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日蓮大聖人・池田大作

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韓国・忠清大学「名誉教授」推戴式、「7… 断じて「人間主義」の勝利

1998.7.4 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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2  貴大学がそびえ立つ、美しき「忠清北道チュンチョンプクド」の山河は、いにしえより文化の最先進の地域として、まことに有名であります。すでに十四世紀、この地では、全世界に先駆けて、金属の活字による印刷が行われておりました。ドイツのグーテンベルクの活版印刷より、一世紀も早かったことは歴史的事実であります。
 チョン学長は、かつて四十代の若さで、この天地の名知事として、不滅の足跡を残されました。
 若き知事は、毎日、早朝から自転車に乗って、颯爽と、街へ飛び出していかれた。そして、街角で掃除をしている人々などに、温かく声をかけながら、激励して回られた。さらに、自ら率先して、庶民の中に入り、環境の美化に汗を流していかれたのであります。
 その姿は「自転車知事」と親しまれ、また「ほうき知事」と慕われました。これこそ本当の指導者であります。今、こういう政治家が、どれだけいるでありましょうか。
 ところが、知事の真心からの奔走に対しても、「人気取りだ」とか、「半月も続かないだろう」といった、心ない嘲笑を浴びせる言論もあったようであります。
 しかし知事は、じつに三年三カ月の任期中、雨の日も風の日も一日も休まず、この行動を続け、悪意の批判など、悠然と跳ね返された。そして、銭湯でも、食堂でも、常に庶民の中に入り、庶民と気さくに語り合いながら、自らの人間性で、絶大なる信頼を勝ち得てこられた。本当に立派な方であります。
 役人の利権を、ことごとく清算され、それを奨学金として活用するなど、教育にも全力を注いでこられました。
 その後、鄭先生は、労働大臣、農水産大臣、政務長官、環境大臣等の国家の要職を次々に歴任され、赫々たる業績を永遠に残されました。
3  上の立場の人が率先して行動する――これを私どもも徹底してまいりたい。
 次の七月の幹部会から全幹部が率先して、それぞれの会合の役員として尽くしていく。全員が総出で会合を運営する。こう提案申し上げたいが、どうでしょうか(賛同の大拍手)。
 いばる幹部は幹部ではない。傲慢は官僚主義である。絶対に、信心の世界はそのようになってはならない。
 二十一世紀に向かって、革新し、見事なる前進をしていかねばならない。あとは青年が成長すれば、二十一世紀は盤石である。
4  身近な地域貢献が信頼築く
 学会本部の知覚に、博士号を取ったドクター部の方がおられた。多忙の身であるが、地区部長として指揮を執り、本部の周辺から信濃町駅まで、同志とともに清掃をしておられた。「学会には偉い人がいるものだ」と地域の方も称賛をしておられた。現在は中野区に移り、信濃町の皆が残念がっている。
 一つの模範として紹介しておきたい。
 いちばん身近な、いちばん地道なことを誠実にやり抜く。その行動にこそ信頼は生まれる。それをやってこられたのが韓国SGIの皆さまである。
 地道に「国土大清掃運動」に取り組んでこられた朴理事長はじめ皆さまに、心からの拍手を送りたい。(拍手)
5  鄭先生は、「仕事に徹し、早朝から夜中まで、わき目もふらず、前だけを見て走り続ける」日々であったと回想されております。
 「至誠は天に通ず」――これが、先生の確信でありました。
 わが創価の後継の青年たちも、この行動力で、この大誠実で、そして、この徹し抜く執念で、人生の勝利の劇を、堂々と勝ち飾っていただきたい。(拍手)
 民衆が賢者になるしかない。そうすれば悪人は滅びる。悪いことができなくなる。ゆえに教育が大事なのであります。
6  二十一世紀へ「新たな人材」を育成されゆく希望の殿堂より、ただ今、私は「名誉教授」の称号を、謹んで拝受いたしました。
 先生方が、どれほど深い友情と信頼の心で、この栄誉をお持ちくださったことか。
 私は、世界のいかなる顕彰よりもうれしく、最大の誇りをもって、栄光ある貴大学の一員とさせていただきます。(拍手)
7  戸田先生は「正義の巌窟王」として人権闘争を開始
 ご存じのように、この「七月三日」は一九四五年(昭和二十年)、戸田第二代会長が日本の軍国主義との獄中闘争のすえに出獄した日であります。牧口初代会長を獄死させた権力に対し、戸田会長は、この日より、ただ一人、「正義の巌窟王」となって、悪との大闘争を始めました。平和と人権の大建設を開始したのであります。
 その十二年後の「七月三日」、不二の弟子である私もまた、冤罪によって入獄しました。
 その日、二十九歳の私は、北海道・夕張での法戦から、大阪に向かいました。乗り継ぎのために降り立った羽田空港には、戸田先生が待っていてくださった。師匠を守り、和合の民衆組織を守るために、一人、立ち上がった弟子の覚悟を、先生は、すべて見通しておられました。
 出発に際し、戸田先生は、一冊の本を、私に手渡しました。発刊されたばかりの、ご自身の小説『人間革命』であります。
 戦時中のご自身の獄中闘争を描いた、この一書を、私は大阪への機上でひもときました。
 獄中体験のいちばんはじめに描かれた出来事は、いったい何であったか。
 それは、罪もない貴国の一人の青年が、理不尽に侮辱され、拷問されている光景だったのであります。文化の大恩ある隣国の民衆を、日本の国家権力が、いかに非道に苦しめ続けてきたか。この罪は、永遠に消えるものではありません。
 戸田先生は、血涙を絞りながら、憤怒しておりました。思えば、牧口先生も、貴国に国家神道の信仰を強制した日本の傲慢に激怒し、対決していきました。
 創価の人権闘争は、貴国はじめアジアの民衆と、最も深く強く連帯するところから出発しているのであります。
 なかんずく、「忠清北道チュンチョンプクド」は、野蛮な日本軍の侵略が苛烈を極めた地域であります。その悲劇を目撃したイギリスの新聞の記者は、「いまだかつて、これほど徹底した破壊を見たことがない」と記しております。
 鄭学長の小学校時代も、冷酷な植民地教育によって踏みにじられました。
 断じて忘れてはならない、また断じて繰り返してはならない悲劇の歴史であります。
8  「勝ってこそ正義」が「7・3精神」
 「大阪事件」の私の裁判は、四年以上に及び、公判は八十四回を数えました。判決は、もちろん「無罪」であります。裁判の一切が終わってから、検事の一人が私のところに来て、「無罪は当然ですね」と言いました。
 裁判の間、ずいぶん事実無根の悪口を書かれました。その構図は今も変わりません。しかし、私は「民主主義が続く限り、私たちは正々堂々と行動し、絶対に勝っていきます」と言い切ったのであります。(拍手)
 要するに、日本の「国家主義」に屈服しない、確かなる「人間主義」の平和勢力を拡大していく以外にありません。そうでなければ、真の「韓日友好」もあり得ないし、アジアとの本当の信頼関係も結べない。また、日本は世界の孤児となって苦しむことになるでしょう。
 その意味からも、日本の柱たる創価の正義の連帯は、いよいよ力強く、いよいよ、にぎやかに、すべてを勝ち越え、乗り越え、断じて勝利の前進をしてまいりましょう。(拍手)
9  人生でも何でも勝たねばならない。究極は勝利しかない。
 正義もまた「勝ってこそ正義」であります。負けたら正義が証明できない。
 勝利――これこそが、巡り来る「七月三日」の誓いなのであります。
 私は勝ちました! 学会も波乱万丈で勝ちました!
 韓国から意義深き顕彰をいただいた本日、この人間主義の勝利の一点を、皆さまとともに確認したいのであります。(拍手)
 鄭学長は、韓国SGIの国土大清掃運動などの社会貢献に対しても、最大に理解を寄せてくださっております。二年前には、環境大臣として、韓国SGIに「大臣表彰」を授与してくださいました。(拍手)
 SGIのメンバーとともに、みずから清掃運動に参加してくださったことも一生、忘れることができません。心から感動いたしました。
10  「生は即ち死、死は即ち生」――これは、青春時代から波乱万丈の人生を生き抜いてこられた鄭学長の信念であります。
 すなわち「生」と「死」が隣り合わせのような逆境に立たされても、決して臆さない。民衆のため、社会のため、未来のために、自らをなげうって戦い抜く。生死を超えて、大胆にそして勇敢に前進し続ける。その時、はじめて、わが生命の新たな力を発揮しながら、苦難をも偉大な跳躍に転じていけるのであります。
 戸田先生は獄中にあって、「生命こそ、絶対にして最高の実在なり」と体得されました。
 万人に備わる、この生命の本源の力を、自他ともに限りなく引き出し、輝かせていく。これが「人間革命」の理念であります。
 新しき世紀の新しき歴史を創造する力も、人間生命の内奥から開発していく以外にないでありましょう。
11  「青春よ、歩みを止めるなかれ!」
 いよいよ世界は、二十一世紀の大舞台が開かれてきました。ダイナミックな変化の時代であり、ある意味で、じつに面白い時代に入ってきました。
 この時に誰が勝つか、どこが勝つか――これによって舞台は大きく変わっていきます。
 このたび中国とアメリカの友好が大きな進展を見せましたが、貴大学は、その両国と、いち早く教育交流を進め、さらに語学教育に力を入れてこられた先見の学府であります。
 呉理事長の父君であられる貴大学の創立者の詩の一節に、「青春よ、歩みを止めるなかれ!」とあります。
 たしかに「進まざるは退転」であります。私たちは、ともどもに手を携え、はるか「第三の千年」への大道を、一歩また一歩、生き生きと青春の息吹で闊歩してまいりたい。
 結びに、敬愛する貴大学の永遠の栄光を心からお祈り申し上げ、鄭学長、呉理事長はじめ、ご出席の皆さま方のますますのご健康とご活躍、そして大勝利を祈って、私の御礼のスピーチといたします。
 カムサ・ハムニダ(韓国語で「ありがとうございます」)!
 (東京牧口記念会館)

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