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日蓮大聖人・池田大作

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韓国・慶山市「名誉市民証」授証式、第2… 「創価の旭日」よ昇れ! 人類を照らせ!

1998.11.18 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  韓国・慶山キョンサン市の「名誉市民」に
 「創立の日」おめでとう! ″京美人″と″秀才″ばかり集まって(爆笑)、本当に、おめでとうございます。(拍手)
 心から尊敬申し上げるチェ市長、並びにビョン議長はじめ、ご一行の先生方。新世紀へダイナミックに跳躍されゆく貴・慶山キョンサン市は、希望あふれる「教育・学術の都」「国際交流の都」「先端科学の都」「環境・福祉の都」であられる。
 貴市より、最高に栄えある「名誉市民」の称号を賜りました。心より御礼申し上げます。(拍手)
 (会合の席上、韓国・慶山市から池田SGI〈創価学会インターナショナル〉会長に対する顕彰が行われた。崔市長、邊市長等が出席し、SGI会長に「名誉市民証」が贈られた)
 市長をはじめ、二十一世紀へ前進されゆく「二十一万市民」のますますのご健勝、そしてまた、慶山市で学びゆかれる「十一大学の十一万の学生」の皆さまの、未来へのご成長と、はつらつたるご活躍を、私は心より、お祈り申し上げます。(拍手)
2  牧口先生の宗教観「人を救い、世を救うための宗教だ!」
 きょう十八日は、学会創立六十八周年。
 創立者の牧口先生は、「宗教は『宗教のための宗教』であってはならない」という信念であられた。そこに宗門との決定的な違いがあった。
 宗門――日顕宗と決別して、今月で七年。″興隆″と″滅亡″の「仏法は勝負」の明暗は、明確に、また完全に明らかになったと思うが、どうだろうか。(拍手)
 牧口先生は「真理」と「価値」を、はっきり分けた。それまで一般的な学問の世界では「真・善・美」が「価値」とされていた。しかし、牧口先生は「真理」といっても、それは、「人」がどう使うかによって、「価値を創造」することもあれば、「価値を破壊」することもあるとされた。
 「法」といっても「人」で決まるのである。「価値の破壊」とは、まさに日顕宗の悪行そのものである。学会との根本的違いは、この原理からも、よくおわかりと思う。
3  また「真・善・美」のほかに、「聖」という「宗教的価値」を別に立てる外国の有名な学者もいた。しかし牧口先生は「絶対にそれは違う」と主張された。
 当時の日本の学者のほとんどは、「外国の学者の受け売り」でしかなかった。自分の信念、哲学がなかった。しかし牧口先生は自立した学者であられた。このことは、先生のことを研究すればするほど深く感じる。
 牧口先生は言う。「人を救い、世を救うことを除いて、宗教が社会に存在する意義が、あるわけがない」――人も救わず、世も救わず、それで何の宗教か! 現実の人間を離れ、社会を離れて、宗教だけの世界に閉じこもる宗教は、何の意義もない!
 こう牧口先生は、ただ一人、叫ばれた。全世界の宗教界に向かって。
 先生の思想は、宗門の独善性と真っ向から対立した。
 「私の思想は日蓮正宗の理念に、価値論をつけたものである」「価値創造ということを忘れて、私の思想はない」「価値創造を忘れて、何の宗教か」と。
 先生は、どこまでも、どう社会に貢献するか、人をどう救うか。これを追求された。これが本当の宗教である。(拍手)
 牧口先生の哲学は、普遍的であり、だれもが納得できるものであった。この牧口先生の設計図をもとに、戸田先生は建設のための基礎工事をなされた。私も、一体不二の戦いをした。そして私の時代に、世界を舞台に大建設を実行した。総仕上げは、皆さまにお願いしたい。(拍手)
4  牧口初代会長の殉教――生命を燃焼して人類を照らす
 大勝利の11・18「創立記念日」を、昨年に引き続いて、今年もまた、愛する関西の地で、わが常勝の同志とともに迎えることができた。ありがとう。(拍手)
5  牧口先生が、荘厳なる人生劇の幕を閉じられたのは、一九四四年(昭和十九年)のきょう、十一月十八日である。
 では、獄中での臨終の時間は、いったい何時ごろであったか? それは、朝の六時すぎであったと伝えられている。ちょうど「日の出」のころである。
 「日の出」の時。新しき出発の時。先生の生命の燃焼は、生死を超えて、永遠なる創価の旭日の光明を放ち、人類を新たに燦然と照らし始めた――そういう意義を私は感じる。
 また、日蓮大聖人が最後に向かわれた先は「ひたち(常陸)」であり、「日が立つ(日立)」とも書く。東天に太陽が赫々と勢いよく昇りゆく。その大生命力こそ日蓮仏法の魂なのである。
6  弟子である戸田先生は言われていた。
 「牧口先生の獄死は、法華経に仰せの『薬王菩薩』の身の供養であった」と。
 「薬王品」には、こう説かれている。
 「自ら身を然して、光明あまねく八十億恒河沙の世界を照らす。其の中の諸仏、同時に讃めてのたまわく、善い哉善い哉善男子、是れ真の精進なり。是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」(開結五九二㌻)
 ――(薬王菩薩は、仏のために)わが身を燃やして、光を供養した。その光明は、あまねく、八十億のガンジス河の砂の数のごとき無量の世界を照らした。その中の諸の仏は、同時にほめたたえて言われた。「善きかな、善きかな、善男子よ! これこそ、真の精進である。これを、真の法をもって、仏を供養すると名づけるのである」と――。
 法華経のために殉教することこそ、最高の精進である。
 これを、牧口先生が命をなげうって示してくださった。法のために、「全人類を照らす火」となった。そして、師弟不二なるがゆえに、その精神は、この私の五体にも、そして皆さまの五体にも、関西魂となって、赤々と燃え続けている。太陽である。
 関西創価学会が世界に光を放っているのは、皆さまと私が、来る日も来る日も、ただひたすらに、広宣流布へ、わが生命を燃焼させてきたからである。
 「生命の燃焼」――それが薬王菩薩の戦いである。
7  その「法華経」も韓半島から伝えられた。仏法は、きょう、おみえになられた先生方の国から伝来したのである。(拍手)
 きょう、韓国の慶山市よりいただいた栄誉をもって、世界からの「名誉市民」の称号は、八十八を数えるに至った(二〇〇一年八月現在、各国の「名誉市民証」等の称号は一八二にのぼる)。(拍手)
 不思議な数である。先ほどの経文にも、「八十億恒河沙の世界」とあったが、「八」という数字には、仏法上、様々な深い意義がある。
 釈尊の教えは「八万法蔵」と言われ、法華経は「八巻」である。「八幡大菩薩」も御本尊におしたためである。八には(末広がりの字体から)「開く」義がある。
 ともあれ、「八十八都市」との深き心の連帯は、わが創価学会が、全世界から信頼されている証明であると私は信ずる。(拍手)
 「創価の道」が万年の未来へ、無量無辺に開かれていくという「希望の瑞相」であると申し上げたい。私たちは、頭を上げ、胸を張って、きょうの栄冠を、牧口先生に捧げましょう!(拍手)
8  牧口先生が殉教なされた午前六時すぎといえば、尊き″無冠の友″が、毎朝、広宣流布の機関紙である「聖教新聞」を配達してくださる時間帯でもある。
 この席をお借りして、「本当にありがとうございます。寒くなりますので、風邪をひかれませんように!」とお伝え申し上げ、重ねて最大の感謝と敬意を捧げたい。
 ″無冠の友″の方々に皆で拍手を送りましょう!(拍手)
9  韓国″救国の大英雄″李舜臣将軍
 きょうは牧口先生の殉教の日。そして、明日は韓国の大英雄の殉難の日である。
 すなわち一五九八年の明日、十一月十九日は、歴史に名高い李舜臣イスンシン将軍が、暴虐な日本の侵略と断固として戦い、愛する祖国を守り抜いて殉じていった、その日なのである。奇しくも、明日が満四百年の日である。
 晩年、権力の魔性に狂い、思い上がった豊臣秀吉は、あろうことか、文化の大恩ある韓国を攻め、略奪と虐殺の限りを尽くした。
 日本は本当に悪い。私どもは、その悪い根性、悪い権力と戦っているのである。
 慶山市の一帯も無惨に蹂躙されたことは、厳然たる歴史的事実である。その蛮行を目の当たりにした、あるポルトガル人は書き残している。
 「すべてを破壊し、焼き尽くし、灰燼となした」(全浩天『朝鮮史に生きる人びと』太平出版社などを参照)と。
 その渦中に、憤然と立ち上がった正義の勇者――それが李舜臣将軍である。
10  李将軍については、何回となく語ってきたが、こういう話がある。(李殷直『歴代朝鮮名将伝』大平出版社などを参照)
 秀吉が侵略してきた時、李将軍は、ある地方の水軍の司令官にすぎなかった。
 しかし、他の地域が陥落。別の地域も陥落――。
 これではだめだ。惨敗だ――将軍は、いたたまれず緊急の作戦会議を開いた。
 祖国を、どう守るか。我々の地域は、どう戦うか。将軍は一人、勝利のために熟慮し、手を打つ一方、「皆はどう思うか」と意見を求めた。
 上からの一方的な命令や押しつけでは、本当の力は出ない。皆が自発的に立ち上がり、団結してこそ、本当の力が出る。それを知り、皆の力を引き出すのが本物の指導者である。
 私どもで言えば、大事な仏子である学会員を下に見て、「おこる幹部」「いばる幹部」は幹部失格である。民衆の時代である。二十一世紀は「人間として偉い人」が偉くなる時代にしなければならない。
 李将軍の問いかけに対し、はじめ、多くの武将は言った。「自分たちの守備範囲だけを守っていればいい。よけいなことはしないほうがよい」
 しかし、その中から、一人また一人と、勇敢な武将たちが口火を切った。
 「自分の狭い守備範囲だけを守っていたからといって、それで祖国を守り通せるものではない。ただちに、こちらから、一丸となって、攻撃に打って出るべきだ!」
 皆の中から、勇気ある発言がわき起こってきた。李将軍は「よし、わかった!」と勇み立って、断固たる出撃の号令を発した。そして、愛する祖国を守るために猛然と戦っていったのである。
11  広宣流布は関西が中心、関西が原動力
 わが関西も、この猛然たる精神でいきましょう!(拍手)
 守りだけではなく、打って出て、猛然と攻め、戦うことである。
 民衆を利用し、民衆をバカにする権力の亡者には目にものを見せるぞ――そういう意気で! 自分の地域の勝利だけではない。関西だけの勝利ではない。関西が中心になって、「全世界の勝利」の原動力になっていただきたい。(拍手)
 李将軍は、勝利の成果を、「これはみな、兵士や武将たちの功績です」と心からたたえた。その人間の大きさに、多くの人が感銘した。
 「すべて、皆のおかげである」――この大誠実に学びたい。
 ともあれ、関西は「世界の関西」である。一騎当千の広宣流布の″将軍″が勢ぞろいしている。おめでとう!(拍手)
12  先日(十一月十五日)、京都駅前で、私は南京都〈県〉の壮年部の新聞長の方々とお会いした。(拍手)
 (名古屋から到着し)駅から外へ出ると、ちょうど一台のバスから手を振っている人々がいる。大きな声で、目が皆、輝いている。
 「あ、うちの人だ」。私も両手を上げて、力いっぱいに応えた。研修会の帰り道だと、うかがった。元気いっぱいのお姿であった。(拍手)
 苦労しながら戦っている人、まじめな人、真剣な人は、一目見れば、わかる。感じる。
 日本一の聖教の啓蒙をはじめ、堂々たる世界に冠たる証明をなされた京都の皆さま、おめでとう!(拍手)
 なかんずく、婦人部の皆さまの功績は、あまりにも大きい。
 婦人部の意見を聞かない幹部、いわんや婦人部を叱る幹部は、幹部の資格はない。自分は、うちでは奥さんに頭が上がらないくせに(笑い)、そういう男性にかぎって、組織で、人の奥さんにいばる(爆笑)。とんでもないことである。
 自分が死にもの狂いで苦労して、戦って、走り抜いて、女性を大きく守り、幸福と勝利へ導いていく。それが本当の男性である。(拍手)
13  ここ京都は、韓国との交流が、幾重にも結ばれ、大変に深い歴史の舞台となってきた。皆さまもご存じの通り、江戸時代の「洛中洛外図」の屏風絵は、世界的に有名である。
 二条城の前の通りを、「朝鮮通信使」の一行が進んでいく。京都の町々の老若男女が、にぎやかに歓迎している。うるわしき「平和の絵」である。
 江戸時代の日本が、いちばん仲が良く、「文化の大恩人」としていちばん尊敬していたのが韓国であった。それを日本の国家主義が傲慢にも蹂躙した罪は、万死に値する。
 なお本年(一九九八年)は、世界人権宣言の五十周年である。
 重ねて申し上げるが、韓国は日本の「文化の大恩人」の国である。仏教を伝えてくれた大恩人である。このことを永遠に、子孫末代まで忘れないでいただきたい。
 この席をお借りして、四年前のSGI提言でも提唱した、在日韓国・朝鮮人の方々の「参政権」について、私は改めて、実現を強く訴えるものである。(拍手)
14  リサール博士「民衆利用の坊主と政治家、偽善者の仮面をはがせ!」
 先日、フィリピンの「リサール協会」のキアンバオ会長ご夫妻一行が来日され、有意義に語り合った。関西の地も訪れて、ここ京都国際文化会館や関西創価学園を訪問された。
 フィリピンの大英雄、ホセ・リサール博士は、述べている。
 「私は、だれもやりたがらなかったことに挑戦してきた。宗教の袈裟に隠れて私たちを貧困に陥れ、残忍な仕打ちをしてきた偽善者の仮面を、私は、はぎとったのである。『にせものの宗教、迷信的な宗教、また、金をしぼり取るために聖なる言葉を利用する宗教』と、『真実の宗教』とを、私は、はっきりと区別したのである。そして私は、私たちの政府の、立派に見せかけた言葉の裏にある正体を、明らかにしたのである」
 「偽善者の仮面」を、はぎとれ! ″にせものの宗教″と″真実の宗教″を峻別せよ! 権力者の立派に見せかけた言葉の正体を見破れ! この通りにしてきたのが、創価の運動である。
 キアンバオ会長も学会に強く期待しておられた。だれもやらない、また、だれもやれない、偉大な正義の闘争を、ともになしとげましょう!(拍手)
 ある学者いわく、「ニセモノの坊主と、インチキの政治屋。これが、のさばっているのが今の日本である」。
 「この二つの巨悪は、いかなる時代も、民衆が愚かであれば、かならずずる賢く、傲慢に、はびこっていく。そのために民衆が不幸になる」と。
 ゆえに、どんなことがあっても、悪の根は断ち切らねばならない。小さな芽のうちに、つまねばならない。これが折伏精神である。これが仏法の道であり人間の道である。
 そういう戦いに挑んだのが、リサール博士であった。本物であるがゆえに、迫害の連続だった。しかし、迫害の本質は嫉妬であり、保身であり、金もうけなのである。
15  リサール博士は、晴れ晴れと語っている。
 「私は、自分のしてきたことを後悔してはいません。もし、もう一度初めからやり直すとしても、同じ道を歩むのでしょう。なぜなら、それが私の使命なのですから」(カルロス・キリノ『暁よ紅に』、駐文館)
 こう言い切れる人生ほど、幸福な人生はない。長い一生である。いろんなことがある。何があっても、忍耐強く、明るい希望をもって進んでまいりたい。ともに進みたい!
 自分として悔いなき使命の道を、朗らかに歩み抜かれんことを深く念願して、私のスピーチを終わります。関西の皆さま、万事よろしく!
 (京都国際文化会館)

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