
 この智慧を応用して、ガンジーはイギリスの帝国主義にも打ち勝った。暴力で相手を倒すのではなく、相手に「どんなに自分たちが、ひどいことをしているか、わからせる」ことによって、相手を「改心」させたのである。
 ガンジーは言った。
 「私は、我がすべての希望を女性に託す。非暴力の最後の勝利は、全部、女性にかかっていることを、私は強く感じる。私は信ずる。『女性の強さは、神からもらったものである(神聖な力をもっている)』と。ゆえに、女性が何をしたとしても成功するに決まっているのだと」
 広布の精神闘争も、女性の力を「尊敬」すれば、必ず成功する。
5  牧口先生「悪人も悪いが弱い善人も悪い」
 ご存じのように、牧口先生は、昭和十一年に、ここ宮崎の延岡の天地に、広宣流布の黄金の足跡を、とどめておられる。
 明治の日本の名外交官として歴史を残し、創価教育学会の顧問を務めた秋月左都夫さつお氏(一八五八年〜一九四五年)も、思えば、ここ宮崎の高鍋の出身であられた。
 (秋月氏は、留学や大使としての活動などヨーロッパでの生活も長かった。外交官退官後は、学習院で教育を行ったり、読売新聞社社長などを歴任。太平洋戦争では早期講和の実現に努めた)
 世界を舞台に活躍してきた秋月氏は、牧口先生のスケールの大きさを、いち早く見抜いていた。″具眼の士″であった。
 戸田先生は、お二人の語らいの様子を厳然と書きとどめておられる。(戸田先生著の小説『人間革命』)
 秋月氏は、牧口先生に言った。
 「あなたは、日本人としては偉すぎる。言葉を変えれば、今の日本人は、あなたの見識に驚嘆するほど、賢くない」
 秋月氏は、牧口先生の戦いが花開くのは、百年先になるかもしれないと展望していた。氏は、牧口先生が「社会における弊害の一半(=はんぶん)は、悪人と共に、弱い善人にも罪がある」と『価値論』で主張したことにも全面的に賛同を示しておられた。
 今、皆さまは、宮崎の地域社会に、「庶民の連帯」「善人の連合体」を広げておられる。
 牧口先生とご一緒に、宮崎が生んだ偉大な先人である秋月氏も、見守り、喜んでくださっていると私は思う。
6  「わが胸中」に仏界の太陽が!
 大聖人は、一人のけなげな婦人の弟子に、「日女御前」と呼びかけておられる。
 「太陽の女性」「太陽の婦人」との賛嘆と言えるかもしれない。わが宮崎婦人部にも通ずると拝したい。
 この「日女御前」への有名な御聖訓に、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と。
 皆さまは、一人も残らず、わが胸中に御本尊を持った尊貴な方々である。自分自身の中に、自分を幸福にする御本尊が、まします。仏界の太陽が、まします。
 ゆえに、私は申し上げたい。「断じて負けるな! 断じて恐れるな! 永遠に大聖人が、ともにおられる。同志も、ともにいる」と。
7  ニュージーランドの有名な女流作家であるキャサリン・マンスフィールドは、「自分ができる、すべてのことをやりたい!」と語った。
 どのような立場になろうと、広宣流布の戦いにあっては、遠慮があってはならない。
 また、ニュージーランドの先住民マオリの人々の箴言には、「最も素晴らしいものは、何か? それは、人間である。人間である。人間なのだ!」とある。
 実に、はつらつたる人間賛歌である。人間は、人間以上にはなれない。その人間として、どう輝いていくか。それが仏法である。
 仏意仏勅の学会の組織は、本当の人間らしい人間の和合僧のスクラムである。
 学会こそ、これ以上ないという、素晴らしい「無上道」の世界なのである。
 私が若き日に暗唱したハイネの詩を、青年部に贈りたい。
 「休息をあこがれる気持ちは消えた。ぼくは、いままた自分が何をのぞみ、何をなすべきか、何をしなければならないかわかった……ぼくは革命の子だ」
 「竪琴をぼくに渡してくれ、ぼくが戦いの歌をうたうために」
 「ぼくは全身、よろこびと歌、全身、剣と焔だ!」(『ハイネの言葉』井上正蔵訳編、彌生書房)
 御聖訓には「所詮しょせん臨終只今にありと解りて信心を致して」と仰せである。
 「臨終只今にあり」――この熱烈たる真剣な一念に燃えてこそ、はじめて不滅の歴史を残すことができる。
 「仏の敵を一人あますな!」との戸田先生の獅子吼の遺言を、私は今ふたたび青年部に託したい。
8  無限の希望に満ちて広布開拓へ
 結びに、有名な「諸法実相抄」の一節を拝したい。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし
 ――末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女のわけへだてをしてはならない。皆、地涌の菩薩が出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。そればかりか広宣流布のとには日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。ともかくも法華経に名をたて身を任せていきなさい――。
 愛する宮崎の地涌の菩薩の皆さま! 無限の希望に満ちた宮崎広宣流布の「開拓」を、私と一緒に進めてまいりましょう!
 今回、この研修道場に、宮崎の県の木であるフェニックスを記念に植樹させていただいた。このフェニックスの木のごとく、宮崎そして九州の全同志が「不老長寿」の人生であられることを心から祈って、私のスピーチとします。
 (宮崎研修道場)

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