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日蓮大聖人・池田大作

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世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー「… いよいよ「創価の世紀」が開幕

1998.11.12 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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2  世界詩人会議「名誉総裁」に就任
 きょうは、「詩心」という″生命の星の光″を携えて、大詩人の王吉隆ワンジーロン第一副会長がお越しくださった。(拍手)
 世界詩人会議と世界芸術文化アカデミーの名誉総裁。この栄誉を、私は世界百二十八カ国・地域の同志の皆さまとともに、この上ない誇りと責任をもって拝受させていただきたい。王先生、まことに、ありがとうございました。(拍手)
 (会合の席上、国際文化機関「世界詩人会議」「世界芸術文化アカデミー」から池田SGI〈創価学会インターナショナル〉会長に対する顕彰が行われた。同詩人会議の王吉隆第一副会長から、SGI会長に名誉総裁の「認定証」が手渡された)
 「世界詩人会議」は一九六九年、″東西冷戦の闇″を照らしゆく″平和の光明″として発足した。この崇高な偉業に王先生が身を投じられたのは、二十代の若き日である。
 頼(たの)もしいことに、このたびの中部をはじめ各地の「文化祭の主役」もまた、はつらつたる二十代の青年である。(拍手)
 中部の青年部諸君、ご苦労さま! 東京に負けるな! 関西に負けるな! 堂々と、中部は中部らしく前進し、勝利していただきたい。
 王先生は、青春の日より、各国での十八回に及ぶ世界詩人会議の大会のすべてに、一貫して尽力してこられた。
 一貫して――それが尊いのである。中途半端では、何も残らない。四年前、台北で開かれた第十五回大会で、王先生が名議長(大会開催委員長)を務められた業績も有名である。
3  「詩」とは人間を結ぶ戦い
 仏法では、人間の悪業として、「口」によって生じる、四つの行為をあげている。妄語。つまり、ウソの言葉である。綺語。虚飾の言葉であり、詐称する言葉も、これに当たる。悪口。悪口をいうこと。両舌。二枚舌を使うことである。
 汚れた、卑しい、悪意に満ちた言葉で「正義の人」が陥れられ、また「善なる人々」が分断されてきたのが現実社会の悲しき流転であり、歴史である。
 フランスのある詩人(ポール・エリュアール。ナチスへのレジスタンス運動で戦った)いわく、「詩とは人間を結合させるための戦いなり」と。
 正しい人間性を結合させていく。善と善を結合させていく。その戦いが詩である。
 そして、最も美しく、最も気高く、最も正しい言葉の力で、人類の結合と向上へ戦い続けてこられた″行動する世界詩人″こそ、ここにおられる王先生なのである。(拍手)
 私どもの朝夕の勤行も唱題も、大宇宙の詩を心豊かに奏でているのである。
4  大中部は勝った、強き祈りと行動で!
 ところで、世界詩人会議が発足した当時のことである。(一九六九年〜七〇年〈昭和四十四年〜四十五年〉)
 中部の″誉れの友″は、法華経に仰せの通り、おごれる旧勢力からの悪口罵詈、また軽賎、憎嫉、つまり軽んじられ、賎しめられ、憎まれ、嫉妬されるという嵐にさらされた。
 そのいちばん苦しい時に、わが同志は悔し涙を流しながら雄々しく立ち上がったのである。(拍手)
 堅塁中部には、強き「祈り」がある。強き「行動」がある。この「祈り」と「行動」で、わが大中部は晴れ晴れと、また堂々と勝ちに勝った。おめでとう!(拍手)
 中部には、うるわしい″創価の世界″ができあがった。なかんずく、けなげに戦ってこられた中部の広宣流布の「母の詩」は、いつも私の心に響いて離れない。中部婦人部の皆さまは、本当によく戦ってこられた。(拍手)
5  私は、王先生が亡きお母さまに捧げた詩の一節を思い起こす。人生の最終章を荘厳に飾った、お母さま。その手を握っての感慨を詠んだ詩である。
 「これが揺りかごを揺らした母の手/これが無数の衣服をもみ洗いした母の手/これが九人の子どもを抱擁した母の手/これがわが手を引いて道を横切った母の手」
 「まばらな白髪を結い束ね/風にも堪え得ぬかよわき母が/きりりと立ちたる不朽の姿は/我が胸中に刻まれり」と――。
 大変に有名な詩である。私たちも、広布の母である婦人部を最大に大切にしてまいりたい。(拍手)
 「法華経」の真髄を行じた人は、永遠の生命の旅路にあって、千の仏に手を差し伸べられ、大歓喜に包まれながら幸福の金の川へ流れていくと説かれている。
 私は、王先生のお母さま、並びに中部をはじめ世界のいじらしきお母さま方に謹んでお題目を送らせていただきたい。とともに、SGIは「婦人部を最大に大切に!」という根本の原則を、ここに改めて確認したい。(賛同の大拍手)
6  古代ローマの大詩人・ウェルギリウスは謳った。
 「汝 悪に屈することなかれ! 悪に立ち向かって いよいよ大胆に進め!」(『アエネース』)
 まことの詩人とは、「民衆の先陣に立って、獅子吼して戦う勇者」の異名であると、私は思う。
 「佐渡御書」にいわく。
 「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し」――畜生の心は、弱い者をおどし強い者を恐れる。いまの世の諸宗の学者等は、畜生のようである――と。
 とくに、日本は、相手が強ければ、へつらう。しかし相手が弱いと見るや、脅し、いじめる。最低の畜生根性の島国である。
 ゆえに、″何と言われようと、師子王の心で、強くまた強く、正義を語りきっていけ!″と、日蓮仏法は教えているのである。
 恐れることはいちばんの不幸である。屈辱である。
 あの熱原法難のさなか、大聖人は、二祖・日興上人に仰せである。
 「各にはおづる事なかれ、つよりもてゆかば定めて子細いできぬとおぼふるなり」――おのおのは、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず正邪がはっきりするであろう――と。
 こちらが、立ち上がって、強く責めれば、相手には必ず仏罰が出てくる。「仏法は勝負」なのである。これからも中部は、勇気で進み、勇気で戦いゆく広布の模範の歴史をつくっていただきたい!
 SGIは、勇気で勝ち進みましょう!(大拍手)畜生の心の政治家や学者など、笑い飛ばしていけばよい。
7  人の心をつかめ!「対話」の芸術で
 人間らしい人間とは、「信仰をもった人」であり、詩心をもった人である。
 詩は人間の本然の叫びである。この世に生まれ出た時の「オギャー」という産声。それも人間の声である。天の声であり、自然の声である。
 このありのままの言葉に詩がある。つくられた権力者の言葉とは違う。そして、この人間の真実の声を広げていくのが私どもの運動なのである。
8  先ほど、うれしいニュースがあった。本日(十一月十二日)、孫文先生の生誕の佳き日に、わが台湾SGIが、台湾教育部(日本では文部省にあたる)から、「社会教育貢献団体賞」を受け、その授賞式が盛大に行われたというニュースである。(拍手)
 式典は、孫文先生の「記念館」で開かれ、表彰の全二十四団体を代表して、台湾SGIの理事長が、スピーチを行った。(拍手)
 台湾の同志の栄光も、ありとあらゆる試練を耐え抜いての凱歌である。
 この会場にも、私と苦楽をともにしてきた真実の同志の名誉理事長をはじめ、台湾の友が、たくさん出席されている。ありがとう!(拍手)私は、心から喝采し、皆さまの模範の前進を称えたい。(拍手)
9  私が青春時代に――今も「青春時代」だが(笑い)――愛読した詩人・ホイットマンは、「庶民の生活こそ無韻の詩である」と高らかに謳った。形式にとらわれない詩である、と。
 とりわけ、SGIの民衆運動は、日々、「対話という芸術」を通して、地域にあっても、世界にあっても、異なるものを結び合いながら、新鮮な価値を創造しているダイナミックな大文化活動である。
 一週間ほど前(一九九八年十一月四日)に開催された国連総会で、西暦二〇〇一年を「文明の対話の年」とすることが、満場一致で決定された。これは、イランの提案を受けたものである。世界の潮流が、「対話」の時代を志向していることの確かな証左であろう。
 私もこれまで、さまざまな次元から、「文明の対話」を広げてきた。また、一九九六年の二月十一日、私が創立した戸田記念国際平和研究所は、モットーのなかに「文明間の対話」を掲げている。
 今、私は、イラン出身の平和学者で戸田平和研究所の所長であるテヘラニアン博士と、「仏教とイスラム」の遠大なる「文明の対話」を重ねている。(月刊誌「潮」に連載。二〇〇〇年十月に『二十一世紀への選択』と題し、潮出版社から発刊)
10  ともあれ、私たち民衆の座談の波が、深く大きく、世界平和の底流を動かしていることは、間違いない。(拍手)
 私たちは、人類史にいまだかつてない、創価の雄大な民衆叙事詩を、一日一日、つづっている。
 この高貴なる叙事詩に、卑しい背信者の名を留めてはならない。あまりにも汚らわしい。
11  孫文大統領「私は国民の公僕です」
 孫文先生が、臨時大総統に就任した折のことである。
 孫文先生は、激務のなかでも、人民と勇んで会っておられた。ともに会い、ともに語ろう! と。ここにも孫文先生の偉さがある。
 ある日、孫文先生のもとに、遠方より、八十歳を超えたおじいさんが訪ねてきた。そのおじいさんは、先生に会うや、感極まって、三拝九拝の礼をして敬意を表した。
 すると、孫文先生は、たちまち、おじいさんを抱きかかえ、座らせて、慈愛を込めて、こう語った。
 「大総統に在職している日々にあって、私は、国民の公僕です。全国の人民に奉仕するために、私はいるのです」と。
 その言葉を聞いて、おじいさんはたずねた。
 「では、大総統をやめた後は、どうなさいますか?」
 孫文先生は、きっぱりと答えた。
 「また再び、人民のもとへ戻ります。そして、大衆とともに生きるのです!」
 孫文先生は、おじいさんを丁重に門まで見送り、さらに車を手配して、宿舎まで送った。
 おじいさんは、欣喜雀躍して、「きょう、私は、民主主義というものの真髄を見ることができました」と、感動し、感謝に満ちて語ったというのである。
 まことに味わい深いエピソードではないだろうか。
 「民衆に奉仕するために私はいる」――これが本当の指導者である。
 この精神で歩んできたから、創価学会も世界的になった。
 いちばん偉いのは民衆である。この精神を断じて壊してはならない。
12  孫文先生は、革命運動のなかにあって凛然と叫ばれた。
 「地盤を確保する方法とは、なにか、それは人心を得ることにある。一度、人心を得れば、この地盤を永久にわれわれのものにし、他人から奪われることはない」(『孫文選集』2,寺広映雄訳、社会思想社)
 大事な言葉である。人の心をつかむ。人の心を得る。それが、一切の地盤となる。この一点を、よく覚えておいていただきたい。これを私が丁寧に実行したから、今日の学会がある。形式とか、組織の力とか、そういうことでは絶対にない。
 明年(一九九九年)は「新世紀へ地域勝利の年」である。自身のため、地域のため、民衆の勢力を強くするために、ともに戦いましょう!(拍手)
13  転輪聖王のごとく、人間主義の大光を世界へ
 正義によって世界を平和と繁栄に導く――これが仏法の目的である。それをなしゆく理想の指導者像を「転輪聖王」と説く。
 この転輪聖王が用いたといわれる「輪宝(車輪をかたどった武器)」の本義とはいったい何か?
 御義口伝には、輪宝は、「輪宝りんぽうとは我等が吐く所の言語音声なり」――我ら(日蓮大聖人と門下、妙法を唱える者)が口から発する言語音声)である――と説かれている。
 妙法を根本に、人々に希望を贈り、勇気を贈り、ロマンを贈りゆかんとする言論は、悪を打ち破り、楽土をつくりゆく根本の力となって大回転していく。これが輪宝の力である。我らの「言語音声」の力なのである。(拍手)
 この転輪聖王のなかでも最高の王者を金輪聖王という。金輪聖王の影響力は、東西南北、全世界に及ぶ。
 現代的に言えば、武力を使わない。権力などのハード・パワーを用いない。人々を圧迫しない。「人格の力」「哲学の力」「芸術・文化の力」というソフト・パワーで、信服と尊敬を勝ち取っていくのである。
 初代会長・牧口先生が提唱された「人道的競争」の理念も、その精神は同じである。
 しかも、他の銀輪王などは、自分のほうから相手の国へ行く。これに対し、金輪聖王は、自分が行かなくても、世界中から慕われ、人々が集まってくるという王なのである。
 光栄にも、今、創価学会は、世界の最高峰の知性が千客万来である。全世界のすみずみから、絶大なる信頼と友情を寄せてくださっている。そういう厳然たる創価学会の時代に入った。そのことを、ともに喜び合いたい。(拍手)
 いよいよ、創価の民衆の連帯が全世界に広がっている。
 金輪聖王の出現は、極めて、まれなこととされている。私どもは、この王のごとく、「人間主義の黄金の大光」で、この地球を包みゆきたい。力強く「広宣流布」してまいりましょう!(拍手)
 今回の文化祭のテーマは″飛翔そして勝利″。私どもも、二十一世紀へ″飛翔そして勝利″を約し合いたい。
 そして尊敬する世界芸術文化アカデミー、世界詩人会議の無窮の栄光を心よりお祈り申し上げ、私の御礼のスピーチとさせていただく。
 謝謝(シェシェ、中国語で「ありがとうございました」)。
 (中部池田記念会館)

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