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日蓮大聖人・池田大作

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第25回本部幹部会 二十一世紀を勇気で開け 勇気こそ信心の異名

1998.8.27 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

前後
2  ケネディ大統領は言う。
 「われわれは真に勇気ある人間であったか。すなわち自己の敵に対抗する勇気のほかに、必要な場合には自己の仲間に対しても抵抗するだけの勇気、あるいは、私利私欲ばかりでなく、公衆の圧力にも抵抗するだけの勇気も持ち主であったか」(坂西志保『永遠の炎』時事通信社)
 大統領は″外部の悪とはもちろん、内部の悪とも戦え″と言ったのである。その心情は、よくわかる。
 私は世界の多くのリーダーとお会いしてきた。ケネディ大統領とも、お会いする予定があったが、横やりが入って中止になった。その後、凶弾に倒れられ、私たちの会見は、ついに実現しなかった。残念である。
 大統領は、こうも言った。
 「今、われわれに必要なのは何か。それは満足感ではない。勇気だ」(同前)と。
 ″現状のままで、もういいんだ″と満足しては、進歩はない。勝利もない。″これからだ。いよいよ開拓を始めるのだ!″という勇気が必要なのである。素晴らしい言葉である。
 多くの日本人には精神的勇気がないと言われる。勇気があるように見えても、やみくもな肉体的勇気であり、蛮勇である、と。だから傲慢になる。
 本当に「勇気がある」とは「信念を貫く」ということである。信念の究極は「信心」である。
 信心とは、不幸な人々の味方となり、矢面となって、悪と戦い抜くことである。「信心」と「慈悲」と「勇気」は一体なのである。
 創価学会は勇気で勝った。勇気があったから、ここまで広宣流布の道を開けた。
3  打って出よ! 勝利はそこから
 御書にも「臆病者であってはならない。いくじなしは、日蓮の弟子ではない」と厳しく仰せになっている。(「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」、「あへて臆病にては叶うべからず」など)
 創価学会は、最大の「勇気」をもった、最高の「正義の人」の団体である。(拍手)
4  この夏も、全国の同志は見事な前進をされた。皆さま、おめでとう。心からご苦労さまです、と申し上げたい。
 ガンジーは言った。
 「ひとにぎりの人でも誓いに忠実であるかぎり、この闘争には、ただひとつの結末しかありえません――それは、勝利であります」(カルヴィン・カイトル『ガンジー』岳真也訳、潮出版社)
 私どもの誓いは「広宣流布」である。本当に広宣流布しようと誓った人間が、少しでもいるならば、最後は必ず勝利する。広布の勝利は疑いないのである。
 勝つしかない。どんな理由をつけようと、負けは負けである。人類の不幸の根を断ち切る戦いに、敗北は許されない。
 また「勝利とは、座って待っていればよいと言うわけではない。勝利は、戦い取るべきものである」(『周恩来選集』中京中央ML著作編集局、外文出版社)と。
 打って出ることだ。じっとしていて、勝てるわけがない。
5  アインシュタインは言う。
 「困難と障害とは、いかなる社会にとっても、力と健康の価値ある源泉である」(『アインシュタイン選集』3,井上健・中村誠太郎訳、共立出版)
 困難も障害もない――そんな人生は、ありえない。そんな世の中もありえない。
 偉くなれば、苦労がなくなる――それも、とんでもない錯覚である。
 どんな人生も組織も、障害がある。困難がある。それと戦うからこそ、力を増し、健康になれる。順調なだけでは、鍛えがなく、衰弱していく。
 「困難を乗り越えてこそ強くなる」――一流の知性の洞察と、仏法の英知は、まったく一致する。
6  周総理は、こうも言われた。
 「方向と目標が決まっても、道は一歩一歩、歩まねばならない」(前掲『周恩来選集』)
 広宣流布――私どもの目標は決まっている。けれども、道は一歩一歩、苦労しながら歩んでいかねばならない。その苦労を避けて、目標への到達はない。
 また、こんな言葉がある。
 「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」(新庄哲夫訳)
 これは、ホール・ケインの小説『永遠の都』(潮出版社)の中の言葉である。″一人立つ″人間革命の闘争を教えている。
 私も、この覚悟でやってきた。
 卑怯な人間は「苦しみを受け、耐え忍ぶ」勇気がない。
 苦しみから逃げる。自分を守ろうとする。自分が傷つかないように、ずるく立ち回る。学会には、そんな幹部は必要ない。
 また、アメリカの著名な教育者デューイは「私の人生哲学は、本質的には、単純な言葉だが、辛抱強く頑張るところにある」(鶴見和子『デューイ・こらいどすこおぷ』未来社)と。
 牧口先生、戸田先生が大変に尊敬しておられた、大学者の言葉である。
7  「21世紀の開幕の第一歩」をともどもに
 本日は、日本のほか海外の十七の国・地域から、SGI(創価学会インターナショナル)の同志の代表が参加されている。
 「二十一世紀の開幕の第一歩」たる本部幹部会に、ようこそ、いらっしゃいました。ごくろうさま!(拍手)遠いところ、本当に、ありがとう! 心からの敬意をこめて、すべての参加国の方々に拍手をお送りしましょう!(拍手)
 中南米から、ブラジル、アルゼンチン、ニカラグアの皆さま。そしてアメリカの代表。アジアから、台湾と韓国の友。
 台湾の皆さまは、七年連続で「全国優良人民団体賞」を受賞された。おめでとう!(拍手)
 韓国の同志も、堂々たる「世界の模範のスクラム」を築かれた。青年部の活躍も大変に素晴らしい。また、皆さまへの、たくさんの顕彰、心からお祝い申し上げたい。(拍手)
 さらに、タイ、ミャンマー(ビルマ)、スリランカの皆さま、ようこそ!(拍手)
 ヨーロッパのイタリア、フランス、ドイツ、スペイン、ベルギー、ロシア。中東のバーレーン。そして、遠くアフリカのガーナからも、おいでくださった。
 もう一度、皆さまに賛嘆の拍手をお送りしたい。(拍手)
8  友よ「理想の大要」へ進め
 きょう八月二十七日は、ドイツの大哲学者ヘーゲルの誕生日である。彼は弁証法で有名である。
 『ヘーゲル』(澤田章、清水書院)という本には、ヘーゲルが愛した詩がある。ヘーゲルがいつも自分に言い聞かせて、自分を鼓舞したという詩である。
 友よ 太陽に向かって努力せよ!
 人類の救済が 熟する日も近い
 さえぎる木の葉や枝が なんだ
 太陽のもとまで 突き進め!
   (ヒッペル「人生行路」)
9  どこへ向かうか? 「太陽」へと向かおう! 「人類の救済」へと向かおう! と。
 スケールが大きい。心が大きい。希望が大きい。
 ヘーゲルの青春時代は、フランス革命の真っ最中であった。
 同じように、今は広宣流布という革命運動の真っ最中である。下を向いて歩くのではない。むなしい遊びの方向へ向かうのでもない。金もうけだけを考えるのでもない。
 心の底から「人類のために」と立ち上がれ! と。
 「木の葉や枝」のような、小さな障害なんか、気にするな! と。
 くだらない悪口なんか、ほおっておけ! と。
 我らは「広宣流布」という太陽に向かって進みましょう!(拍手)
 それが勇気である。詩は、こう結ばれる。
 「そして疲れたら それもよかろう 眠りは それだけ深い」
 疲れたからこそ、よく眠れる。働いたからこそ、熟睡できる。戦い切れば、その分、安らかである。幸福である。理想に向かって、戦って、疲れる。それはいちばん幸せなのである。
10  ゲーテ「恩知らずは何をやっても成功しない」
 あす八月二十八日は何の日か――。ドイツの大詩人ゲーテの誕生日である。
 ヘーゲルという最高の文化人・哲学者、そしてゲーテ。二人は二十一歳違い。ゲーテが年上である。二人が生きていたころ、ドイツの大学では、「世界に誇る二人の大文化人がドイツ人である」ことを祝って、八月二十七日から二十八日にかけて、お祭りをしたという。
 自分がよく知りもしない″神さま″を祭るのではなく、現実にいる「文化人」をたたえる祭りである。ここに文化の深さを感じる。
 ゲーテいわく。
 「忘恩はつねに一種の弱さである。わたしは有能な人たちが恩知らずであった例を知らない」(『箴言と省察』岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)
 つまり、立派な人間に、恩知らずはいない。ひとかどのことをやる人間ならば、受けた恩義は絶対忘れないと、ゲーテは言うのである。
 ″「自分の力で偉くなった」と錯覚するのは愚か者である。そういう人間に、ろくな仕事ができないことは、一目瞭然である″。こういう意味である。
 ″何かを為そう、何かで歴史を残そう″というならば、「人間」としても立派でなければならない。
11  恩知らずの人間を、私たちも、たくさん見てきた。創価学会のおかげで偉くなりながら、創価学会を尊敬できない。心からの感謝もない。それどころか、同志を裏切り、同志を売って、金もうけする極悪人さえいる。
 彼らは「うまくやった」「自分は学会を利用した」「得をした」と思っているかもしれない。しかし、インチキの人間の末路は悲惨である。
 私は入信以来、五十一年間、その実例を、つぶさに見てきた。裏切った人間が何の仕事をしたか。偉大な仕事を残して、歴史に残ったか。皆が評価したのか。そんな人間は一人もいない。社会の人にも、最後は信頼されない。支持もされない。馬鹿にされ、軽蔑されるだけである。
 この一点を錯覚した人間は、全部、おかしくなっている。「恩知らずは、何をやっても成功しない」のである。
 「原点」を忘れた人間は、迷い続けるだけである。
 私どもにとって、信心が原点である。創価学会が原点である。その原点を忘れ、人間の正道を忘れて、何も成功するわけがない。
 戸田先生も、恩知らずの人間に対しては、それはそれは厳しかった。
12  きょうは「地区婦人部長」の誕生、本当におめでとう!(拍手)
 うちへ帰ったら、「きょうから私は″婦人部長″よ」と、いばっていただきたい(爆笑)。
 なお、女子部の「ブロック長」についても、二十一世紀にふさわしい名称を、と本部でいろいろと検討してきたが、その結論として、「ヤング・リーダー」の新名称でいってはどうだろうか(賛同の大拍手)。
 「地区婦人部長」「ヤング・リーダー」――スマートな新名称で、さっそうと進んでいただきたい。(拍手)
 (なお、これに続き、男子部の班長は「ニュー・リーダー」、学生部の班長は「ビクトリー・リーダー」の新名称が決まった)
13  「沈黙するな!」「行動せよ!」
 ゲーテは言った。
 「今の時代には、だれも沈黙したり譲歩したりしてはならない」(前掲「箴言と省察」)
 前へ! 前へ!――勇猛精進である。
 「発言し、活動しなければならない。多数派に属するか、少数派に属するかはまったくどうでもいいことだ」(同前)
 「批判に対しては、身を守ることも抵抗することもできない。それをものともせずに行動しなければならない。そうすれば批判もやむなくだんだんにそれを認めるようになる」(同前)
 だれもが発言し、だれもが活動する――民主主義である。最高幹部も、一会員も、全部、同じである。自分が多数派だとか、少数派だとか、こう言えば批判されるとか、何だとか、そんなことを「ぐずぐず言わずに、大胆に発言せよ! 行動せよ!」と。そうすれば、敵だって、こちらを認めるようになる。
 やろうじゃないか! 戦おうではないか! そういう心であろう。
 私どもも、これで行きましょう! 来年も! 再来年も!(拍手)
14  ヘーゲルとゲーテ。私どもは、こういう文化の最高峰について語りながら、仏法の極理をも論じている。「一念三千」とか「自受用報身如来」等と。古今東西の英知を、また仏法と世間の両方の真髄を学び、語っている。ここに学会のすごさがある。
 ヘーゲルとゲーテの結論は何であったか。それは「心こそ大切なり」ということであったと私は思う。
 くわしい論述は省かせていただくが、たとえばゲーテは、こう言っている。
 「私の理性と才能が、心よりも高く評価されている。しかし心こそ、私の唯一の誇りである。これだけが私にとって、あらゆるもの、あらゆる力、あらゆる幸福、あらゆる禍いの源泉だ。私の知っていることは、誰だって知ることができる。しかしこの心だけは、私だけしかもつことができない」(『人生について――ゲーテの言葉』関泰祐訳、社会思想社)
 仏法の極致も、鍛え抜いた「心」だけが、臨終の時も、来世までも、光を失わない「永遠の財宝」となるということである。
 皆さま方は、その最高の人生道を歩んでおられる。無上の幸福道を歩んでおられる。
 「心こそ大切」――この宝の言葉を誇りとしていっていただきたい。
15  妙法の因果は厳正
 御書を拝したい。有名な御聖訓(「種種御振舞御書」)にいわく。
 「日蓮にりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」――日蓮によって、日本の国の存亡は決まる。たとえば、家は柱がなければ保てない。人は魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である――。
 この御言葉を拝して、戸田先生は断言された。
 「いま日本の国に創価学会が本尊流布を行っておりますが、この創価学会を倒したならば、日本のほんとうの繁栄はないのです。創価学会こそ日本の柱であり、眼目です」(昭和三十二年〈一九五七年〉二月、『戸田城聖全集』第七巻)
 今、現実の姿のうえで、日本の国の存亡は創価学会によって決まると言って、決して過言ではない。
16  「日本の柱」である日蓮大聖人を倒さんとし、「日本の魂」である大聖人を亡き者にしようとした権力者。その張本人が、平左衛門尉である。
 この極悪の権力者の末路はどうであったか?
 これまでも何回もスピーチしてきたが、日本の現状と将来を厳しく見ていくうえで、もう一度、確認しておきたい。
 平左衛門尉頼綱といえば、軍事、警察、政務の絶大な権限を一手に集めていた。実質的に幕府を動かし、恐怖政治をしいた強大な権力者であった。しかし、その最後は、あまりにもあっけなく滅び去った。
 熱原の法難から十四年後の永仁元年(一二九三年)四月。平左衛門尉は、なんと自分の長男・宗綱によって、「幕府反逆の陰謀」を密告された。長男が親を密告した裏には、醜い権力闘争があったようだ。
 平左衛門尉の屋敷は、幕府の軍勢に囲まれ、全滅した。それは、あの熱原の三烈士を拷問し、処刑した同じ屋敷であった。
 平左衛門尉は、もがき苦しみながら、ついに、次男・資宗とともに、哀れな姿で死んでいったのである。この次男は、熱原の農民に対して、矢を放って脅し、いじめ抜いた人間である。彼の最後は地獄の苦しみであった。
 また、権力に群がって栄華を誇った一族郎党も、同時に滅び去った。さらには、父を密告した長男も、佐渡に流罪になった。その後、子孫は、跡形もなく滅んだのである。
 生命の因果律は厳しい。
 日興上人は、平左衛門尉の一族の滅亡について、「これ(是)ただ(但)事にあらず、法華の現罰を蒙れり」(富要九巻)と、仏法の峻厳さを記されている。
 大聖人の御入滅から十二年目の出来事であった。
 ″第二代″の日興上人は、御年四十八歳(数え年)。″第三代″の日目上人は、御年三十四歳(同)。
 この仏敵の打倒こそ、二代と三代が「不二の弟子」として、執念の大闘争を貫き通された「厳粛なる結実」であったにちがいない。
17  「悪」は必ず裁かれる、滅びる
 平左衛門尉の滅亡について、日寛上人は、「撰時抄」の「文段」で、こう明記されている。
 「遠くの原因は、日蓮大聖人を打った大罪によるのであり、近くの原因は、熱原法難の際に、三烈士を殺害したことによる」(現代語訳、以下、同じ)と。
 法華経を行ずる師弟を弾圧した報いが、どれほど厳しいか。
 日寛上人は「還著於本人」――「還って、本人に著きなん」の原理の通り、「法華経の行者を迫害した大悪の報いは、自分自身に必ず戻ってくる」ことを、明快に、一つ一つ論じられている。
 すなわち、「平左衛門尉が首を刎ねられたのは、日蓮大聖人の御顔を打ったからである」と。
 また、「平左衛門尉の最愛の次男(安房守)が首を刎ねられたのは、(安房国の)日蓮大聖人の御首を刎ねようとしたからである」と。そして、「長男が佐渡に流されたのは、日蓮大聖人を佐渡に流したからである」と。
 日寛上人は結論として、「仏罰の因果の予言は、すでに、ぴたりと符合している。(法華経の行者を迫害した)大罪の報いを免れることはできないのである」と記されている。
18  私は十九歳で入信して、まもなく、この「文段」を拝した。「妙法の因果」は、あまりにも厳正であり、一点の曇りもない。
 これまで、創価学会をいじめたり、迫害したり、裏切った人間は全部、仏罰を受けてきた。また、これからも必ず受けていくことであろう。そうでなければ、仏法は嘘になる。
 私は、五十一年間にわたる生死を超えた法戦を通して、このことが明確にわかるし、後世のために言い残しておきたい。
 有名な「聖人御難事」には仰せである。
 「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」――過去現在の末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者、その臣下、そして民衆は(迫害した)当初は、何も起こらないように見えても、最後は必ず滅びないものはない――。
 まったく、この御聖訓の通りである。たとえ「国法」による裁きから逃げられたとしても、「仏法の因果律」による裁きだけは、絶対にごまかせない。逃れることもできない。
 「始めは事なきやうにて」――必ず最後は裁かれる。仏法の因果は厳然たるものである。
19  牧口先生「正邪の決着をつけるのが慈悲」
 仏法は「勝負」である。仏法は「現証」である。これこそが「宗教の生命」であると、牧口先生は喝破された。
 牧口先生は、「正邪の決着をつける」ことが、人々に「動執生疑」を起こし、人々を正義に目覚めさせることになると知っておられたのである。そうさせていくことが慈悲であり、勇気なのである。
 牧口先生は言われた。
 「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」と。
 たしかに、最近は「勝負の実証」が出るのが早くなってきたと思うが、どうだろうか。(拍手)
 本年も、偉大なる創価学会員が、命がけで祈り、戦い、諸天が大きく動き、大きく働いて、大勝利することができた。皆さま、ご苦労さまでした!(拍手)
20  「御義口伝」には、「功徳」の意義について、こう説かれている。
 「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり
 不幸(悪)を滅し、幸福(善)を生じる――これが「功徳」である。
 無量無辺の功徳は、悪と戦い、仏敵を倒してこそ、わいてくる。だから、大聖人は「折伏せよ!」「仏敵と戦え!」と仰せなのである。
 牧口先生のご一生も、あえて魔を狩り出し、難を呼び起こそうとされていたように思える。悪と戦い、倒さなければ「広宣流布」はないからである。
 また、大聖人は、「罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり」――(一国の)仏罰の厳しさをもって、我らの功徳の大きさを推察すれば、わが門下の人々が「十の尊称をもっておられる仏を供養するよりも、はるかに勝る福徳」を得ることは疑いない――と断言されている。
 仏罰が大きいことを見て、妙法の偉大さを知り、「仏敵と戦う功徳」の大きさを知らねばならない。
 大聖人をいじめて、日本は大罰を受けた。牧口先生、戸田先生をいじめた日本は滅びた。
 反対に、仏意仏勅の学会員の皆さまには、ますますの功徳が光るであろう。ますますの福徳が必ずや薫るであろう。大聖人が、そう御約束である。ともどもに頑張りましょう!(拍手)
21  御書に「民の愁い積りて国を亡す」と記されている。
 今、「民の愁い」が積もりに積もった日本である。多くの人々が、希望も、目標も、生きがいも、見いだせなくなっている。亡国の兆しである。
 そのなかにあって、民衆の心に「希望」を送り、「勇気」を送り、「活力」を送っているのはだれか? 創価学会である!(拍手)
 麗しき人間共和の創価学会こそが、日本の希望である。世界の光明である。この誇りで進みましょう!(拍手)
22  南米のスイス・コチャバンバに残る女性たちの勇気
 広大な南米大陸のほぼ中央に「ボリビア共和国」がある。ボリビアには、コチャバンバ市という大変に有名な都市がある。
 「南米のスイス」と謳われる風光明美な高原都市である。標高二五六〇メートル。各国からも大勢の観光客が訪れている。すごしやすい気候で、「世界のあこがれ」の天地である。
 光栄にも、このコチャバンバ市から「名誉市民」称号を授与したいという連絡をいただいた。(拍手)「外国人初の栄誉」と、うかがっている。
 ボリビアはじめ全世界のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーを代表し、謹んで受けさせていただきたい。(拍手)
23  この美しい高原都市には、独立戦争の際、女性たちの力で戦い抜いた壮絶な歴史が残されている。(G・Mブルーニョ『ボリビア――歴史と詩』。参照)
 一八一二年の五月のことである。三世紀にわたる長い植民地支配に対し、コチャバンバでも、人々が抵抗に立ち上がった。しかし、その動きは、すぐさま阻まれる。圧倒的な兵力を誇る敵軍が、町のすぐそばまで迫ってきた。
 勇敢な男たちは、捨て身で戦った。しかし、壊滅的な敗北――。
 そこで、生き残った男たちは、敵軍と取引をした。独立運動の中心者と武器を引き渡すから、その代わりに、ほかの人間の命は助けてくれ――と。
 ところが、女性たちは、これを「裏切り」と見た。
 ある女性は憤然と叫んだ。
 「この地に、わが身をなげうって戦う男がいないのならば、私たち女性が戦いましょう! 女である私たちが、子どもたちや、兄弟姉妹、そして老人たちとともに、敵を迎え撃ってみせましょう!」
 女性たちのこの「戦う心」が、「恐れなき心」が、周囲の心を動かした。「正義のために戦おう」と同志が立った。「勇気を奮い起こそう」と人々が続いた。そういうものである。ひとつの方程式である。
 戦う民衆の陣列には、幼子を抱えた母たちも、老いたる母たちも、勇気をもって加わった。
24  五月二十七日、戦闘が始まった。敵軍の兵力は桁違いだった。しかし、女性たちは一歩も引かない。最後の最後まで勇敢に戦い抜いた。
 死体の山に一人残った白髪、盲目の母がいた。「ひざまずけ!」と、敵兵が銃口を向けた。立ち向かう武器はない。彼女は、傷ついた胸からあふれ出る血を手でぬぐい取るや、敵兵の顔めがけて投げつけた。
 一方で、自分だけは助かろうと逃げ去っていった男たちもいた。日ごろは、いばり散らしていた連中だった。
 人間の真価は「いざ」という時に出る。「いざ」という時、往々にして男性は弱い。臆病である。これに対し、女性は強い。勇敢である。
 コチャバンバの人々は、力及ばず、ついに敗北した。女性たちは、それぞれの戦闘の場で凛然と殉じていった。
 この女性たちの「生」と「死」は、「永遠の模範」として、今もボリビアの人々の心の中に生き続けている。
 戦闘が行われた「五月二十七日」は「ボリビアの母の日」に制定されている。その舞台となった丘には、彼女たちを顕彰する像が毅然と建っており、愛する故郷の街並みを見つめている。
 百八十六年前のこの史実を知った時、私は仏法者として、彼女たちの冥福を心から祈った。
25  地域に根を張れ、地域革命の先頭に立て
 権力の魔性を恐れず、勇敢に立ち向かう庶民ほど神々しい存在はない。その人こそ「無冠の女王」である。「無冠の帝王」なのである。
 ボリビアSGIのメンバーも、地域に、社会に、友好の輪を一生懸命に広げておられる。素晴らしい貢献と活躍をされている。
 その模範は、やはり婦人部。壮年部も青年部も「婦人部に続け!」が合言葉という(爆笑)。
 前大統領のサンチェス・デ・ロサダ氏の夫人も長年、親しく婦人部と交流を結んでくださっている。大統領夫人当時、婦人部の総会に参加されたこともある。
 先月は、ボリビアの有力紙(「エル・デベール」紙、七月十五日付)で、婦人部の地域貢献の活動が、一ページを使って大きく特集された。「人間愛を強める活動」として称賛されていた。どこの国でも、婦人部は本当に偉大である。(拍手)
26  人類の歴史のなかには、崇高な母たちの「叶わなかった願い」が無数にある。その母たちの悲願を受け継ぎ、実現させていく。私たちSGI運動の目的も、ここにある。
 では、そのためには何が必要か。
 まず、「わが使命の地域」で勝つことである。断じて勝つことである。
 大きいことを言うよりも、足下の「地域」で着実に勝ち抜くことである。ここに、世界の民衆の勝利と栄光に通ずる道がある。今いる場所を「本有常住」の常寂光土に変えていく。ここに、広宣流布の根本の原理がある。
 特に男性諸君は、「地域に根を張れ」「地域革命の先頭に立て」と申し上げたい。(拍手)
 女性の皆さま、ぜひ″監視″をお願いします(爆笑)。
 誉れある初代の「地区婦人部長」、初代の女子部「ヤング・リーダー」を、がっちりと支えながら、仲良く、楽しく、晴れ晴れと「地域革命」を推進してまいりましょう!(拍手)
27  世界に学び、われらは前進
 最後に、いくつかの箴言を紹介したい。
 チャップリンいわく。
 「不可能をめざして戦おうではないか。史上幾多の大事業は、すべて不可能と見えるものの征服だったのだ」(『チャップリン自伝』中野好夫訳、新潮社)
 不可能だ、大変だ、できっこない――それを、あえて立ち向かってこそ大事業はなるのだ、と。
 タゴール。
 「闇 なにするものぞ、岩 なにするものぞ!」「この世に なんの恐怖があろう!」(『タゴール著作集』1,森本達雄訳、第三文明社)
 勇気である。信心である。何が恐ろしいものがあろうか。恐ろしいのは女房だけ――これは、ある有名な文豪の言葉である(爆笑)。
28  フランスの彫刻家・ロダン、いわく。
 「情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しい事はない」(『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波文庫)
 味わい深い言葉である。
 ノルウェーの劇作家イプセン。『人形の家』で有名である。
 「本当に必要なのは人間精神の革命です。そして君は、その先頭に立って進む者の一人でなければなりません」(原千代海『新版イプセン 生涯と作品』三一書房)
 人間革命である。学会と深く響き合う。
 ヒルティ。有名なスイスの哲学者である。
 「人間のすべての性質のなかで、嫉妬はいちばんみにくいもの、虚栄心はいちばん危険なものである。心の中のこの二匹の蛇からのがれることは、素晴しくこころよいものである」(『眠られぬ夜のために』草間平作・大和邦太郎訳、岩波文庫)
 「人格者」とは、この″二匹の蛇″を心の中から追い出した人のことである。
 ケネディ大統領は、こう呼びかけた。
 「諸君よ、『祖国が諸君のために何をしてくれるか』を問うなかれ。『自分が祖国のために何ができるか』を問いたまえ!」
 学会の幹部も、学会出身の有名人も、転落した人間は、みな「学会が自分に何をしてくれるか」を考えてばかりいた。
 エマーソン。世界一の哲人である。
 「世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です」(『エマソン論文集』酒本雅之訳、岩波書店)
 活動的な魂――すなわち戦う魂である。
 「活動的な魂は絶対的な真理を見て、真理を語り、あるいは創造します」(同前)と。
 「絶対的な真理」を語り抜いているのが、創価学会である。
 最後に、ソクラテスの弟子の一人、クセノフォンの言葉。
 ″肉体を訓練しない者は肉体を使う仕事ができない″と同様に「精神を訓練しない者はまた精神の仕事を行なうことができない」(『ソークラテースの思い出』佐々木理訳、岩波文庫)
 精神の訓練――信心である。
 今、どこを見ても、精神を訓練していない。だから「精神の仕事を行なうことができない」。
 精神の仕事なくしては、もはや平和もない。人間の尊厳もない。文化の創造もない。何もない。本物の人間になれない。動物と変わらない。だからこそ、私どもが頑張りましょう!(拍手)
29  この秋には、韓国に初の「文化親善交流団」が派遣される予定である(=平成十年十月三十一日から四日間にわたり交流)。各国へ、これから一段と民衆の交流を広げてまいりたい。
 それでは長時間、ありがとう! ご苦労さま!
 皆さま、風邪を引かれませんように。どうか、気をつけてお帰りください。
 来月も、元気でお会いしましょう!
 (東京牧口記念会館)

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