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日蓮大聖人・池田大作

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山梨代表協議会 「大願」ある人生は幸福

1998.3.21 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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2  この教学研修センターの前を、笛吹川は、来る日も、また来る日も、たゆみなく流れている。人生も、毎日毎日、水が流れゆくごとく、淡々と、間断なく、偉大なる静かな前進を続けていくことが大切である。
 先日、創価大学の卒業式で紹介したアルゼンチンの大医学者、ウサイ博士(一九四七年のノーベル生理学賞・医学賞受賞)は、八十歳の誕生日を迎えても、いつもと少しも変わらずに語ったという。
 「八十歳、あるいは幾つになったからといって、お祝いの式を行うことを、よいとは思いません。人間の仕事は、一生涯、死によって制止されるその日まで中断してはならないのです。各人が、心身ともに健康であるかぎり、常に自分自身と隣人のために働かねばなりません」
 「私は青年時代、そして今日までの闘争を忘れません。しかし、むしろ、青年に手を差し伸べるために、国を前進させるために、『まだまだ、やるべきことが、いかに多いか』――そのことのほうに、何よりも興味があります」
 これが″人生の達人″の生き方である。なお、喜ばしいことに、ここ山梨でも、我が創価大学の出身者が、いよいよ大いなる光を輝かせ始めた。
3  民衆が向上してこそ民主主義
 民主主義の発祥の地は、ギリシャのアテネといわれる。しかし、大哲学者・ソクラテスを死罪にしたのも、またアテネであった。
 なぜ、民主主義が発達したのに、偉大な人物が抹殺されたのか。それはアテネ人が、大きな欠点を持っていたからであるという。それは「嫉妬深かった」という一点である。
 平均よりも抜きんでた人物が出ると、皆で寄ってたかって叩き、あら探しをし、最後には追放してしまう。そういうことを繰り返して、アテネには二流、三流、四流の人間しかいなくなり、衰え、滅んでいった――と。
 こういう歴史を通して、ある学者は言う。
 「民主主義が成功した民族は、たいてい、この嫉妬心が少ない民族である」
 たとえば、かつてのイギリスでは、「国の役に立つ人間だ」と見ると、小さな嫉妬心を忘れて、みんなで、その人を、もりたてていった。
 十九世紀の名宰相ディズレーリは、ユダヤ人であったが、保守党は、そんなことを気にせず、彼をもりたてて党首にし、首相にした。大英帝国の最盛期である。
 ほかにも、「あいつは偉いやつだ」となると、過去のいきがかりには、こだわらず、みんなでもりたてて、リーダーにしていった。
 かつてのアメリカも、そうであり、偉い人間が出ると、みんなで励まし、応援して、本当の「大物」にしてしまう。小さな嫉妬心よりも、国家と社会全体のことを考えた。
 「こういう広い心をもった国民でないと、民主主義は成功しない」というのである。
 たしかに、アメリカ人には「人の幸福や成功を素直に喜ぶ」という美徳があると言われてきた。
 一方、日本は、「人の不幸を喜ぶ」という卑しい嫉妬心が強いと指摘されてきた。この「一凶(元凶)」を治さなければ、日本の民主主義は、衆愚政治になってしまうであろう。
 日本は今、民主主義の危機である。民主主義の″形式″は整っているようで、その″内実(中身)″がない。″アンコのないアンパン″のようだという人もいる。
 民主主義の中身とは何か。それは、一人一人の民衆の向上であり、躍動であり、完成であり、幸福である。ここに、民主主義の目的もあるし、実質もある。
 一人一人の国民が、社会の主人公にふさわしい哲学と信念、希望と情熱をもって、生きているかどうか。日本では、むしろ民衆の心が空虚になっている。からっぽになりつつある。
 そこに「権力の魔性」が、つけこんでくる。国家主義の危険がある。非常に危ういところに来ている。
 その今、民衆一人一人の心の内側から、充実を与え、信念と勇気を与え、鋭い批判力を与えているのが創価学会である。これこそ″民主主義の内実″をつくる運動なのである。
4  大聖人が、青年門下・南条時光に送られた御書を拝したい。
 「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ 日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり
 ――ともかくも法華経に身をまかせ、信じていかれることです。あなた一人に限らないで、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。日蓮は、生まれたときから今に至るまで、一日片時も心の休まることはない。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであった――。
 また、大聖人は時光に、こうも仰せである。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびやう疫病に死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじ当時のごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云
 ――願わくは、我が弟子等よ、大願を起こせ(中略)ともかく死は一定である(だれでも必ず死ぬ)。(中略)同じ死ぬならば、かりにも法華経のために命を捨てなさい。それこそ、露を大海に入れ、塵を大地に埋めることであると思いなさい。法華経の第三巻に『願わくは、此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我らと衆生と、皆、共に仏道を成ぜん』と説かれているではないか」――。
 私どもの目的は「広宣流布」である。「すべての人が、ともに幸福になる」ことである。
 目先のことではなく、「大願」を心に起こしたとき、生命の底から「大いなる力」が湧いてくる。
5  「大衆と共に」「大衆の中で」
 中国の長征の途上のことである。革命の成功は遠く、過酷な強行軍が続いた。
 周恩来総理(当時、副主席)も、幾たびか病におそわれた。心配のあまり、「長征はいつになったら終わるのですか」と嘆く同志もいた。
 すると、周総理は厳然と答えた。
 「われわれはいま、長征をやっているが、同時に革命の宣伝もやっているのだよ。われわれは、一つの場所に着くと、すぐそこで、苦しんでいる大衆に向かって、革命の道理を説きあかすことができる。したがって、われわれが遠いところへゆけばゆくほど、われわれはまた、ますます多くの人びとに、革命の影響をおよぼすことができるのだ」(新井宝雄『革命児周恩来の実践』潮出版社)
 私どもの運動も同じである。
 いわんや、広宣流布は、末法万年までの偉大な「長征」である。広宣流布のために動いた分だけ、多くの民衆を救っていける。同時に、自分も福運をつけ、人の面倒を見た分だけ、多くの眷属をもつ境涯になっていく。
 ゆえに、思う存分、戦えることは最も幸せなのである。
 周総理は、熾烈な抗日戦争のさなか、同志に呼びかけた。
 「条件が困難であればあるほど、いっそうわれわれの特色を発揮して、われわれを鍛えることができる。
 われわれは、安穏な地域へ発展することは求めない。安穏な地域はだれでも行けるし、だれでも留まることができるからだ。われわれは主には、困難な地域に発展をはかる」と。(金冲及主編『周恩来伝』阿吽社)
 より大変なところへ、より困難な戦いへ――これが真の丈夫である。
 また周総理は、″(私たちの運動を)いままで知らなかったり、わかっていなかった人にたいして、まずしなければならないのは、党にたいするかれらの疑念を解くことである。相手を友人にしてこそ、相手もあなたを友人にしてくれるのだ″と言い、見事な外交で、敵をも次々と味方にしていった。
6  このような周総理の″芸術的戦い″の原動力は何だったのか。それは大衆への愛であった。
 周総理に、日本のある若い演劇人が会った。(真山美保さん。劇作家・演出家。日本の近代を代表する劇作家・真山青果氏の長女)四十一年前(一九五七年)のことである。
 彼女は「芸術は民衆の中で作り、鍛えあげるもの」という信念で、日本全国の炭鉱、農村、山村、漁村、工場、造船所を回っていた。そのなかで、作品のテーマを考え、戯曲を書き、上演していた。
 周総理は、その様子を、彼女に、こと細かく具体的に質問した。いつも芸術に心を寄せる総理であった。
 夢中で答える若い彼女を総理は、たたえた。
 「『とてもいい。じつにいい。あなたが選んだ道は正しい。困難は続くでしょうが、必ず貫きとおして下さい。″大衆と共に、大衆の中で″ですよ』
 ほろりと涙が落ちた。その時まで、祖国日本でも、私はこのように認められたことはなかった。真山青果のお嬢さんが、何をすき好んでとか、大衆ということばさえも揶揄され、大衆の心の深さを知りもせずに、都市公演をしなさ過ぎると、からかわれ続けていたのだった。私は生きて働く大衆が好きだ。真剣な人が好きだ。苦労をして生きている人が好きだ。私はその人々の涙しか、信じない」
 「耐えがたいほどの侮辱も受けた。無理解にも苦しんだ。しかし、大衆の愛の深さに支えられて来たのだが、遠い異国で、しかも大国中国の北京で、周恩来総理にこれほど力強く励ましていただけるとは思っても見なかったからである」(真山美保「碧く輝く北京の空」、『日本人の中の周恩来』所収、里文出版)
 「大衆と共に!」「大衆の中で!」――この言葉こそ、周総理の真髄であろう。また創価学会の精神であり、私の精神である。
 民衆を下に見る。民衆をバカにする。これが日本の指導者の根本的な狂いである。これを私どもは革命しているのである。
7  創価学会は「切磋琢磨」する団体である。互いに刺激を与え合って、向上していく世界である。一人でいては成長はないものだ。
 十三世紀の「神聖ローマ帝国」に、フレデリック二世という皇帝がいた。
 彼はある実験をした。親のない赤ん坊を集めていたれりつくせりの保育をしてあげる。しかし、その代わり、あやしたり、話しかけたりはしない。いわば「沈黙の育児」である。
 その結果は、どうだったか。食べ物は十分にある。しかし、子どもたちは、しだいに元気がなくなり、一年たらずで、全員が死んでしまったのである。(飯島登『胃袋』講談社ブルーバックス。参照)
 残酷な実験であるが、人間には、声の刺激や、他の人との交流が絶対に必要なことが、うかがえる。
 仏法においても、和合僧という組織があって、刺激を受け、自分が磨かれていく。
 ゆえに、声をかけ合っていくことである。創価学会とともに歩むことである。その人は必ず自分らしい最高の人間革命のコースに入っていく。
8  また幹部は、同志との間に壁や距離をつくってはいけない。
 ほとんどの宗教では、教祖は自分を神秘化するために、信徒との距離をつくろうとした。距離が大きいほど、立派に見えると思ったのである。日顕宗は、その典型であり、最悪の例である。
 しかし、日蓮大聖人は、その正反対であられた。「仏と凡夫は一体である」と言われて、民衆と一体で進まれた。いつも民衆の中に飛び込み、御自身も「民が子」であると誇らしく言っておられた。
 創価学会も距離をつくらない。いつも一体で団結していく。異体同心で前進する。だから太陽の輝きが出る。
 太陽の主な成分は、水素とヘリウムである。水素が、ものすごい高温と高密度によって核融合を起こし、ヘリウムに変わる。そこから、あの巨大なエネルギーが出る。
 仏法の和合僧にあっても、団結によって、一人一人の力が核融合を起こし、太陽のごとく燦然たる立正安国へのエネルギーが出てくる。一人一人の福運も、加速度をつけて増大する。だから、学会の和合僧とともに進む人は幸せである。
9  猛然たる破折精神で進め!
 さて、このほど、わが山梨青年部から「五人所破抄」研鑚の成果が届けられた。
 大聖人と日興上人の正統の破折精神を体得していこうという意気込みが、私は、うれしい。
 大聖人は、南岳大師の文を引かれて、ここ甲斐の門下に厳しく戒めておられる。
 「悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」――(悪人と戦わず)悪を増長させて、善人を悩ませ、正法を破壊させてしまえば、その悪人たちと共に、地獄に堕ちてしまう」と。
 「悪」と戦わなければ、「善」ではない。何も恐れず、また人を頼らず、一人、厳然と立ち上がっていただきたい。
 広宣流布の達成のために、仏意仏勅の創価学会の前進のために、大切な会員同志を守るために、心を炎と燃え上がらせ、一人、猛然と進んでいくことである。
 大聖人はまた、甲斐の門下に、「法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり」――私は、法華経のために、権力によって流刑されたので、幸いの中の幸いである。それは、瓦礫を金銀にかえることである――と教えておられる。
 自分も、また一家一族も、先祖代々、また子々孫々、金剛不滅の生命を勝ち取り、飾りゆくために、「何ごとにも、徹して、強く、また強くあれ!」そして「勇気を奮い起こして、この山梨天地に、仏土の中の仏土を築きゆけ!」と申し上げ、私のスピーチとしたい。
 (山梨・教学研修センター)

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