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日蓮大聖人・池田大作

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「7・17」記念協議会 「社会を変える」には「心を変えよ」

1998.7.17 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  ユゴー「裏切りは悪だ」
 七月十六日は、「立正安国論」の上呈の日である。日蓮大聖人は一二六〇年に、この書で権力者を諫め、本格的な闘争に突入された。
 ちょうど七百年後の一九六〇年、私は戸田先生の後を継いで、第三代会長に就任した。
 そして、きょうは「7・17」。私の出獄の日。昭和三十二年(一九五七年)の七月のことである。(同年七月三日、無実の罪で入獄)
 獄中で私は御書を拝し、何冊かの本を読んだ。文豪・ユゴーも、私の心を鼓舞してくれた。
2  ユゴーは、自分を迫害し、悪者にし、追放した権力者(ナポレオン三世)に向かって、こう言った。
 「なによりもまず、ボナパルトさん、あなたは、人間の良心とはなんであるかを少しは心得ておく必要があると思うのです。この世には、ふたつのものがあります。世間ではそれを善と悪と呼んでいますが、まだ御存じないのでしたら、いますぐにでも勉強して、とくとそれを覚えていただきたいのであります。お分(わか)りでなければ、お教えしなければなりません。
 よろしいですか、嘘をつくのはよくないことで、裏切るのは悪いことで(中略)そのようなことは禁じられているのであります」(アンドレ・モロワ『ヴィクトール・ユゴー』辻昶・横山正二訳、新潮社)
 嘘つきと裏切りの独裁者よ、よいか! 覚えたか! と。そして民衆には、こう呼びかけた。
3  ああ、けなげな働き蜂たちよ、
 義務をつくすおまえたち、美徳であるおまえたち、
 金の翼よ、炎の矢よ、
 渦巻いて舞え、あの破廉恥な男の頭上に!
 あの男に言ってやれ。「わたしたちをなんだと思っているのだ?」と。
 (「懲罰詩集」辻昶・稲垣直樹訳『ユゴー詩集』潮出版社)
 その気概と実力をもて! そういう悪人は、やっつけて、そして次の世紀のために「新しい人材を!」「新しい光を!」「新しい社会を!」――これがユゴーの願いであった。未来は今にあり。今、私どもは二十一世紀の勝利の橋を架けているのである。
4  民衆よ、「口うるさく」悪を責めよ
 民主主義が発達するには、何が必要か?
 権力者に対して、絶対に黙っていないことである。いつも、うるさく攻撃し続けていくことである。それでこそ、権力者も悪いことがしにくくなる。
 「権力者よ、我々を何だと思っているのか!」
 このユゴーの叫びは、ラテンアメリカをはじめ、世界各地で植民地支配からの独立運動にも大きな勇気を与えたのである。
 悪人に対しては、強く出ることである。
 悪人は善人をなめてかかっている。バカにしている。だから嘘をつくのも平気である。ゆえに、だまされないよう、善人は悪人より賢明でなければならない。悪には厳然たる態度で臨まなければならない。甘い顔を見せれば、その分、つけ上がるからである。
 福沢諭吉は、日本人の国民性について″こちらが下手に出ると、なめてかかって威張り、こちらが強く出ると、とたんに丁寧になる″という不誠実を指摘している。
 (諭吉が道行く人に、武士のように横柄に道を尋ねると丁寧に教えてくれ、町人の言葉でへりくだって尋ねると相手は、いばってあいさつもしない実例を通して、「先方の人を見て自分の身を伸び縮みするようなことではしようがない」〈『福翁自伝』潮文庫〉と嘆いた)
5  ユゴーいわく、「甲冑(=よろいかぶと)の中に短刀がひそんでいるように、政治の中には裏切りがひそんでいる」(『九十三年』榊原晃三訳、潮出版社)。
 「政治家ということは、ときとして反逆者ということにひとしい」(『レ・ミゼラブル』佐藤朔訳、新潮社)
 しかし、どんなに裏切っても、「謀反人は常に自分の罠で亡びる」(「ふたご」宮原晃一郎訳、『ユゴー全集』7所収、ユゴー全集刊行会)のである。
 民衆への反逆者はかならず最後は裁かれる。特に、死の時は必ず苦しむ。ゆえに「死は悪人にとっては恐ろしいものなのである」(「氷島奇談」島田尚一訳、『世界の文学』7所収、中央公論社)とユゴーは言う。
 御書には「末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」――末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者、その臣下、そして民衆は、(迫害した)当初は、何も起こらないように見えても、最後は必ず滅びないものはない――と厳然と仰せである。
6  善人は黙っていてはいけない。口うるさくしなければ、悪人はすぐに悪いことを始める。
 ユゴーは叫んだ。
 「善が沈黙を守っている間に悪がひょっと顔を出す。この間の戦いが人間の戦いであります」(「自由劇」川路柳虹訳、前掲全集8所収、現代表記にした)
 ゆえに悪人を責め続けることである。
 「仏法は勝負」――勝つか負けるかである。最後まで、悪には、とどめを刺さなければいけない。日本人には、この″徹底的に″が、なかなかできない。だから社会が変わらない。
7  昨日(十六日)、皆さま方を代表して、ブラジリアから名誉市民の称号を賜った。
 ブラジリアは「希望の都市」と呼ばれた。新世紀のための新しき都。それがブラジリアであった。
 今、私どもも、二十一世紀のための「民衆の永遠の都」を建設している。これまで懸命に汗を流して、民主主義の大地を開拓してきた。その上に、いよいよ新世紀の盤石な「人材の城」を建て、「人材の都」を建設する時が来たのである。
8  魯迅「最も大事なのは国民性の改革!」
 今回は、香港の鼓笛隊(紫荊ジーケン鼓笛隊)の代表が、研修に来日された。
 香港は、近代中国文学の父・魯迅も、たびたび足を運んだ、ゆかりの地である。
 魯迅が一生涯、訴えたのは、「社会を変えるのは民衆であり、民衆の心を変えなければ何も変わらない」という一点であった。
 魯迅は言っている。
 「最初の革命(=辛亥革命)は排満(=満州族の清王朝を倒すこと)だったから、たやすくできたのですが、そのつぎの改革は、国民が自分の悪い根性を改革しなければならないので、それで、もうやろうとしなくなったのです。
 だから、今後もっとも大事なことは、国民性を改革することです。でなければ、専制であろうが共和であろうが、他のなんであろうが、看板はかえたけれども品物はもとのまま、というのではまったくだめです」(『両地書』中島長文訳『魯迅全集』13、学習研究社)
 魯迅は、周恩来総理と親族であったとされるが、周総理も「南開大学」の学生のころから、「革心」ということを訴えた。
 (名誉会長は一九九八年十一月二十五日、同大学の「名誉教授」に就任)
 「革心」(心の変革)があってこそ、「革新」(社会の変革)ができるという信念である。まさに「人間革命」の思想である。
9  しかも、全体が変わるために、大事なのは「上」である。「下」ではなく、「上」の指導者から変わらなければならない。
 「魚は頭から腐る」というが、上が官僚的になり、慈愛がなくなれば、下の良き人材が伸びられるわけがない。
 戸田先生も、「下じゃない。上だ。幹部だ。幹部で決まる」と遺言なされた。この重大な一点を確認して、「7・17」の記念のスピーチとしたい。
 (東京・新宿区内)

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