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日蓮大聖人・池田大作

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第十六回本部幹部会、第九回第二東京総会… 青年よ、二十一世紀へ「常勝の橋」を

1997.11.8 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  モンゴルは「青年の大国」「教育の大国」
 尊敬するガンツォグ学長ならびに令夫人、尊敬するメケイ副学長はじめモンゴル国立大学の諸先生方。二十一世紀へ、壮大な「平和と友情の虹」を架けゆく希望の学府・モンゴル国立大学から、ただいま私は、誉れある「名誉人文学博士」の学位記を拝受いたしました。心から御礼申し上げます。(拍手)
 貴国の美しき「黄金の秋」は、まことに有名であります。私どもにとりましても、創立記念の十一月は、まさしく「黄金の月」であります。
 この佳節に賜りました栄誉を、私は日本全国そして世界百二十八カ国の同志とともに分かち合い、喜び合いたいのであります。(拍手)
 今、私の胸には、詩心光る貴国の国民詩人ナツァグドルジがうたった「我が故郷」の一節が浮かんでまいります。
2  遠方よりきらめき見ゆる白銀の高き山々
 晴れわたる空のもとに広がる大草原
 見はるかす彼方に見ゆる気高き山々
 人の心和まする果てしなき草の海原
  これぞわが生まれし故郷
  モンゴルの麗しき国
  (蓮見治雄著・訳、『図説 モンゴルの遊牧民』新人物往来社)
3  憧れのモンゴルは、蒼き天空も大きい。緑の大地も大きい。白雪の山並みも大きい。
 そして、人間の心も、また大きい。国土も狭く、心も狭い日本とは大違いであります。
 貴国は、はつらつたる学びの息吹みなぎる「青年の大国」であり、「教育の大国」であります。国民の平均年齢は十八歳。じつに、人口の約三分の一が、学生ならびに教育関係者であるとも、うかがいました。
 「人間」をつくり、「未来」をつくるのは「教育」です。「富」がいくらあっても「人間教育」がなければ未来はありません。
 その先頭に立つ、若き「知性の帝王」が、きょう、お迎えしたガンツォグ学長であります。三十六歳の冴えわたる頭脳の物理学者であられる。
 十一月二日に定礎式が行われた創価大学の新・本部棟には、世界百八十大学のメダルを結集し、基底部に納めました。
 そのメダルを、どこよりも早く、まっ先に届けてくださったのが、モンゴル国立大学であります。(拍手)これまた、さすが青年学長ならではの″電光石火″のスピードであると、私は深く感嘆いたしました。
 青年の力はすばらしい。きょう、モンゴル語の通訳を務めておられる方は、創価学園の出身です。(東京の創価高校十九期、東京外国語大学大学院に在籍し、モンゴル国立大学に在学中)
 「いつか必ずモンゴルとの交流が始まる」と確信して、モンゴル語を学んだという。その誓い通りの晴れ姿を、私はたたえたい。また御礼申し上げます。(拍手)
4  戸田先生の遺言――三代会長を守れ
 本日は、うれしいことに、牧口家、戸田家の皆さま方も、ご臨席くださっております。
 私が、戸田第二代会長の後を継いで、第三代会長に就任したのは、三十二歳の時でありました。
 「三代会長は、青年に託す。青年しか信用できない。若き三代会長を支えていくならば、絶対に大理想を実現できる」これが恩師の遺言だったのであります。
 恩師が亡くなった時、世間は、創価学会は「空中分解する」「壊滅寸前」等と騒ぎ立てていました。相も変わらぬ無責任な言論でありました。またこの時、私は、まったく無実の罪で裁判中であり、そのうえ、常に高熱にさいなまれる病身でもありました。
 だが、再三再四の会長就任への要請に、私は応えざるをえませんでした。
 「青年だ、男子だ。堂々と前進してゆこう。怒涛と嵐と、山と砂漠を乗り越えて――」(本全集第37巻収録)――当時の日記の一節であります。
 私は学会の会長職が、どれほどの激務か、わかっていました。法華経に説かれた三類の強敵と一人、矢面に立って戦わなければならない。死を覚悟しなければ絶対にできない。それが″本物″の民衆運動である創価学会の会長であります。
 会長就任のその日、妻は言いました。「きょうは、池田家のお葬式です」と。
 先輩たちの中には、意地の悪い目で、様子を傍観している人もいました。
 しかし、私はまず恩師の七回忌を目標に、「いつ、倒れてもよい。成すべきことは、きょう成し遂げる」という決心で、ただ一筋に走りました。
 最初の数年は、いつ春になったのか、いつ秋になったのかもわからないほどでした。
 そして、第一段階の課題をすべて果たし、私は、恩師から託された「創価大学」の設立構想を発表したのであります。(一九六四年〈昭和三十九年〉六月三十日、第七回学生部総会で)
 その時、三十六歳。ちょうど、いまのガンツォグ学長と同じ年齢でありました。
5  貴国の美しい言葉に、「若人は湧き出ずる泉」であり、「若人の道のりは長い」とあります。青年こそが、新世紀の舞台の役者であり、主役であります。
 近年において、貴国の民主化を無血で成就したのも、何ものも恐れぬ青年の行動でありました。
 一九九〇年、氷点下三〇度という厳寒の広場に、少数の青年が集まり、決死の覚悟で「今こそ、勇気を奮い起こそう!」と、声高らかに叫んだ。その情熱たぎる決起が、全国土に波動を広げたのであります。
 「モンゴル」の国名に「勇敢なる人」という意義がある通り、まさしく「勇敢なる若人」が歴史を変えたのであります。
 ゆえに、私は、わが後継の青年部に、最大の期待を込めて、モンゴルの″魂の詩″を贈りたい。
 すなわち、「卑怯者が読んで 身震いするような真実の声が必要だ」(M・ツェデンドルジ「君の詩の言葉は」、松田忠徳訳、飯塚書店)と。
 卑怯者、臆病者、裏切り者を震え上がらせる「真実の声」――これこそが獅子吼であります。
 ゆえに、私はこう申し上げたい。
 「青年よ! 立ち上がれ!」「一切を青年部が引き受けよ!」と。(拍手)
 そして、一生涯の福運と歴史を積んでいただきたい。
 今世紀から二十一世紀にかけて、「常勝また常勝の『黄金不滅の橋』をつくれ!」「後輩が勇んで続く大道をつくれ!」と申し上げたいのであります。(拍手)
 かつて戸田先生が言われました。「大作、二人でモンゴルの草原を馬で走ってみたいな」と。
 先生と私は雄大な心で話し合いました。ある時は、「大作、厚田村へ行こうな」と。このような「師弟不二」の私と先生でありました。
6  詩心あふるるモンゴルには、皆が詩歌を朗読しあう場が、そこかしこに広がっております。
 それは、いにしえの日本にあって、貴族的な衰弱した歌集ではなく、かの「万葉集」という力強い人間の賛歌を生んだ、民衆の底力を想起させます。
 本日は「第二東京総会」でもありますが、ここ武蔵野も「万葉集」の舞台の一つであります。
 「語る」ことが、人間の人間たる証であります。民衆が充実の生命を躍動させながら、生き生きと声を発していく。その生命力を取り戻していかなければ「二十一世紀の日本はない」と、私は思うのであります。(拍手)
7  後輩を育てる指導者が偉大
 ところで、「腕力の勝れた為政者は、自分の時代だけを栄えさせる。英知の勝れた為政者は、後世をも栄えさせる」とは、貴国の王、チンギス・ハンの戒めであります。
 現代社会の行き詰まりの原因も、一次元から言えば、指導層が、すべて「自分中心」であり、あとに続く後輩たちのことも、また未来のことも、何ら考えていないところにあると言ってよいでありましょう。
 なかんずく、独善の宗教は、民衆を自らの権威に隷属させようとする。
 貴国には、次のような警句があります。
 「よくなれば僧侶のおかげ。悪くなれば宿業の因果」(坊主というものは、いいことは自分の手柄とし、悪いことは都合のいいように、ごまかすものである)
 また「僧侶のいたところで、虚偽の噂を待て! 蝿のいたところで、ウジを待て!」(蝿がいるところに、ウジ虫がわくように、坊主のいるところには、でたらめのウソがはびこるものである)
 じつに鋭く喝破しております。
 だからこそ、一人一人を、何ものにもたぶらかされない知者へ、賢者へと高めゆく「教育」が重要なのであります。この点、とくに貴国が、「学習者中心の教育」を掲げて進んでおられることに、私は深い共鳴を覚える一人であります。
8  牧口初代会長は「教育者は、自らは尊敬の的となる王座から降りて、王座に向かう後輩を指導する公僕であらねばならない。そして、手本を示す主人ではなく、手本に導く伴侶となるべきである」(『牧口常三郎全集』第六巻。引用にさいしては一部現代表記に改めた)と論じておりました。卓見と思います。
 自分が尊敬されようというのではなく、「手本」を指し示しながら、″手本に向かって一緒に成長していこう″というのが本当の教育者であり、指導者なのであります。要するに、「先後不二せんこうふに」――すなわち、先輩と後輩は「一体不二」であり、″二にして二ならず″であります。
 先輩が威張り、後輩が怒られる。教育者が威張って、学生が下になる。国民が政治家に威張られる――これでは、まったく転倒であります。いちばん偉いのは民衆であります。幹部と会員の関係も同じであります。
 したがって、自分の後継ぎの後輩たちを、どのように育て上げたか。後輩を立派に育てた人こそが偉大であり、その人が勝利者であることを、ここに確認しておきたいと思うのであります。
9  モンゴル・日本に友好の新史を
 これまで貴国と日本の間には、残念ながら、二つの暗い接点だけが大きく歴史に残されてきました。つまり、十三世紀のいわゆる「元寇」と、今世紀の「ノモンハン事件」であります。
 しかし、それぞれ、その渦中にあって、まさに今日のために、偉大にして不滅なる「平和の種」が蒔かれていたことを、私は厳粛に思い起こすのであります。
 一二七五年、貴国からの五人の使者を、時の幕府は竜の口で、理不尽に斬首いたしました。人道上、許されない蛮行であります。三十四歳の正使(団長)を中心にした堂々たる外交使節でありました。
 この折、日蓮大聖人は、「科なき蒙古の使の頸を刎られ候ける事こそ不便に候へ」――何の罪もないモンゴルの使いが首をはねられたことこそ、かわいそうでならない――と嘆かれました。
 もしも幕府が、大聖人の諫言を用いていたならば、モンゴルの使者の首を切らずにすんだのであります。
 大聖人は、国家の対立や、民族の相違などにとらわれてはおりません。ここには、一人の人間の尊厳を根本として、人間主義のネットワークを広げゆく心が、示されていると思うのであります。
 また、一九三九年(昭和十四年)、日本軍が貴国を攻め、「ノモンハン事件」を起こしました。
 そのころ、牧口初代会長は、国家主義の暴走に対峙して、地道な座談を積み重ね、平和への民衆勢力を築いておりました。静かに、そして強く――。
 そして、この年に、牧口会長は、命をなげうつ闘争のなか、はるかな未来を展望し、「創価教育の学説を実践する学校ができるんだ。必ず戸田君が後を引き継いでやってくれるよ。大学までできるよ」と断言していたのであります。
 そして私が、戸田先生の遺志を受け継いで、その言葉を実現させました。
 ともあれ、仏法では「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説きます。「心地観経」の文とされます。魂の真髄の法則を説いた経文です。「今」の一歩が、「未来」をつくるのであります。
10  これまで、哲学なき日本は、近隣のアジアの国との友好を軽んじてきました。その遠近感は明らかにおかしい。それが、日本をアジアの孤児としてきた一凶でありましょう。
 ゆえに私は、貴国との不幸な歴史の「空白」を、今こそ「文化」の力で埋めたい。「教育」の力で埋めたいと思うのであります。
 かつて、貴国の壮大な交流の展開は、東西を結び、かのルネサンスにも影響を及ぼしました。
 またモンゴルは、地理的にも、多くの国々を結ぶ要所であります。「二十一世紀の焦点はモンゴルなり」とは、私の一貫した主張であります。
 私は、モンゴルの皆さま方と力を合わせて、「戦争と対立の世紀」を「平和と共生の新世紀」へと、断じて転換してまいりたいのであります。
11  きょうは、戸田先生の生まれ故郷・北陸の総会でもありますが、西暦二〇〇〇年は恩師の生誕百周年であります。
 この年を、わが学会は、盛大な「二十一世紀の開幕」として、全員が元気で、若き生命力を満々とたたえながら、祝賀してまいりたい。(拍手)全員が元気に集合しましょう!(拍手)
 また、今世紀に亡くなられた功労者の方々も、三世の生命観に照らすならば、皆、新しき使命を担って、この陣列に勇んで戻ってくると確信するのであります。(拍手)
 きょうは、全国の幹部の代表、わが芸術部、わが同志・青年僧侶改革同盟の方々、海外二十六カ国のSGIの方々、本当にありがとうございました。(拍手)
12  日々戦え、日々前進せよ
 最後に御聖訓を拝したい。
 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」――一生むなしく過ごして万年に悔いを残してはならない――。
 「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず」――三類の強敵を出現させなければ、法華経の行者ではない――。
 私はこの仰せの通り、三類の強敵を出現させました。
 「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ」――法華経を説のごとく行ずる行者には、三類の強敵が必ず起こると知っていきなさい――。
 「からんは不思議わるからんは一定とをもへ」――よい状態は不思議であり、悪いのが当たり前と思っていきなさい――。
 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」――一人一人が師子王の心を出して、いかに人におどされても恐れてはならない――。
 「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」――(法難の時に)師子王のごとき心をもつ者は必ず仏になることができる――。
 これが大聖人の結論です。要するに「勇気」こそが結論なのです。
 「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」――月々、日々に信心を強くしていきなさい。少しでも、たゆむ心があれば(そのすきに)魔がつけこんでくる――。
 「日々、戦え」「日々、前進せよ」と仰せであります。そうでなければ魔が命に入って、仏になれません。
13  結びに、敬愛する貴大学のいよいよのご隆盛、そして学長ご夫妻はじめ、ご出席の先生方の更なるご健康とご活躍を、心より祈念いたします。
 そして、新世紀の民衆が勝利する「勝利の大草原」へ、颯爽と、また朗らかに駆けゆくことを約し合って、私の謝辞といたします。(拍手)
 バヤルララ!(ありがとうございます)!
 (創価大学記念講堂)

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