Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

全国総県長会議 誠実の指導者たれ

1998.10.23 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

前後
2  ある時は、こんな話をしておられた。博士が、いつも古い服を着ておられることについて――。
 「私は背広を新調したいとは思いません。妻から新調するよう言われるたびに、いつも、すまないと思うのですが。私としては、服は今までの古服であっても、本をもっと買いたいという心境です」
 博士のお人柄が、この言葉でわかる。
3  「偉大な変革は民衆から起こる」
 そして八十代の博士が、こう言っておられた。
 「どんな時でも、九時には仕事を始めます。仕事をしたいという気分に、なろうとなるまいと、始めるのです。仕事をしたいという気分になるのを待っていたら、いつまでたっても仕事はできないものです」と。
 あの膨大な仕事を成し遂げた、ひとつの秘密が、ここにあったと思う。
4  また世界中を旅された博士が、こう言われていた。
 「私がこれまでの人生で見たいちばん美しい風景のひとつは、たぶん琵琶湖のほとりの『黄金色に輝く、刈り入れどきの田んぼ』の風景です。湖水は、太陽の光に映えて、碧く輝いていました。私は、目を奪うような、この光景を山の上から眺めたのです。その時に撮った写真は、今でも私の部屋に飾ってあります」
 「黄金色に輝く、刈り入れどきの田んぼ」の風景。それは日本人にとっても「心のふるさと」のような情景である。そういう素朴な美を愛する博士であった。いつも「民衆の目」で、ものごとを見ておられた。
5  ある時は、鳥のように高い視点から、ある時は、虫のように低い視点から、横から、斜めから、ものごとを三百六十度、あらゆる視点から見つめておられた。そのうえで、いつも「民衆の目」の正しさを強調された。
 「偉大な変革は、決して上からは起こらない。それは常に下から起こる」という信念であり、学説であった。
6  何ごとも長い目で見よ、忍耐強くあれ!
 そして、いつも「百年単位」で、ものごとを見ておられた。建物を見ても、「大体、何世紀ごろのものか」、すぐに当てる博士であった。
 「若い人へのアドバイス」を、うかがったら、「それは『忍耐強くあれ』ということです」と、きっぱりと言われた。あせってはならない、長い目で、ものごとを見なさい。粘り強く、目標に向かって挑戦しなさい、ということである。
7  そして、こんな思い出を語ってくださった。
 博士の親友の多くが、第一次世界大戦で亡くなった。博士は、友人の写真を、生涯、部屋に飾り続けておられた。しかし、博士は戦争に行っていない。これは、博士の世代では珍しいことだった。なぜだったのか。
 じつは、オックスフォード大学を卒業後、すぐに博士は、研究のため、ギリシャなど各地を旅行した。ところが旅行中に、汚染された水を飲んでしまい、赤痢にかかった。それがもとで、軍隊には「不適格」ということになったのである。
 「もし、一九一二年のある日、あの汚染した水を飲んでいなかったら、私は、たぶん(戦争で死んで)今、こうしてあなたと話していることもなかったでしょう」
 赤痢で倒れたことは、その時は不幸だったが、結果的には、それで博士は命を延ばし、あれだけの仕事を残せたのである。
 人生も「長い目」で見なければ、わからない。だから「忍耐強く」と言われた。いわんや歴史は、長い目で見なければ、わからない。
8  五老僧と決別――そして正法を護持
 広宣流布も、長い目で見なければ、わからない。
 後から振り返って、はじめて「ああ、こんな意味があったのか」と、わかるものである。
 例えば、五老僧。御本仏が選び、決定された最高首脳である。
 しかし、それでも成功しなかった。師匠を裏切ってしまった。それは、まことに残念なことであった。もしも五人が、日興上人と心を合わせて戦っていれば、大聖人門下の分裂もなく、広宣流布が進んだかもしれない。
 しかし、一方では、五老僧のような、「大聖人の心を知らず、位だけが高い連中」が、いつまでも残っていたら、いつのまにか周囲が影響を受けて、濁っていたであろう。不純な部分は、なくなったほうがよかったのである。
 日興上人が厳しく彼らを追及してくださったおかげで、純粋に「大聖人の正義」を守り抜けたのである。妥協があったならば、万年の広宣流布は不可能になったであろう。
9  身延離山――そこから広宣流布の舞台が開けた
 また、日興上人の「身延離山」。これも、大聖人のゆかりの地を離れ、不幸な決裂の形になってしまった。
 身延の地頭の波木井実長は、傲慢にも「私は『日蓮聖人の弟子』であり、(日興上人のような)老僧がたとも同輩である(対等である)」と言っていた。自分を正当化したい人間の多くが、こういう言い方をする。
 今までも「私は戸田先生の弟子である」等と言って、結局、退転し、広宣流布を妨げた人間がいる。戸田先生が、そんなことを許されるはずがない。
10  また五老僧のひとり、民部日向は、堕落して謗法を犯しただけでなく、酒ぐせも悪かった。
 身延に来てからのこと。ある信者のところに居すわって、供養を出させ、信者の妻子を、はべらせて酒をつがせ、酔っ払って、いい気持ちになり、奇妙な声を張りあげたと伝えられている。品の悪い歌でも歌ったのかもしれない。周囲の人々は「あれが日蓮さんの弟子か」と、あざけり笑った。
 日興上人は「大聖人の名誉を汚す、恥知らずめ!(みっともない)」と怒っておられる。
 大聖人が最高首脳(六老僧の一人)に定め、日興上人が「学頭」――いわば「教学部長」にまで任命した人間であったが、師匠の期待に背いたのである。
 地位は、活躍し、貢献していくための出発点にすぎない。それを終着点のように錯覚し、自分を偉いように思うところに、信心の狂いが始まる。
 日向の狂いは、まさに「悪鬼入其身(悪鬼、その身に入る)」の姿であった。そして日興上人の「身延離山」となる。
 日興上人は断腸の思いであられたが、「いずこにあろうとも、大聖人の教えを守り抜き、世のなかに弘めることこそ、肝心のことである」とされて、謗法の山を捨てられた。
11  今、私たちも、謗法の山を捨てた。身延離山の時は、一大事件であったが、もしも、あのまま謗法の山に、こもっておられたら、正法広宣流布どころの騒ぎではなかった。「悪」を捨てたからこそ、「正義」を守ると同時に、広々とした新時代の舞台が開かれたのである。長い目で見て、はじめて、それがわかる。
12  二箇相承の紛失――正義の証明のため教学が振興
 また大聖人から日興上人への付嘱を証明する「二箇相承」。その直筆が無くなってしまった。武田家に奪われ、紛失してしまったとされる。
 これも、もし大聖人の直筆が残っていたら、どんなによかったか。日興上人の正当性を、簡単に証明できたのである。
 しかし、それが無くなったおかげで、教学が進んだ。理論で正義を証明する以外になくなったので、日寛上人の活躍をはじめとして、正しい教学が盛んになったとも言えるのである。
13  近年の牧口先生、戸田先生の入獄も、悲劇であった。牧口先生は獄死された。しかし、この「不滅の原点」があったからこそ、戸田先生の「獄中での悟達」もあったし、戦後の広宣流布の大進展もあった。
 また軍国主義と戦い抜いた歴史が、今、アジアをはじめ世界の信頼を得ている。
 すべて、後になって、わかる。広宣流布は、御仏智による。かならずすべてに意味がある。
 大事なことは、いかなることがあっても、悪とは絶対に妥協しないことである。「悪」とわかった以上は、徹底的に、悪事を暴き、追及することである。そうすれば、必ず「正義の歴史」が、後から燦然と輝くことになる。
14  トインビー博士は言われた。
 「ミスター池田、私はあなたと話し合って、よくわかりました。創価学会が『はるかなる未来』を展望していることを! これこそ、私たちのだれもが模範とすべき態度です」と。
 世界最高の学者であるのに、最高に謙虚な博士であられた。
 「私が、あなたに個人的なアドバイスをするのは僣越だと思います。私は机上の学者にすぎません。あなたは実践の人であり、大変に重要な組織の指導者です。ですから、ミスター池田、私に言えることは、『我々の意見は合致した』ということだけです。そして、『ミスター池田が自分で言われた中道こそ、正しい道です。その道を、今後も歩んでいってください』ということです!」
 「中道」とは「人間主義」ともいえる。あれから、四半世紀。世界に大きく広がった私どもの人間主義運動を、博士も、こよなく喜んでくださっているにちがいない。
15  偽物の仮面はいつかはがれる
 仏典に、こんな話がある。
 昔、「女房に頭が上がらない男」がいた。貧しい暮らしだった。
 ある時、女房が言った。
 「おまえさん! もうすぐ祭りの日だよ。みんな、きれいなハスの髪飾りをするんだよ。
 私だって、祭りの日くらい、髪飾りがしたいよ! 何とかしてよ! 髪飾りを手にいれてくれなかったら、私は出ていきますからね!」
 困った男は、とうとう「王宮に忍びこむ」ことにした。王宮には、立派な飾りになるハスが咲いているからだ。池に住むオシドリの鳴きまねが、男は得意だった。男は、鳴きまねを続けながら、池のハスを、いっぱい盗んだ。
 さて、盗みに入った男は、そのまま、オシドリの鳴きまねをしていれば、悪事は、ばれなかったかもしれない。しかし、ほっとしたのか、池の番人が物音に気づいて「だれだ!」と叫ぶと、男は思わず言ってしまった。
 「はい、オシドリです」
 このために捕らえられてしまった。男は、連行されながら、必死でオシドリの鳴きまねをした。
 番人は大笑いして言った。
 「今ごろ、そんなまねをしても、もう遅いわ! 正体は、ばれてしまったんだ!」
 「百喩経」という経典にある話である。「欲深な女房に振り回される愚かさ」と「にせものの仮面は、いつかは、はがれる」ことを教えている。
 ――創価学会という福徳の王宮にも、悪い人間が入りこみ、私利私欲のために、ずるく立ち回って、利用する危険が常にある。賢明に、見破らなければならない。
16  先日(十月二十日)、ロシア連邦サハ共和国から、ニコラエフ大統領ご一行が聖教新聞本社にお越しくださった。まことに立派な指導者であられる。
 しかも、うれしいことに、わが創価大学出身の若きヤコブレフ対外関係大臣(三十六歳)が、さっそうと大統領に随行してこられた。
 「梵天・帝釈」の働きに通じる世界の指導者が、続々と学会に来訪してこられる時代に入った。学会の舞台は、全世界であり、万年の未来である。
 大統領との会談でも話題になったが、このサハ共和国は、「世界一のダイヤモンドの埋蔵量」を誇るロマンと宝の大地である。
 ダイヤモンドをめぐって、私は、モスクワ大学のログノフ前総長との対談集『科学と宗教』(潮出版社。本全集第7巻収録)でも、科学的・哲学的な次元から論じ合った。
 ログノフ博士は、サハ共和国に伝わる、こんな言い伝えを紹介してくださった。
 民衆の英知は、悪を鋭く見破り、笑い飛ばしていくという具体例である。
 「ダイヤモンドは、悪いことをしないで、自然に手に入れた場合にだけ、人を守り、強く正しくする力をもっている。しかし、往々にして、素晴らしいダイヤは悪い人間に所有されているために、本来の力を発揮できないことのほうが多い」と。
 別の「サハ」のことわざには、「職人とともに住めば職人となり、泥棒と一緒に住めば泥棒となる」ともある。
17  汝自身に悔いない信念をもて
 ところで日蓮大聖人は、佐渡流罪の大難のさなか、悠然と、こう仰せである。
 「但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又違恨無し諸の悪人は又善知識なり
 ――ただ私(大聖人)の生涯は、もとより覚悟のうえである。今になって、ひるがえることはないし、(何があろうと)うらむこともない。(その覚悟から見れば)もろもろの悪人は、また善知識である――。
18  チリのエイルウィン前大統領との対談集(『太平洋の旭日』河出書房新社)を出すにあたって、私は「はじめに」を、こう書いた。
 「私は強大なる権力と戦った人を尊敬する。
 その代表的人物の一人である、青年革命児エイルウィン先生の人生行路を尊敬する。
 平凡な、そして実直な、波風を立てない人生を生きる人も多い。それはそれで立派な人生といえるかもしれない。
 しかし、より良き社会を、より良き未来を、より良き進路を創るため、生命を賭しての正義の戦いをしていく人を、私は深く尊敬し理解する。
 決して近視眼で、その人を観たくはない。また、遠視眼で観てもならない。
 常に事実に即して正視眼で、その人物を、そして、その軌跡を深く掘り下げて観ていくことを、心がけてきたつもりである。
 過去の歴史において、偉大な善人が正当な評価を得られなかったことが多々あったであろう。
 小人物が誇大な策略の宣伝を使って善人になったり、大人物の虚像をつくり上げる場合も多々ある。
 それに対し正義の人が、高貴な善の人が、誠実な指導者たちが、陰謀と捏造と策略によって牢に入れられ、惨殺され、無念な死を遂げることもある。
 そして、また、そのような人たちが社会において大悪の烙印を押され、つくられた陰謀の歴史に、そのまま真実のごとく残され、つづられてきたことも多々ある」
 「よく私の恩師は語っていた。
 『人間の妬みほど、恐ろしいものはない。
 人間の魔性ほど、怖いものはない。
 ゆえに、汝自身に力をつけよ。
 汝自身に悔いなき信念をもて』と。
19  また、ある哲学者の言葉を、忘れることができない。
 『人間が人間を裁く。しかし、人間は科学ではない。いかようにでも、悪の陰謀の連帯があれば、人を陥れることは簡単である。ゆえに、正義の連帯を創る努力を、絶対にしなければならない』と。
 そしてチリ共和国のエイルウィン先生は、言われた。
 『嘘は暴力に至る控室です。″真実が君臨する″ことが民主社会の基本なのです』」
20  誠実を尽くせば天をも動かす
 最後に東洋の箴言を二つ贈りたい。
 「至誠たれば感天たり」
 ――誠実のかぎりを尽くせば、天をも動かすことができる――。
 大事なのは「誠実」である。「誠実」にまさる力はない。要領は一時は良いようでも、心が堕落し、最後は自滅する。誠実は一時は損のように見えて、時とともに信頼を得、福徳をつけて、最後は勝利する。
 信仰者とは最高に「誠実」な人間の異名である。どうか「誠実の指導者」になっていただきたい。
 私の宝も、また私の武器も、「誠実」――この二文字である。
 中国の孟子は言った。
 「自ら反みてなおくんば、千万人と雖も吾往かん」と。
 ――自分を見つめ、自分の行いが確かに正しいという信念をもったならば、たとえ相手が千万人であっても、私は立ち向かおう!――と。
 これからも世界的な指導者や文化人、またSGI(創価学会インタナショナル)の尊き同志が続々と来訪し、わが「創価の城」は、千客万来のにぎやかな黄金の秋を迎えます。
 晴れ晴れと、最高に楽しく有意義な11・18「創立記念日」を飾りましょう!
 どうか、各方面、各県の大切な同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 戦いましょう!
 (創価文化会館)

1
2