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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表者協議会 永遠に崩れない「韓日友好」の大橋を

1998.5.20 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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2  創価学会は、なぜ勝ったのか。それは勇気があったからである。
 昭和三十一年の五月、あの一万一千百十一世帯という空前の大折伏を成し遂げたのも、わが関西創価学会の勇気であった。韓国SGI(創価学会インターナショナル)の友が勝ったのも、勇気があったからである。
 有名な御聖訓に「つるぎなんども・すすまざる不進人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」とある通りである。
 信心の「剣」を光らせるのは「勇気」なのである。
 戸田先生は、よく「凡夫は、なかなか慈悲はもてない。しかし、勇気はもてる。勇気で人を救っていくのだ」と言われていた。
 大聖人は、いかなる権力者の弾圧にも退かれることはなかった。学会精神も同じである。
 困難を恐れ、臆病になり、退転すれば、永遠に″何かに怯えながら″生きていかざるをえない生命となっていく。
 御書には「鷹の前のきじ・蛇の前のかへるねこの前のねずみ」等との御言葉もある。勇気を失えば、最後は不幸である。難を避け、広宣流布の戦いから去れば去るほど、みじめで、哀れな姿となっていく。それに対し、皆さまは、広宣流布のあらゆる艱難を勇気で乗り越えてこられた。その福運、功徳は無量であり、永遠である。まさに長者の方々である。
 仏法は「心」である。「心」がどうかで決まる。
 「心」が広宣流布へ向かっているか否か。その厳しき因果の法が仏法なのである。
 尊き関西同志の代表の方々のお名前を、二〇〇〇年に開学(=二〇〇一年五月三日に開学した)するアメリカ創価大学(オレンジ郡キャンパス)に永遠に残させていただくことを提案したい。(拍手)
 どうか、わが人生を朗らかに前進させていってください。(拍手)
3  精魂こめた事業が崩れない
 韓国には、「精魂こめた塔が崩れるものか」という有名な言葉がある。精魂こめて成し遂げた事業は崩れない、という意味である。
 今回、私が表敬させていただいた慶煕キョンヒ大学は、まさに、精魂こめて築き上げてこられた偉大な教育の金字塔であった。
 だからこそ、わずか半世紀の間に、世界的な大学へ大発展したのである。
 私は、創立者であられるチョー学園長ご夫妻に申し上げた。「ご夫妻は、本当に命がけで、大学を建設してこられたのですね」と。
 すると、ご夫妻は、あの大らかな微笑を浮かべながら、淡々と「ええ。大学には、命をかけてきました」と語っておられた。
 これが「創立者」の心である。
4  何ごとであれ、「建設は死闘、破壊は一瞬」である。草創期の大学経営が、どれほど困難であったか。そのご苦労も、ありのままに、家族に語るように、私に語ってくださった。
 学園長ご夫妻は、幾たびも、厳しき試練を乗り越えてこられた。ゆえに、ご夫妻は、現在の経済不況に対しても、決して悲観しておられない。
 「与えられた苦難に挑戦して逆境を克服し、生きがいと価値を創造することができるのである。これが人生の意義であり、役割であり、任務であり、使命である」(『オウトピア』古田昭作訳、善本社)とは、学園長の哲学書の一節である。
 大変であればあるほど、「微笑する獅子」の精神で進もう、と学園長は、悠然と呼びかけておられる。
5  学園長ご夫妻の心を受け継ぎ、慶煕大学には、立派な後継の人材が結集している。
 韓国のことわざに「水深くして魚集まる」(水の深いところに、魚が集まってくるように、素晴らしい人格の人のもとには、自然に多くの人が集まってくる)とある通りのお姿である。
 学園長ご自身、人材を集め、人材を育てることに、真剣勝負であられる。平和の指導者を育成する「平和福祉大学院」では、学園長自らが、一人一人、大学院生の面接をしておられると、うかがった。
 各組織のリーダーも、青年の薫陶に、さらに全力で取り組んでいただきたい。
6  社会貢献の草の根の庶民こそ顕彰
 趙学園長は、世界大学総長会議の終身名誉会長という立場でもあられる。いわば、世界の教育界の最高峰の存在である。
 現在、七十六歳。情熱的に、しかし、どこまでも謙虚に、真摯に行動を続けておられる。この秋には、南米のチリを訪問される予定と、うかがった。戦う人生は永遠に若い。
 また、趙学園長は、社会貢献の人を、一人でも多く顕彰していこうという心であられる。
 長崎で直接に聞いた被爆女性の平和の叫びを、学園長は、ある国際平和会議で紹介された。
 こう語っておられる。
 「もし、私にその権限が許されるならば、人類の平和のために(中略)価値ある教訓を語るこの(中略)女史(被爆者の女性)に、人類最高の平和大賞を抱かせたいと思った」(趙永植『平和の研究』古田昭作訳、善本社)と。
 最もけなげな、最も苦労してきた草の根の庶民をこそ顕彰したいとの、慈父の心であられる。
7  今回、私の妻が、趙学園長が総裁を務める「明るい社会国際クラブ」から、誉れある「エメラルド賞」をいただいた。私も妻も「これは創価学会婦人部の勝利の象徴である」との思いで、拝受させていただいた。(拍手)
 韓国の美しい格言に、「一晩の宿りにも、万里の長城を築く」という言葉がある。たとえ短い時間の出会いであっても、揺るぎない友情を結ぶことができるという意義である。
 今回の訪問も短期間であったが、趙学園長ご夫妻はじめ関係者の方々、そして皆さま方の真心に包まれて、韓日友好の「大いなる長城」の建設に着手することができた。この友情の長城を二十一世紀へ、さらに盤石に構築してまいりたい。
8  世界は全部友人! 平和と幸福を願う心で
 ところで、歴史上、仏法が韓国から伝えられたとき、日本には「他国の仏法を棄てよ」という排斥論がわき起こった。この史実は、御書にも記されている。
 一方、日蓮大聖人は常に、いかなる国の人であろうと、「一切衆生を救う」という大慈悲を抱いておられたのである。
 幕府が非道にも、蒙古の使者五人を斬首したことを、大聖人は痛烈に諫められた。使者の中には、モンゴル人のほか、高麗(韓国の当時の国名)の人、中国の人、トルコの人も含まれていた。
 大聖人は仰せである。
 「大名を計るものは小耻にはぢずと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ震旦高麗までも及ぶべきよしの大願をはらみて其の願の満すべきしるしにや、大蒙古国の牒状ちょうじょうしきりにありて此の国の人ごとの大なる歎きとみへ候、日蓮又先きよりこの事をかんがへたり閻浮第一の高名なり
 ――「大いなる高名を目指す者は、小さな恥辱など相手にしない」と言われる。(日蓮は)南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘め、震旦(中国)や高麗にまでも及ぼそうという大願を抱いている。その願いがかなう前兆であろうか。大蒙古国からの国書がたびたびあって、この国の人々、皆の大いなる嘆きとなっている。日蓮はまた、以前から、このことを予測していた。「世界第一の高名」である――と。
 大聖人は、全世界を、この地球を、大宇宙から見下ろすような大境涯であられた。そして全人類に妙法という「幸福への秘法」を教えてあげたいとの大慈大悲であられた。小さな島国の、小さな争いなど眼中になかったと拝される。
9  先日、モンゴルの国家元首として史上初めて、バガバンディ大統領ご夫妻が来日された。ご夫妻は、光栄にも、ご多忙のなか、わざわざ創価大学に来学してくださった。私が韓国へ出発した、その日である。まことに意義深い歴史となった。
 なお、大統領夫人は、四月にも、京都・衣笠の会館を訪問され、関西学園生と交流してくださった。
 ともあれ、学会は、尊き隣国である韓国をはじめ全世界が友人である。この大聖人直結の誇りと自信をもって、進んでいっていただきたい。
 昭和三十一年(一九五六年)の「若き日の日記」(本全集第37巻収録)をひもとくと、いたるところに、関西への心情をつづってあり、懐かしい。
 「縁深き、大阪。友多き国土世間。共に栄えゆく関西」
 「断固、五月度も追撃だ。一万世帯の夢も可能だ。上げ潮だ、怒涛の如き。
 不幸な人々を救っているのだ。喜べ、舞え、叫べ、踊れ、歌え、妙法の健児たちよ。同志達よ」等々――。
 私が、関西へ第一歩を印したのは、昭和二十七年、立宗七百年の年であった。それを踏まえつつ、私は、昭和三十一年の大阪の戦いを、次のように位置づけた。当時の日記に記してある。
 すなわち、立宗七百年(昭和二十七年)、蒲田支部の大建設を成し遂げ、広宣流布の大前進の火蓋を切った。
 七百一年(昭和二十八年)、文京支部の大発展。
 七百二年(昭和二十九年)は、青年部の基礎の確立と大発展。
 さらに七百三年(昭和三十年)は、東京ならびに神奈川の法戦の大勝利。
 そして七百四年(昭和三十一年)、いよいよ大阪の大闘争に、われは進む、と。
 関西の同志との共戦は、末法万年に輝きわたる永遠の栄冠である。
 本年もまた、偉大なる常勝また常勝の歴史を飾っていただきたい。そして二〇〇二年、「立宗七百五十年」「関西広布五十周年」へ、いま再びの陣列で行進してまいりたい。
 なかんずく、関西青年部に最大の期待を私は寄せている。
10  結びに、シェークスピアの戯曲の一節を紹介したい。
 「真実を語れば嘘つき悪魔は恥じ入るってわけだ」「せいぜい真実を語って悪魔を恥じ入らせることだな」(「ヘンリー四世」、『シェイクスピア全集』5〈小田島雄志訳〉所収、白水社)と。
 「真実ありのまま」を語る。これ以上の武器はない。まったく、その通りである。
 そして、フランスの哲学者・パスカルの名著『パンセ』には、こうある。
 「不当な非難をこうむればこうむるほど、また強暴な言論の圧迫を受ければ受けるほど、われわれはますます高く叫ばずにはいられない」(前田陽一・由木康訳、『世界の名著』24所収、中央公論社)
 この言葉をお贈りして、スピーチとさせていただく。
 遠いところ、ありがとう! ご健康で! お幸せに!
 (大阪・天王寺区内)

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