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日蓮大聖人・池田大作

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関西広布50周年開幕記念代表者会議 関西は「民衆勝利の英雄の都」

1997.11.22 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  関西は広布飛躍の大舞台
 不思議にも、広宣流布の飛躍の時は、常に、わが関西が大舞台となる。
 見事な大文化祭、またSGI(創価学会インタナショナル)総会・関西総会など、一切の記念行事の大成功、本当におめでとう! また大変に、ご苦労さまでした。(拍手)
 大文化祭の全出演者ならびに役員の方々に、また海外の友を真心から迎えてくださった関係者の皆さま、そして陰で祈り、支え、守ってくださったすべての関西の同志の皆さまに、あらためて、私は心から感謝申し上げます。
2  「陰徳あれば陽報あり」――世間に知られない善行を行えば、必ず目に見える具体的な善報がある――と日蓮大聖人は仰せである。
 また「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」――今は知られなくとも誠意があれば、いつか外にあらわれての徳があるといわれるとおりである――との御聖訓の通り、その福徳は、あとになればなるほど光っていくにちがいない。
 ともあれ、各支部・各地区、各ブロックまで、全関西が一つになって勝ち取った「偉大な勝利」を、私は最大にたたえたい。
3  トインビー博士の約束を実現
 私と二十世紀最大の歴史学者であるトインビー博士との対話は、出版されているもの(『二十一世紀への対話』本全集第3巻収録)以外に、もう一冊分の記録が残っている。
 その中でトインビー博士は「最後の言葉」として、こう語っている。
 「私は、このような対談(=池田名誉会長との対談)は、世界の諸民族、諸宗教の融和にきわめて大きな役割を果たすものと思います。私たちは、いま日本人とイギリス人の対談をしたわけですが、今後、『日本人とロシア人』『ロシア人とアメリカ人』、なかんずく『中国人とロシア人』との対談がなされることを願っています。もし、そうした対談ができるようになれば、さまざまな融和・結束に大いに役立つことでしょう。おそらく、創価学会はそうした対話のいくつかを開始することができるでしょう」と。
 これがトインビー博士の遺言となった。
 トインビー博士は私を「行動の人」として深く信頼してくださった。私はその信頼に応えて、世界の知性と対話し、対談集を残してきた。
 トインビー博士が願った第一の課題「日本人とロシア人の対話」もみずから開始した。(一九七四年、ロシア初訪問から)
 また第二の課題「ロシア人とアメリカ人の対話」についても、一貫して「米ソ首脳会談」を提唱してきた。その民衆の声に応えて米ソを結び、冷戦を終結させたのがゴルバチョフ元大統領である。
 さらにトインビー博士が願った第三の課題「中国人とロシア人の対話」のために、私は両国を相次いで訪問した。それぞれの首脳に「中ソの和解」を率直に訴えてきた。
 ゴルバチョフ元大統領は、ロシアと中国の国交を正常化した″立役者″である。今回、そのゴルバチョフ博士ご夫妻をはじめ、世界中の友を、ここ関西に迎え、壮大な平和と文化の交流を刻むことができた。
 トインビー博士との約束が、四半世紀を経て、ひとつの大きな結実を見たことを、私は喜びとし、誇りとしている。(拍手)
4  ナチスの猛攻にロシアは奮い立った
 ところで、ゴルバチョフ博士にとって、人生で最も深く、胸中に刻まれた日は、いつか。それは、ロシアがナチスによる侵略を打ち破った日であると語っておられた。
 博士の少年時代もまた、戦争によって苦しめられた。愛する故郷を蹂躙され、ゴルバチョフ少年は、家族と離れて、村から離れた農家に身を隠さねばならなかった。博士の平和闘争の原点には、若き生命に刻んだ「戦争に対する激しい怒り」がある。私も同じである。
 ロシアに対するナチスの侵攻は熾烈であった。とくにロシアの古都サンクトペテルブルク(レニングラード)は、じつに九百日もの間(一九四一年九月から四四年一月)、ナチスによって包囲され、攻撃され続けた。犠牲者は、およそ百万人ともいわれる。
 私も、最初のロシア訪問の折、この地を訪れ、追悼を捧げた。
5  独裁者ヒトラーは「この地球上から、サンクトペテルブルクを抹殺する」と宣言してはばからなかった。それに対し、市民たちが、どれほど勇敢に戦ったか。そのエピソードは、枚挙にいとまがない。
 また若き世代は、この試練のなかでも、懸命に学び続けていた。ある十六歳の生徒は、こう綴っている。
 「寒い、恐しい冬が近づいていました。敵の飛行機は、爆弾といっしょにビラをまきました。そのビラには、レニングラードを壊滅させると書いてありました。私たちは全員餓死するとも書かれてありました。彼らは、私たちを驚かしたつもりだったでしょうが、私たちは逆に、新しい力をみなぎらせたのです」(『戦うソヴェト・ロシア一九四一〜四五』〈1〉中島博・壁勝弘訳、みすず書房)
 サンクトペテルブルクは、ロシアの「勇気のシンボル」となり、「英雄都市」とたたえられるようになった。足かけ四年にわたって戦い抜き、ついにナチスを撃退した。
 どんなに卑劣な恫喝を加えられようとも、驚かない。たじろがない。恐れない。圧迫が大きければ大きいほど、新しい力をみなぎらせ、無限のエネルギーを沸(わ)き立たせていく。これが「関西魂」である。
 邪悪と「戦う心」がなくなったら、もはや日蓮仏法ではない。「やるぞ!」という心がなくなったら、ただの拝み屋になってしまう。難があった時に、「師子王の心」を出して戦う。この「関西魂」が燃える限り、学会は「永遠に常勝」である。
6  チリの民主化を実現させた民衆パワー
 民衆がどれほど偉大な力を秘めているか。これについて、チリのエイルウィン前大統領との対談集『太平洋の旭日』(一九九七年十月、河出書房新社)でも語り合った。
 チリに民主化をもたらした一九八八年の国民投票。それは、もともと軍事政権が自ら決めたものであった。というのは、権力者たちは、マスコミを抑え、巨大な権力を振りかざすことによって、国民に「軍事政権賛成」の投票を強要できると思い込んでいたのである。はなから、民衆を愚弄していたわけである。
 「ならば、その敵の土俵の上で、堂々と軍事政権を打ち破り、平和裏に民主主義を取り戻そうではないか!」――そう最初に声をあげた勇者が、エイルウィン前大統領である。
 「国民の過半数は、独裁を終わらせることを願っているのだから、私たちの呼びかけに応えてくれるはずだ!」と。
 しかし、多くの仲間は、″どうせ勝てっこない″″幻想に過ぎない″と冷ややかに笑った。彼らは口々に言った。
 「国民投票とは、独裁者たちがその体制を表面的に整えるための手段である。これまでの歴史で、国民投票に負けた独裁者などいたか?」
 「国民投票に参加するのは、敵の思うつぼだ」――と。
 しかし、エイルウィン前大統領は、あくまで民衆を信じ、ひたすら民衆に向かって叫び続けた。「恐怖と、あきらめを乗り越えよう!」恐れるな。あきらめるな。そんな弱い心は、たたき出してしまえ! この獅子の声が民衆の心を一つにしていった。
 そして、目ざめたチリの民衆は、陸続と選挙人登録を行い、自らの権利を行使した。軍事政権の国家主義へ「ノー」の一票を、次々に投じていったのである。
7  民衆を信じる。民衆の賢さと智慧を信じる――この前大統領の一念から、偉大なる「民衆勝利」の歴史が回転していった。
 「歴史を動かす英雄」は民衆である。民衆を離れて社会の進歩はあり得ない。この一点で、私たちはピタリと一致したのである。
 明年の「民衆勝利の年」も、今、関西から音を立ててスタートしたと申し上げたい。(拍手)
 対談集の最後に、私は質問した。「二十一世紀は明るいと見てよいでしょうか」と。
 前大統領は、こう答えられた。
 「私は生来、楽観主義です。私は人類のことを信じています。憂慮すべき問題はたくさんあります。そのうえ、歴史は人類の進歩の歩みは一直線ではないということを示しているのです。むしろ、向上しながらも、急降下があり、多くの障害があるのです。それでも、私は、二十一世紀を楽観的に希望をもって見ています」と。
 私もまったく同感である。
8  青年が開け! 「希望と勇気」の世紀を
 ともあれ、二十一世紀をどうつくり、二十一世紀へどうつなげていくか。一切の焦点は、ここにある。そのための布石を、今、私は日々、懸命に打ち続けている。
 要するに、「人間」をつくる以外にない。「二十一世紀の人材を育てる」ことが、「二十一世紀の希望」を育てることである。
 今回、頼もしき大成長を遂げた関西青年部が、この「人材育成」「人材革命」の先頭を進んでいただきたい。民衆が「希望と勇気」に燃えて進める新世紀を、青年が開いていただきたい。
9  ここで御書を拝したい。
 「仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候
 ――仏になる道は、必ず身命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるであろうと思われる。
 法華経の経文に「(この経を弘める者は)悪口され、ののしられ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げつけられ、たびたび追放される」と説かれている。すでに、その通りに(私が)このような目にあっていることこそ、法華経を身で読むことになるのであろうと思い、いよいよ信心もおこり、未来世の果報も、たのもしく思われる――。
 大難と戦えることは、仏になれるゆえに、大功徳なのである。三世永遠の誉れなのである。
10  十一月二十日の夜、ゴルバチョフ博士ご夫妻をお見送りして、関西創価学園を車で出るとまもなく、金星がひときわ皓々と光って見えた。新世紀の「創価の一番星」「常勝の大明星」が関西から輝きわたる姿と、私には映った。
 また、車中から仰ぐ大阪城の夜景も壮観であった。まさしく大鵬の羽ばたくごとき風格をたたえている。
 戸田先生は、私に詠んでくださった。
 「大鵬の空をぞかける姿して 千代の命を くらしてぞあれ」(『戸田城聖全集』第一巻)
 私は、この戸田先生のお心のままに五十年間、全世界を駆けめぐってきた。
 愛する「世界の関西」の同志もまた同じ心で、二十一世紀の常勝の空高く飛翔されゆくことを祈って、私のスピーチとしたい。
 きょう、お会いできなかった皆さまにどうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 (関西文化会館)

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