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日蓮大聖人・池田大作

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第30回本部幹部会、インド国立デリー大… 世紀の大転換を新思考で

1999.1.7 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  日本の歴史認識は世界に逆行
 おめでとうございます! 本年も、よろしくお願いします。(拍手)
 第六回の中国総会、第十回の婦人部幹部会、おめでとう!(拍手)
 海外からもようこそ、いらっしゃいました。サンキュー・ソーマッチ!(拍手)
 アメリカの著名な人権団体(サイモン・ウィーゼンタール・センター)のクーパー副会長、著名な大学(クレアモント・マッケナ大学)のバリツァー教授が来日中であるが、両先生からメッセージが寄せられたので、お伝えしたい。
 「日本の歴史認識を見ると、第二次世界大戦等の問題について、『もう過去は、いいじゃないか!』と、あいまいにしておきたいという傾向が感じられます。
 しかし、世界では反対に、中国でも、アメリカでも、ヨーロッパでも、『二十一世紀に向けて、正しい歴史認識を残しておこう』という動きが、ますます顕著になっています。『正しい歴史の理解』がなければ、『正しい未来への舵取り』はできないではありませんか!」
 その通りである。これが世界の常識である。日本では、自分たちに都合の悪い歴史をごまかそうとしたり、うその歴史を教えようとする風潮が、ますます強まっている。危険な国家主義が広がりつつある。
 だから、私たちが戦わなければならない。私たちが全力で立ち上がり、良識のスクラムを広げていかねばならない。
 (二人の識者は語っている。「こうした転倒の日本にあって、池田先生の行動は、どれだけ勇気のいることでしょうか! 口で平和を訴えたとしても、行動と戦いが伴わなければ、まったく無意味です。いざという時に、勇気をもって戦える人間を何人、つくるか。ここに池田先生の偉大な挑戦があると思います」)
 やりましょう!(拍手)
 また「過去を、あいまいにしてはいけない」という点では、広宣流布の歴史も同じである。学会を裏切り、同志を踏みにじり、広宣流布を弾圧した悪人たちを、断じて放置してはならない。徹底的に罪を明らかにし、断罪しなければならない。あいまいにすれば、そこから「土台」が崩れてしまう。仏敵を倒し切るまで戦ってこそ、洋々たる「未来」を開いていける。
2  最後の瞬間まで「革命児」として
 キューバのカストロ議長からも、メッセージをいただいた。
 「池田会長が、多忙な私の健康を気づかってくださって、大変に光栄であり、うれしく思います。私は″革命家″であります。息を引き取る最後の瞬間まで、キューバ人民の尊厳と、キューバ共和国の主権のために戦い続けます」
 「池田会長も″革命家″であり、日々、民衆の尊厳のために戦っておられます。そのために、どのような目に遭おうとも戦っておられます。来る日も、来る日も、長時間にわたり、世界平和の実現のために働いていらっしゃる池田会長のご健康を、私もお祈りいたします」
 「池田会長が、次回、アメリカ大陸にお越しになる際には、再び、キューバを訪問されることを願っております」と。(拍手)
 三年前、訪問した際には、大変に歓迎していただいた。(一九九六年六月、キューバを初訪問した池田会長は、ハバナの革命宮殿でカストロ議長と会見している)
 私たちの舞台は世界である。日蓮大聖人は日本の権力者を「わづかの小島のぬしら主等」と呼んで、悠々と見おろしておられた。日蓮仏法は、世界を包み、宇宙をも包み込む大境涯の仏法である。ゆえに私たちは、「心は世界、宇宙へ!」「行動は、わが地域で!」、これでいきましょう。(拍手)
3  きょうは、人類の宝である「精神の大国」インドから、かくも偉大な哲人の先生方をお迎えすることができ、これほどの光栄はない。(拍手)
 心より尊敬申し上げる国立デリー大学のメータ副総長ならびに令夫人。またアハメッド副総長補はじめ諸先生方。ただ今、私は、あまりにも意義深き、貴大学からの「名誉文学博士号」を厳粛に拝受させていただきました。まことに、ありがとうございました。(拍手)
 (会合の席上、インド国立デリー大学から池田SGI〈創価学会インターナショナル〉会長に対する顕彰が行われた。メータ副総長一行が出席。池田会長に「名誉文学博士」の学位記が贈られた。之は、現代のガンジーとして、新しい人間主義で人類に希望を贈っている、と高く評価されたものである)
 日蓮仏法において、仏教発祥の大恩ある貴国と精神の交流を結びゆくことは、七百年来の宿願である。その実現に立ち上がったのが、牧口初代会長であり、戸田第二代会長である。ゆえに私どもは、この栄誉を、何よりもまず、お二人の先師に捧げさせていただきたい。(拍手)
 とともに、きょうの歴史的な式典を、五十年先、百年先の人々も、必ずや、大いなる誇りをもって振り返るであろうことを、私は確信してやまない。
4  大胆に! 朗らかに! 痛快に! 青年よ先輩に倍する戦いを
 マハトマ・ガンジーが、南アフリカで人権闘争を展開していたときの有名な話である。悪名高い「アジア人登録法」と彼は戦った。
 (一九〇七年の制定。八歳以上のインド人は、指紋を押捺して登録し、常に証明書を所持しなければ「居住権」を奪われた。違反すれば罰金、投獄、国外追放になった)
 悪法の廃止を目指したガンジーは、まず、州政府の権力者である将軍のもとに行って、こう語った。(``GANDHI THE MAN by EKNATH EASWARAN'' NILGIRI PRESS)
 「私は、あなたの政府と戦います。このことを告げにきました」
 本当に「勇気」がある。こうでなければ戦いはできない。
 将軍は、ばかにして笑った。
 「君は、それを言うために、わざわざ、ここにやってきたのか! ほかに、まだ何か言いたいことはあるのか?」
 「あります」。ガンジーは、きっぱりと言った。「私は勝ちます!」
 何と素晴らしい一言か。彼は結論を先に決めていた。一念の中では、すでに勝っていた。
 驚いた将軍は、たずねた。
 「勝つ? どうやって勝つのだ?」
 敵の将軍に向かって、ガンジーは、にっこりと笑って答えた。
 「あなたに手伝ってもらって勝つつもりです」
 この宣言どおりに、ガンジーは将軍を結果的に″味方″に変えていった。高潔な「人格」の力で。「勇気」の力で。そして、ついには、この悪法を撤廃させたのである。これは歴史的事実である。(投獄をも、ものともしない非暴力闘争の結果、一九一四年に「インド人救済法」が可決した)
 この大胆さ。この気迫。この朗らかさ。愉快さ。これが、真の「革命児」である。わが「創価の革命児」「新世紀の革命児」も、こうあっていただきたい。(拍手)
5  革命児ならば、鋼のごとき強さがなければいけない。とくに男性は。
 ある人が言っていた。「学会も、草創期に比べて、だんだん″いくじなし″の幹部が増えてきたのではないか。いわんや、学会のおかげで偉くなった恩も忘れて、増上慢になっている愚か者もいる。そんな人間は絶対に信用できない」と。
 もう一回、青年が立ち上がって、新しい創価学会を築いていただきたい。(拍手)
 だれがやらなくても、私は立つ。たとえ一人になっても、私は戦う。牧口先生の直系の私である。戸田先生の直弟子の私である。もう一回、二十一世紀に向かって、私は戦う。皆さんも、一緒に進んでいただきたい。(拍手)
 この正月、全国、全世界で、空前の人数の「希望の連帯」をもって、二十一世紀へ堂々たる出発ができた。この世に、ただ一つの仏意仏勅の学会である。日蓮大聖人直結の学会である。「創価学会さえ盤石ならば、日本も世界も盤石である」こう決めて、楽しく前進しましょう!
 だれのためでもない、ただ広宣流布のために。民衆のために。自分自身のために。どうせ戦うならば、皆があっと驚く勝利を勝ち取りましょう!(拍手)
6  新しき歴史は「一人」から始まる
 ちょうど二十年前、一九七九年(昭和五十四年)、二月の六日の真夜中の零時すぎに、私はニューデリーの空港に到着した。十五年ぶりのインド訪問であった。その夜が明けると、デリーの町並みは、神秘的な朝もやに包まれていた。一幅の名画のごとき、荘厳な光景であった。
 この到着の第一日に、私は、真っ先に、光輝あるデリー大学を表敬訪問させていただいたのである。タゴール記念講堂で、真心からの図書贈呈式を挙行させていただき、私の大きい黄金の歴史をつくらせていただいた。
 デリー大学は、「新しい歴史の流れを作りゆく大殿堂」である。インドの独立闘争においても、重要な揺籃の地であった。ガンジーも幾度となく訪れた。ここで多くの学生たちと語り合い、独立運動の指揮を執った。
 「出身や宗教の違いを超えて、ともに学ぼう!」
 この麗しきデリー大学の青年のスクラムに、ガンジーは大いなる希望を見いだしていた。当時、デリー大学は草創期。施設も整っていなかった。財政も大変であった。学生の数も少なかった。しかし、ガンジーは、透徹した歴史観をもって、この大学を見守っていた。
 「物事は、初めはきまって少数の人によって、ときにはただ一人で始められるものである」(『わたしの非暴力』森本達郎訳、みすず書房)
 「数の力は臆病者が喜ぶところである。勇敢な人は、一人闘うことを誇りとする」(『私にとっての宗教』竹内啓二訳者代表、新評論)
 この洞察の通り、デリー大学は目覚ましい発展を遂げていったのである。(拍手)
 ここにおられるメータ副総長は、インドを代表する卓越した政治学者であられる。
 「世界大学総長会議」副会長など、幾つもの要職を務めながら、世界の教育界を大きくリードしておられる。
 副総長には、『マルクス主義を超えて』という不朽の名著がある。
 このなかで副総長は、「社会の新しい変革には、新しい全体人間が必要である」と論じておられる。まさに、その通りである。
 なかんずく、大転換期を勝ち抜き「新しい時代」を開くには、「新しい人材」「新しい思考」「新しい陣列」の拡大が絶対に不可欠である。
 「新しい青年」を、どんどん育てて「新しい指導者」を、つくっていく以外にない。これしかない。これが勝利への方程式である。
 だからこそ、わが青年部は、今、縦横無尽に戦っていただきたい。遠慮はいらない。思う存分、自由奔放に行動していけばよい。そして、今の倍、そのまた倍以上に「広宣流布の大道」を開いていっていただきたい。
 後継の青年部を全面的に信頼して、一切をまかせたい。すでに、そういう時代に入っている。
 また、きょうは「人材の大中国」の総会である。おめでとう!(拍手)
7  無名の庶民に「最高の王冠」を
 ガンジーの非暴力闘争には、多くの女性が勇んで参加した。激しい戦いの渦中に最愛の子どもを亡くすお母さんもたくさんいた。しかし気丈な母たちは、すべてを耐えて戦い抜いた。
 あるお母さんは凛然と語った。
 「われわれが泣き悲しんでも、(=子どもたちは)もう返って来ない。死んだもののためにかなしむべきではない。われわれは生きているもののために働かなければならないのだ」(『ガンディー主義』大形孝平訳、岩波新書)
 婦人も、青年も、何の見返りも求めなかった。悲哀にも負けない。感傷にもひたらない。ただ一途に進む民衆の姿に、むしろガンジーのほうが励まされ、勇気をもらった。ゆえにガンジーは、自分ではなく、こうした民衆こそが最高の王冠を受けるに値すると語ったのである。
 反対に、草の根の英雄たちを称賛することもなく、民衆を利用して偉くなった政治家等だけに立派な勲章を与える――それが、どれほど次元の低い、非文明的な行為か、と論じた学者がいる。
 きょうは、全国婦人部幹部会。偉大なガンジーがそうしたように、けなげな広布の母の皆さまに、最敬礼を送りましょう!(拍手)
 大切な大切な婦人部、女子部の皆さまである。いばって叱りつけるようなことがあってはならない。そんな傲慢な振る舞いは、どんな幹部でも絶対に許されない。
 副総長とともにおいでくださったスネー夫人も、多忙を極める副総長を支えられながら、社会福祉や教育の分野で大いに活躍しておられる。その偉大な貢献を、皆で心からたたえましょう!(壇上の夫人に拍手)
8  「究極の法」とともに生きた人は強い
 創価教育の創始者である牧口先生は「行き詰まったら原点に返れ!」と教えられた。有名な言葉である。
 人類は今、大きく行き詰まっている。だからこそ、全世界の指導者は、インドの悠久の大地が深く静かに発信する「魂のメッセージ」に耳を澄ますべきではないだろうか。(拍手)
 なかんずく、アショーカ大王が示した「ダルマ(法・正義・真理)による勝利」こそ、ゆるぎなき人間主義の「原点」である。この点については、二年前のラジブ・ガンジー現代問題研究所での講演でも、私は論じた。(「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」)
 なお、ご臨席のラナ博士は、アショーカ大王の研究の第一人者として、大変に有名であられる。(拍手)
 牧口先生は、第二次世界大戦中、牢獄での尋問でも、「法に依って、人に依らざれ」という信念を、厳然と貫かれた。
 大切なのは法である。人は変節するが、法は不変である。ゆえに法を根幹とすべきである。
 牧口先生は、宇宙の根本の法則、永遠不滅の法則に立脚して、軍国主義の権力など悠然と見おろしておられた。これが「創価の大精神」である。
 「究極の法」とともに生きた人こそが強い。幸福である。
 法華経に勝る兵法なし! 南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり! この大確信で前進しましょう。(拍手)
9  アショーカ大王の法勅は語りかけている。
 「すべての人は、私の子どもである。私は、自分の子どもと同じように、すべての人々が現世も未来世も、利益と幸福を得てほしいと願う」
 人間教育の真髄も、「生徒・学生を皆、我が子のごとく愛する」という、この決心にあると、私は思ってきた。
 さらに大王の法勅は、「政治」とは「人民の幸福のために力を尽くすことである」と教えている。そして、「政治」とは、「民衆から受けた恩」に対する「報恩」であると強調している。
 民衆から、しぼり取って、自分が偉くなり、それでいて、いばりちらす――そんな政治家は、本当の「政治」を知らないのである。「恩知らず」や「裏切り」など論外である。畜生道以下である。
 このアショーカ大王の精神を現代に蘇生させたガンジーは、「理念なき政治」を、人類の七つの罪悪の筆頭に挙げた。
 確固たる精神性、宗教性を失ってしまえば、政治は堕落し、腐敗してしまうことを、ガンジーは繰り返し教えた。
 マハトマの思想に照らしても、私どもの主張、行動、運動は絶対に正しいのである。(拍手)
 メータ副総長は、いみじくも語っておられる。
 「『悪』というものは、常に、人間の心に存在するものである。なかでも権力のある場所に、それは顕著である」
 卓見である。また副総長は、こう喝破しておられる。
 「我々は、自身の中に『善』と『悪』、『野蛮』と『人間性』を持っている。
 文明人としての我々の責務は、この世界に『悪』を野放しにするのではなく、その『悪』と戦い、より崇高な理想へと成長を遂げていくことなのである」
 全く同感である。最も深い闘争は「人間の心の魔性との戦い」なのである。ゆえに「権力の魔性」と戦わねばならない。とくに、リーダーは、先頭に立って悪と戦わなければならない。
10  戸田先生は私に、こんな和歌を贈ってくださった。私への万感の思いをこめた一首であった。
  大鵬の
    空をぞ かける
       姿して
    千代の命を
      くらしてぞあれ
 ″おおとりが大空を悠々と舞っていくように、生涯、永遠に、世界に舞っていきなさい。長く長く生き抜いて、平和のために飛翔していきなさい″とのお心であった。
 このありがたい恩師の心を抱きしめて、私は生き抜いてきた。世界のため、平和のために翔けてきた。
 皆さまも、私に続いていただきたい。世界は大きい。小さな社会、小さなことにとらわれて生きては、つまらない。
11  「地域に根差せ」「地域に尽くせ」
 さて、この一月は、ガンジーの殉難の月である。(一九四八年一月三十日に逝去)
 凶弾に倒れる直前、ガンジーが心を砕いていたことは何であったか――。
 それは、政治的独立を獲得した今、さらに社会的・道徳的・経済的な独立を達成するためには、もっと地域に根差し、民衆に奉仕する組織を作らねばならない、ということであった。
 そして、「リーダーは、それぞれの地域内のすべての人々と個人的な接触をもつように!」等と、率先しての地域貢献の行動を促したのである。
 これがガンジーの遺言の一つとなった。
 地域への貢献――まさに学会が長年、取り組んできた運動である。その″ホシ″は、「地域のすべての人々と個人的な接触をもつ」ことである。
 メータ副総長も、次のように論じておられる。
 「精神性に富んだ人生とは、社会から隔離された所や、ヒマラヤの洞窟での生活にあるのではない。それは、社会の発展の過程に誠実に参加していく中にある。他者への献身を通してのみ、我々は本来の自分になれるのである」
 人に尽くしてこそ、自分の生命が開花する。この意味からも、学会活動は、最も正しい、最先端の民衆運動であると確信していただきたい。(拍手)
12  日蓮仏法では、こう説いている。
 「我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し
 ――我らの弟子檀那となる人は、一歩も歩まないで天竺(インド)の霊鷲山を見ることができ、本有の寂光土へ、昼も夜も往復されることであろう。何とうれしいことか。言いようもない、言いようもない――。
 素晴らしい大哲学である。今年も、「自分が今いる場所で」「自分が生きている所で」「自分が愉快に暮らしている地域で」、創価のヒューマニズムの旗を高く掲げて生き抜き、前進しましょう!(拍手)
 ガンジーは語っている。
 「近隣のために尽くす人は、同時に、人類のために尽くしている」
 また「地域友好の精神は、あたかも雪だるまのように、どんどん大きくなり、加速度的に勢いを増して、地球全体をも包む」と。
13  闇を追い払え! 勇気の太陽で!
 メータ副総長は、こう展望しておられる。
 「十九世紀は『自由』を追求した世紀であった。二十世紀は『平等』を追求した世紀であった。そして、二十一世紀は『正義』を追求する世紀となるであろう」
 私も全く同感である。
 正義――民衆を幸福にしてこそ正義である。その根本は″正法正義″である。
 ともあれ、「正義」が断固として勝利しゆく″二十一世紀文明″の建設へ、デリー大学の諸先生方、また世界最大級の二十五万の若き学生の皆さま方とともに、友情の手を固く携えながら進んでまいりたい。
 正義が勝たなければ、世界は闇である。負けてはならない。負ければ個人も団体も、みじめである。不幸である。
 そして、「勝利」のためには、「何ものも恐れない」ことである。
14  大詩人タゴールも、デリー大学の名誉博士号を受章している。授章式典となった卒業式で、彼は多くの学生たちを前に、朗々と詩を謳いあげた。
 「恐れからの解放」という有名な詩である。
 何も恐れない! 頭を毅然とあげて戦い抜く!――そこに真の自由がある。勝利がある。
 恐れてはならない。正義をもった人間、正法をもった人間が一番強いのである。
 結びに、その詩と同じように私が若き日から愛誦してきた、タゴールの詩集『春の先がけ』の一節を紹介し、謝辞を結ばせていただきたい。
15   太陽の輝きは
  人間の勇気の中でかがやく――
  陽の光はこの世のすべての闇を追い払う
    (『タゴール詩集』2,森本達雄訳、アポロン社)
 皆さま、ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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