Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

関西勝利協議会 わが人生の詩を大勝利で飾れ

1998.11.19 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

前後
1  反晩の大地に根を張った京都
 ある哲学者は、しみじみと、″京都の木々は、ひと味違う″と感嘆してやまなかった。(和辻哲郎「京の四季」、『和辻哲郎随筆集』所収、岩波文庫。参照)
 ″東京などの木と比べて、京都の木のほうが、一般に枝ぶりがよく、色彩も鮮やかである″というのである。たしかに、そうかもしれない。それは、なぜか?
 大きな理由は″土壌の違いにあるのではないか″と、その哲学者は分析している。つまり、″(東京の武蔵野など)柔らかく、いくら掘っても、石など一つも出てこないような恵まれた土壌では、植物の根が伸びるのを、邪魔するものはなにもない。そのため、成長は早いのだが、木の姿は粗末な感じで、かっちりとした印象を与えない。実際、早く衰える場合も多い″と。
 これに対し、″京都の東山などは、少し掘っていけば下は岩石である。岩盤のような大地であるから、同じ背丈に伸びるにも、二倍、三倍の年数がかかるかもしれない。しかし、その困難は、むだではないのである。京都の樹木は、かえって、枝ぶりも念入りで、耐久的である″と語っている。
 すなわち、「苦労して鍛えあげたものほど強く、美しく、永続する」というのである。人間も、また同じであろう。
2  京都は、かつては、「日本でいちばん広宣流布が遅れるだろう」と言われた。
 しかし、そのいちばん大変な国土にあって、京都の皆さま方は、雨の日も風の日も、まさに岩盤に爪を立てるがごとく、忍耐強く、戦い抜いてこられた。地域に、社会に、辛抱強く、根を張ってこられた。
 この京都国際文化会館は、そうした皆さま方の勝利の象徴であり、未来にさらに栄えるための栄光の城である。
3  ソ連の母の叫び「歩く者だけが生き残れるのよ!」
 一昨日のアイトマートフ氏との会談でも話題となったが、ロシアの民衆は、ナポレオンやヒトラーの攻撃をも跳ね返した、不屈の歴史を誇りとしている。
 先日(十一月八日)、私は、ロシア科学アカデミーの「サンクトペテルブルク学術センター」から、「特別功労顕彰」をいただいた。
 サンクトペテルブルク市(旧レニングラード)は第二次世界大戦において、九百日にもおよぶ、ナチスの猛攻と戦い抜いた英雄都市である。三百万を超す市民は、完全包囲と激しい爆撃にさらされながら、厳しい飢えと寒さを耐え抜かねばならなかった。
 その間、栄養失調と厳寒で亡くなった市民の数は、じつに六十万人以上。毎日、何百人、何千人という人々が″骨と皮″になり、死んでいった。戦闘による死者を加えると、八十万人の尊い命が犠牲となったといわれる。
 そうした極限状態のなか、ある日、こんな「母と息子のやりとり」があったと記録されている。(A・アダーモビチ、D・グラーニン『封鎖・飢餓・人間』宮下トモ子ほか訳、新時代社。以下、引用は同書から)
 母親は経験豊富な看護婦さんで、人々のために奉仕する気丈な女性であった。学会では白樺会の皆さまである。
 たくましい母は、子どもたちが、怠けて、ゴロゴロ寝ころんでいることを許さなかった。
 しかし、医学生の息子は、反発して言った。
 「ママ、寝てた方がエネルギーの消費が少なくてすむんだよ。そしたら、食物だって少しですむじゃないか」
 ところが、母親は子どもに引きずられなかった。″何を言ってるの!″と。
 「歩くものだけが生きて働くことができる。――これは矛盾しているように思えるかもしれないけど、ほんとうのことなの。だから、歩きなさい」
 医学生の息子は、食物のカロリーを問題にしていた。これに対し、母は、一歩深い、生命力のカロリーを問題にしていたのである。
4  一念の力は不思議である。行動の力は計算を超える。一歩も退かないで、動き、歩き続ける人には生き抜く力が湧き出てくるものだ。いわんや、人のため、社会のために、行動に打って出る人は、偉大な生命力を得る。
 母は、このことを、子どもに教えたのである。そして、この母と子は生きぬいて、母に続いて息子も多くの病人のために大いに動き、大いに尽くしていったのである。
 私は、関西婦人部の姿を見る思いがする。
 この″ロシアの関西″の市民は自分たちが降伏してしまえば、世界はナチスの思いのままになってしまうと考えた。そして″わが都こそ、地球上で最後の「希望の都市」である″という決意で、団結して戦い、ついに、ヒトラーの野望を打ち砕いたのである。
 広宣流布の大闘争にあって、わが関西こそ、何ものにも負けない、だれびとにも敗れない、創価の「英雄都市」であり、広宣流布の「希望都市」であると、私は申し上げたい。(拍手)
5  文明間に「対話の橋」を架けて
 まもなく二十一世紀。国連で「二〇〇一年を『何の年』にするか」検討になった。
 二〇〇一年は、新世紀開幕の年である。しかも西暦では「新たな千年の開幕」の年である。
 何の年にするのか、この決定は、未来に大きな意味を持つ。そして検討の結果、結論が出た。
 それは「文明の対話の年」である。国連総会で、満場一致の賛成であった(十一月四日)。
 「文明と文明の対話」――これこそ私が、そして創価学会が、長年にわたって訴え、実行してきたことである。学会が、二十一世紀を完全に先取りしてきたことを確信していただきたい。
 (ブルガリア・ソフィア大学のパンテフ教授は、「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、ソクラテス的な対話を現代に復興させた」と評価している)
 「文明の対話の年」に、という提案は、イランのハタミ大統領から出た。この決定が、イスラム文明との対話を意識していることは重大である。
 ちょうど今、月刊誌「潮」で、イスラム教との対話を開始している。(テヘラニアン博士との対談。二〇〇〇年十月に『二十一世紀への選択』と題し、潮出版社より発刊)
6  これまで私は全世界の要人・識者と語り合ってきた。「対談集」だけでも、進めているものを含めると三十人近くになる。その中には、キリスト教文明の伝統を背景にした人も多い。
 ドイツのデルボラフ博士とは「キリスト教と仏教」について対談した。(一九八九年『二十一世紀への人間と哲学』河出書房新社。本全集第13巻収録)
 イスラム世界の人もいる。(テヘラニアン博士)
 共産圏の人もいた。(ゴルバチョフ元ソ連大統領〈一九九六年『二十一世紀の精神の教訓』潮出版社。本全集第105巻収録〉、モスクワ大学前総長のログノフ博士〈一九八七年『第三の虹の橋』毎日新聞社。一九九四年『科学と宗教』潮出版社。両書共に本全集第7巻収録〉、キルギス共和国の世界的作家アイトマートフ氏〈一九九一年『大いなる魂の詩』読売新聞社。本全集第15巻収録〉など)
 「中国文明」の人もいる。(文豪・金庸氏〈一九九八年『旭日の世紀を求めて』潮出版社〉、″敦煌の守り人″常書鴻氏〈一九九〇年『敦煌の光彩』徳間書店。本全集第17巻収録〉など)
 「インド文明」の人もいる。(カラン・シン博士〈一九八八年『内なる世界――インドと日本』東洋哲学研究所〉)
 「アメリカ文明」の人もいる。(キッシンジャー博士〈一九八七年『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』潮出版社〉、カズンズ博士〈一九九一年『世界市民の対話』毎日新聞社。本全集第14巻収録〉)
 「ヨーロッパ文明」の人もいる。(美学者のルネ・ユイグ氏〈一九八一年『闇は暁を求めて』講談社。本全集第5巻収録〉、作家のアンドレ・マルロー氏〈一九七六年『人間革命と人間の条件』潮出版社。本全集第4巻収録〉など)
 「ラテン・アメリカ文明」の人もいる。(ブラジル文学アカデミーの総裁であったアタイデ博士〈一九九五年『二十一世紀の人権を語る』潮出版社。本全集第104巻収録〉、チリのエイルウィン前大統領〈一九九七年『太平洋の旭日』河出書房新社〉など)
 「科学文明」の代表もいる。(″現代化学の父″ポーリング博士〈一九九〇年『「生命の世紀」への探求』読売新聞社。本全集第14巻収録〉、スリランカ出身の天文学者・ウィックラマシンゲ博士〈一九九二年『「宇宙」と「人間」のロマンを語る』毎日新聞社。本全集第103巻収録〉、カナダの医学者・シマー博士〈二〇〇〇年『健康と人生』潮出版社〉など)
 国際的に著名な人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」の関係者をはじめ、ユダヤの方々とも対話を重ねてきた。同センターでは記念講演もさせていただいた(センター主催の「マキグチ記念人権講演会」の第一回、一九九六年六月)。
7  遠い将来、二十世紀を振り返ったならば、としてトインビー博士はこう言われた。
 「未来の歴史家たちが、われわれの時代について書くとしたら、何を書くか。民主主義や共産主義の結末には、ほとんど関心を示さないだろう。
 彼らが注目するのは『キリスト教と仏教とが、高い次元での相互理解と交流を実現した時に、いかなる事態が起きたか』ということであろう」と。
 つまり「文明と文明との対話」こそが、「地球一体化」という人類進歩の方向性にとって、最大に必要な行動なのだということである。″冷戦が、どうなったか″などということは、小さなことと判断するであろう――と。
 そして、私との対談を終えた時、博士は「これからも私とやったように、このような対話を続けてください」と言って、「文明と文明に橋を架ける対話」を遺言されたのである。
 どんなに立場が違い、考え方が違っても、同じ人間である。人間という次元で話し合えないはずがない。自分の小さな枠に閉じこもって、対話を避けるのは臆病である。
 思いきって話し合えば、何かが始まる。忍耐強く話し合えば、必ず何かが変わるはずである。
8  「学会の皆さまは平和の建設者、人類最高の栄誉に値する」
 11・18「創価学会創立記念日」を祝福して、ゴルバチョフ氏をはじめ世界の識者からメッセージが届いた。
 聖教新聞に順次、掲載されたが、たとえば、チリの「哲人政治家」エイルウィン前大統領は、こう述べてくださっている(以下、要旨)。
 「創価学会インタナショナルと池田会長は、『平和と人類相互の理解』という『文化』を推進しておられます。そのために、講演や展示会や数多くの教育的・文化的活動を通して、世界中で行動しておられる。目を見張る、その活動に対し、私は惜しみない称賛を贈ります」
 「民族がどうあれ、国籍がどうあれ、宗教がどうあれ、政治的信条がどうあれ、人類の絶対的多数が願っていることは何か。それは『国と世界に平和が君臨する』ということであります。このことに疑いの余地はありません。
 ところが、残念ながら、この『人類最大の願望』を自覚し、実行に移す人は少ない。『平和という文化』を広める能力のある人は、多くないのであります。それが世界の現状であります。そういう中で、SGIと池田会長こそが、まさに、その尊き模範なのであります」
 「そして『平和の建設者』になるということが、いかなる人にとっても、いかなる団体にとっても、最高の栄誉の称号なのであります」
 皆さまのことである。皆さまこそ″人類最高の栄誉″に値する方々であるということである。同様の喝采は、数えきれない。世界が注目し、励ましを送ってくださっているのである。
9  いよいよ「創価の世紀」「価値創造の世紀」。二〇〇一年の「文明の対話の年」に向かって、誇らかに、胸を張って進んでいただきたい。自分の地域で、地道に対話の橋を架けることが、そのまま世界の平和を建設しているのである。
10  不老不死――草創の友よ、三世に輝け!
 ここ京都、そして関西の「錦宝会」(関西の高齢者のグループ。東京は「宝寿会」、全国的には「多宝会」と総称される)をはじめ、全国で、草創の尊き同志が、生き生きと活躍しておられる。
 先日、訪問した中部でも、名古屋支部の初代の支部長・婦人部長が、お元気であった。
 婦人は、八十歳近くの今も、自分で車を運転しながら、知多半島の地で、折伏に、「聖教新聞」の拡大に、友の激励にと第一線を奔走しておられる。
 法華経は、「不老不死」の法理を説く。
 有名な御聖訓には、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」と仰せである。妙法流布に決然と生きゆく人生は、年とともに、いよいよ若々しい。いよいよ大福徳に包まれていく。
11  亡くなられた功労者の方々のことも、私は、一生涯、忘れない。
 宮下芳郎さん(初代・京都支部長)・絹子さん、広谷キヌさん、また″関西のお母さん″と慕われた矢追久子さんをはじめ、関西の草創の同志は、みな、あまりにも懐かしく、あまりにも思い出深い。この京都国際文化会館は、もともとは、広谷さんの織物工場の敷地を提供していただいたものであった。
 とうてい全員を挙げきれないが、代表のみ名前を挙げさせていただくと、京都の丸鈴子さん(初代・京都支部婦人部長)、樋上新一さん(初代・平安支部長、最初の京都市議)・八重子さん。
 大阪の大井満利さん(第二代・大阪支部長)、玉置正一さん(初代・松島支部長)、沖本泰幸さん(初代・西成支部長)、佐伯幸一さん(大阪支部・初代地区部長)、至極明さん(初代・浪速支部長)、川坂久子さん(初代・堺支部婦人部長)、斉藤きみ子さん(初代・西成支部婦人部長)。奈良の有馬猶二郎さん(初代・奈良支部長)。和歌山の大東国浩さん(和歌山支部・初代地区部長)。福井の刀根新兵衛さん(本部長、会館管理者)。兵庫の浦島秀雄さん(初代・湊川支部長)、北角巌さん(初代・神港支部長)、羽田野良二さん(初代・兵庫支部長)等々、常勝関西のすべての先人の方々に、重ねて、ねんごろに追善回向のお題目を送らせていただきたい。
 末法万年、未来の果てまで、また三世永遠に輝く方々である。
12  「悪」を打ち破れ、「善の言葉」で!
 先日(十一月十二日)、私は、「世界詩人会議」の名誉総裁の栄誉をいただいた。ワン副会長とも語りあったが、悪と戦っていないと、本物の「詩」(ポエム)は生まれない。
 ある海外の学者は言っていた。「日本には、精神闘争を戦ってきた人が、きわめて少ない。だから、本当の詩人も少ないのではないか」と。
 アイトマートフ氏も、私との対談集で強調しておられた。
 「悪の本性は、いたるところで、大小にかかわりなく、善を破壊し、善を踏みにじることにあります。(中略)言葉のみが、日々永遠に、悪に抵抗することができます」
 「声」で「悪と戦う」。まさに「声仏事を為す」である。
13  私たちは、毎日、法華経寿量品の「自我偈」を読誦している。
 ご存じのように、「自我得仏来(我、仏を得てよりこのかた)」(開結五〇六㌻)の「自」で始まり、「速成就仏身(すみやかに、仏身を成就せん)」(開結五一〇㌻)の「身」で終わる。つまり、冒頭の「自」と結びの「身」で、「自身」となる。
 「自我偈」は、「自分自身」の尊極にして永遠の大生命力を歌い上げた、壮大な「詩」とも言えよう。(「偈」とは韻を整えた「詩」である)
 自我偈の結びには、「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身(つねに自ら是の念をさく 何を以ってか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと)」――私(釈尊)は、つねにこのことを念じている。すなわち、どのようにすれば、衆生を無上の(これ以上ない)道に入らせ、すみやかに仏にならせることができるだろうか――とある。
 「毎自作是念」である。いつも皆のことを思いやっている。忘れない。無責任にならない――。
 わが人生の詩も、最後の最後まで、広宣流布を「毎自作是念」して、堂々と総仕上げをしていくことである。途中で戦いをやめたり、退いては、これまでの功績を崩してしまう。
 真実の和合僧の学会とともに生き、人生と広布の大勝利を、晴れ晴れと勝ち飾っていただきたい。関西、頑張れ! 京都、頑張れ!
 (京都国際文化会館)

1
1