Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第29回本部幹部会、第23回九州総会 時代を先取りするソフト・パワーの運動

1998.12.8 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  勇猛精進の闘争に感謝
 本年、この大切な一年間を、皆さまの「勇猛精進」の闘争と指揮で、創価学会は見事に勝ちました!本当に、ご苦労さま。(拍手)
 「今年は勝った。来年も勝とう!」。そう称え合い、誓い合いたい。(拍手)
 今、悠々と一千万を超える民衆の大勢力の創価学会が、でき上がった。この広宣流布の「勢い」は、尊い皆さま方の戦いによって作られた。
 その功徳は、御聖訓に照らして、生々世々、子孫末代までをも包みゆくことは、絶対に間違いない。永遠に栄えゆく一家となり、一族となっていくに違いない。
 ここに改めて、私は、全同志の皆さまに、心からの称賛と御礼を、謹んで申し上げたい。(拍手)本当に、よく戦ってくださった。
 現実に、広布を進めている人が偉いのである。地位ではない。役職ではない。戦っている皆さまが尊いのである。大事なのである。
 きょうは、九州の総会、おめでとう。(拍手)
 戸田先生は、亡くなる少し前に言われた。「九州男児、よろしく頼む!」と。(拍手)世界広宣流布を託された遺言である。
 今、九州は見事に大発展した。素晴らしい勝ち戦の伝統をつくった。戸田先生も、心から賛嘆しておられると私は信ずる。(拍手)
2  「ソフト・パワーの時代」が開幕
 来年(九九年)のキーワードは何か。電通総研は「ソフト・パワー」を選んだ。
 「ソフト・パワー」については、私は七年前、ハーバード大学での第一回の講演で論じた。(九一年九月。「ソフト・パワーの時代と哲学」。本全集第2巻収録)
 先日(十一月二十九日)、来日したインドの哲人ロケッシュ・チャンドラ博士が、こう語っておられた。皆さまへの期待でもあり、そのままお伝えしたい。
 「今、創価学会は(文化や教育という)『ソフト・パワー』で世界を結びつけ、各国の友好の絆をつくっておられます」
 「池田先生は二十一世紀の『ソフト・パワー』の象徴です」
 「その『ソフト・パワー』の哲学を、人類の思想に組み込んでいただきたい」と。(拍手)
 一流の知性には、″嫉妬″の曇りがない。これからの時代に何が必要なのかを″公正に″見つめておられる。
 ようやく日本も「ソフト・パワー」に注目しはじめた。私どもの運動が時代を先取りしている一つの証と思っていただきたい。(拍手)
 明年は、いよいよ一九九九年。私どもは、すべてに先手を打っていく意味で、「来年から二十一世紀の開幕!」――そう、とらえて前進したいと思うが、どうだろうか。(拍手)
 私もまた、広宣流布のために、日本中を、そして世界を回る決意である。(拍手)
 創価学会の舞台は、小さな日本だけではない。仏法は宇宙大であり、全世界、人間がいるところ、すべてが私どもの大舞台である。
3  喜びは戦いのなかにある
 「喜び」とは、どこにあるか。
 マハトマ・ガンジーは言った。
 「喜びとは、勝利それ自体にではなく、途中の戦い、努力、苦闘の中にある」
 勝つことは楽しい。しかし、途中の戦いは、もっと充実している。喜びは戦いの中にある。
 むしろ勝ったあとは、疲れ果て、目標もなく、何か寂しい感じがするものかもしれない。「ゴール」だけではなく「途中」に価値がある。
 それは、恋愛のことを考えればよくわかる(笑い)。「結婚は墓場なり」(爆笑)。「ああ、ゴールインするまでは楽しかったのに」と嘆いている人もおられるのではないか(大笑い)。
 旅行にしても、外国の教養ある人は、列車の窓から、ゆったりと景色を味わう。途中を楽しむ。ところが日本人は、大てい「何時に着くんだ」とか「いくら、かかるんだ」(爆笑)。いらいらしながら、そのくせ途中は寝ている(爆笑)。
 本当は、途中が全部、「映画」であり、「絵画」であり、「詩」であり、「音楽」なのである。
 人生も、最後の勝利を目指して、「今」を、どう生きるか。その「今」の闘争に醍醐味がある。波乱万丈の中を戦うから、おもしろいのである。広宣流布は「偉大なる劇場」である。
4  「恐れない心」から勝利が! 幸福が!
 インドの大英雄・ガンジー。彼は、なぜ勝利できたのか?
 弟子であるラダクリシュナン博士(インド・ガンジー記念館館長)は言われた。
 「それは『何ものも恐れなかった』からです」
 「恐れない」ことが最高の幸福である。何があろうと恐れない。それが仏の境涯である。
 ガンジーは言った。
 「真理のために苦しむことを避けるな。信念を守るために立ち上がり、戦うことを恐れるな」
 私どもも、″妙法という大真理″を求め、究めるために、苦労を避けてはならない。
 「恐怖は、マラリアや黒熱病よりも恐ろしい病気である。マラリアや黒熱病は、体を蝕む。しかし、恐怖は精神を蝕む」(ガンジー)
 精神が蝕まれたら、負け犬のような人生になってしまう。そうなれば、相手はもっと吠えたてる。
 ゆえに、恐怖ほど愚かなものはない。醜いものはない。恐怖に苦しむことほど無意味なことはない。
 私も、申し上げたい。
 「友よ、恐れるな! 迫害を恐れるな。うそつきを恐れるな。嫉妬の攻撃を恐れるな。卑しき最低の人間たちの何を恐れることがあろうか!」と。
 ガンジーは言った。
 「精神性の最大の要素は『恐れない心』である」
 これが日蓮仏法である。創価学会である。南無妙法蓮華経の心である。獅子王の心である。
5  十九歳で信仰の道に入って五十余年――私は、何ひとつ恐れない。
 ガンジーは、自分が何ものも恐れなかっただけでなく、民衆にも「勇気」を吹き込んだ。「恐れるな!」「獅子になれ!」
 ガンジーは喝破した。
 「民主主義とは、人間が羊のように振る舞うことを言うのではない」(ルイス・フィッシャー『ガンジー』古賀勝郎訳、紀伊国屋書店)
 本当の民主主義とは、一人一人が「不屈の信念」をもち、「哲学」をもち、正義のために立ち上がるところにある。これこそ創価学会である。(拍手)
6  日米の開戦に、一人抵抗したのは女性議員
 きょうは、十二月八日。何の日か知らない人も、多くなったかもしれない。五十七年前のきょう、太平洋戦争が始まった日である。
 日本では、あまり知られていないが、アメリカで、ただひとり、この戦争に反対した議員がいた。それはアメリカ初の女性下院議員。ジャネット・ランキンさんという女性であった。
 日本軍の「真珠湾攻撃」の後、アメリカの世論は、圧倒的に戦争支持。アメリカの議会も「侵略者を許すな!」の大合唱。日本から攻めたのだから、当然といえば当然であろう。
 その中で、ただひとり、「ノー! 戦争は、いけません!」と叫んだ勇者が、彼女である。どんな理由があろうと、戦争には反対です! と。
 女性は強い。男は、いざという時に意気地がない。創価学会も、そうである。「『創価女性学会』にしたほうがいい」という意見さえある(爆笑)。
 彼女は議会で宣言した。
 「女なので私は戦争には行けません」「ですから、他人を戦場に送ることは拒否します」(大藏雄之助著『一票の反対 ジャネット・ランキンの生涯』文藝春秋。以下、引用は同書から)
 何と決然たる正義の弁論か。これこそ真の議員である。
 議会は騒然となった。傍聴人からも非難と怒号が、わき起こった。
 「非国民!」「ナチスの回し者!」「議員をやめろ!」
 ののしられ、突き飛ばされ、唾を吐きかけられた。
 その後も、つけねらわれ、「自殺せよ」「日本へ行ってしまえ!」などと書かれた脅迫の手紙が次々と届いた。このとき、彼女は六十一歳。偉い人である。
7  彼女は、じつは、第一次大戦の時も、アメリカの参戦に反対していた。この時は五十人が反対した。
 しかし、今度は、たった一人の「戦争反対」。だれも味方がいなかった。
 マスコミも、こぞって戦争一色。地元の支持者も、「次は、お前を落選させる」と脅してくる。しかし、彼女は屈しなかった。
 「人間を射殺することはできても、その思想を射殺することはできません。殺し合いは生命と真っ向から対立するものであり、豊かに花開く成長の可能性を否定します」
 何があっても、人を殺してはいけない! と。
 彼女は利発な女性であった。戦争によって一部の政治家と商人が「もうかる」ことを、鋭く理解していた。
 女性の「鋭さ」。これが本質を見抜いていることが、あまりにも多い。
 議会の議事録には、彼女の言葉が、こう残されている。
 「私は、愛国主義を利益追及の隠れ蓑に利用しようとする輩に反対して国民的に戦うことが正しいと信じます」「私は、デマ宣伝に反対して国民的に戦うことが正しいと信じます」
 しかし、だれも彼女を理解しようとしなかった。野次が飛んだ。非難が続いた。冷たい偏見に囲まれていた。それでも彼女は、胸を張って前へ進んだのである。
 私には、婦人部の皆さまの堂々たる正義の戦いと、重なって見える。
 こんな孤独の中で、彼女を支えたのは何か。それは、ガンジーの「非暴力」と「抵抗」の思想であった。
 思想があるから戦える。理念があるから、悪の潮流に流されることなく、正義を貫ける。
 ガンジーの教えに魅了された彼女は、何度もインドに出かけた。戦後、ネルー首相とも会見している。
 ガンジーには会えないでいるうちに、彼が殺されてしまった。彼女は嘆いた。
8  一人立つ勇気のドラマを
 彼女は戦後、長い間、人々から忘れられていた。
 その彼女を、最初に正当に評価した一人は、だれか――。ケネディ大統領であった。
 「勇気」こそ最高の「徳」と考えていたケネディは、「勇気ある三人の女性」という文章を書き、その最初にランキン女史の戦いを書いたのである。
 本当に正しい人、本当に偉大な人物を見つけだし、称えることは、指導者の使命である。「公正」こそ指導者の根本条件であるからだ。
 自分の利害や、毀誉褒貶ばかり考えて、小さな感情と色メガネで人を見る。そんな人間に、社会を正しく導けるわけがない。
 ケネディ大統領は、さすがであった――。
 私が会長に就任してまもなく、大統領から会見の申し出があったが、実現する前に、大統領は凶弾に倒れてしまった。
9  彼女は九十二歳で亡くなるまで反戦運動を続けた。長い人生を、一貫して「平和」に徹した。波乱万丈の「戦う人生」であった。
 ベトナム戦争に反対する女性たち一万人のデモの先頭にも立った(一九六八年一月十五日)。それはガンジーの非暴力の実践であった。
 ある人は彼女を、こう称えた。
 「ランキン女史は……自分が正しいと思ったことに身を投じる、未来指向型の人物である。老化というものが、自己の理想を蝕んでいく過程だとするならば、この九十二歳の女性は永遠に若い」
 正しいと思ったことに身を投じる――これが創価である。未来志向――これが妙法である。
 ″現在から未来へ! 現在から未来へ!″と、現当二世で進みましょう!
 戦う人生は若い。理想を目指す人生は若い。気が張っている。生命が張っている。理想もなく、生命に張りがなくなれば、身も心も、しぼんでいく。
 いわんや「不老不死」の妙法である。どんな化粧品よりも、根本的な「生命の若さ」をつくってくれるのが信心である(笑い)。
 生命の中から、きれいになる。浄化される。広宣流布へ、我らは永遠に、若々しく進みましょう!(拍手)
10  かつて、唾を吐きかけられたアメリカ連邦議会の議事堂。そこには今、彼女の銅像が立っている。銅像の台座には、「戦争に賛成の投票はできません」という彼女の言葉が刻んである。
 何と単純でありながら、何と深く、何と永遠性をもった一言であろうか。
 男たちが、だれ一人「平和」を叫べなかったときに、小柄な一人の女性だけが、信念を貫いたのである。
 「一人立つ」しかない。人間革命の偉大なドラマは、常に「一人」から始まる。
 これが、戸田先生が身をもって示してくださった論理であり、牧口先生が命を賭して証明してくださった哲学である。絶対に正しい。(拍手)
 「真剣の一人」が立てば、二人、三人、十人、百人分の力となっていくのである。
11  非暴力の新世界を! 女性こそ「未来の創造者」
 ガンジーは言った。
 「動物的な力だけをくらべるならば、女性が男性よりも劣るのは明らかでありますが、力の意味を″道徳的な力″とする場合には、女性は男性にくらべて計り知れない偉大な力を持つものであります。もし、非暴力が人類の守るべき教義であるならば、女性は未来の創造者としての地位を確実に専有するでありましょう」(ハリーバーウ・ウパッデャイ『バープー物語』池田運訳、講談社出版サービスセンター)
 つまり、腕力などでは、女性は男性にかなわない――「うちは反対だ」という人もいるかもしれないが(爆笑)。
 しかし、非暴力の「道徳の力」「精神の力」については女性のほうが絶対に上であると、ガンジーは言うのである。(拍手)
 私も、そう思う。男たちが要領よく、インチキをしがちなのに比べて、女性は毎日、本当に、こつこつ、こつこつと動いておられる。
 広宣流布の実質の戦いを進めておられるのは婦人部の皆さまである。黙々として、やっておられる。どんな男性の幹部も、かなわない。何と尊い方々か。
 皆さまが「非暴力」と「人間主義」の新世界を創っておられる。
 ガンジーが予見したように、私も女性こそ、皆さまこそ、「未来の創造者」であると賛嘆申し上げたい。(拍手)
 ランキンさんのごとく、男たちが誤った道を行こうとしているとき、どうか敢然と、女性の皆さんが「ノー!」と言っていただきたい。家庭にあっても、組織にあっても、社会にあっても。(拍手)
12  逆境だからこそ力が出る
 今年(一九九八年)は、ガンジーの殉難五十年。ガンジーは、亡くなる三カ月前に、こんな詩を残した。いわば、ガンジーの遺言になった詩である。
  束縛があるからこそ私は飛べるのだ
  悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ
  逆境があるからこそ私は走れるのだ
  涙があるからこそ私は前に進めるのだ
13  深い意味の詩である。仏法で言えば、「煩悩即菩提」の法理に通じる。
 ガンジーは、何度も何度も、牢獄につながれた。生涯を通算して、約六年五カ月を獄中で過ごした。
 しかし、束縛されるたびに飛躍した。より高き峰へ。「私は飛べるのだ!」と。
 ガンジーの弟子であるラダクリシュナン博士は言われた。
 「すべてが順調であれば必ず惰性になります。創価学会の皆さまは、これまで常に試練の連続でした。だから永遠です。
 試練を受けることは、ますます成長し、ますます強くなることの証明です。それが自然界の法則なのです」と。
 苦しんできた人は、成長している。要領よく、試練を避けた人間は、必ずダメになっている。そういう人間は、地位が上がれば上がるほど、ぜいたくになり、わがままになり、堕落していくものである。最後は敗北の人生である。
 戦っている人である、本当に偉いのは。弘教しては、悪口を言われ、いじめられている人。広宣流布に走り、疲れている人。今は大変であるが、そういう人が最後は勝つ。
14  大聖人は、「難来るを以て安楽と意得可きなり」と仰せである。
 「難」がなければ、鍛えもなく、成長もない。本当の「安楽」の大境涯はつくれない。何でも、「刺激」があるから「成長」がある。
 冷たい水で洗うから、ぴしっと目がさめる。外に出て冷たい風にあたるから、神経が活発に動き始める。
 刺激もなく、「自分との戦い」もなく、ぼーっとテレビを見ていて、何のための人生か。本当の感動があるわけがない。
 多忙のときには、ひまがほしいものだが、テレビだって、多忙の合間をぬって、ちょっと見るくらいが一番楽しいのではないだろうか(笑い)。
 「試練」に挑戦し、「苦しみ」に真っ向から立ち向かい、それを一つ一つ乗り越えて進んでいく。それが本当の「人間」である。「仏法」である。「勝利者」である。試練を乗り越えていける「強さ」こそが、「安楽」なのである。(拍手)
 世の中は不況である。暗い話ばかりで、明るい話は少ない。「灰色の時代」である。精神の荒廃もひどい。だれも、何の打開策も見いだせないでいる。
 だからこそ、「太陽」である我々が輝きましょう! 照らしましょう!
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」である。
 ″法華経に勝る兵法なし″である。やりましょう! 勝ちましょう!(拍手)
15  ガンジーは釈尊の闘争を再現
 ラダクリシュナン博士は、大事なことを語っておられた。
 「ガンジーの闘争は、釈尊の闘争の再現です」「ガンジーは、釈尊のメッセージに基づいて、政治的な実験を行ったのです」と。
 ガンジーと釈尊は、深い次元でつながっている。
 「(ガンジーがしたことは)釈尊の教えの『近代的な再解釈』であった」と博士は断言しておられる。創価学会の場合は、日蓮大聖人の教えの「現代的な再解釈」と、その実践である。だから偉大なのである。
 ガンジーは主張した。「仏教は人間中心の宗教である」と。
 当然のことだが、ガンジーは仏教徒ではなく、ヒンズー教徒であった。文化も生活も、すべてがヒンズーの土壌の上に成り立っていた。にもかかわらず、彼は、「仏教は人間中心の宗教である」と、賛嘆してやまなかった。そして「インドは、(釈尊の教えを受け入れたから没落したのではなく)釈尊の教えを実行できなかったから没落したのだ」(一九二四年、ボンベイでの釈尊生誕記念集会)と語ったのである。
 またガンジーは、釈尊が当時の「精神なき坊主ども」に迫害されたことを重視していた。そして、「僧侶というものは必ず『生きた精神をもった予言者』を犠牲にするものだ」と嘆いた。
 「精神なき利己主義の坊主」が「生きた精神をもつ指導者」を迫害する。なきものにしようとする。これが人間の世界の法則である。今の日顕宗がそうである。
16  宗教の精神性を政治に反映
 ガンジーは、「釈尊の精神」に基づいて政治をしようとした。
 ガンジーは固く信じていた。「理念なき政治は罪悪である」と。
 彼の舌鋒は鋭く、激しかった。「宗教なき政治は『死体』のようなものである! 生命を失ったシステムである!」
 深き人間観、世界観、宇宙観、社会観をもたない人間が権力をもつと、何をするか。結局、「自分のため」だけの利己主義の政治屋になる以外にない。「民衆のため」など、口先だけになってしまう。そんなものは「生きた政治」とは言えない。「死体」のように腐っていくと彼は言うのである。
17  多くの政治家は「宗教を政治に利用しよう」とする。多くの宗教家は「政治を宗教に利用しよう」とする。しかし、ガンジーは、そのどちらでもなかった。
 当然、宗教と政治は別次元のものである。そのうえで、彼は「宗教の精神性を、政治に反映しなければならない」と考えたのである。
 そうでなければ、政治は権力の魔性によって、民衆を犠牲にし、社会を滅亡させてしまう。
 ガンジーは言った。
 「宗教の欠如した政治は、国家の首を吊るロープであります。いつの場合も、政治は宗教の説く真理の道に従って進むべきであり、一方、政治を忌み嫌う宗教は、宗教の名にさえ値しないものです」(前掲『バープー物語』)
 宗教なき政治は、国を滅ぼす! と。
 そして宗教は、本当に民衆を幸福にするつもりがあるのなら、現実の社会にかかわれ! 政治にかかわれ! と。
 ガンジーの言葉に照らしても、学会は絶対に正しい道を進んでいる。(拍手)
18  ガンジーと正反対のことを主張していたのが、ヒトラーであった。
 「宗教は政治に口を出すな!」と主張して、口を封じた。その結果、ドイツは、まっしぐらに国家主義の道を突き進んだ。
 日本の国家主義も同じであった。政府を批判する宗教者を投獄し、死に至らしめた。牧口先生、戸田先生は、その犠牲である。
 ラダクリシュナン博士は、十八世紀のイギリスの学者、サミュエル・ジョンソン博士(一七〇九年〜八四年)の言葉を引いておられる。
 「国家主義は、悪党の最後の避難所である」(ジェイムス・ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』)
 今また、「自由」を弾圧する国家主義が強まっている。「ガンジーの道」と「ヒトラーの道」。どちらが正しいか、言うまでもないと思うが、どうだろうか。(拍手)
19  大聖人にほめられる一生を
 スペインの作家セルバンテスは言った。
 「忘恩は慢心の落とし子である」(『ドン・キホーテ』)
 ある哲人いわく「反逆は、嫉妬と虚栄の醜態なり」。
 悪人、愚人を笑い飛ばして、我らは進みましょう!
 日蓮大聖人は「開目抄」に仰せである。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり
 そして牧口先生は「愚人に憎まれたるは、第一の栄光なり」と。
 戸田先生は「青年訓」に、「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」と。これでいきましょう!
 中国の鄧穎超とうえいちょう女史の言葉の通り。「命ある限り、私は闘争を続ける」
20  来年もまた、仲良く、「鉄の団結」以上の「黄金の団結」で、広宣流布のために、一つ一つの戦いを断じて勝ちぬきましょう!
 だれに何を言われようとも、御書に仰せの通り、十方の仏菩薩から、賛嘆の大拍手を贈られればよいのである。
 仏法は永遠性の世界であるからだ。宇宙大の世界であるからだ。そして、日本に渦巻く謗法と悪意の連中を愕然とさせるような、創価の「痛烈なる戦」を、勝利のために断行してまいりましょう!(拍手)
 皆さま、お一人お一人に「万歳!」を贈り、最大の感謝をもって、スピーチを終わります。ありがとう! よいお年を!
 (東京牧口記念会館)

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