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日蓮大聖人・池田大作

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全国青年部幹部会、韓国・鎮川郡「名誉郡… 断じて続け「師子の道」に

1998.1.17 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  韓国の鎮川チンチョン郡は「風は清く、月は明るい」と形容される素晴らしき天地である。自然も美しい。人々の心もまた美しい。古より″韓国で最も暮らしやすい地域″として有名である。
 そして現在では、キム郡守の力強いリーダーシップのもと、「環境」や「教育」の問題への先駆的な取り組みでも名高い。
 その憧れの楽土から賜った、真心こもる「名誉郡民」の栄誉を、私は敬愛する「韓国SGIの友」、また「在日の同志」、そして二十一世紀の韓日・日韓の友好を託しゆく「青年部」の諸君とともに分かち合いたい。(拍手)
 この郡内でも、ひときわ美しい湖のほとりに、SGIの研修センターがある。韓国のわが友は、この研修センターを中心に、湖畔一帯の環境美化や音楽祭など、たゆみなき地域への貢献を続けてこられた。
 SGIの会館は、それぞれの地域にあって、「文化」と「友情」と「安穏」の拠点となってきた。
 あの阪神大震災の折にも、兵庫の各会館は避難所として被災者の方々に開放され、懸命な救援活動が行われた。その事実は、世界の人が知っている。
 その反対に、冷たく門を閉ざしていたのが日顕宗の寺である。
3  仏法は「一念三千」と説く。これが法華経の究極であり、仏法の真髄である。ゆえに、自分自身が、具体的な行動によって「衆生世間」とつながり、「国土世間」とつながっていかねばならない。
 観念論の、自分だけの仏法などありえない。すなわち、毎日毎日、人間の中へ、民衆の中へ、勇んで飛び込んでいく。そして、わが地域を地盤として、友情を結び、一緒に平和をつくっていく。
 現実のわが町、わが村、県、国――ここにつながっていってこそ「一念三千」となる。
 それを実践しているのが、私どもの活動である。この組織活動にこそ、「事の一念三千」の大仏法の脈動があることを再確認しておきたい。
4  韓国の「勇敢なる心」に学べ
 さて歴史をふり返る時、七世紀の韓半島にあって、「三国(新羅・百済・高句麗)の統一」という偉業を成し遂げた大いなる原動力は、「一人の青年の勇気ある決起」であった。
 その勇者こそ、われらが鎮川チンチョン郡に生まれた名将・金庾信キムユシン将軍(五九五年〜六七三年)である。(以下、金庾信については、金富軾撰、井上秀雄・鄭早苗訳注『三国史記』4〈平凡社〉、李殷直『歴代朝鮮名将伝』〈太平出版社〉などを参照した)
 金将軍の勇猛さを伝えるエピソードはまことに多い。六二九年、彼の祖国は大敗を喫した。おびただしい兵が倒れ、味方の士気は弱まった。この絶体絶命の危機に颯爽と躍り出たのが、若き日の金将軍であった。
 「闘争にあっては勇敢であらねばならない。私が敵陣の急所を突きましょう!」
 彼は一人、馬上の人となり、剣を振りかざして突撃した。その雄姿に全軍が奮い立ち、一気に形勢は逆転したのである。
 「一人」でいい。「一人」の指揮で、どうにでもなる。
 広宣流布という「精神闘争」にあっても、いざという時に率先して戦い、厳然と勝ってこそ、真の名将である。真の指導者である。
 私は五十年間、すべて、その決意で戦った。その通りに勝ってきた。諸君も、そうであっていただきたい。
 まことのときに戦えない、力のない臆病な人間は、いくら人がよくても、頼りにはならない。そういう人間は、厳しく言えば、むしろ敵と同じである。
5  この金将軍が悲願の統一を達成したのは、七十代になってからである。じつに、その生涯は激戦に次ぐ激戦の連続であった。
 幾多の険難を乗り越え、勝ち越えてきた彼の″勝利の将軍学″は何であったか。
 その一つは「我が身を惜しまぬ、決死の人間が勝つ」という確信であった。
 彼は兵士に訴えた。
 「一人が決死の覚悟で百人に当たり、百人が決死の覚悟で千人に当たり、千人が決死の覚悟で万人に当たるならば、いかなる戦いも必ず勝つことができる」と。
 よく私が申し上げる、「必死の一人は万軍に勝る」の言葉に通じる。
 また金将軍は「心を合わせたほうが必ず勝つ」ことを知悉していた。
 ある時、出陣する彼に、王が心配のあまり言った。
 「これだけの少ない軍勢で敵の大軍にあたるのは、あまりにも危険ではないか?」と。
 しかし、金将軍はきっぱりと答える。
 「勝敗は、数の大小ではありません。人々の心がどうかで決まるのです。今、私たちは心を一つにして生死を共にしようとしています。ゆえに何も恐れるものはありません」と。
 仏法の真髄も「人の心」である。「心こそ大切なれ」と大聖人は明言されている。皆の心が、バラバラで、孤立してしまえば、力は出ない。皆の心を合わせれば、力は「かけ算」となって、何倍にもなる。
 スポーツでも、家庭にあっても、そうであろう。
6  この金将軍の残した遺言も、また含蓄がある。
 後継者というものは、はじめは、うまくやるように見えても、最後を全うすることが難しい。代々、積み重ねてきた功績が、あっという間に崩れてしまうのは、まことに痛ましい。ゆえに、成功することが難しいとともに、守成(受け継ぎ、守り、完成させること)もまた、困難であることを知らねばならない。そして、君子を近づけ、小人物を遠ざけることが大事である、と。
 私どもでいえば、「よき同志と近づけ」「策と要領にたけて、自分は何もしないような人間は遠ざけよ」ということになろう。
 要するに「建設は死闘、破壊は一瞬」である。
 永遠に戦い続ける以外にない。
 広宣流布という万年の建設は、戦い抜く青年が受け継いでいくのである。戦わない人間、格好だけの人間は、かえって邪魔になってしまう。
 「創業は易く、守成は難し」――新しく創りあげることは難しいようであっても、まだやさしい。できあがった事業を受け継いで守り完成させていくほうが、ずっと難しい――この原理を、私は、キューバのカストロ議長とも語り合った。
 私は率直に語った。「議長、キューバは安定してこられましたけれども、後継者のことは、どう考えておられますか」と。
 一切が「人」で決まる。「後継の人材」で決まる。「諸君」で決まる。ゆえに私は、「今こそ、本物の青年部を育てよう」、こう決心している。
7  「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる抗日運動の女性闘士・柳寛順ユ・クワンスン(一九〇四〜二〇年)。大変に著名な、偉大な人である。
 彼女は、非道な日本当局の投獄にも、そして残虐きわまる拷問にも絶対に屈しなかった。最後の最後まで「独立万歳!」と叫びぬいて、殉じていったのである。十六歳の若さで壮絶な獄死を遂げた。
 彼女は、獄中の同志が弱音を吐くと、叱咤し、激励を続けた。
 「どうして、ため息などつくのか! 拷問がつらいといっても、悪逆を黙って見すごしているよりも、楽なことではないか! 断じて戦おう!」
 歴史に刻まれた、血涙したたる、この強さ、この正義、この信念。彼女に比べれば、諸君はあまりにも恵まれている。(柳寛順については、姜徳相『朝鮮独立運動の群像』青木書店などを参照した)
8  「不惜身命の弟子」で決まる
 創価の殉教の師子王・牧口先生は、大迫害のなかでも、つねづね断言しておられた。
 「私の足跡の後に、必ず青年が続々と続きます」と。
 牧口先生には戸田先生が続いた。戸田先生には私が続いた。
 私には幾百万人の諸君がいる。諸君が続くことを信じたい!(拍手)
 諸君は、アジアと世界の青年、なかんずく韓国の青年と、もっともっと深く、強く連帯しながら、断固として、この師子の道に続いていただきたい。(拍手)
 先ほどは光栄にも、金郡守は、私どもの「師弟」の精神について語ってくださった。いちばんの急所を鋭くとらえていただき、感謝にたえない。「師弟」こそ日蓮仏法の精髄である。学会精神の根幹である。
 有名な「華果成就御書」にいわく。
 「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず
 ――よき弟子をもつときには、師弟はともに仏果(成仏)に至り、悪い弟子をたくわえてしまえば、師弟はともに地獄に堕ちる。師弟が相違すれば(師匠と弟子の心が違えば)何ごとも成し遂げることはできない――。
 要するに、師弟と言っても、″弟子がどうか″で決まる。
9  牧口先生の栄光は、戸田先生という偉大な弟子をもったことである。
 戸田先生は言われた。
 「思えば、私が二十歳のときに、四十九歳の先生(牧口先生)と師弟の関係が結ばれたのであります。当時、私が理事長をつとめてより、影の形のごとくお供し、牢獄にもお供したのであります。『私は若い。老人の先生を一日も早く(=牢から)お帰ししたい』と思っていた(=昭和二十年の)一月八日に、(=前年の)十一月の牧口先生の死をお聞きした。そのとき、″だれが先生を殺したんだ!″と叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります。
 で、命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか」と。
 私も同じである。私を陥れようとする作り話なぞ、なんとも思わない。全部、嘘である。
 この道は、生死を超えた峻厳なる「弟子の道」である。真実の「仏法の道」である。「創価の道」である。不惜身命の決心がなければ、まことの弟子の道は貫けない。
10  あの「3・16」の荘厳なる後継の儀式より、今年は四十年――。
 牧口先生、戸田先生の願業は、第三代の私が一切、成就した。一身に迫害を受けながら、私は戦い抜いた。私は勝った。私の「誇り」は高い。(拍手)
 そして、これから先の未来は青年に託す以外ない。わが青年部よ、あとは若き諸君である! と申し上げ、私の話を終わりたい。
 本年も大いに戦おう! 大いに勝とう! 偉大なる歴史を残しましょう!(拍手)
 すべてが諸君自身の歴史となる。また大聖人が御称賛されるに違いない。
 結びに、金郡守ならびに諸先生方のますますのご活躍と、愛する鎮川郡の更なるご発展、そして、偉大なる文化の大国・韓国の無限の栄光を、諸君とともに心よりお祈り申し上げ、私の御礼のあいさつといたします。
 カムサ・ハムニダ(ありがとうございました)。
 (東京牧口記念会館)

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