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日蓮大聖人・池田大作

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第19回本部幹部会 「勇気」で開け! 「創価学会の世紀」を

1998.2.3 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

前後
1  寒いところ、本当にご苦労さま。一月も、全員が本当に、よく戦ってくださった。
 とくに青年部は、総力をあげて大きな前進が開始された。二十一世紀は「青年部の時代」である。ついに、その「新時代」に入ったことを心から喜び合いたい。(拍手)
 また、第四回の神奈川県総会、おめでとう!
 神奈川の皆さま、よくおいでくださいました。(拍手)
2  何ごとも「成功するまで、あきらめるな」という話をしておきたい。
 二月といえば、戸田先生の誕生の月である。先生は一九〇〇年(明治三十三年)に誕生。十九世紀の最後の年に生まれ、二十世紀を大闘争なされた。
 そして私は今、二十世紀から二十一世紀へと「大勝利の橋」を架けている。その″作業中″である。
 ところで、二十世紀の終幕を前に、この世紀を回顧する動きが続いているが、「二十世紀を発明した男」と呼ばれているのが、あの発明王・エジソンである。
 彼がかかわった発明は、あまりにも多い。電灯、蓄音機、映画、フィルム、電話、電報、タイプライター、電信、電池、電気鉄道、セメント、X線機械、マイクロホン。また、ソケット、スイッチ、ヒューズ、メーターなどの送電システム――。(改良・実用化したものも含む)
 彼による発明は、人類社会を一変させたといえよう。彼なくして、今の私たちの暮らしはない。
 戸田先生はよく、こうおっしゃっていた。
 「今は昔と違って、通信や交通が飛躍的に発達した。こういう時代が来たということ自体が、広宣流布できるという、ひとつの兆候だ」と。
 たしかに今は、全国、世界の規模で、ただちに連絡が取れ、交流もできる。また科学が進めば進むほど、仏法哲学は理解しやすくなる。同時に、科学文明の発展にふさわしい「精神的支柱」も必要になってくる。
 戸田先生が言われた広宣流布の時代――その環境をつくった代表の一人が、エジソンである。
 エジソンは、戸田先生と同じ「二月十一日」が誕生日であった。一八四七年の生まれ。戸田先生より五十三歳、年上である。ちなみに、「アメリカで最も尊敬されている三人」と言われる、ワシントン、リンカーン、エジソンは、三人とも二月生まれである。
3  人生は強きでいけ
 エジソンは、「発明界のナポレオン」と言われた。他と比較できないほど、抜きん出た″巨人″であった。
 しかし、彼の学歴はゼロに等しかった。小学校に三カ月、行っただけである。ここに重大な意義がある。「学歴なんか、人生の勝利には関係ない」――彼は、このことを見事に証明した″チャンピオン″だったのである。
 信心の世界は、なおさらである。いい大学を出たとか、または学校を出ていないとか、そんなことは信心に、まったく関係ない。関係あるのは、ただ「信心」が強いかどうか、それだけである。
 しかもエジソンは、耳がほとんど聞こえなかった。
 それでも、「自分は耳が聞こえないから幸運だ。雑音に惑わされることなく考えることができるし、いつでも静かな環境で眠ることができるからね」(浜田和幸『快人エジソン』、日本経済新聞社)と笑っていた。
 達観である。強い。彼は、いつも、強気であった。決して弱気にはならなかった。
 戸田先生も、晩年、弟子たちによく言われていた。「信心は強気でいけ!」と。
 「世間が何と言おうが、強気でいけ!」「人生は強気でいけ!」「学会は最後まで強気でいくんだ!」こう言い残して、亡くなられたのである。
 本当の「強気」そして「勇気」。それは「信心」のことである。強気でなければ、勇気がなければ、本当の信心とは言えない。
4  成功するまで、絶対にあきらめない
 エジソンの生涯の発明の特許は、千九十三件(それ以上という説も)。個人としては″史上最高″である。
 一方、私は関西で、一カ月に一万千百十一世帯という″史上最高″の折伏をした。特許も大事だろうが、弘教は″生命を救った″記録であり、最高に尊いと、私は誇りをもっている。
 皆さまも、それぞれ誇りをもっておられると思う。
5  さて、エジソンの成功の秘密は何だったのか?
 彼は言った。「成功するまで、絶対にあきらめないことだ」と。
 ″「あきらめないこと」これしかない。あきらめたら負けだ″――信心も同じである。「あきらめ」は、信心ではない。「祈り」も、叶うまで祈らなければ、本当の「祈り」にはならない。
 彼は言う。
 「他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない!」(同前)
 何かあれば″すぐにあきらめる″のは、あまりに短絡的である。本当に、人のため、人類のためを思えば、決してあきらめられるものではない。
 見栄を気にしたり、ただ「有名になりたい」「金をもうけたい」というような浅い心であれば、すぐに、くじけてしまう。それでは真の学者ではない。真の信仰者ではない。
 「これまで、同僚の研究者をたくさん見てきたが、壁にぶち当たると、皆、いとも簡単にあきらめてしまうのが常である。(中略)九十九回の失敗の後に、ようやく一回の成功が得られるのが普通である」(同前)と彼は語っている。
 「棚からぼた餅なんてことはありゃしない。努力もしないで成果があがるもんか。『天才とは、天の与える一パーセントの霊感と、自ら流す九九パーセントの汗からなる』という俺の言葉をいろいろな機会に聞いたことがあるだろう」(ニール・ボールドウィン『エジソン――二十世紀を発明した男』椿正晴訳、三田出版会)
 信仰にも「棚からぼた餅」は、ありえない。努力、努力の延長にこそ、「祈り」が叶っていくのである。九九パーセントの努力なくして、勝利はありえない。
6  「成功の秘訣」を尋ねられて、彼は答えた。
 「私は一日に一八時間働きます。そういう生活をもう四五年間もつづけているのです」「これは普通の人の二倍の労働時間です。つまり私は九〇年分働いてきたことになります。成人するまでの二〇年間を足せば、一一〇年分生きてきたのと同じです。
 私は今でも毎日一八時間働いており、あと二〇年はこの生活をつづけるつもりです。そうなると私は一五〇年分生きることになるのです」(同前)
 だから、「これだけ働けば、人の倍成功しても当たり前だと思う」(前掲『快人エジソン』)と。
 彼は七十五歳になったときに、はじめて毎日の労働時間を少し減らした。十八時間を、十六時間に減らしたのである。
 戸田先生は言われていた。
 「青年の特徴は、『情熱』と『思索』だ。これがあれば、年をとらない」と。
 エジソンは、何歳になっても「情熱」をもって前へ前へと進んだ。そして、いつも「考えて、考えて、考え抜いて」いた。「もっと、いい人生を」「もっと、いい結果を」「もっと、いい生活と社会を」と努力した。
 私どもも、これでいきましょう!(拍手)
7  エジソンの「成功の秘訣」の第二は、「くよくよしないこと」であったと思う。悩んでもしかたのないことは、さっぱり忘れた。
 エジソンが六十七歳の時のことである。研究所が火事になり、すべてが灰になってしまった。
 しかし彼は「自分はまだ六十七歳でしかない。明日から早速、ゼロからやり直す覚悟だ。そうすれば、今よりもっと大きく立派な研究所ができる。意気消沈などしているヒマはない」と言って立ち上がった。意気軒高である。
 そして、燃え続ける研究所を前にして、家族を呼び寄せ、「こんな大きな火事にお目にかかる機会はめったにないから、じっくり見ておくがよい」(同前)と悠々としていたという。
 彼は「必ずまたできる!」との自信に満ちていた。強気である。
 「災難が何だ! 前より、もっと大きくなってみせるぞ!」
 妙法を知らなかった彼でさえ、こうである。ましてや、妙法を持った人間が、「こんなことがあった」「こう言われた」「あの人がどうだ」などと、くよくよ悩んではならない。それは結局、愚痴であり、臆病な人間のすることである。
 本当の信念、本物の哲学をもった人間は、決然としている。晴れ晴れとしている。
8  彼は自信に満ちていた。しかし、決して傲慢ではなかった。本当に偉い人間は、決して偉ぶらない。いばらない。
 彼は自分の発明は、自分が発明したというより、「宇宙にある高度な生命体から″メッセージ″を受け取り、自分なりの記録をとったにすぎない」(同前)と考えていた。
 彼は、宇宙全体が、生命体であるとも考えていたという。仏法とも相通ずる哲学である。
 彼は、唯物論者でもなかった。最後の研究は「死後の世界とコミュニケーションする」機械についてであった。その発明に真剣に取り組んでいた。
 また、機械文明を生きるのにいちばん必要なことは「心の進化」であると言っていた。
 「心の進化」――つまり「人間革命」こそ現代人に必要ということである。
9  勇気を持て! 臆病には勝利はない
 エジソンの公での最後のスピーチは一九三一年、八十四歳の時。アメリカが、大恐慌の時代であった。
 彼の叫びは「勇気をもて!」であった。これが、彼の人生の結論であった。
 「私はずいぶん長く生きてまいりました。歴史が何度も繰り返す様をこの目で見てまいりました。
 その間、実業界はたびたび不景気に襲われましたが、その度にアメリカは、より強くなって危機を脱し、さらなる繁栄を遂げてきたのです。どうかみなさんも、先人たちに負けない勇気をおもちください。ご自身の信念のもとに、まっすぐ前進していただきたいと存じます」(前掲『エジソン――二十世紀を発明した男』)
 アメリカ社会には、こうした「勇気」を重んじる気風がある。ここに繁栄の基盤がある。
 創価学会にも「勇気」があった。ゆえに、嵐を乗り越え、今の厳然たる勝利がある。
 堕落し、学会を裏切っていった人間は、結局、「勇気」がなかった。「臆病」だった。
 「勇気」がなければ「慈悲」も出せない。「勇気」と「慈悲」は表裏一体である。そして「勇気」を生む根源が「信心」である。
 大聖人は「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」――日蓮の弟子らは臆病であってはならない――と仰せである。
 臆病の人に、人生の勝利はない。広宣流布に身をなげうつ「勇気」がなければ、本当の幸福は築けない。
 「家が建った」「地位が上がった」といっても、それは「形而下」すなわち、人間の目に見える有形の現象にすぎない。浅い次元である。
 そのもっと奥に、宇宙を動かす法則があり、生命の源泉がある。それが妙法である。その妙法を、我々は持ち、妙法にのっとって生きている。深き深き次元の人生なのである。
 現在の日本も深刻な不況であるが、「勇気」で乗り越えていく以外にない。広宣流布も、「勇気第一」で前進しましょう!(拍手)
10  エジソンは「生命の無限のパワー」を確信していた。人間が「知っているつもり」のことでも、じつは「一パーセントの一千万分の一もわかっていない」と自覚していた。
 戸田先生も、人工衛星の打ち上げのニュースに接したとき、言っておられた。
 「そんなものは大宇宙からみれば、豆粒みたいなものだよ。人類は、外へ外へと目を向けているが、『内側』を探究することを忘れている。一念三千の生命のほうが、何千億倍も深いのだ。そこに目を向けなければならない」
 宇宙をはじめ、外界の現象だけを追う。内なる生命には関心を向けない――そこに、現代文明の根本的な狂いがある。
 エジソンは「人類の幸福な生活」を願って発明を重ねた。目的がはっきりしていた。自分の名誉や利益のためだけではなかった。そして、大目的のために、「決してあきらめない」根性で働いた。私どもも、一人の友の幸福のために、「決してあきらめない」執念で生きている。いちばん尊い「広宣流布」のために働いている。
 エジソンは「電灯」によって世界を明るくした。私どもは「『希望の信仰』で人類の心を明るく照らしている」と訴えたい。(拍手)
11  古今の仏教界は師匠を軽んじて滅亡
 日本の仏教が、なぜ堕落し、狂ってしまったのか。日蓮大聖人は、「それは師匠を軽く見たからだ」と明快におっしゃっている。
 日本の仏教の中心地であった比叡山。その創始者である伝教大師について、弟子たちは、こう思った。今、真言宗がもてはやされている。われわれも流行に乗りたい――。
 「我が師・伝教大師はいまだ此の事をばくはしくならわせ給わざりけり漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に此の法門はあらうち荒唐にをはしけるやとをぼして
 ――わが師である伝教大師は、真言宗のことは、くわしくは勉強しておられなかったのである。中国にも長くは留学しておられないゆえに、真言の法門は、おおまかにしか知っておられなかった――と思ったのである。
 要するに、「自分たちのほうが、よくわかっているのだ」「自分たちのほうが勉強しているんだ」「師匠は、わかっていないんだ」――そういう心である。増上慢である。
 そして師匠である伝教大師を捨て、真言の流行に染まってしまった。
 しかし、じつは、伝教大師は、すべて知ったうえで、「真言はいけない」と言われていたのである。ここが大事である。こういう歴史については、「撰時抄」に説かれている。
 師匠の偉大さを、弟子がわからなかったゆえに、比叡山は″真言の山″になっていった。大聖人は「本の伝教大師の大怨敵となる」と仰せである。すなわち、「伝教大師の大怨敵」となってしまったのである。
 邪悪と戦うべきときに、弟子が戦わなかった。師匠を悪者にして、自分がいい子になり、戦いを避け、難を避けた。ずる賢い弟子たちであった。
 また中国の天台宗でも、同じことが起こっていた。師匠の天台大師が亡くなった後、新しい経典がインドから来た。当然、天台大師は、この経典を知らないし、破折もしていない。そこで、弟子たちは愚かにも、「この経典のほうが法華経よりも勝れている」という邪義を信じてしまった。
 (「而るを天台は御覧なかりしかば天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに・さもやとおもう」等)
 愚かで臆病であり、師匠の偉大さを知らず、宣揚もできなかった。ゆえに正法の清流が濁っていったのである。これは、「報恩抄」に説かれている。
12  師匠の権威を利用して、人々から尊敬を受ける立場になりながら、内心では師匠をあなどり、邪悪と戦わなかった。戦わなかったどころか、邪悪に染まってしまった。
 悪と戦わなければ、悪に染まってしまう。権力の魔性と戦わなければ、自分が魔性に魅入られてしまう。
 御書には、こうした大切な方程式が、はっきりと示されている。また、こうした仏教界の堕落の構図は、決して単なる″昔話″ではない。ゆえに、よくよく御書を拝していただきたい。
 創価学会も、牧口先生、戸田先生の精神がなくなったら、大変なことになる。広宣流布は、できなくなってしまう。それでは師匠に申しわけない。日蓮大聖人に申しわけない。
 だから私は、生きて生きて生き抜いて、厳然と指揮をとり、師弟の″魂″を教えているのである。
13  「師弟」の破壊は「仏法」の破壊
 日蓮大聖人の時も、増上慢の弟子がいた。「大聖人が大難に遭うのは、大聖人のやり方がおかしいせいだ」と非難する門下がいたのである。
 (「我が弟子等が愚案にをもわく我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給うゆへなり、例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云」等)
 罪なくして大難に遭うことこそ「法華経の行者の証明」であることが、わからなかったのである。
 そういう人間は「他宗の謗法の人間よりも、もっと長く、地獄で苦しむことになる。かわいそうなことだ」と大聖人は仰せである。すなわち「日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人びゃくにん等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」と。
 「師弟」の道を壊す罪は、それほど重い。日顕宗も、そうである。大聖人、日興上人をはじめ、代々の先師を完全に無視している。ただ「自分中心」である。
 「師弟の道」を破壊した宗門に、もはや仏法はない。日蓮大聖人の「大怨敵」になってしまった。
14  戸田先生は太平洋戦争が始まる一カ月前(昭和十六年十一月)、「弟子の道」と題して、講演されている。そのころ、世のなかは、国家主義の流れが、滔々たる暴流になっていた。現代と同じである。
 今も、日本が危険な国家主義の道に入りつつあると憂慮する人は多い。「民主主義は形だけになりつつある」と。だからこそ、民衆による民衆の自立の運動が必要なのである。
 私どもの前進を、「権力の魔性」と戦う「精神界の王者」の前進と見ている識者もいる。私どもの前進いかんで、日本の将来が決まってしまう。
 「弟子の道」として、こう戸田先生は言われた。(『戸田城聖全集』第三巻、以下、引用は同書から)
 「日興上人は、日蓮大聖人様をしのごう(=超えよう)などとのお考えは、毫もあらせられぬ(=微塵〈みじん〉ももっておられない)。われわれも、ただ牧口先生の教えをすなおに守り、すなおに実行し、われわれの生活のなかに顕現しなければならない」
 「先生は師匠であり、われわれは弟子である」
 「先生のことばづかいだけをまねて、なにになる。黄金水を流してしまうようなものである」
 「弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行も、先生の教えを、身に顕現しなければならない」
 戸田先生の遺言である。簡単な言葉のようであるが、大弾圧があったとき、これを実行したのは戸田先生お一人であった。他の弟子は退転しただけでなく、「牧口の野郎」「戸田の野郎」と、ののしったのである。
 人間の心は恐ろしい。師匠を悪者にして、自分のみを守ろうとした。インチキの信心であり、畜生の心である。これまでにも、表面だけ、私の「まね」をした人間がいた。全部、おかしくなっていった。
15  他の弟子が全滅したなか、一人、戸田先生は、信念を押し通し、しかも、こう言われたのである。
 「あなた(=牧口先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』(=もろもろの仏の国土に、常に師とともに生まれる)と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」
 牧口先生の三回忌の時の有名な講演である。何と崇高な言葉であろうか。これが学会の「師弟の道」であり「仏法の道」である。
 大難を師匠と一緒に受けられて「なんたる幸せでありましょうか」と。他の弟子と、天地雲泥であった。
 仏法を弘めれば難があるのは当たり前である。「悪口罵詈される」と法華経(勧持品)に説かれている。大聖人も御書で何度も何度も仰せである。
 それなのに、ひとたび難が起こると、迫害を恐れ、こともあろうに大恩ある師を悪者にする。師匠を盾にして、自分が難を受けないように、逃げる。何という卑怯さであろうか。
16  学会は永遠に「師弟不二の正道」を
 私も戸田先生を、ただ一人、お守りした実践者である。戸田先生を一人で、すべて支えきった。学会の「伝統の二月」も、ただ「戸田先生にお応えしよう」という私の一念から始まったのである。
 当時(昭和二十七年〈一九五二年〉)は、戸田先生が会長になったものの、弘教がなかなか進まなかった。先輩たちは、いばっていたが、何もできない。そこで戸田先生が、「しかたがない。そろそろ大作を出すか」と決断された。
 厳たる師匠の命令である。「やります」。私は師の心を抱きしめて走った。そして、いっぺんに、弘教の突破口を開き、「道」を開いた。そこから今日までの広宣流布の「大道」が開いていったのである。戸田先生は、いつも「大作にまかせておけば、おれは悠々と、ウイスキーを飲んでればいいんだから」と言っておられた。「大作がやれば必ず勝つ」。そう確信しておられた。この師弟不二こそ、学会の真髄である。
 ともあれ、私には「日蓮大聖人」と「戸田先生」以外に何もない。「御本尊」と「戸田先生」と「誠実」が、私の「三つの宝」である。私は誠実で勝ったのである。
 いちばん、正しく生きて、いちばん、悪口雑言されながら、信心で勝った。人間として勝った。仏法の目から見れば、三世という目から見れば、いちばんの勝利者であると自負している。
17  要するに、「自分中心」は仏法ではない。「法」によらなければ、仏法ではない。
 ドイツの大詩人シラーいわく「けなげな人間は、自分のことならあとまわしにするよ」。(『ヴィルヘルム・テル』桜井政隆・桜井国隆訳、岩波文庫)
 「不惜身命」の精神に通じる。「身は軽く、法は重し」である。「法」が中心であり、「広宣流布」が中心である。ゆえに「学会」が大切なのである。
 「広宣流布のために何かしよう」という心に、功徳がある。「学会に何かしてもらおう」という根性は、信心利用である。それは地獄の心である。反逆者は皆、この心であった。
18  ガンジー――人に頼るな! 一人立てば君は「自由に」
 さらに、青年のために語っておきたい。
 今年はインドの独立の父・ガンジーが殉難して五十年。(一九四八年一月三十日、凶弾に倒れた)
 独立を勝ち取る夜明け前、ガンジーは一人、インドの村々を、たゆみなく歩き続けた。
 私たちの次元で言えば、家庭訪問に、また折伏に、足を運ぶことにあたる。
 ガンジーは、インドのために、繰り返し繰り返し、民衆に語り続けた。
 「あなたがたは、他人にたよることをやめた瞬間から、自由です。この自由――それこそが唯一の真の自由です――だけは、なんぴともあなたがたの手から奪うことはできません」と。(〈クリシュナ・クリパラーニ『ガンディーの生涯』森本達雄訳、レグルス文庫)と。
 要するに、「人を頼るな」ということである。人などあてにしない。自分が一人、立ち上がる。自分が一人、戦い抜く。その獅子の生き方を、ガンジーは教えたのである。
 私も五十年、信心をしてきて、よくわかる。結局、「一人立つ」しかない。そこにしか勝利はないのである。
 「羊千匹より獅子一匹」である。格好だけ、言葉だけ――そんな風潮を断じて、諸君は許してはならない。
19  ガンジーは、「恐れ」こそ「最大の不幸」であると訴えた。ゆえに″何も恐れるな!″と叫んだ。
 「私は恐怖というものが嫌いだ。どうして人間が他の人間に対して恐れを抱かなくてはならないのか」「臆病は、我々が損害を受ける最も大きな悪徳であり、おそらく最も大きな暴力である」(『ガンディー 私にとっての宗教』竹内啓二他訳、新評論)と。
 ガンジーは、人間の精神の第一の要件として「勇気」を重んじた。「臆病」は結局、自分で自分を貶め、痛めつけることになる。だから、臆してはいけない。負けてはいけない。
 日蓮仏法も「勇気」の仏法である。学会も、「勇気」があったからこそ、今日の繁栄がある。
20  ガンジーは、″本気になって戦え″と呼びかけた。
 「何かを『できるだけ』やります、という人は、その尊大さか弱さのどちらかをさらけだしているのです」(同前)と。
 中途半端なことを言うのは、傲慢か、臆病か、どっちかだというのである。
 戸田先生は、「力はありませんけれども――」という人に対して、厳しく言われた。なぜ「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言いきらないのか、と。
 ガンジーの言わんとするところも同様であろう。″どんな苦労をしてでも、私はやり遂げます!″まず、そう言いなさい、と。それが「強さの印」であると、ガンジーは弟子たちを叱咤したのである。
 二十一世紀まで、あと三年。二十一世紀は、「創価学会の世紀」にしましょう!(拍手)
 われら学会員は、一人も残らず、生きて生きて、生き抜いていこう。戦って戦って、戦い抜いていこう。そして勝利して、長生きして、栄光のわが身を輝かせていきましょう! さらに、「真実の信仰の力」を、「正義の証」を残していく一人一人になっていただきたい。(拍手)
21  生まれるたびに福徳の大指導者に
 最後に一言だけ申し上げておきたい。
 今、宇宙の法則である妙法の広宣流布に励んでいる皆さま方は、未来、生々世々にわたって、あらゆる階層の大指導者になりゆく原因をつくっておられるのである。これは、御書と経文に照らして間違いない事実である。
 さらにまた、大宇宙には、地球と同じような惑星は無数にある。そうしたところにも生まれて、妙法流布の大指導者となっていくのである。
 ゆえに、現在の努力も、苦闘も、すべてが、偉大なる人間指導者になりゆく訓練なのであり、最大の福徳を積んでいることを確信していただきたい。
 仏法は因果の理法である。厳たる生命の理法である。ゆえに仏法には、一切、無駄はない。すべてが自分自身の永遠の福徳になっていくことを忘れてはならない。
 生命は無始無終であるから、次の世も、また次の世も、生きていくしかない。そのたびに地獄のような苦しい生命となるよりも、今、仏道修行して偉大な原因をつくり、永遠に、生々世々、仏意仏勅の人生を歩んだほうが賢明である。
 それでは、皆さま、お元気で!
 偉大な青年部が立ち上がった。私はうれしい。私は諸君のために、「二十一世紀の道」を、厳然と開いておきます。
 きょうは、本当に、ありがとう!
 (創価国際友好会館)

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