Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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山梨教学研修センターでの初講義 「教学第一」「行動第一」の模範郷に

1997.6.10 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  大聖人は、この山梨の地から、四条金吾に、「陰徳あれば陽報あり」――人の目に見えないところで積んだ徳は、必ず目に見える報いを受けることができる――と励ましておられる。
 金吾は、それまで、妬みの讒言によって、主君から遠ざけられていた。その難を、金吾は、けなげな信心と、真心の行動で見事に乗り越え、信頼を勝ち取っていった。門下の勝利の姿を、大聖人はこよなく喜ばれながら、重ねて、こう仰せになられた。
 「此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ」――これは、まだ始まりです。さらに大果報が来ると確信しなさい――。
 法のための労苦は、すべて功徳となって、わが身を飾る。見えない陰の献身の行動が、目に見える結果となって、福徳は汲めども尽きない泉のごとくに、ぐんぐんと満ちてくる。
 その確かな幸福の軌道に、皆さまは間違いなく入っておられる。この軌道から、絶対に外れてはならない。そのためにも、教学を学びゆくことが大切なのである。
3  魔が競うのが正法の証拠
 大聖人は、ここ山梨において、池上兄弟にあてられた御手紙(「兄弟抄」)のなかで、一つの明文を挙げておられる。その重大な文とは、何か。それは、摩訶止観の一節であった。
 すなわち「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ
 ――仏道修行と仏法理解が進んでくると、三障四魔が、入り乱れて競い起こってくる。これに随ってはならない。これを恐れてはならない。これに随えば、必ず人を悪道に向かわせる。これを恐れれば、正法を修行することを妨げる――。
 大聖人は「此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」――この釈は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、門家一同の明鏡である。謹んで習い伝えて、未来の信心修行の糧とせよ――と仰せになられた。
 私どもは、競い起こる三障四魔の嵐と断固として戦い、断固として乗り越え、勝ち越えてきた。それ自体、学会が大聖人と直結している偉大なる証なのである。
4  また、大聖人は、同じ御書で、こう強調されている。
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」――この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競わないならば、正法と思ってはならない――と。
 要するに、魔が起きてこそ正法なのである。このことがわかれば、何も恐れるものはない。驚くこともない。
 牧口先生は、この御文を拝して、こう指導されている。
 「生命を、幸福へ向かわせる仏の住み家とするか、逆に不幸へと向かわせる魔の住所とするか、どちらか一方をとらなければならない。すすんで魔の働きをかり出し、これを退治してこそ幸福と広宣流布とがある」と。
 この牧口先生の獅子吼を、どうか、よくよく噛みしめていただきたい。
 仏法は勝負である。魔と戦ってこそ仏になる。
5  また、牧口先生は、「開目抄」の「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」――(妙楽大師いわく)権教や迹門への執着をいまだ取り除かない者を「怨」とし、実教や本門の正しい教えを聞くことを喜ばない者を「嫉」と名づける――の一節を拝し、こう明快に言われている。
 「座談会にも出ないで同志を批判し、怨みながら御本尊を拝んでも、それは裏口信仰である。そういう卑屈な信心では功徳がない。いくじのない生命を強く、清くするのが信心である」と。
6  ところで、ご存じのように、牧口先生は、ここ山梨とも、ゆかりがある。
 一九一一年(明治四十四年)、牧口先生が三十九歳の春のことである。当時、文部省図書局で、地理教科書の編集に携わっていた牧口先生は、山梨県南都留郡の道志村を訪れた。農村調査の方法を研究し、指導するためである。(民俗学者の柳田国男氏に同行)
 今、この道志村にも、わが学会の同志が、生き生きと活躍しておられる。東桂支部大野地区道志ブロックの皆さまである。
 どうかお元気で! 地域の方々にも、よろしくお伝えいただきたい。
7  ″一凶″を禁じてこそ広宣流布が
 さて、牧口先生と戸田先生が、ともに囚われの身となった、忘れ得ぬ七月六日が、今年も巡ってくる。それは、一九四三年(昭和十八年)のことであった。
 じつはその年の春から、牧口先生は、後を託さんとする学生たちに対して、「立正安国論」の講義を進めておられたのである。まことに偉大な先生であった。
 大聖人の御化導は、「立正安国論」に始まり、「立正安国論」に終わる、と言われる。学会は、大聖人の御精神に連なり、「立正安国」の戦いを、現実のうえで厳然と進めてきた。また進めている。
 「立正安国論」の根本の精神は「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」――かの千万の祈りを修するよりは、この一凶(法然の謗法)を禁じなければならないのである――との一節にある。すなわち、「一凶」は何か、それを鋭く見抜き、その「一凶」と戦っていくのが、真の日蓮大聖人門下である。
 山梨の皆さまは、大聖人の御心を拝しつつ、「天魔・日顕こそ一凶なり!」と、迷妄の人々に正義を教え、弘教に、そして機関紙の拡大に、勇んで取り組んでおられる。正法正義を厳然と守る山梨の皆さまの活躍を、大聖人がどれほど賛嘆しておられることか。
 また、ここ山梨(鰍沢)で生誕なされた日興上人が、どれほど喜んでおられることか。
8  とくに、婦人部の方々の健闘は、めざましい。きょう(六月十日)は、「婦人部の日」である。大聖人が、けなげな婦人門下に送られた御書の一節を、大切な婦人部の皆さまに捧げたい。
 「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし」――法華経という師子王の経典をたもつ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣を恐れることはない――。絶対に、三悪道の苦しみには堕ちない。必ず仏界の幸福に至りますよ、との御約束である。これも、山梨から送られた御手紙である。
9  大聖人が、ちょうど「立正安国論」の執筆に取り組まれているときに、山梨御出身の日興上人は、大聖人門下になられた。
 日興上人は、「遺誡置文」に、こう明確に記されている。
 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事
 ――たとえ、時の貫首(法主)であっても、仏法の正義に背いて、勝手な自説を立てた場合には、これを用いてはならない――と。
 後世、宗門に「一凶」がはびこる可能性を予見し、重大な戒めを残しておられたのである。
 日興上人は「御書を心肝に染め」と仰せである。
 また「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――いまだ広宣流布していない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めるべきである――と僧侶に命じておられる。
 これらの教えに、ことごとく違背してきたのが、宗門である。教えの通り、まっすぐに実践してきたのが、創価学会である。
 日興上人は、「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」――この(二十六箇条のうち)一箇条でも犯すものは、日興の門流ではない――と厳しく仰せである。
 いわんや、謗法まみれの宗門に日興上人の魂はない。厳然と滅亡の坂を転げ落ちているのは明らかである。わが学会は、その魔性の滅びを軽蔑し、悠々と見下ろしながら、大聖人そして日興上人の正しき直系として、明るく、晴れ晴れと進んでまいりたい。(拍手)
10  「行学の二道」を勇んで
 「諸法実相抄」の有名な御文にいわく、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」――行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分自身も行い、人にも教えていきなさい。行学は信心より起こるのである。力があるならば一文一句でも語っていきなさい――と。
 どうか、わが山梨の皆さまは、日々、少しずつでも、御書を拝していただきたい。そして、あの山々のごとく、揺るがぬ確信を築くことである。また、雄々しき行動へと勇みゆく、模範の「実践の教学」であっていただきたい。
 結びに、
 「教学第一」の山梨たれ!
 「行動第一」の山梨たれ!
 と申し上げ、私の初講義のスピーチといたします。
 (山梨教学研修センター)

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