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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3創価学会母の日」記念協議会 世界の「広布の母」に最敬礼!

1998.4.25 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  大聖人も″創価の母″たちを称讃
 五月三日「創価学会母の日」おめでとうございます!(拍手)
 きょうは、海外からも代表の方が集まっておられる。遠くブラジル、ペルーをはじめ、アメリカ、カナダ、フランス、スイス、デンマーク、オランダ、イタリア、ユーゴスラビア、そしてケニアから。本当に、ようこそ! 皆さま方とご一緒に、「創価学会母の日」を、心から祝賀申し上げたい。(拍手)
 日蓮大聖人が、日本全国ならびに世界中の″創価の母″たちを、どれほど賛嘆しておられることか。ここで、幾編か御書を拝して語り、婦人部の皆さま方に捧げたい。
2  大聖人のもとへ、たびたび駆けつけた「乙御前の母」への御手紙には、こう仰せである。
 彼女は日妙聖人と同一人物と推定されている。
 「鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり、其の上いままうで又申すばかりなし、定めて神も・まほらせ給ひ十羅刹も御あはれみましますらん
 ――(私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、わかりませんでした。
 しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、みずから(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
 そのうえ、このたびの(身延への)参詣は、また言いようのないほど(の御志)です。必ずや諸天善神もお守りくださり、十羅刹女も心にかけて大事にしてくださることでしょう――。
 日蓮仏法は「行躰即信心」である。いざという時の「行動」に、まことの「信心」があらわれるのである。
 また大聖人は、彼女が佐渡まで訪れたことをたたえられて、「御心ざしの・あらわるべきにや・ありけんと・ありがたくのみをぼへ候」――(あなたが、これほどまで)厚い信心のお心ざしを現してくださろうとは、ただただ、ありがたく思います――とまで仰せになっておられる。
 仏意仏勅の学会にあっても、大事な時に毅然と立ち上がり、勇敢に戦ってこられたのは婦人部である。その方々のことを、私は絶対に忘れない。未来永劫に守り、宣揚していく決心である。
3  大聖人は、四条金吾夫妻に対しては、こう仰せである。
 「前後もわきまへざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしと・おぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候はひとえに只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し
 ――(私が日本中から激しく迫害されて)女性など、仏法を理解していない人々が、日蓮につき従ったことを、どれほどか後悔しておられるであろうと心苦しく思っていたのに、案に相違して、日蓮よりも強盛な信心があると聞きました。これは、まったく、ただごとではありません。教主釈尊が、あなたがたのお心に入りかわられたのかと思えば、感涙を抑えることができません――と。
 いちばん、大事な人は、だれか。いちばん、尊き人は、だれなのか。それは、雨の日も、風の日も、ただ「広宣流布」のために戦い続けておられる尊き母の皆さまである。
 この″妙法広布の母″の皆さま方を「仏のごとく」敬い、「仏のごとく」大切にしていくことを、リーダーは、ゆめゆめ忘れてはならない。
4  あなたこそ「一切衆生が喜んで見る仏」
 さらに大聖人は、夫に先立たれて頼る人もいないなか、悪口にも負けず、信心を貫いてきた婦人(妙法尼御前)を、こう励ましておられる。
 「今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ島のえびすられ打たれ責られしのび法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん、彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし
 ――今、あなたは末代悪世の女性として、お生まれになり、このように物の道理をわきまえない島(日本)の野蛮な人間たちに罵られ、打たれ、責められながら、それを耐えて法華経を弘めておられる。あの尼(釈尊の養母であった摩訶波闍波提比丘尼)と比べて、あなたのほうが勝れておられることは天地雲泥であると、仏は霊鷲山で、ご覧になっていることでしょう。かの尼に授けられたお名前を「一切衆生喜見仏」(一切衆生が喜んで見る仏)というのは別のことではありません。今の妙法尼御前、あなたのお名前なのです――。
 濁悪の社会にあって、敢然と民衆の中に飛び込んでいる、わが創価学会婦人部こそが、わがSGI(創価学会インタナショナル)婦人部こそが、「一切衆生喜見仏」であると、大聖人は喝采しておられるにちがいない。
 「広宣流布の母」である皆さま方こそ、生々世々、全同志から、そして一切衆生から仰がれ、慕われ、敬愛されゆく「人間指導者」であられる。
 そして、縦横無尽に活躍されていく、最も尊貴なる、最も崇高なる「生命の女王」なのである。(拍手)
5  お母さま方の子どもであり、私の真の弟子である青年部が、ついに立ち上がった。二十一世紀の舞台に大活躍する陣列ができ上がった。
 「大悪をこれば大善きたる」、「からんは不思議わるからんは一定とをもへ」と、大聖人は教えておられる。
 「難」と「苦悩」と「波乱」の中に育った弟子は強い。
 日本の宗教団体は軟弱になって、権力に迎合し、難を恐れ、弘教もせず、自己の使命も放棄してしまった。その代表が日顕宗である(賛同の大拍手)。
6  「母を讃える詩」を皆さまへ
 結びに、ブラジルの「母を讃える詩」を婦人部の皆さまに贈りたい。
 伝統ある「ブラジル文学アカデミー」の会員の一人に、コエリョ・ネット(一八六四〜一九三四年)という有名な作家がいる。
 (SGI会長は、トルストイ、エミール・ゾラ、アンドレ・マルローらが名を連ねる同アカデミーの「在外会員」に東洋人として初めて就任している)
 母を謳いあげた彼の詩に、こういう一節がある。
 「苦しみの涙のなかでも、微笑みを忘れない人。
 ――それは、お母さん!
 地球が全部、自分のものになっても、そんなことは何の意味もない人。
 ――それは、お母さん!
 たとえ楽園に住んでいても、つねに苦労を重ねる人。
 ――それは、お母さん!」
7  味わい深い詩である。
 何があっても断じて負けない、朗らかな強さ! この世の権力や財宝や名声のはかなさを、鋭く、悠々と見おろしていく賢き哲学! そして、どんな時にも、家族のために、人々のために、未来のために、心を砕き、あえて労苦に挑戦していく勇気と慈愛!
 私たちは、いま再び、心から「母に最敬礼」したい。(拍手)
 そして、すべての偉大なる「創価の母」のますますのご健康とご活躍、そしてご長寿を祈り祈って、祝福のスピーチとさせていただく。
 きょうは、ありがとう! おめでとう!
 (東京・新宿区内)

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