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日蓮大聖人・池田大作

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第15回本部幹部会、第七回東北総会、第… 「正義のドラマ」を愉快につくろう

1997.9.25 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  知事の信念は、「ともかく歩く」こと。「自分の足で、恵まれない人のために、その人のところへ行って、対話をします」と、語って折られる。いわば「草の根の対話」に徹することである。
 歩くこと――これは、″テレビ時代″の現代においては、「古い方法」かもしれない。テレビを通して、いい格好を見せることに比べれば、地味であり、愚かのように見えるかもしれない。
 「しかし、じつはこの方法が、いちばん、現実的で、いちばん、結果がでるのです。これが長年の経験の結論です」と知事は言う。
 事実、知事は一軒一軒、地道な対話を重ねて、州民の心を、がっちりとつかんでおられる。
 州民のある人は、こう言ったほどである。「フリバルド(知事)が死んだ後でも、私たちは彼に投票したい」と。
 (知事は二回暗殺されかけたことがある。初めの七一年の時、銃撃された知事をかくまった家では「たとえ暗殺者が来ても、私たちが知事を守ります。安心してください」と言ったという)
 私も常に「現場へ行け!」「現場を歩け!」と教えてきた。その通りにやったところは伸びている。傲慢になって、自分がやらなかったところは敗北している。
 (フリバルド知事については、「大白蓮華」の連載「忘れ得ぬ世界の友」の第一回(九六年十一月号)でも紹介されている)
3  チリ・エイルウィン前大統領との対談集発刊へ
 話は南米に移る。このほど、チリ共和国の哲人指導者エイルウィン前大統領と私の対談集『太平洋の旭日』が、ほぼまとまり、いよいよ発刊の運びとなった。(九七年十月三十日、河出書房新社)
 本日(九月二十五日)は、遙かなる″太平洋の隣人″チリと日本が修好を結んでから、ちょうど百周年に当たる。きょうの意義深い佳節を″心と心を結ぶ一書″で飾ることができ、私は大変に、うれしい。(拍手)
 (名誉会長は、世界平和と両国の友好交流に尽くした功績に対して、チリ共和国から同国最高の「功労大十字勲章」〈九三年十月〉を、また首都サンティアゴ市から「輝ける賓客章」〈九三年二月〉を受章している)
 チリでは、一九七三年から十六年にわたって、残虐な軍の独裁が人民を支配し、弾圧した。冤罪(無実の罪)によって惨殺された人は二千五百人。行方不明者、つまり闇から闇へ葬られた人は千人。不当に逮捕された人は十七万人。亡命を余儀なくされた人は三十万人。何という悲劇の歴史か。
 日本も将来、そういう方向へ進まないとは、だれも言い切れない。そんな不幸な流れは、流れが小さいうちに、断じて、せき止めておかねばならない。
 チリの恐るべき軍政を打倒し、平和裏に民主化を成し遂げた中心者が、エイルウィン前大統領である。人類史の流れを大きく変えたリーダーシップといえよう。
 私は対談集の「前書き」に、こう綴った。
 「私は強大なる権力と戦った人を尊敬する。その代表的人物の一人である青年革命児エイルウィン先生の人生行路を尊敬する。平凡な、そして実直な、波風を立てない人生を生きる人も多い。それはそれで立派な人生といえるかもしれない。しかし、より良き社会を、より良き未来を、より良き進路を創るため、生命を賭しての正義の戦いをしてゆく人を、私は深く尊敬し理解する」
4  対談の中で、前大統領は数々の貴重な秘話を語ってくださっている。
 たとえば、一九八三年、圧政に立ち向かう国民の「独創的な抗議運動」が、どのようにして始まったか――。
 いうまでもなく、当時は、抗議の集会を行えば、ただちに解散させられ、参加者は逮捕された。陰湿なる権力の妨害や脅かしに絶えず、さらされていたのである。
 その中にあって人々は、あらかじめ決めておいた日の夕暮れ時に、家々の戸口や窓や中庭で、鍋や釜やヤカンなどを、いっせいに思いっきりたたいて、三十分から一時間ほど大きな騒音をたてた。暮れなずむ町に、にぎやかな金属音を鳴り響かせて、「庶民の怒り」をアピールしていったのである。
 知恵である。庶民の知恵であり、勝つための知恵である。
 私どもも叫ぶべきである。にぎやかに、朗らかに、民衆が″本当の思い″をぶつけていく時、時代は変わる。正義を叫ぶのに、遠慮はいらない。遠慮は悪である。
 戦いの鐘を打ち鳴らす――この行動の一回目の参加者は、わずかであった。しかし数日後、再びした時は、多くの人たちが加わった。民衆の「知恵」と「勇気」、そして「団結」の偉大なる第一歩であった。
 こうしたエネルギーが、さらに強く大きく高まって、やがて一九八八年、世界に名高(なだか)い歴史の日を迎える。ついに国民投票で、軍事政権に対して厳然と「ノー!」を突きつけたのである。「独裁は認めない!」と。見事な「民衆の勝利劇」であった。
5  大事なことは、「広宣流布の新しいエネルギー」を、どうつくるかである。これを考えるのが指導者の役目であり、知恵である。
 知恵をしぼってこそ指導者である。会合でも何でも、いつも同じような、惰性の活動では、皆がかわいそうである。新鮮味がなくなり、行き詰まってしまう。
 日本も、また世界も、二十一世紀に向かって今、明るい展望が開けないでいる。新しき前進! 新しきエネルギー! そのためには、何が必要か。
 それは、自分から、まず「何かに動く」ことである。「何かを始める」ことである。「何かのドラマをつくる」ことである。それしか方法はない。それをやったところが勝つ。
6  指導者とは″民衆に仕える″人
 対談集で、エイルウィン前大統領が淡々と語られる哲学は、じつに味わい深い。そのひとつに、こうある。
 「自分の人生は、なんのためにあるのか?」「私の答えは、明快です。――私たちは″仕えてもらうため″にいるのではなく、″仕えるため″にいるのです」(『太平洋の旭日』河出書房新社。以下、引用は同書から)と。
 そのとおりである。民衆に「仕えるため」に指導者がいるのである。
 それが反対になって、民衆を指導者に仕えさせる時――社会の不幸は始まる。
 また、前大統領いわく、「私は、人生は常にこれからの作業、自らの天命を果たす永続的な挑戦の場ととらえてきたといえるでしょう。私にとって、その天命とは、正義という言葉に要約されます」
 常にこれから――戸田先生も、よく言われていた。「人生は、永遠に挑戦であり、永遠に闘争である」と。ゆえに「最後の勝利」が「真の勝利」なのである。
7  エイルウィン氏が重んじる「指導者の要件」とは何か。
 その一つは、「常に真実を語ること」である。ここに氏の偉さがある。
 氏は、「嘘」を徹底して嫌う。情報を操作し、嘘で塗り固めた軍事政権の人権蹂躙を、氏は次々と暴き出していった。真実を白日のもとに、さらしていった。
 前大統領いわく、「嘘がまかり通っているところには、家庭においても、国内でも、国際共同体においても、友好的な共存は存在しないのです。嘘は不信を招きます」「不信感は憎悪を招き、憎悪は暴力を招くことになります」
 また、いわく、「嘘は暴力に至る控室です。『真実が君臨する』ことが民主社会の基本なのです」と。
8  エイルウィン氏は、日本の国家主義化を深く危惧しておられる一人である。
 日本では、権力の横暴に対して、知識人が沈黙する――その点にも言及しておられた。
 権力を批判している格好の人でも、自分の身に迫害が及ぶところまで言う人は、ほとんどいない。臆病である。その結果、欺かれ、権力の犠牲となるのは民衆である。
 氏は言う。
 「そのような権力が、日本を悲惨な軍国主義に導いていったのと同じような性格をもった政治の中で、再び台頭してくることはあるまいか、ということを危惧します」と。
 だからこそ、氏は繰り返し、繰り返し、「正義の連帯である創価学会」に深い信頼を表明されるのである。こういう偉大な知識人即政治家が、世界にはいることを忘れないでいただきたい。
 対談集では、「環太平洋時代の展望」や「冷戦後の新たな国際秩序」、また「教育の指標」「青年への期待」、さらに「人権の理念」「環境の保護」など、多岐にわたって論じている。後世のために、二十一世紀の指針となるよう、私も真剣に取り組んでいる。
9  さて、きょうは、遠くブラジルからも、イタリアからも、二十カ国から友が参加しておられる。(拍手)遠いところを、お金をためて、勇んで集ってこられた。尊い方々である。
 一方、狭い日本の中で、狭い地域で、「ああ遠いな。いやだな」と文句を言っている人もいる(笑い)。それでは自分の修行にならない。自分で自分の福運を消してしまう。
 仏道修行は「行動」である。動いた分だけ、自分が得をする。
 学会の発展――その要因は何か。牧口先生は、それは「言わねばならないことを、どしどし言って、折伏するからである」と喝破された。言うべきことは、はっきり言わねばならない。
 正しいことは「正しい!」、間違っていることは「間違っている!」と。「あれはインチキだ!」「あれはウソだ!」「あれは策略だ!」と。学会は、それを言い切ってきた。だから学会は発展した。「言うべきことを言いきる」――これが折伏精神である。学会の「魂」なのである。
10  青年よ、先輩を乗り越えて立て
 青年の時代である。青年とは、誰かを頼るのでもない。誰かの後ろについていくのでもない。自分で切り開いていく。自分が広宣流布を進めていく。自分が創価学会を勝利させていく。それが青年であり、学会を愛する真の後継者の姿である。(拍手)
 入信間もないころ、私は当時の学会が好きになれなかった。多くの幹部が、いばっていたし、権威的であった。真剣にやらないうえに、後輩を大切にしない先輩が嫌いであった。
 「戸田先生の心がわかっていない」としか思えなかった。そんな私の思いを、先生は知ってくださった。そして、こう言われた。
 「それならば、大作、お前が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか」と。明快であった。私は、その通りに戦った。責任感ゆえに、時には先輩とぶつかることもあった。青年は、それくらいでよいのである。ゆえに私は、叫んでおきたい。「先輩を乗り越えて、青年よ進め!」「広宣流布は、青年部が、やりなさい!」と。(拍手)
11  「世界の指導者と語る」も第三部
 現在、私は聖教新聞に「世界の指導者と語る 第二部」を連載している。
 (第一部は『私の世界交友録』〈一九九六年四月、読売新聞社刊〉として発刊されている)
 次回(第三十七回)は、佐藤栄作氏(元総理、ノーベル平和賞受賞者)について執筆を予定している(=十月五日付で掲載)。その次は、中国の周恩来総理との友誼を、もう一度きちっと書き残しておきたい(=十一月一日付で掲載)。これをもって、第二部を終えたい。
 そして明年、できれば「第三部」の執筆をと決意(=第一回は一九九八年四月五日付で〈ライサ・ゴルバチョフさん〉)している。(拍手)
 現在のところ、中国では、鄧小平とうしょうへい氏。そして江沢民こうたくみん主席を予定している。またマレーシアのアズラン・シャー前国王。″インドの良心″と言われるナラヤナン大統領。国連のガリ前事務総長。ガーナ共和国のローリングス大統領。コスタリカのノーベル平和賞受賞者アリアス前大統領。ブラジルの詩人、チアゴ・デ・メロ氏。旧ソ連から、作家のアイトマートフ氏。コロンビアのバルコ元大統領。ポーランドのワレサ前大統領。フランスのミッテラン前大統領。そのほか、現代世界の一流の指導者の方々に登場していただく予定である。
 私は一民間人として――すなわち「民衆の一人」として、世界の指導者と対話してきた。何とか、世界を平和の方向へ、人間らしい社会の方向へもっていきたい。
 ただ、そういう思いで率直に語り合い、友情を結んできた。その行動を世界は、まっすぐな目で理解し、評価してくれている。(拍手)
12  日本の国について、日蓮大聖人は仰せである。
 「一闡提人と申て謗法の者計り地獄守に留られたりき彼等がうみひろ生広げて今の世の日本国の一切衆生となれるなり
 ――一闡提人(正法を信ずる心がない衆生)といって謗法の者だけは、(他の者が法華経で成仏したにもかかわらず)地獄の獄卒に、とどめられた。彼らが(子孫を)産み広げて、今の世の日本国の一切衆生となったのである――。
 「日蓮をそしる法師原が日本国を祈らば弥弥いよいよ国亡ぶべし」――日蓮を謗る坊主どもが、日本国のことを祈るならば、いよいよ国は滅びるであろう――。
 だから、断じて、悪は「根だやし」にしなければならない。
 大聖人は、弟子に教えておられる。
 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」――日蓮の弟子等は、臆病であってはならない――。「からんは不思議わるからんは一定とをもへ」――状況がよいのは不思議、悪いのは当然と思っていきなさい――。「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が来ることをもって、安楽と心得ていきなさい――。
 大聖人の仰せの通り、法華経を行ずれば、必ず難がある。あるからこそ、本物なのである。現代において、大難を一身に受けてきたのは、創価学会の歴代会長である。
 どうか、皆さまも、「悪は多けれども一善にかつ事なし」――悪は多くとも一善(法華経)に勝つことはない――、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」――南無妙法蓮華経は獅子吼のようなものである――この大確信で前進していただきたい。
13  自分が勝つ、皆も勝つ、それこそ「民衆勝利」
 明年は「新世紀へ民衆勝利の年」に決定した。
 戸田先生は、遺言のように言われていた。「人間の妬みほど、恐ろしいものはない。人間の魔性ほど、怖いものはない。ゆえに、汝自身に力をつけよ! 汝自身に悔いのなき信念をもて!」と。
 激動の時代になればなるほど、一人一人が、いよいよ力をつけることである。いよいよ強くなることである。自分も勝つ。皆も勝つ。これが「民衆勝利」の原則である。
 これからも、二十一世紀に向かって、堂々たる創価学会の底力を出していきましょう! 朗らかに、愉快に前進しましょう!(拍手)
 全国の同志の皆さま、これから寒くなりますので、風邪をひかれませんように。
 お元気で、お達者で。また、お会いしましょう。ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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