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日蓮大聖人・池田大作

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関東・信越代表者会議 「勢い」で勝て! 人生も広宣流布も

1997.12.17 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  あの町、この村に「仏法即社会」の光
 関東・信越の皆さまは、この一年、理想的な広宣流布の前進をされました。深く、私は敬意を表します。
 先日、ある友人と懇談しながらテレビを見ていると、NHKの番組「小さな旅」で、長野県の大鹿村が放映されていた。南アルプス(赤石山脈)のふもとの美しい山村である。
 江戸時代から、二百三十年以上にわたって「大鹿歌舞伎」という伝統文化が受け継がれてきたことで名高い。まさに「日本の心」が残っている、ふるさとといってよい。
 人口は、千六百人ほどの小さな村である。したがって、テレビを見ていた友人は「さすがに、こういう山里には、学会員は一人もいないのではないか。いても、一人か二人ぐらいでしょう。旧習も深い土地柄でしょうし……」と言った。
2  私は即座に調べてもらった。サーチライトで照らすごとく、私は、いつも学会のすみずみに光を当てたいと思っている。
 すると、じつにこの大鹿村の全世帯のなんと約一割がわが学会員だったのである!
 (飯田圏の下伊那本部の大鹿支部。地区は、大鹿地区と鹿塩地区の二地区)
 学会理解の輪は大きく、内外合わせて、村の約二割の方々が、聖教新聞を購読されている。
 この大鹿支部のわが同志は、皆、地域で、また職場で大いに活躍しており、村の方々からの信頼は、まことに大きい。テレビで取り上げられた「大鹿歌舞伎」の若き中核も、わが青年部のメンバーなのである。
 (男子部の部長は、浄瑠璃の義太夫語りとして、また村の教育委員会の文化財保護主事として、「大鹿歌舞伎」の保護・継承に尽力。女子部のメンバーも、大鹿歌舞伎の役者として活躍している)
 この事実を知って、先ほどの友人も「すごいことだ! 想像もつかない創価学会の力だ!」と驚嘆していた。
 私は、さっそく、大鹿支部の大切な友に、せめてもの激励を送らせていただいた。電光石火で、一人一人を励ましたい――それが私の信条である。
 広宣流布の最前線と「心」と「心」の呼吸が合致しているかぎり、学会は何があっても微動だにしない。
3  村の草創から活躍された皆さまをはじめ、「本当に人柄のよい方々が大鹿支部にはそろっている」とのことであった。そして、村づくりの要となり、柱となって、貢献しておられる。
 オックスフォード大学名誉教授のウィルソン博士(国際宗教社会学会元会長)は、こう言われていた。
 「共通の意識の共有が危険にさらされ、浸食されている社会において、創価学会は『人々の社会的結合を強化』できる運動であり、機関である。
 このような努力は、健全な環境政策や、難民の定住促進、教育の推進、世界平和への関心など、より広い、より公共的な分野においては、ますます重要である。
 そうしたことのために、創価学会がNGO(非政府組織)として広く活躍していることは、多くの人々に、すでに知られている通りである」と。(東洋哲学研究所の特別公開講演会、一九九七年十一月五日)
 現代社会は、皆の意識がばらばらになってしまった。善いことをしようとしても、なかなか団結できない。そういうなか、創価学会が人々の善意をまとめる努力をしている――との評価である。
 国際社会にあっても、また、大鹿村のような地域社会にあっても、「仏法即社会」「社会即仏法」の創価の人間主義は、赫々と希望の光を放っている。
 (大鹿村では九一年に「平和への行動展」を開催。また大鹿中学校に学会が寄贈した図書三百冊が「池田文庫」として親しまれている)
4  いずこの地でも、青年部の活躍が、まことに、目覚ましくなった。青年部が、いよいよ本舞台に躍り出た感じがする。
 青年部に「二十一世紀へのバトンタッチ」をしても、間違いのない情勢になってきた。
 昨日も、大阪出身の背の高い青年が、誇り高く言っていた。
 「男子部も、関西から立ち上がりました!」と。
 「常勝不敗の原点である″中之島公会堂″がある大阪・北区の曽根崎部は、本年、一つの部で五十世帯の弘教をして、池田先生の入信五十周年を荘厳しました!」と報告して、その青年は誇らしげに帰っていったのである。
5  ナポレオン「戦いの四分の三は勢いで決まる」
 ナポレオンは言った。
 「戦いにおいては、敵と味方の兵力のバランスが、勝敗の四分の一を決める」
 それでは残りの「四分の三」は、何で決まるのか?
 「戦いの四分の三は戦士の勢いで決まる」
 「四分の三」すなわち「七五パーセント」は「勢い」で決まる。「士気」で決まる。これが常勝将軍ナポレオンの人間学であった。彼は「戦いにおいては勢いがすべてだ」と言ったこともある。
 また、あるアメリカの提督は、言った。
 「機械があっても、人間がいないと何にもならない。人間がたくさんいても、勢いがなければ何にもならない」
6  先日、アジアで活躍する友から「ガンジス川の源流」近くの写真が届けられた。
 よく「ガンジスの一滴」と言うが、決して、静かで、おとなしいものではない。獅子が猛然と吼えるがごとく、はねるがごとく、轟々と、すさまじい勢いで、ほとばしっている。このはち切れんばかりの「勢い」があるからこそ、ガンジスの大河は生まれた。「源流」とは、組織で言えば「幹部」である。幹部が生命力満々と勇気にあふれていてこそ、民衆勝利の大河はつくれる。
 ある人は書いている。
 「兵士の勢いは、どこから生まれるか。三つのポイントがある。
 (1) 自分が大事なことをしていると実感すること(使命感)。
 (2) 自分がうまくやれると実感すること(自信)。
 (3) 自分のしたことを知ってもらっており、評価されていると実感すること(称賛)」
 要するに、皆が「使命感」をもって立ち上がれるように、「納得」を与えよ! 「自信」を与えよ! 「称賛」を与えよ! しかも繰り返し与えよ! これが鉄則である。
 ナポレオンも、いつも兵士を勇気づけた。常に先頭に立った。号令をかけるだけでなく、皆の中へ入っていって話を聞き、希望を与え、功績があればたたえた。あらゆる方法で、皆の胸に「ドラマ」を刻み、「思い出」を残していった。
7  御書にも述べられているように、中国古代の「殷と周の戦い」は圧倒的な兵力の差があった。しかし、殷の軍団は悪王の紂王に無理やり駆り出された軍勢であり、「戦意がなかったため、皆、武器をさかさまに持って、周のために、どんどん道を開けてやった」という。(司馬遷の『史記』)
 周の勝利は「団結と勢いの勝利」であった。
 ナポレオンがロシアで敗れたのも、ロシアの民衆の「国が滅びるかどうかの決戦だ」という一念に負けたといえる。ロシアは「勝つ」以外に道がなかった。一方、ナポレオン軍は、各国の混成部隊であり、「断じて勝つ」気迫はなかった。
 トルストイいわく、「かならず勝とうと堅く決心した者が勝つのだ」(『戦争と平和』中村白葉訳、河出書房新社)。人生も同じである。広布の戦も同じである。
 日本軍が圧倒的兵力をもちながらも中国に敗北した。その理由に関して、作家の陳舜臣ちんしゅんしん氏は書いておられる。(日中戦争を背景にした小説『桃花流水』、朝日文芸文庫)
 「南京ナンキンを陥としたとき、日本側は中国の屈服を期待した。首都陥落は、戦争終結と考えられたのである。だが、中国は政府だけが戦っているのではない。人民が生きるか死ぬかを賭けて戦っているのだ」
 「あれこれと交渉するよりは、一撃、ドカンとやれば、相手は縮みあがって、こちらの言うことをきく。――日本の軍部は、中国にたいして、そんな考えをもっていた」「作戦の失敗ではない。考え方がまちがっているのですよ」
 一局面を殲滅すれば「中国人の戦意が低下するという考え方ですよ。民族が生きのびるか、滅びるかというときです。中国人があくまで戦うと決心していることなど、日本の軍部にはわかっていないのですね。……軍部だけじゃありませんがね」。
 アメリカ軍を敗退させたベトナム軍も同じく「あくまで戦う」勢いがあった。「これは我らの戦いだ」という使命感があった。
8  ノートン博士「学会は″権威主義″への抵抗組織」
 亡くなられたアメリカのノートン博士いわく、「創価学会は、創立以来、抑圧的な権威に対するパルチザン(民衆抵抗ゲリラ組織)として戦っています。
 今も、日本を五十年前、六十年前の権威主義の時代に逆戻りさせようという動きと戦っておられる。創価学会への迫害も『民衆の自立の運動を嫌う勢力』からの反動です。アメリカ人から見れば、よくわかることです。学会の運動は日本社会の理解の枠に収まらないのです」と。
9  私どもにとって「勢い」とは「信心」である。信心根本に戦えば、すべてが広宣流布につながる。すべてが大功徳につながる。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり
 大風の吹く「勢い」である。また、こうも仰せである。
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候
 ――何の兵法よりも「法華経の兵法」を使っていきなさい。「諸の余の怨敵、皆悉く摧滅(くだけ滅すること)す」(〈法華経薬王品第二十三〉開結六〇四㌻)との金言は決してうそではない。兵法剣形(剣術)の大事も、この妙法から出たものである。(私の言葉を)深く信じていきなさい。決して臆病であってはなりません――。
10  「あの人は生きぬいた」と感動の生死を
 白樺会(婦人部の看護者の人材グループ)の書記長の方が、聖教新聞の連載「『第三の人生』を語る」を読んで、こういう声を寄せてくださった。
 「ローマとパリの羅什である二人の女性が志をもち、変わらず生命を燃やすお話に大変、感動いたしました。フランスのウストン・ブラウンさんが、旅先のホテルのソファに腰かけたまま永眠されたお姿は、理想的なことと思います」
 「私は小学四年生の時、″死″を怖く思い、信心している先輩が、お風呂に入った後、一張羅を着て、眠るように亡くなった話を聞き、勤行を始めました。仕事(看護)で診た多くの方々の姿は、皆、苦しそうで、総決算の厳しさを痛感しています。また、老いるなか、保守と安定を破り、生涯青春の心と行動で、なすべきことをなす困難さも実感します」
 「″審判を下すのは、他人ではなく、あくまで自分″とあります。ものごとは罰や魔ともとらえられますが、原因があるからこそ結果として出ると思います。因果は微妙で、真実は思わぬところから暴露すると痛感しております。亡くなる時に、人々に心から感動される姿に、と願うものです」
11  ともあれ、「死」という人生の総決算が、どうであるかで、永遠が決まっていく。その最後の最後を勝利で飾っていくのが、一生成仏の信心である。
 御書に「正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり」――正法を行じて仏道を得る者は爪の上の土より少ない――と仰せである。
 広宣流布への行動がなければ、仏にはなれない。要するに、学会活動をしなければ、宿命の転換は、できない。
 広宣流布のために、学会とともに戦い切った方々が、どれほどすばらしい晩年を送り、安らかな死を迎えておられるか。生き抜いた、その姿が、三世にわたる永遠の幸福の証明なのである。ゆえに、元気で戦える時に、悔いなく戦い切っておくことである。
 来年もどうか健康で、いちばん、「価値」と「幸福」を包んだ関東・信越の皆さまであっていただきたい。
 どうか、よいお年をお迎えください。
 (山梨教学研修センター)

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