Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第31回本部幹部会、第1回東海道総会、… 本源的幸福へ最高に尊貴な人生を

1999.2.2 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

前後
2  英国の詩人トムソン「忘恩は、人類に対する裏切りである」
 私は「世界桂冠詩人」の称号をいただいているから、詩人の言葉を紹介したい。
 ウィリアム・シェークスピアの有名な『リア王』。こんな一節がある。
 「根性のまがった者には賢いことも善いことも曲がって見える。汚い者には汚いものしか口に合わない」(三神勲訳、河出書房新社)
 英国の詩人、ジェイムズ・トムソン。「忘恩は、人類に対する裏切りである」
 イランの詩人、サアディー。「感謝できる犬は、恩知らずの人間に優る」
 犬も「三日飼えば恩を忘れない」という。恩を忘れる人間は「犬以下」だという言葉である。
3  「千日尼御前御返事」に有名な御文がある。
 「ことには日月天は眼前の境界なり、又仏前にしてきかせ給える上・法華経の行者をあだまんものをば「頭破れて七分と作らん」等と誓わせ給いて候へば・いかんが候べきと・日蓮強盛にめまいらせ候ゆへに天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり
 ――(法華経のままに正法を説く日蓮が迫害されるのを、諸天善神は、どうして守ろうとしないのか)とくに日天(太陽)、月天(月)は眼前に姿を現している。また(諸天善神は)仏の前で(法華経の行者を守護せよとの仏の御命令を)聞かれたうえに、法華経の行者に敵対する者がいれば『頭は破れて七つにならん』等、お誓いになられたのに、どういうことなのか。このように、日蓮が強く責めたゆえに、天がこの国を罰して、この疫病が起こったのである――。
 心して思索し、学ぶべき重大な御文である。
 「仏法は勝負」である。一切は「勝負」――これが日蓮仏法の真髄である。
 ゆえに、「広宣流布の勝利」へ、戦わなければ功徳は出ない。戦わなければ、一時はいいように見えても、最後は苦しむだけである。
 また、歴史をひもといても、「嘘が横行し、正義と真実が踏みにじられる社会」は、必然的に衰亡の坂を転がり落ちていくものだ。
 ゆえに、悪を責めねばならない。放置すれば、自分が悪になってしまう。戦わないのは「悪の黙認」に通じる。嘘に負けたことになる。これが大聖人の教えなのである。
4  自分自身に強く生ききれ!
 私どもは、「大聖人に直結」して生きる。自分自身に生ききってゆく。人がどうとか、世間がどうとか、評判がどうとか、小さなことである。
 人が同情してくれない、理解してくれない――あまりにも、ちっぽけなことである。
 正々堂々と、汝自身に生き抜き、決然たる祈りと行動で、この人生を飾っていただきたい!
 諸天善神を堂々と揺り動かしていく自分自身になっていただきたい!(拍手)
 仏法は、微妙なる「一念」の世界である。ゆえに、ちょっとしたことが非常に重大な結果をもたらす。大聖人は仰せである。
 「ひへはんを辟支仏に供養せし人は宝明如来となり・つちもちゐを仏に供養せしかば閻浮提えんぶだいの王となれり、設いこうをいたせども・まことならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず、設い心をろかに・すこしきの物なれども・まことの人に供養すれば・こう大なり、何にいわんや心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや
 ――(ささやかな)稗のご飯を辟支仏(縁覚)に供養した人は宝明如来となり、土の餅を仏に供養した人は世界の王(アショーカ大王)となった。たとえ供養しても、真実でないことに供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。たとえ、ぼんやりと軽い気持ちで少しの物を供養したとしても、真実の人に供養すれば功徳は大きい。まして厚い志をもって真実の法を供養する人々の功徳は言うまでもない――。
 ――土の餅であっても、仏に供養すれば、その人は世界第一の王、すなわちアショーカ大王となった。しかし、どんなに供養しても、悪人に供養すれば「大悪とはなっても善とはならない」。
 仏法は厳しい。つく人を間違ったら、大変である。
 戸田先生の時代から、学会にも悪い幹部はいた。悪党の人間がいた。そういう人についた人間は、結局、皆、だめになっている。
 反対に、真実の法に供養すれば功徳は大きい。
 皆さまは広宣流布に戦っておられる。「身の供養」をしておられる。そして、仏意仏勅の「世界一の創価学会」を堂々と築かれた。経文に照らし、御聖訓に照らして、その功徳は「無量無辺」である。(拍手)
5  師弟の心は「広布のために命をかけて」
 二月十一日は戸田先生の誕生日である。生きておられれば、今年で九十九歳になる。
 戸田先生は、体が弱かった私に、何度も「体を大事にするように」と言われた。
 私は肺病であり、肋膜を何度も患っていた。先生は嘆いておられた。
 「何とか、大作を長生きさせてあげたい。だが心配だ。三十まで生きられるかどうか、わからない。大作が死んだら、おれの後継ぎはどうなるか。学会はどうなるか」――。そう言って落涙された。これが戸田先生であった。
 どれほど学会のことを思っておられたか。本物の弟子のことを思ってくださったか。偽りの弟子は多く、本物の弟子は少ない。皆さまは本物の弟子であると信ずる。
 温かい師匠であった。慈愛の師匠であった。だから私は戸田先生を忘れない。いばる独裁者とかであったら、どうして青年が命をかけて、ついていくことがあろうか。
 私は、戸田先生のため、創価学会のために早死にしていこう――こういう決心であった。自分の体を知っているゆえに。
 「むしろ、戦い抜いて早死にしたほうが、将来の青年たちのために、『こうやって立派に死んでいくのだ』という殉教の姿を残していける。その歴史を見つめながら、後に続く青年部が育ってもらいたい」
 これが私のいつわらざる心情であった。戸田先生は、死を覚悟する私の心をわかっておられた。これが師弟である。これが本当の創価学会である。
6  後世のために、ありのままに申し上げておきたい。
 ご存じの通り、私は昭和三十五年(一九六〇年)五月三日に、会長に就任した。日大講堂での晴れやかな会長就任式であった。
 当時、わが家は百万円くらいの小さな、マッチ箱のような家だった。半分の五十万円は妻の実家から借り、あとの五十万円は毎月、少しずつ支払って、生活をしていた。玄関も狭く、玄関のすぐそばに御手洗いがある(笑い)。まったく質素そのものの貧しげな家であった。
 会長になっても、私は毎日、電車で本部に通った。朝、蒲田の駅まで自転車に乗っていく。自転車置き場に、お金を払って自転車を預け、電車で本部まで通った。こんな思い出もある。
 ある大物の政治家が、あいさつのためだろうか、わが家を訪ねてきたことがあった。昼間なので、私はいなかった。しかし私の家が、あまりに小さくて、自家用車は素通りするだけであった。立派な邸宅をさがしても、見つかるわけがない(爆笑)。車で行ったり来たりしたようである。近所の人に聞いて、やっと着いたが、それでも「間違いじゃないか」と、お手伝いさんに念を押した。
 「池田会長のお宅は、ここでしょうか」
 お手伝いさんは、少し、のんびりした人で、「はぁー、はぁー」と言うだけ(笑い)。そういう情景を、後から聞いた思い出がある。
 会長就任の日――私が家に帰っても、ごちそうも何もなかった。お赤飯もなかった。
 妻は私に言った。「きょうは、わが家のお葬式です。きょうからは主人はいないと思っていきます」と。
 これが学会精神である。広宣流布の精神である。師弟の精神である。
 すべてをなげうって、ただ広宣流布のために――この精神を、私は身をもって教えておきたい。
 中国の周総理夫妻も、祖国の建設のために、そういう決心であられた。
 幹部であっても、批判するだけで、何も戦わない人間もいる。いい格好をするだけの人間もいる。
 学会を裏切った人間は、名聞名利だけを″盗み″、自分だけが世間にほめられ、金をもうけて暮らしたかったのである。ふつうの泥棒よりも悪い。最低の人間である。
 「裏切り者は、犬畜生以下だ」と、戸田先生は本当に厳しかった。落雷のごとく怒っておられた。仏勅の学会を裏切り、同志を裏切り、広宣流布の誓いを裏切る。仏法上、これほどの大罪はない。
7  トルストイの思想も仏法と一致
 ロシアの大文豪トルストイ。若き日に、何度も、何度も、一生懸命に読んだ。本を読んでいないと、戸田先生に、それは厳しく叱られたものである。
 大文豪の作品は、時に難解に感じることもあった。しかしそれでも、読んで、読んで、読み抜いた。大文学をはじめ、一切法は、すべて仏法だからである。
 このほど、女子部国際部の方が、トルストイの本から、わかりやすく翻訳してくださった。真心に感謝しつつ、いくつか紹介させていただきたい。
 「あらゆる罪のうちで、最も悪いものは、人を分断する罪である。嫉妬であり、恐怖であり、非難であり、敵対心であり、怒りである。要するに、人への悪意である。人の魂が、神や他者と愛で結ばれるのを阻む罪とは、こうしたことを言うのである」
 「人への悪意」――「怨嫉」とも言えようか。トルストイは、仏法を深くは知らなかった。しかし、彼の思想は、仏法思想と一致する点が多い。
 トルストイは「人を、神や他者と分断する罪が最も悪い」と。私どもで言えば、御本尊、大聖人と我々の間を、また同志の間を分断しようとするのは、最も悪い罪である。
 日顕をはじめ、仏勅の学会を分断し、破壊しようとする人間たちの罪は、限りなく重い。御聖訓に照らして、永遠に許してはならない。
8  トルストイは、この本の中で、多くの哲学者・思想家の言葉を記している。トルストイ自身、世界から仰がれる大文豪であったが、傲ることなく、人類の先哲を深く尊敬していた。だから偉大なのである。
 トルストイいわく、「哲学者カントは、『二つの事がらが何よりも自分を驚かす』と言っている。一つは、天空の星であり、もう一つは、人間の心の中の善の法則である、と」。
 「天空の星」――宇宙には、地球のような星が、何千億以上もある。それが仏法の宇宙観でもある。しかし、同じように不思議なのは、人間の心である。
 カントの「人間の内なる道徳律」という言葉は大変に有名だが、それは「心の中の善の法則」のことであり、「仏界」の法則に通じる。
 戸田先生も、言っておられた。「宇宙とともに、否、それ以上に、最も探求されねばならないのが、生命の内奥である」と。
9  トルストイの言葉を続けたい。
 「神を、頭では決して理解できない。我々が神の存在を認めるのは、頭ではなく、自分自身の中に神を感じるからである。人間が真の人間になるためには、自身の中に神を感じなくてはならない」
 これは、「御本尊」が、妙法を行じる「我らの胸中の肉団」におわしますとの仏法の考え方にも通じよう。
 こんな言葉も引いている。
 「人間よ、人間のままで終わるな。神になれ。そうした時に、初めて、なすべきことができるのだ」(宗教哲学者アンゲルスの言葉)
 私どもからすれば、「一生成仏」への修行を言っていると、とらえられる。本当に偉大な英知である。
10  トルストイは、「死」について、こう言っている。
 「死が、我々、皆のもとにやってくるということほど、確かなものはない。死は、『明日という日を迎える』ことよりも、『昼の次には夜になる』ということよりも、『夏が終わると冬が来る』ということよりも、確実なのである。我々は、明日に備え、夜に備え、冬に備えるというのに、なぜ、死には備えないのだろう。死にも備えねばならない」
 この問題については、イギリスのトインビー博士とも語り合った。
 「現代の文明は『ごまかしの文明』である」と。
 今の社会は、「死」という問題に真っ向から向き合うことを避け、目先の栄華と栄誉を追い求めている。
 しかし「死」を解決しないかぎり、本当の人間的文明は、ありえない――これが博士の結論であった。
 ゆえに博士は、仏教運動の指導者である私との対談を強く望まれた。
 私は、まだ四十代であった。そこで、高齢のため日本に来られない博士のもとへと、私はうかがったのである。
 トルストイは、こう続けている。
 「死への準備をするということは、良い人生を送るということである。良い人生ほど、死への恐怖は少なく、安らかな死を迎える。崇高なる行いをやり抜いた人には、もはや死は無いのである」
 人間、だれが偉いのか。権力者が偉いのか。有名人が偉いのか。地位や肩書、財産がある人が偉いのか。絶対に、そうではない。
 最も偉い人とは、人を救う人である。崇高な行動の人である。「死への準備」を知り、それに備えて生きていく人である。その人こそ「最高の人生」を送っているのである。それが皆さまである。
 「崇高なる行い」――学会活動である。私たちの信心の世界である。皆さまこそ、この世で一番の幸福者なのである。
 「創価学会、万歳!」と叫びたいが、いかがだろうか!(拍手)
11  最後に次の言葉を紹介したい。
 「他人を知るものは賢いが、自分自身を知るものは目ざめた人である。他人に打ち勝つものは強いが、自分自身に勝つものは偉大である。死ぬときに、自分は滅しないことを知る人は、永遠である」(老子の言葉として、トルストイが記したもの)
 私どもの旅路は、「永遠不滅」の栄光の道である。
12  奇跡のトランペット奏者の信念
 先日、世界的なトランペット奏者として活躍する大野俊三さんが、アメリカから、私の誕生日のお祝いとして、素晴らしい贈り物を届けてくださった。それは、懐かしい名曲や学会歌を二十曲、みずから演奏し、録音してくださったCD(コンパクト・ディスク)である。
 一曲一曲に、真心が光る珠玉の演奏を、私は毎日毎日、何回も何回も聴かせていただいている。私は、御礼の和歌を、すぐに贈った。
  天までも
    響き わたらむ
      天才の
    君が楽器の
      なんと美事な
 「天才」とは「努力」の異名である。大野さんも、血のにじむような「努力また努力」を続けてきた人である。現在、四十九歳。交通事故やガン。幾たびも人生の試練の山河を乗り越えてきた同志である。
 ゆえに、その演奏にも、本物の「生命の勇者」の響きがある。それは死線を乗り越え、学会と運命をともにしようと誓った人だけが発する「妙音」の響きである。
 みずから苦難と闘い、鍛え上げてきた「生命の楽器」から、「生き抜け!」「勝ちゆけ!」と、魂を揺さぶる勇気の曲が轟きわたる。私には、そう聞こえる。
13  彼は、誇り高き中部音楽隊の出身である。アメリカの天地でも、男子部の方面長、音楽隊の責任者、そして創価班で活躍した。広宣流布の組織の第一線で、同志とともに学会活動に励んできた。
 組織の苦労を避けては、本物の人間はできない。どんなに立派になっても、どんなに有名になっても、苦労のない人間は、土台がなく、根っこのない人間であり、何かあれば、すぐに崩れてしまう。
 一九八七年の二月、私がマイアミ研修センターを訪問した時も、創価班の一員として、ニューヨークから駆けつけてくださった。陰に徹して動き回り、尊い汗を流していた。あの凛々しき姿を、私は一生、忘れない。
 今も、ご夫妻で、ニューヨークの地区の幹部として活躍しておられる。
 世界的に有名になっても、彼の誠実さは、まったく変わらない。傲慢さも、いばりもない。世界的な芸術家でありながら、どこまでも″一学会員″を貫いている。学会を尊敬している。大事にしている。また、たゆみなく折伏を続けて、多くの人材を生んでいる。徹底して家庭訪問に足を運んでいる。立派である。
 有名なんて幻である。人間がどうかである。
 ちょっと有名になると、正法を教えてくれた学会の恩を忘れて、見くだし、バカにする人間がいる。そういう人間は、すでに「心」が堕ちている。最後は必ず落ちぶれる。これが、仏法の厳しき因果の方程式である。
 大野さんは、同志が困っていると聞くと、すぐさま駆けつける。″救急車″のように。彼の励ましによって、どれだけ多くの友や後輩が喜び、奮い立ったことか。「仏の使い」である尊き同志を守る以上に、尊い行動はない。
14  苦難の山に登れ! 山頂に凱歌の曲が
 一九八八年の十二月、彼は個人指導の帰り道、友人の車に乗っていて、交通事故に遭ってしまった。皆さま方も、交通事故は絶対に起こさないでいただきたい。
 この時、大野さんは、前歯が折れ、上唇の筋肉が裂けてしまった。トランペットを演奏するうえでは、絶体絶命のピンチである。どんなに力んでも、音が出ないようになってしまった。
 しかし、大野さんは怯まなかった。たじろがなかった。ここに「妙法の芸術家」の真髄がある。絶望するどころか、「これで世界一のトランペット奏者になれる!」と確信したという。(拍手)
 じつは、彼は若いころ、音楽学校に通う機会も余裕もなかった。自己流で技術を高めてきた努力家である。そこで、「この際、もう一度、基本に立ち返って、本格的に基礎からやり直そう。その″時″が来たんだ」と決意したのである。
 そして全米の超一流といわれるトランペットの師匠たちを次から次に求めて、謙虚に学び、訓練を受けていった。そのおかげで、以前の何十倍もの集中力で、的を定めて弓を射るがごとく、ねらい通りの音を出せるようになったという。
 御書には、「三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」と仰せである。「賢者」は退かない。
 人生、だれにでも悲しみや苦難の山がある。それを、どう勝ち越えるか。その山を乗り越え、勝ち越えた時、境涯は高まり、眼前に「無限の広野」が広がる。
 山が大きければ大きいほど、大変であればあるほど、乗り越えた功徳もまた大きい。だからこそ、苦労が財産なのである。
 何度も申し上げてきたが、松下幸之助氏は、創価大学に来られた時、こう言われた。
 「池田先生、やっぱり、若い時の苦労は、買ってでもせにゃ、あきまへんなぁ。苦労しない人間は、だめですな」と。
 日蓮大聖人の仏法は、「煩悩即菩提」の妙法である。「罰即利益」であり「変毒為薬」の人生を必ず送れるとの御約束なのである。
 大聖人は「災来るとも変じて幸と為らん」と断言しておられる。
15  大野さんには、その後も艱難が襲いかかった。
 一九九五年十二月、今度は扁桃ガンの宣告を受けた。ガンは第四期(末期)まで進んでいると言われた。トランペットを吹くどころか、命さえ危なかった。
 手術の連絡を受けたとき、私は即座に激励の電報を打った。そして愛弟子の平癒を、御本尊に真剣に祈った。「諸天善神よ、薬王菩薩よ、わが弟子を守りたまえ。動きたまえ」と祈った。
 彼は、自身が願った通りの名医にもめぐり会え、手術も無事、大成功した。三年前の二月のことである。
 日ごろの学会活動の大功徳は、その時は目に見えないようであっても、いざという時に、百千万の大軍のごとき力となって、はっきりと現れる。日蓮仏法は、「冥益」も「顕益」も、ともに絶大である。
16  手術後も、壮絶な闘病生活が続いた。
 扁桃腺の周りのリンパ節や筋肉を、かなり切り取ったために、口を開けるのにも、最初は、手でこじ開けねばならなかった。顔の筋肉のリハビリとともに、過酷な放射線治療を三十五回も受けた。放射線治療のために、嘔吐、不眠が続き、体は衰弱した。
 しかし、彼には、一つの断固たる決意があった。それは、間近に予定されていた「第十五回世界青年平和文化祭」の舞台に、同志とともに立つことであった。
 大野さん夫妻は、すさまじい気迫と負けじ魂で、病魔と闘った。
 私も、何度も励ましの伝言を送った。回復を祈り続けた。
 ニューヨークでの文化祭の五日前まで、胃に穴をあけ、栄養剤を管で流し込まねばならないような状態であった。しかし、彼は執念と忍耐で、ついに、あの晴れのカーネギー・ホールの舞台に立ったのである。九六年六月のことである。
 その大舞台には、長年にわたり彼を支え、励まし続けた麗しき同志の姿が、ともにあった。それは、世界最高峰のジャズの演奏家たちである。
 サックスは、ウェイン・ショーターさん。彼は九六年に最愛の夫人を飛行機事故で亡くしている。私も何回も励ました。その悲しみを見事に乗り越えて、九七年、九八年と二年連続で「グラミー賞」に輝いている。(グラミー賞は、アメリカ音楽界の最高栄誉。ウェイン・ショーターさんは、九五年にも同賞に輝いている)
 ピアノは、ハービー・ハンコックさん。八七年にアカデミー賞(映画音楽部門)、九五年、九七年にグラミー賞を受賞している。
 ベースは、バスター・ウィリアムスさん、ギターは、ラリー・コリエルさん、フルートは、ネスター・トーレスさん、トロンボーンは、ロビン・ユーバンクスさんとスティーブ・トーレさん、ドラムスは、ケンウッド・デナードさん、パーカッションは、フランク・コロンさんが演奏した。
 だれもが「世界の超一流」であり、偉大な妙法の音楽家である。大野さんを、陰に陽に守り支え、偉大なる文化祭を後世に残してくださった。
 彼は、常に、この善き仲間、善き同志と苦楽をともにしてきた。また、それをモットーとしてきた。だから強い。だから負けない。だから伸びる。
 御書にも繰り返し、「善き友に近づけ!」と仰せである。「悪知識を捨てて善友に親近せよ」と。
 悪人にたぶらかされてはならない。いばられて、利用されるだけである。悪い人間は、学会を利用し、人の真心を利用し、肩書を利用し、国家を利用し、すべて自分の名聞名利のための手段とする。自分のことしか考えていないものだ。
17  文化祭の当日も、大野さんの体調を知る音楽家の仲間たちは、全員が「絶妙の呼吸」で、大野さんをもり立てた。忘れ得ぬ光景である。ジャズに編曲された「人間革命の歌」が、世界最高峰の芸術の殿堂「カーネギー・ホール」に鳴り響いた。
 きょうは、その「人間革命の歌」を、音楽隊の皆さまが見事に演奏してくださった。ありがとう!(拍手)
 文化祭は、金剛の同志愛が見事に奏でた演奏であった。芸術の極致であった。場内には、感動の電流が走り、万雷の拍手喝采が鳴りやまなかった。
 「よくやった!」という生命の奥底からの拍手を、聴衆は送り続けた。
 「世界のオオノは復活した」「大病を克服して、オオノの音は、一段と良くなった」と、専門家も絶賛している。
 私は、うれしかった。「わが創価のトランペットの帝王は、不死鳥のごとく堂々と蘇った」と。同志とともに、学会とともに、そして私とともに、彼は晴れ晴れと凱歌をあげたのである。(拍手)
 ニューヨークの大野さんと、その仲間に拍手を送りましょう!(拍手)
18  「生老病死」の苦しみから「常楽我浄」の喜びの人生へ
 広宣流布のために、戦って、戦って、戦い抜いて、「生老病死」の苦しみの人生から、「常楽我浄」の喜びの人生へと変えていく。勝ち飾っていく。これが妙法の信心である。日蓮仏法である。
 御義口伝には、こう仰せである。
 「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るはしかしながら四徳の香を吹くなり
 ――(宝塔の)四つの面とは生老病死のことである。この四つの相をもって、我らの一身の生命の宝塔を荘厳するのである。我らが生老病死に当たって、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを吹き薫らせているのである――。
 生老病死という、避けられない苦悩を、どう打開するか。それは、妙法の信仰によるしかない。他のいかなる宗教も、政治や経済でも解決できない。
 この最大の「一大事」を解決せずして、個人の真の幸福はない。二十一世紀の輝かしい地球文明を建設することもできない。
 いよいよ「生命の世紀」である。生命とは何か? 人生を、どう生きるか? 生老病死を、どう打開するか? ここが焦点である。時代の底流は、二十一世紀に向かって、その方向に滔々と流れている。
 永遠不滅の仏法を、先がけてたもった私たちは、闇のなか、夜明けを告げるトランペットのごとく、偉大にして幸福な、そして愉快な「勝利のトランペット」を吹き鳴らしていきましょう!
 我らの行進で、「二十一世紀の希望の大哲学」の足跡を、勇壮にまた力強く広げてまいりましょう!(拍手)
19  各地の同志の皆さまの「勝利」の報告が、続々と届いている。年頭から、全国で一つももれなく「連戦連勝」。「完璧勝利」の一年が、怒涛のごとく始まった。心から「ご苦労さま」と称えたい。(拍手)
 すべては民衆のためである。地域のためである。広宣流布のためである。自分のためである。この大確信で進みましょう!(拍手)
 今回は第三十一回の本部幹部会。あわせて、第一回の東海道総会、第三回栃木県総会でもある。本当におめでとう!
 海外十九カ国・地域から代表も参加してくださった。遠いところ、本当にご苦労さま!
 また、この春、学業を終えて、帰国予定の創価大学への留学生も、出席してくださっている。
 このほか、寒い朝も、雨の日も、「聖教新聞」を配達してくださっている「無冠の友」の代表の方々。青年僧侶改革同盟の皆さん。秀才の集まり「専修大学会」「日本大学会」「中央大学会」の皆さん。中野兄弟会、渋谷兄弟会、港兄弟会の代表。創聖健保の方々。さらに、「部の日(2・17)」を記念して集ってこられた農村部の方々。県長会議、婦人部、そして、青年部の皆さん。本当に、ご苦労さま!(拍手)
 青年部の成長がうれしい。青年部の時代である。
 なお、今回の本部幹部会から、福島池田〈県〉福島北圏伊達本部の個人のお宅で、音声中継が行われるようになった。お世話になります。また、伊達本部の皆さん、おめでとう!
20  「壁を破れ!」それが「伝統の二月」
 二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、戸田先生の誕生の月である。そして「伝統の二月」。
 淵源は昭和二十七年(一九五二年)の二月――二十四歳であった私が、蒲田支部の支部幹事として、二百一世帯の日本一の折伏を達成したことにある。
 当時、「A級支部」と呼ばれていた大きな支部でも、一カ月に百世帯が限界であった。歴戦の幹部が指揮を執っても、その″壁″は破れない。
 戸田先生は、そうした実情を、じっと見つめておられた。
 「これでは、とうてい創価学会は大きくならない。広宣流布はできない」と。
 そして「大作、来い!」、戸田先生は私を呼ばれた。
 「大作、蒲田の支部幹事になって、いよいよ始めてくれないか」
 朝も夜も、戸田先生のおそばで戦っていた私は、先生のお心を深く知っていた。蒲田は私の故郷でもある。
 「わかりました!」
 師の心を抱いて、私は戦った。そして、蒲田を日本一にした。広布の突破口を開いた。
 そこから他の地域へも、波及して、広布の大行進が始まったのである。(拍手)
21  当時の蒲田支部の支部長は小泉隆さん。婦人部長は白木静子さん。お二人も真剣に戦ってくださった。私が行って、蒲田がうなり始めた。東京がうなり始めた。そして、日本中に波動が伝わった。
 (昭和二十七年一月の学会全体の折伏成果は、六百三十五世帯。二月の蒲田支部の驀進を機に、三月には、かねてからの目標であった千世帯を突破した。十一月、十二月の折伏成果は、ともに二千世帯を超え、年頭の学会世帯数五千七百二十七世帯は、一年で二万二千三百二十四世帯にまで拡大した)
22  二十四歳の私よりも″偉い″幹部はいっぱいいた。しかし、広宣流布と役職は無関係である。
 本当に偉いのは、折伏をする人である。末法の信心の真髄は、日蓮仏法の真髄は、折伏である。
 折伏をやる人こそが仏であり、御本仏の「誉れの門下」なのである。
 仏法の眼から見れば、他の名誉など、比べものにならない。いかなる権力者よりも尊い。「広宣流布を進める人こそが、一番偉大な人である」と断言しておきたい。(拍手)
 師匠である戸田先生が、一人の愛弟子を″戦地″に送ったことから、一切は始まった。もし、戸田先生が手を打たなければ、そして、私がその心を実現していなければ、今日の創価学会はない。
 「師弟不二」だからこそ、広宣流布の大道が開けたのである。未来のために、この歴史を語り残しておきたい。
23  大切な皆さま方である。
 悪い風邪が流行っているが、どうか体に気をつけていただきたい。
 尊き同志の皆さまが、いつも健康で、ご長寿であられますよう、私は毎日、一生懸命、祈っている。皆さまのための「名誉会長」だからである。
24  「冬来たりなば、春遠からじ」(イギリスの詩人・シェリーの言葉)
 一歩前進して、また三月を迎えましょう!
 創価学会を世界一の団体にしましょう! 戦おう!
 (東京牧口記念会館)

1
2