Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第17回本部幹部会 「民衆勝利」の旭日よ昇れ

1997.12.9 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  私どもは幸福である。日蓮大聖人は仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり
 信心の世界ほど楽しいところはない。題目をあげること以外に、本源的な″遊楽″はない。
 世間的な楽しみは、はかなく消える瞬間的な喜びである。底が浅い。幻のようなものだ。
 皆さまは最高に「幸福」なのである。他のだれ人にも味わえない、充実しきった生命の喜びがある。仏界の歓喜がある。
3  また、大聖人は「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と。
 題目を唱える人は、何ものも恐れない。我らは何ものも恐れる必要がない。
 何があっても晴れ晴れと、希望に満ち満ちて進んでいける。これほど幸せな人生はない。(拍手)
4  そして南無妙法蓮華経は「不老不死」の大法である。
 御書にも「妙法独り繁昌せん時(中略)人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ」、「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」と説かれている。
 広宣流布に生きる人は、一生涯、若々しく生きられる。「不老」である。
 生命力にあふれて、永遠に行き詰まりがない。生死を超えて、はつらつと使命の軌道を前進できる。「不死」である。
 私も明年で七十歳。しかし、いよいよ、これからが本番と思っている。
 この信心には、絶対に行き詰まりがないのである。
 皆さま、おめでとう! 頑張りましょう。(拍手)
5  ユゴー研究の第一人者、辻昶氏
 過日、フランスの「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」のモワンヌ館長から、お便りをいただいた。
 手紙には、私が創立したユゴー記念館が、ニュース番組の特集で「ビエーブルの町で訪れるべき、最も重要な場所」と紹介されたことが記されていた。フランスで、高い視聴率を誇る番組であるという。
 私どもにとって、うれしい報告なので、ご紹介申し上げた。(拍手)
6  ユゴーといえば、先月(十一月)、創価大学で開かれた創大祭の折に、日本のユゴー研究の第一人者であられる辻とおる先生が講演をしてくださった。
 辻先生は創価大学の名誉博士でもあられる。四年前、博士号の授与式の際にお会いし、さまざまに懇談したことも懐かしい。
 (九三年十一月四日。その折の思い出を辻博士は『我が人生・文学・出会い――ユゴーと「人間革命」』〈一九九四年、文化教養シリーズ27、聖教新聞社〉に綴っている)
 若き日よりユゴー文学に親しんできた私は、その翻訳者である辻先生を深く尊敬し、また、どういう方であろうかと、ずっと思い描いてきた。その方が創価大学に来てくださり、懇談の機会をもてた。不思議な縁が感じられてならない。私が思っていた通りの「信念の人」であられた。
7  辻先生は、かの名作『レ・ミゼラブル』や『九十三年』『ノートルダム・ド・パリ』、さらに『ユゴー詩集』などの翻訳をなさっている。また、主な著書に『ビクトル・ユゴーの生涯』『ビクトル・ユゴー――人と思想』などがある。
 先生は、現在、八十一歳。ご高齢にもかかわらず、文学を愛し、青年を愛する心は、いささかも変わらない。まことに若々しく、毎日を送っておられる。
8  名声など求めない。毀誉褒貶にもとらわれない。ただ人類のために、地道な研究を積み重ねておられる。ただ後に続く青年のために、心を砕いておられる。ここに本当の「人格」がある。
 戸田先生も「二百年後のために、今、戦うのだ」とおっしゃった。私も同じ心である。目先のことなど眼中にない。
 辻先生のような方こそ、「日本の宝」であると、私は思う。
 かつて戸田先生は、フランスの有名な昆虫学者のファーブルの例を引いて、日本は大切な宝の人、牧口先生を獄死せしめたと、怒りをもって語られていた。
 ファーブルに対して、時のフランス文部大臣が遠路、自ら足を運び、駕をげて敬意を表した。これが「文化の先進国」の姿である。一方、日本は、大教育者にして大文化人の牧口先生に何をもって報いたか。獄死ではなかったか――と。
 日本のこの後進性は今も変わっていないと私は思う。
 無名であっても懸命に社会に尽くしている市井の「宝の人」を、草の根を分けても捜し出して顕彰する。そういう社会が正しいのではないだろうか。(拍手)
9  自由のために″戦う人″こそ真の自由人
 辻先生も、今の″精神なき日本″を厳しく見つめておられる。日本には、精神闘争がなくなってしまった。これでは青年が堕落してしまう――と。
 この深い憂いは、まったくその通りだと思う。
 創価大学での講演のなかでも、「自由」という問題をめぐって、こう言われた。
 「もともとルソーなどが唱えた本来の自由とは、″専制主義や抑圧的な権力に抵抗する自由″であった。それが日本では、単なるわがままや自分勝手となり、自由が乱用されている。それが残念でたまらない」
 本当の自由とは、権力悪を打倒する自由である。自らの手で抑圧のくびきを断ち切る自由である。
 さらに、「日本には、規律のない自由、信念のない自由、良心のない自由ばかりが、はばをきかせている」と論じておられる。
 ″言論の自由″の現状も、ご指摘の通りであろう。
10  自由について、私も「青春対話2」(第一回)で語ったが、先生と同じ考えである。
 要するに、人々の自由のために立ち上がり、戦う人こそが、本当の「自由の大境涯」を開いていける。真の「自由人」である。
 これが、辻先生の考えであり、ユゴーの考えである。また、日蓮大聖人のお考えなのである。
 その意味において、皆さま方は、「いちばん、多忙」であり、「いちばん、本当の自由を満喫している」方々であると申し上げておきたい。
 自由があるから、会合に来られる。自由があるから、対話に歩ける。自由があるから、広宣流布のために行動できるのである。これほどの幸福はない。
 自由がなければ、何の行動もできないのである。それを自覚できず、自分が縛られているように自分で感じてしまう。そこに大きな錯覚があり、不幸がある。
11  良書は人間を育てる
 辻先生は深く嘆かれている。
 「今の日本人は、テレビや軽薄な出版物以外には、ほとんど目を向けなくなってしまった。とくに若い人たちが、いい本を読まない」
 たしかに、最近の若い人は本を読まない。活字が苦手のようである。私も「青年に本を読ませなくてはいけない」と真剣に考えている。
 本を読まなければ、頭脳も心も耕せない。映像だけでは刹那的で、浅い。また同じ本でも、くだらない本を読めば、その分、自分もくだらない人間になってしまう。良書に挑戦しなければならない。
 先日、五十年にわたって大手の書店を経営しておられる静岡の名士が、同じような声を寄せてくださった。その方がとくに憂えておられたのは、教師すらも本を読まなくなった、ということである。
 「教師や大人たちが本を読まなくて、どうして子どもたちに読書の指導ができましょうか」と厳しく言われていた。
 読書は人間を育てる。
 「部屋に書物なきは、人に魂なきがごとし」――私が十代の時に心に刻んだ格言である。
12  戸田先生も「長編を読め。世界的な小説を読め」と厳しかった。徹底的に読まされた。
 私は読んだ。ある時は、電車の中で。ある時は、静かさを求めて、墓場でも読んだ。場所ではない。ひまのあるなしではない。私は、中途半端は絶対にしなかった。
 良書を読まない人生は、薄っぺらな人生のままで終わってしまう。それでは哀れである。
 だからこそ私は、青年たちの「精神の糧」となるべき書物を多く残そうと努力している。これからも、どんどん残していく決意である。その私の戦いを、辻先生は深く理解してくださっている。
 (創価大学での講演で、辻博士は語っている。
 「池田先生は、科学者との対談、文化人との対談、為政者との対談等、優れた対談集を次々と出版されていますが、こうした全宇宙的な総合的知識は、今の汚れた日本には、本当に必要なことだと思います」
 また博士は、小説『人間革命』についても、「ユゴーの思想との近似性を認めずにはいられない」と語り、さらに名誉会長の生き方そのものが「ユゴーを彷彿させる」と述べている)
13  ところで辻先生が、なぜ学会を深く認識するようになられたのか。
 その一つのきっかけは、近所の婦人部の方が、辻先生のお宅に聖教新聞をお届けしたことであったという。
 このような聡明な、また誠実な婦人方の行動があることを私たちは決して忘れてはならない。
 命令する人が偉いのではない。行動する人が偉いのである。そういう方々が、広宣流布を支えてくださっているのである。最大に感謝し、最大に尊敬し、最大に大切にしていかねばならない。これが真実の人間の世界であり、仏法の世界である。
14  挑戦する人は若々しい
 ところで辻先生のお父さまは、「日展」の理事長を務められた著名な洋画家・辻ひさし画伯である。
 画伯の絵「須磨の静日」が、世界からの来賓を迎える聖教新聞本社の会見の場所に飾られている。この絵は、私が会長に就任してすぐに、何か本部に記念の品を寄贈しようと思い、求めたものである。
 お父さまは、八十歳で病で倒れた後も、亡くなるまで、時間があれば絵筆を執っておられたという。お父さまが六十代半ばのころ、辻先生が、「四十年以上も絵ばかり描いていて、よく飽きないものですね」と言葉をかけたことがある。するとお父さまは、厳しい口調で答えられた。
 「お前も変なことを言うなあ。俺は長年、絵を描いているが、いまだ一枚も納得のできる絵は描けてないんだ。これから幾つで死ぬか知らないけれども、それまでに満足のいく絵が一枚でも描けるか、そこのところが心配でたまらないんだ」
 清々しい、人生の達人の言葉である。
 ひとたび「自分はこう生きる」と決めたならば、ひたむきに挑戦し、その道を貫き通していく。そして「自分は悔いがない! 満足だ!」――こう語っていける人が人生の大勝利者である。
 皆さまも、そうあっていただきたい。(拍手)
 「自分の幸福」は自分で勝ち取る以外にない。自分を批判する人が、それでは自分を幸福にしてくれる力をもっているのか。大哲学をもっているのか。むしろ、その人自身が不幸な場合が多いのではないか。
 そう見きわめれば、他人に左右されることは、あまりにも愚かである。自分で自分の「幸福な生活」「偉大な人生」を飾ることである。そのための信仰である。
 ともあれ辻先生も、八十歳を超えられた今なお、ご自身のユゴー論を、フランス語、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語で発刊するというライフワークに、生き生きと取り組んでおられる。
 我々の「ライフワーク」は広宣流布である。
 壮大な目的に挑戦する人は、常に青春であり、永遠に青年である。胸を張って若々しく進みましょう!(拍手)
15  青年が進め! 大胆にまた大胆に
 ここで、辻先生が、創価大学での講演で、青年に託すが如く紹介してくださった「レ・ミゼラブル」の一節を紹介したい。これも辻先生による名訳である。
 「人類の前進のためには、勇気というけだかい教えが、永遠に山々の頂にかかげられなければならない。大胆不敵な行動は(中略)人間をみちびく偉大な光のひとつだ。あけぼのの光は、立ちのぼるときは断じて立ちのぼる」(講談社)
 旭日は断じて止まらない。どんどん昇っていく。今日の創価学会も同じ姿である。
 また「試み、挑戦し、食いさがり、ねばり、自分を曲げず、運命と四つに組み、破局をおそれないことで破局をおどろかせ、あるときは不正な権力にたちむかい、あるときは勝利の陶酔を軽蔑し、一歩もひかずに抵抗する。これこそ諸国民がもとめる模範であり、彼らを感動させる光なのだ」(同前)と。
 我が青年部も、「勇気」と「大胆」な行動で進んでいただきたい。「忍耐」と「信念」の闘争で、希望の太陽と輝いていただきたい。
 とくに青年は「声」を出していかねばならない。「声仏事を為す」である。声が「仏の仕事」をなす。黙っていては、仏の使いはできない。正義の戦いはできない。
16  戸田先生は、牧口先生のことになると、絶対に黙ってはおられなかった。
 戦後すぐの座談会が、今はなき牧口先生のお宅で開かれた時のことである。
 終わって帰ろうとしたとき、戸田先生は、階下を借りている靴屋に、ばったり会った。なつかしい大切な恩師の家は、靴屋によって無残に荒らされていた。
 戸田先生は、それを知っているゆえに、家が破れるかのような大声で一喝した。
 しかし、むこうも負けてはいない。猛然と、どなり返してきた。
 戸田先生は、いったん履いた靴をぬいで、前以上の大声を張り上げて、上がりこみ、どっかと、あぐらをかいた。そして諄々と不正をただした。
 とうとう靴屋は、首をうなだれて、あやまった。
17  悪を傍観する青年はずるい。臆病はいちばんの敵である。言うべきことは、声に出して堂々と言わなくてはならない。それが国際人の資質でもある。
 「勇気」と「大胆」――これこそ本物の人格者の条件である。
 青年部は、断じて、二十一世紀の「広宣流布のユゴー」となっていただきたい。(拍手)
18  「人と会う人」は栄える
 今年も学会は、世界から千客万来であった。
 「来客の絶えない人は幸せである」とは、モンゴルのことわざである。
 戸田先生も「来客が多いということは栄えている証拠だ」と、よく言われていた。
 その意味で、座談会に会場を提供してくださっているお宅は、栄えゆく根本の因を積んでおられるのである。皆が訪問した分、その家は栄えていく。
 また、勇んで「人と会う」人は、広々とした、栄えゆく人生を歩んでいける。
 この七年、日顕宗は、わびしく冷たい雨に降られ続けて衰亡の一途である(爆笑、拍手)。
 一方、学会は、いよいよ、にぎやかに晴れ晴れと興隆している。
 「仏法は勝負」である。
 「勝負は決まった」と私は申し上げたい。(拍手)
19  ご存じのように、先日(十二月一日)はガーナ共和国のローリングス大統領ご夫妻が、日本に到着されたその日のうちに、まっ先に、民音文化センターと聖教新聞本社に足を運んでくださった。
 そして、ガーナ共和国の独立四十周年を堂々と飾られた。(民音文化センターで「独立四十周年記念展」開幕式を開催)
 また大統領は、ガーナにSGIの会館ができることも大変に喜んでおられた。このように、SGIは世界中に友人がいる。(拍手)
 大統領ご夫妻と私は、ガーナ建国の父である初代大統領・エンクルマ博士の「民衆根本の精神」について語り合った。
 すなわち一九五七年、ガーナの独立を成し遂げ、アフリカ大陸に「希望の夜明け」を告げた原動力は、エンクルマ博士を中心とする「民衆のパワー」であった。
 私は、当時から、そこに注目していた。以来、「二十一世紀はアフリカの世紀になる」との信念を強くもつようになった。
20  ガーナの独立の最大のパワー、それは「民衆の情熱」
 独立闘争の獅子・エンクルマ博士が、最も信頼し、最も大切にしたのは、だれか。それは、ガーナの名もなき庶民――とくに婦人たちであった。
 独立の最大の功労者は、大学出のエリートではなかった。地位や肩書だけの人間ではなかった。そういう人間の多くは、自己中心で、国のことなど考えないものである。一人一人の庶民のことなど眼中にない。
 本当に頼りになるのは庶民の女性たちである――と博士は見抜いていた。
 彼女たちは、村や町をすみずみまで歩き、一軒また一軒、一人また一人と対話を重ねた。熱弁をふるってガーナの民衆を目覚めさせていった。敵に勝つために、自分の国を幸福にするために、平和にするために動こう! 語ろう!――と。
 彼女たちは叫んだ。
 「私たちとともに、立ち上がろう!」
 「ガーナの独立のために団結しよう!」
 「横暴な支配者を叩き出そう!」
 彼女たちが生き生きと呼びかけると、何千人もの人々が動き出し、集まった。そして革命の歌を楽しく、愉快に歌いながら前進した。
 「声仏事を為す」である。生き生きと「声」を出してこそ、広宣流布という「仏事(仏の仕事)」は進んでいく。また勤行の声も、いやいやながらの疲れた声ではなくて(笑い)、生き生きと、「感激」に満ち満ちた声でありたい。
 題目を唱えるほどの遊楽はない。妙法を唱える声は、全宇宙のはるか遠くまでも、ただちに届いていく。唱えた分だけ、人に教えた分だけ、自分自身が悠々と宇宙を遊戯できる境涯になっていく。三世永遠の福運と大生命力の源泉が題目なのである。
21  闘争の指導者であったエンクルマ博士は何度も命を狙われた。
 権力に追われている博士を、命の危険を冒してまでかくまったのも二人の女性であった。(K・エンクルマ『わが祖国への自伝』、野間寛二郎訳、理論社)
 博士は語っている。
 「いかなる武力も打ち負かせない力がある。その力とは、全民衆の″情熱″と″決意″である」
 「つまるところ、民衆にこそ最後の決定権があることを、我々は常に忘れてはならない。民衆は常に、抑圧と腐敗に対して、自由と正義を選択するものである」「いかに手強い勢力であろうと、団結した民衆に打ち破れないものはない」(いずれも『エンクルマ語録』から)
 民衆に、かなうものはない。ゆえに民衆とともに生きゆく限り、永遠に無敵である。
22  あのベトナム戦争も、ベトナムの「民衆の力」を証明した。
 中国が日本の侵略を打ち破ったのも、「断じて戦い抜く」と決めた民衆の力が根本であった。その根本を見抜けなかった人々は、当時の中国の首都であった南京ナンキンを陥落させたとき、これで勝ったと思った。しかし、そうではなかった。
 創価学会も、永遠に「民衆とともに」生きる。永遠に「民衆のために」生きる。ゆえに永遠に盤石であり、永遠に栄えていくにちがいない。そのために、今、私は民衆の大指導者たるべき青年部の成長に全魂を打ちこんでいる。いかなる時代になろうとも、この青年たちがいれば大丈夫だ、安心だ――そう言える青年部を私は、つくっておきたいのである。
 我々は、どこまでも偉大なる「民衆のスクラム」で進みましょう!(拍手)
23  台湾SGI(中華創価仏学会)の六年連続の「優良社会団体」の受賞を心から祝福したい。おめでとう!(拍手)
 (「優良社会団体」は、台湾の内政部が、社会福祉と公益的な活動を積極的に進めている団体を顕彰するもの。六年連続の受賞は、今回の受賞三十団体の中で唯一である)
 牧口先生は言われた。
 「人を救い、世を救うこと以外に、宗教の社会的存立の意義があろうか」と。
 「人間のため」「民衆のため」「社会のため」の宗教でなければ、何の意味もない。これが、日蓮大聖人の真の教えであると思うが、どうだろうか。(拍手)
 牧口先生も、台湾をはじめ世界の友の「社会貢献」の活躍を、さぞかし賛嘆しておられるであろう。
 この創価の人間主義の大道を、わが青年部の諸君は、何ものにも臆さず前進していただきたい。
 臆してはならない。大聖人の仏法をたもった我々に、恐れるものなど何もない。こわいのは、ただ、「妙法」という峻厳なる因果の理法に裁かれることだけである。
24  中国革命の父・孫文「心ができると信ずれば必ずできる」
 「民衆こそ皇帝なり」「民衆こそ王者なり」。そう高らかに掲げた東洋の巨人・孫文も、底抜けに朗らかであった。
 腹の決まっている人は明るい。神経質に、びくびく恐れたりしない。
 一九〇五年、孫文は東京で「中国革命同盟会」の結成を進めていた。そのころに、こんなエピソードがある。
 「新しい力の結集」を期して、準備の会合を意気軒高に開催したときのこと。突然、思いがけないことが起こった。
 それは何か? 警官隊が踏み込んできたのか? そうではない。予想以上に大勢の人が集まったため、重みで、会場の後ろの床が抜け落ちてしまったのである。
 私もかつて、文京支部で戦っていたころ、会合にあんまり人が集まりすぎて、会場の床が落ちてしまったことがある(笑い)。
 さて孫文である。けが人はなかったが、皆、顔色を変えた。「これから出発しよう」という時に、不吉だったからである。当時は縁起をかつぐ人も多かった。
 しかし、その時、孫文は即座に、そして悠然と言い放った。
 「なんとめでたいことだ! 敵を踏みつぶす前触れではないか!」
 この一言で、いやな雰囲気は一変した。皆の心が明るくはじけ、いっせいに歓呼の声がわき起こった。
 「口」である。「頭」である。たとえ状況が厳しくとも、リーダーの言葉一つで、皆の心を明るく変えていける。一変させられる。いい意味で、口をうまく使っていくことである。
 もちろん、ただのふざけは信用されない。皆を勇気づけよう、希望の方向、価値的な方向に向けようという聡明な発言でなければならない。
 ともあれ革命児は、何があってもたじろいではならない。たとえば舞踊家が、観客のヤジにたじろいで踊れなくなったならば、もはや舞踊家ではないであろう。
 神経質に一喜一憂するのではなく、度胸よく、たくましく、そして楽観主義で、前へ、また前へと進んでいくことである。
25  孫文の革命の人生は「七転び八起き」どころか、「十三転び十四起き」といわれている。それほど、失敗の連続であった。
 しかし、へこたれない。絶対にへこたれない。失敗のたびに、ますます闘志を燃やした。立ち上がった。挑戦した。男らしく戦った。
 それを繰り返して、彼は、ついに勝ったのである。
 また孫文は、失敗しても、そのたびに新しい仲間を増やした。味方をつくった。連帯を拡大した。ふつうは一度、負けてしまうと、そのまま勢いをなくしてしまうものである。しかし孫文は違った。
 私も、孫文と同じように戦ってきた。リーダーは、この方程式を胸に刻んでいただきたい。
 孫文は語っている。
 「わが心が、これは行ないうると信ずれば、山を移し海を埋めるような難事でも、ついには成功の日を迎える。わが心が、これは行ないえぬと信ずれば、掌をかえし枝を折るような容易なことでも、成功の時は来ない。心の作用はかくも大きいのである。心とは万事の本源である」(「心理建設」伊藤秀一訳、『孫文選集』2所収、社会思想社)。
 仏法にも通じる卓見である。「心こそ大切なれ」である。
 孫文は人々に「心」を教えた。「革命の精神」を教えた。だから最後に勝った。ただ単に、技術を教え、作戦を示すだけでは、あの大革命は成らなかったであろう。
 だから私も「信心」を教えたい。戦う「心」を教えたいのである。
26  「勇猛精進」を合い言葉に前進
 明年は一九九八年。その四十年前(一九五八年)の新年、戸田先生は「大白蓮華」に巻頭言を寄せられた。
 ご逝去の年である。まさに、戸田先生の遺言といってよい。その題名は、ただ一言、「勇猛精進」であった。これには深き意味があると思う。
 思えば、日蓮大聖人の御入滅は、「常陸の国」へ向かわれる道中であった。
 「常陸」は「日立」に通ずる。「日」の「立」つ地である。世界へ向かって旅立っていかれる意義とも拝せられようか。まことに不思議である。
 戸田先生いわく「すでに創価学会は、七十余万世帯という大発展をとげ、日本の全国民の注視の的ともなっている。それだけに三類の強敵も、ますます激しくなるであろう。いかに敵が強くても、恐れてはならない。従ってはならない」。
 「『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』のご聖訓を日夜誦して、きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
 まず、肚を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」(『戸田城聖全集』第一巻)と。
 この戸田先生の遺言を、私どもは、生命に刻んで、邁進していきましょう!(拍手)
27  御聖訓にも「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり」――三類の強敵を顕さなければ、法華経の行者ではない。三類の強敵を顕すのが、法華経の行者である――と。
 また「謗法ほうぼうを責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」――謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるようなものである――と明快に仰せである。
 さらに「法華経の敵をだにも・めざれば得道ありがたし」――法華経の敵を責めなければ、成仏はできないのである――とも述べられている。
 難が起きたら、そのときこそ成仏できるのである。ゆえに、喜ぶべきである。「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が起きてくることが安楽であると心得なければならない――のである。
 私たちは、あえて難を呼び起こして戦っている。「法華経の行者」として、仏になることは間違いない。今世で、いったん仏の生命を固めれば、永遠に、永劫に仏である。そのためには、現在の少々の苦難は耐えるしかない。
 皆さまには、学会員であるがゆえの、さまざまな苦労もあろう。しかし、だれからも、何の批判もされないようでは仏道修行にならない。長い目で見れば、誹謗された分だけ、自分の眷属、味方も多くなっていく。それだけの境涯になっていくのである。
 どうか皆さまは、喜び勇んで、人生を「名優」のごとく生きていただきたい。それぞれの使命の舞台で、それぞれの役柄を、さっそうと名優のごとく演じながら、楽しく、仲良く進んでいただきたい。
 お元気で、よいお正月をお迎えください。全世界の皆さま方のご多幸を心から祈ります。
 「勇猛精進」を合言葉に、来年も戦いましょう!
 (東京牧口記念会館)

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