Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第12回本部幹部会 広宣流布の人生こそ最高に尊貴

1997.6.16 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  「蒙古」について、日蓮大聖人は仰せである。
 「蒙古国は雪山の下王のごとし天の御使として法華経の行者をあだむ人人を罰せらるるか」――蒙古の国は、雪山の下王のようである。諸天善神の御使いとして、法華経の行者を迫害する人々を罰せられるのであろうか――。
 雪山の下王とは、釈尊滅後六百年ごろの北インドの王である。彼は、仏法破壊の悪王を打ち破って国を平定し、仏法を栄えさせた。
 そのように、蒙古が日本の外から、「法華経の行者を迫害する悪人」を罰しておられるのだろうかというのである。
 また、御聖訓にいわく、「是は梵王・帝釈・日月・四天の彼の蒙古国の大王の身に入らせ給いて責め給うなり」――これは、梵天・帝釈・日月・四天王が、かの蒙古国の大王の身に入られて、日本を責めておられるのである――。
 正義の人を迫害する日本を、諸天善神が戒めているのである、と。モンゴルそして世界からの顕彰には、仏法上も深い意義があることを申し上げておきたい。(拍手)
3  人生の達人″多宝会″
 まず「多宝会」のお話をしたい。
 今、全国各地で、多宝会(東京は宝寿会、関西は錦宝会)の方々が、元気いっぱいに第一線で活躍されている。そのご様子を、つぶさにうかがい、私は、いつも合掌する思いでいる。
 思えば、流罪の地・佐渡において、大聖人を厳然とお守りした中核も、″多宝会″であった。
 阿仏房、千日尼、国府入道夫妻、中興入道など、今の多宝会の年代にあたる人々であった。「人生の達人」の年代である。
 いざという時、仏意仏勅の学会を守ってくださるのも、やはり多宝会の皆さまである。皆さまこそ学会の宝であり、大聖人の時代と不思議な一致がある。
 多宝会の方々は、だれよりも強い。信頼できる。
 そこで本日は、多宝会の全同志に深い感謝をこめて、代表のお一人を、ご紹介したい。
 その方は、宮坂利與子さん。川崎(神奈川)の高津区で、副ブロック担当員として広宣流布に奔走しておられる。きょうも、会場に来られている。(拍手)
 ご主人も、ご子息も医師。ご一家で病院を開かれて、今年で創立四十周年になられる。この病院は、全国のアンケート調査で、優良病院として神奈川県で五本の指に入るほど名高い。
 ご自分でビルの経営もされている。慶応大学医学部付属の厚生女子学院のご出身。英語も堪能で、通訳資格もA級をもっておられる。私も訪れたイギリスのロンドン大学に留学。現在は、コンピューターの「インターネット」にも挑戦されている。
 彼女いわく、「御書の勉強に比べたら、ほかのことは皆、やさしいですよ!」
 御書がいちばん難しい、と。謙虚に、生き生きと、今も探求の心を光らせておられる。
 年齢は? 「数えないことにしている」という(笑い)。
 他人は六十歳に見る。自分は五十歳と思っている。実際は八十歳になられる――これは内緒だが(爆笑)。
 御書には「年は・わかうなり福はかさなり候べし」と仰せである。妙法は、いよいよ若々しく、この一生を生きて生きて生き抜いていく秘術である。
 宮坂さんは、おっしゃっている。「広宣流布に生き抜く人生。これほど、若々しい人生はありません」と。
 お父さまは、東京帝国大学の医学部を出られた名医である。あの室町末期の有名な剣豪・塚原卜伝の末裔という。一方、お母さまは、戦国時代の槍の名手・後藤又兵衛の子孫であるという。その流れをくんで、右手に「慈悲の宝剣」を、左手に「哲学の金の槍」をと、名誉ある法戦を敢然と戦っておられるのが、宮坂さんである。
4  組織で戦う人がいちばん尊貴
 入会は一九五九年(昭和三十四年)の十一月。私が第三代会長に就任する半年前である。病気がきっかけであった。当時、四十代前半。心臓肥大で「あと二、三年の命」と、医師であるご主人から告げられたのである。
 この時、婦人部の方が、「この信心で、必ず健康になりますよ!」「祈りとして叶わざるなしの大仏法ですよ!」と、確信をこめて教えてくれた。
 やはり、信心の純粋な人の一言は、心の奥に、ぴしっと入るものである。反対に、わかるような、わからないような、あいまいな言葉は、新鮮味も感動もない。
 この方は、「学園区」の小平で、長年、会館の管理者を務められた陰の功労者。不思議なもので、その″一庶民″の方が、″大学者″のような方を折伏できるのである。そういった方々は、生々世々、″大学者″のごとき境涯になるに違いない。
5  折伏とは、日蓮大聖人を、その人の家にお連れしていく行動である。どれほど崇高か。どれほど偉大な行為であるか。ゆえに、一生懸命に組織で学会活動した人がいちばん偉い。
 信心と人間の偉さは、役職では決まらない。
 いわんや学歴や肩書、社会的地位とは何の関係もない。仏法から見た偉さと、世間体のうえの虚栄の華やかさとは全然、違う。
 博士になるよりも、有名人になるよりも、権力者になるよりも、一生懸命に広宣流布に汗を流しゆく人がいちばん尊いのである。
 そういう真面目な学会員を、大聖人はいちばん称賛してくださるに違いない。抱きかかえてくださるに違いない。
 愚直なまでに、まっすぐに戦っていく信心――これが本当の名誉ある人生である。その人こそ「広宣流布の宝」であり、「創価学会の宝」である。
 学会は永遠に「庶民の王国」である。庶民こそ一切の「土台」であり、「大地」である。ゆえに広布の第一線の組織で戦っている人、いちばん、大変ななかで奮闘している人。この最も尊き同志を、最大に大切にしていくべきである。
6  大願を立て大願に生きる人生
 ご主人の反対の中、九十世帯の個人折伏を成し遂げてこられた。あれほど悪かった心臓も、ぐんぐんと回復していった。不可思議な妙法の力である。
 法華経(寿量品)には「更賜寿命(更に寿命を賜え)」(開結五〇三㌻)とある。まさに、四十年もの「更賜寿命」の実証である。ご主人の交通事故も信心で乗り越え、息子さんを医師に、二人のお嬢さんを薬剤師に立派に育てあげられた。
 彼女は、こう言い切っておられる。
 「信心には、あいまいさがありません。無駄もありません。世の中には″骨折り損のくたびれ儲け″が多いですが、この信心だけは、それがありません」
 すばらしい確信である。(拍手)そして、今も喜々として学会活動をしておられる。百人、二百人という方々に友情を広げ、仏縁を結んでおられる。
 「大法戦を戦うたびに宿命を打開でき、功徳をいただき、今日があります。自分の悩みや願いなどは横に置いて戦い切った時、自分の願いもすべて叶います」
 この心意気が尊い。少しも迷いがない。自分が大願を立て、大願に生き切っていく――これが真の学会精神である。本当の信心の姿である。
7  宮坂さんは言う。
 「反逆者らは恩を仇で返した。昔であれば切腹ものです。絶対に許せない!」
 青年部は、この草創の先輩方の無念さを、よくよく生命に刻みつけていただきたい。
 (多忙な毎日でも一日三時間の唱題を続けている。「そのうちの一時間は、反逆者の打倒を祈っています」という)
 信心は格好ではない。役職でもない。「戦う心」で決まる。「戦う心」を燃やす人が、本当の学会員である。牧口先生、戸田先生の直系の弟子である。だれが「本物」であったか。それは、あとになって必ず、わかってくる。臨終の時、また三世という次元で必ず明確になってくる。
8  学会は尊き「民衆の偉人」の集い
 宮坂さんの好きな御聖訓は次の一節である。
 「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」――強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万人、さらには日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい――。
 宮坂さんは、この御文を心に刻み、川崎では「創価学会の宮坂!」と言われるようになろうと、歯を食いしばって進んでこられた。そう一念を定めた通りに、今、見事な現証を堂々と示しておられる。勝利の凱歌をあげておられる。
 「私は創価学会員です」――こう堂々と胸を張って進んでこられた。
 世間体を気にしたり、迫害を恐れたり、格好をつけているのは臆病者である。臆病な信心では祈りは叶わない。功徳も受けられない。仏弟子として失格である。
 (御聖訓に「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と)
9  この偉大なる多宝の友は語っておられる。
 「入会した当時、周りの人たちからは、『そんな低俗な宗教に入って、とんでもない』とバカにされ、悪口を言われました。私は、『今に見ていろ!』という気持ちで戦ってきました。私をいじめ、攻撃してきた人は、あわれな人生の末路をたどっています。かわいそうでなりません。私は勝利の実証を示しました!」
 見事な栄光のドラマである。(拍手)
 前へ進んでこそ開ける。叫ばなければ何も生まれない。正義を叫んでこそ、正邪をはっきりさせる「現証」が現れるのである。
 古今東西の偉人の生涯もすばらしい。しかし、それ以上にすばらしい「庶民の偉人」。これが仏法者であり、学会員であり、多宝会の方々である。
 彼女は、広宣流布の陣頭に立つ、幹部にあらざる大幹部の一人である。こう私は称賛を惜しまない。(拍手)
10  「第一の人」とは「妙法を持つ人」
 御書を拝したい。
 「法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦これ第一等云云、文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因しゃくだいかんいん・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何にいわんや日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば憍尸迦女きょうしかによ・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候」――法華経の薬王品に「この経典を受持していける者もまた同様である。(法華経が、すべての経典の中で第一であるように)その人も、すべての衆生のなかにおいて、第一である」等とある。
 この文の意味は、法華経を持つ人は、男であれば、庶民であっても、三界(六道の衆生の住む世界)の主である大梵天王、帝釈天、四大天王、転輪聖王、さらに中国・日本の国主らよりも優れている。いわんや、日本国の大臣や貴族、源氏や平氏の武士、さまざまな身分の人々より優れていることはいうまでもない。
 また、女性であれば、憍尸迦女きょうしかにょ(帝釈天の妃)、吉祥天女(インド古来の女神。多聞天の妃ともいう)、中国の李夫人(漢の武帝に愛された美女)、楊貴妃(唐の玄宗皇帝に愛された美女)等の無量無辺の一切の女性よりも優れている――ということである――。
 この世で最も尊貴なのは、だれか。それは広宣流布に戦う皆さまであると、日蓮大聖人が仰せなのである。(拍手)法華経に、そう説かれている。釈尊が、そう言っているのである。
11  大切なのは、どこまでも「心」である。
 フランスの作家サン・テグジュペリは、『星の王子さま』に書いている。
 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳、岩波少年文庫)
 その通りである。目で見ても、本物かどうかはわからない。「心」で見なければ見抜けない。
 大聖人は「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。
 「仏法は勝負」である。これからも、「勝つことが広宣流布」「広宣流布は勝つこと」。こう決心して進みましょう!(賛同の拍手)
12  牧口先生の布教革命――みずから出向き、一人と語る
 きょうは、本部幹部会であるから、幹部の姿勢について、一言申し上げたい。
 初代会長の牧口先生は、あの戦争中、弾圧の嵐の中で、堂々と「広宣流布」を叫ばれた。
 牧口先生の戦いによって、当時(昭和十年代半ばごろから)、入信する人が非常に増えていた。
 なぜか。そこには牧口先生の「布教革命」があった。それは、「一人一人と語る」「一軒一軒を回る」ということであった。「これしかない」し、「こうあらねばならない」と、牧口先生は結論されたのである。
 大学者である牧口先生は当初、「著作」によって、効果を期待した。しかし、うまくいかなかった。
 次に、講演会とか会合で、大衆に呼びかけた。しかし、やはり、うまくいかなかった。
 今なら、「テレビで布教したらどうか」という人がいる。しかし、それでは人の心に深く入ることはできない。
 本でも駄目。大きい会合でも駄目。先生は、そこで自ら出向いて、一人一人と語り合い、「少数の同志を見出す外に方法がない」という結論に達したのである。
 それから、飛躍的に弘教が進んだ。だんだん、だんだんと人材が出てきた。それまで「数千人に話をして一人も残らぬ」ような状況だったのが、総会に五百人以上、集まるようになった。座談会など少人数の語らいで、一人一人が納得し、行動し、体験をつかんだ。ゆえに、次の一波につながった。
13  牧口先生は、このように、何でも実験をされている。必ず、現実にやってみて、いちばん正しい結論を出されている。本当に偉大な方である。不世出の人物である。戸田先生が心酔されていたお気持ちが、よくわかる。
 牧口先生は、大きい会合で話すだけでは駄目だ、それだけなら「人にほめられたい」という「名誉心」にすぎないとも言われている。
 もちろん重要な節目の会合は必要である。しかし、幹部は「すぐに人を集める」のではなく、「自分で会いに行く」行動を忘れてはならない。これを忘れたら、大きな錯覚をしていることになる。大勢の前で、うまく話をして、拍手をもらっているだけでは、「口がうまい」だけである。自分の見栄である。
 友の励ましのために「一軒一軒回る」「一人一人に会う」。地道にそれを貫いている人が「本物」であると申し上げておきたい。
14  日本一の平和団体として邁進
 牧口先生は、軍国日本に対し、生命をかけて抗議した。
 歴史は繰り返す。今ふたたび、日本は、危険な国家主義の道を行き始めた。世界から孤立する亡国の道を進んでいるのではないかと、多くの人が憂えている。私も、そう思う。
 こうした今だからこそ、私たち創価学会が「日本一の平和団体」として、日本のため、世界のために結束して戦ってまいりたい。(拍手)
15  御書を拝読すると、大聖人は何度も何度も「たぼらかされるな」と仰せである。すなわち「だまされてはいけない」との仰せである。
 「法華初心成仏抄」には「猟師の目を細めにして鹿をねらひ猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして在家の俗男・俗女の檀那をへつらいいつわりたぼらかすべしと説き給へり」――(世間から尊敬されている高僧が、じつは法華経の敵であり)猟師が目を細めてシカを狙い、ネコが爪を隠してネズミを狙うように、在家信仰者の男女に(本心を隠して)甘い言葉を言い、いつわり、だますであろうと(経文には)説かれている――と。
 また「光日房御書」には「かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」――敵を知らなければ敵にだまされてしまう――と仰せである。
 法華経の敵は、人をだまし、退転させるために、さまざまな悪知恵を使い、うまいことを言って「たぼらかしていく」。だます人間は悪人である。だまされるほうも、また愚かである。
 皆さまは賢明に邪悪を見破っていただきたい。そして偉大なる「創価城」の建設に邁進していただきたい。戦いましょう! ともに!(拍手)
16  ここで、全国の皆さまに、「対馬」の同志のことを紹介したい。
 対馬は数年前、日顕宗によって、それはそれは苦しめられた。その大変な時に、私は対馬のメンバー八人と鳥取でお会いした。以来、同志は敢然と戦って、今は「完全勝利」の姿となった。
 すばらしい「対馬」になった。「対馬」の皆さま、おめでとう!(拍手)
 また、「佐渡」の友も、本当によく頑張っておられる。(たとえば、先月、佐渡文化会館で行われた開館十周年記念の近隣友好の集いをはじめ、友好の輪を大きく広げている)
 島のメンバーはじつによく戦っておられる。日本全体が「小島」なのだから(笑い)、全国の皆さま、頑張りましょう!(拍手)
17  なお、これまで仮称「世界写真文化センター」の構想が発表されてきたが、東京富士美術館はじめ関係者の協議の結果、ひとまず計画を白紙に戻して、別の角度から写真文化の発展に寄与していくことになったことを、ご報告申し上げたい。
18  大聖人門下こそ「大菩薩」「大功徳の人」
 最後に、さらに御書を拝したい。「四信五品抄」にこう仰せである。
 「請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なりあに熈連一恒きれんいちごうの者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し」――願わくは、日本国中の人々よ、私の末弟たちを軽んじてはならない。(わが門下は)過去世をたずねれば、八十万億劫もの間、無量の仏に仕えた大菩薩なのである。(中略)また未来を論ずれば、大功徳の人々である。(法華経随喜功徳品に説かれるように、四百万億阿僧祇の世界の衆生の一々に)八十年の間、(金銀等の宝などの)布施を行じた功徳よりも多い功徳、すなわち「五十展転(妙法を伝え聞いて随喜する功徳は五十番目の人に至っても、絶大であることを示す)の随喜の功徳」を備える人々である――。
 「天子の襁褓むつきまとわれ大竜の始めて生ずるが如し蔑如べつじょすること勿れ蔑如べつじょすること勿れ」――それは、皇帝がまだ幼くて、おむつに包まれているようなものであり、また大竜が生まれたばかりのようなものである。(ゆえに)軽蔑してはならない。軽蔑してはならない――。
 すなわち、広宣流布をする地涌の菩薩ほど、この地上で尊い人々はいない。社会の人々よ、絶対にバカにしてはいけない――「蔑如すること勿れ」「蔑如すること勿れ」と日蓮大聖人が言ってくださっているのである。
19  宇宙は広い。仏法は広い。
 寿量品には「五百千万億。那由佗。阿僧祇」(開結四九六㌻)の「三千大千世界」等と説かれている。そういう限りなき大宇宙を自在に遊戯するような境涯が、成仏の境涯である。仏法者の境涯である。ちっぽけなことは見おろして、大きい大きい心で堂々と進んでいただきたい。(拍手)
20  会長に就任した当初、私は、二つのことを祈念した。それは「地震が起きませんように」「飢饉がありませんように」であった。
 今、私は、学会員の皆さま方が無事故で、健康で、そして「裕福」になって、広宣流布の道をまっすぐに進んでいただきたい――と毎日、ご祈念している。
 そして一人も残らず幸福に、一人も残らず大願を成就して、立派に一生を総仕上げしてほしいと、朝な夕な祈っている。これが私の本当の心境である。
 その心を、ありのまま申し上げ、本日の記念のスピーチとしたい。
 長時間、本当にご苦労さま。また来月、お会いしましょう!
 (東京牧口記念会館)

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