Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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中部代表者勤行会 新世紀は目前、青年よ大成長を!

1997.5.27 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  リーダーが利己主義になれば、組織は衰退する。
 リーダーは自分中心ではなく、「法」を中心としなければならない。「広宣流布」を中心とし、「広宣流布の組織」を中心として、自分をなげうって戦うのが、地涌の菩薩である。そこにこそ「妙法」の偉大な力がわいてくる。「不可思議の法」の力で、一切がいい方向に、皆が幸福になる方向に開けてくる。
 地域でも、「一人」ずば抜けて真剣な信心の人がいれば、全体が変わる。皆が平均的に、可もなく不可もなく、やっているところよりも伸びていく。
 ピアノの世界でも、どこの世界でも、いい意味での「気ちがい」と言われるくらい真剣な努力があって、初めて一流になれる。広宣流布も、なまやさしい考えで勝てるわけがない。このことをとくに青年部に、はっきり言っておきたい。
3  大聖人は、あの命に及ぶ「竜の口の大法難」のさなか、御自身を連行した武士たちにまで心をくだかれ、わざわざ酒を取り寄せ、ねぎらっておられる。その大境涯に触れて、武士たちの大聖人への心が変わった。
 自らの縁した人には、何かを与えていく。何かで尽くしていく。何かで報いていく。御書には、そうした最高の人間の道が示されている。
 なかんずく、同志の真心に対しては、最大に義理堅く、また最大に誠実に応えていかねばならない。その「義理堅さ」と「誠実」があったからこそ、学会は民衆の心をつかみ、ここまで栄えてきたのである。
4  上杉鷹山の師・細井平洲
 各地の大切な法城を守るために、警備の方々が昼夜をわかたず献身されている。その崇高な労苦に、私は、いつも合掌している。
 一九九二年(平成四年)の年頭、私は、江戸時代の東北・米沢藩の名君・上杉鷹山についてスピーチした。上杉鷹山は、かのケネディ大統領が最も尊敬した日本人である。その後、私のスピーチを受けて、ここ中部の警備の皆さんが立派なリポートを届けてくださった。
 それは、上杉鷹山の師匠に当たる尾張(現在の愛知県東海市荒尾町)出身の大教育者・細井平洲(一七二八年〜一八〇一年)についての研究であった。
 「上杉鷹山が見事な改革を断行できたのは、細井平洲という偉大な師匠をもったからです。師弟の精神に生ききったからこそ、歴史に残る偉業を成し遂げることができたのです。私たちも、それに学んでいきます」という趣旨の内容であった。
 私は、その心意気がうれしかった。この五年間、真心のリポートは、大切にとっておいた。同志の誠意を、私は絶対に無駄にしたくない。
 中部が生んだ偉人、細井平洲は、私も若き日から尊敬してきた一人である。
 吉田松陰や西郷隆盛など、幕末の志士たちが、平洲の残した思想に深く影響を受けたことも有名である。
 民衆教育の先駆者でもある彼について、語るべきことは、あまりに多い。ここでは、一点だけ、弟子・上杉鷹山とのエピソードに言及したい。
5  贈る言葉は一つ「勇気を!」
 鷹山は、十四歳の時から、平洲のもとで、指導者論をはじめ万般の学問を学び、やがて若き藩主として、米沢藩の改革に立ち上がった。この時、米沢の地に向かおうとする鷹山に対して、平洲は励ましの言葉を贈る。
 平洲が愛弟子に呼びかけたことは何であったか。それは、第一にも「勇気」であり、第二にも「勇気」であった。
 平洲いわく「勇なるかな、勇なるかな。勇にあらずんば、何をもって行わんや。君侯それ時なるかな」(鬼頭有一『細井平洲』明徳出版社)と。
 今こそ、戦う時である。勇気をもて! 勇気を奮え! ただ勇気の二字をもって進め!――これが、はなむけの言葉であった。
 勇気――これこそ、いつの時代にあっても、歴史を開きゆく大将軍の根本の要件である。戦うべき内外の悪と断固として戦う勇気。言うべきことを堂々と言い切る勇気。広宣流布の道を開く根本の力も、「勇気」である。
 戸田先生は、よく言われた。「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる。仏は『慈悲』で、凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」と。
 今、さらに上げ潮の勢いを増しゆく大中部の皆さまに、私もまた、ただ一言、「勇気あれ!」と申し上げたい。(拍手)
6  平洲と鷹山の師弟には、こんなドラマもある。平洲が鷹山に招かれて、米沢で教鞭をとっていた時のことである。江戸で大火事が発生し、江戸に置かれていた上杉家の館も焼けてしまった。(一七七二年〈安永元年〉二月)
 その知らせが、さっそく米沢にもたらされ、藩中に落胆と不安が広がる。
 ところが、この時、師・平洲は、鷹山に言った。「これほど、めでたきことはございませぬ」と。
 鷹山は、思わず尋ねる。「先生、それはまた意外なお言葉。吾ら一統憂いに沈んでいますのに、何ゆえに、そのように仰せられます」(浅井啓吉『細井平洲の生涯』丸善名古屋出版サービスセンター)
 すると平洲いわく「貴殿は、大改革をなそうとしていますが、未だ、すべての人々に徹底されるところまでに至っておりませぬ。しかし、このたびの難によって、武士や民衆は心を合わせ、復興を求めるようになるでありましょう。皆の心が一つになれば、幾多の難関も、たやすく打ち破られるものです。これで必ず、藩の復興はなります」(同前、要約)と。
 いわんや、私どもには変毒為薬の妙法がある。ゆえに広宣流布の闘争は、常に、また永遠に「難即希望」なのである。難があるたびに、障害にあうごとに、我らの異体同心の信心は、いよいよ堅固な巌となって、いかなる波浪をも打ち砕いていく。
 何があろうと、微塵も揺るがない。恐れない。負けない。断じて前へ前へ進む。この不屈の闘魂で、勝利の歴史を、一歩また一歩と築き上げてきたのが、わが堅塁・中部の陣列である。これからも、断固、そうであっていただきたい。(拍手)
7  中部は聖教新聞の拡大においても模範であられる。この席をお借りして「全国の配達員の皆さま、毎日、本当にありがとうございます!」と申し上げたい。
 私もかつて新聞配達をした。皆さまの苦労がわかる。寒い朝、眠い朝、悪天候の朝もある。疲れている朝もある。しかし皆さまは、毎日「希望」を配っておられる。「智慧」を配っておられる。「文化」を配っておられる。「勇気」を配っておられる。
 ある識者は、こう言われた。「『聖教新聞』というのは、未来をひらく″希望新聞″です。未来に向けて、前向きな希望にあふれ、希望をかきたててくれる新聞です。いわば″上を向いて歩こう″という新聞です」(山下肇東京大学名誉教授)
 「希望」を配達しておられる皆さまが、「希望の人生」にならないわけがない。「勇気」を配って走る皆さまの胸に、勇気の太陽が昇らないわけがない。
8  「文字が仏事を為す」新聞
 日蓮大聖人は「声仏事を為す」と言われるとともに、「文字仏事を為す」ことを教えてくださっている。
 「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり(中略)文字を離れば何を以てか仏事とせん」――仏は文字によって人々を救われるのである。(中略)文字を離れたならば何をもって仏事(仏の仕事)としようか。いな仏事はできないのである――。
 他にも同様の文証は多くある。ここでいう文字とは経文のことであり、「御書」である。また根本的には、「御本尊」の御文字とも拝される。
 そのうえで、仏法を教える聖教新聞も、日々、「文字によって仏事をなす」新聞と言えよう。
9  しかし、どんなに「文字、仏事を為す」と言っても、「仏は文字によって人間を救う」と言っても、その文字が人々のもとに届かなければ、何にもならない。「仏事」は完結できない。「仏法の文字」を人々に届けてくださる配達員の皆さまがあってこそ、はじめて「仏事」となる。「仏の仕事」に命が吹きこまれるのである。
 また「新聞長」をはじめ、聖教新聞を支えてくださる皆さまのお力で、事実のうえで「文字が仏事を為す」のである。何と尊いことであろうか。
 大聖人は涅槃経を引いて、「願わくは諸の衆生ことごとく皆出世の文字を受持せよ(『出世の文字』は仏法の文字の意)」と言われた。
 戸田先生は「願わくは日本中の人々に聖教新聞を読ませたい」と言われた。その願い通り、「今や、日本の良心は創価学会であり、聖教新聞です」と言われるまでになった。また、各国の機関紙誌に、ただちに翻訳され、世界中で読まれている。
10  人権闘争あるところ新聞あり
 ユゴーいわく「もし新聞がなかったらフランス革命は起こらなかっただろう」。
 ナポレオンいわく「古き王朝を終わらせたのは、ヴォルテールでもなければ、ルソーでもなかった。それは新聞であった」。
 この言葉通り、フランス革命では、マラーの『民衆の友』新聞をはじめ多くの新聞が次々に発刊された。人々は争って読み、配り、革命への炎が、胸から胸へ広がっていったのである。
 インドの独立闘争でも、ガンジーは新聞で戦った。獄中にあっても、新聞(「ハリジャン〈神の子〉」紙)を発刊し、ミサイルのごとく、言葉を武器に闘争した。そのほか、アフリカの独立と建国の戦いでも、アメリカの公民権運動(黒人の権利の運動)でも、どこでも「人権闘争あるところ新聞あり」であった。
11  聖教新聞も、広宣流布という人権闘争の炎を広げる新聞である。仏法を基調に、平和と文化と教育というヒューマニズムの真髄を伝えゆく新聞である。
 そして、私と戸田先生と、師弟の対話から生まれた新聞なのである。(東京の)新橋駅の近くの食堂でのことであった。
 (一九五○年〈昭和二十五年〉十二月。戸田第二代会長の会長就任の五カ月ほど前。まだ戸田先生の事業は、浮沈にかかわる深刻な攻防戦のさなかにあり、若き名誉会長が一人、師を支えていた)
 食堂で戸田先生は語った。
 「新聞をつくろう。機関紙をつくろうよ。これからは、言論の時代だ。広宣流布の拡大する戦線には、新聞が第一の武器だ。断じて言論戦で切り拓こう」。
 新橋の人々が行き来する雑踏の小さな食堂の中から、聖教新聞は第一歩を踏み出したのである。
12  マンデラ大統領は叫んだ――不正を抗議せよ
 中部の青年部も立ち上がった。社会に「人権ルネサンス」をもたらすために。
 「人権の闘士」は、神々しい。正義なるがゆえに迫害を受けながら、忍耐強く戦いぬいていく――その姿が荘厳な輝きを放っている。
 私の敬愛する友人である南アフリカのマンデラ大統領が、まさしくそうである。(名誉会長はマンデラ大統領と、これまで二度〈九〇年十月、九五年七月〉の語らい。マンデラ大統領が総長を務めるノース大学から、名誉教育学博士号も受章している)
 先日も、アメリカの識者が、「今、アメリカの若者の心を最もつかんでいる指導者は、マンデラ大統領です」と強調されていた。それはなぜか。
 その識者によれば、マンデラ大統領の闘争が、ニュー・ピース(新しき平和)、ニュー・フリーダム(新しき自由)、ニュー・ソサエティー(新しき社会)、ニュー・フューチャー(新しき未来)という人類の希望を象徴しているからである。
 創価の運動は、この「人類の希望」への壮大な挑戦である。だからこそ、マンデラ大統領も、私どもに絶大な信頼を寄せてくださっているのである。
 マンデラ大統領いわく「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、不可能なのです」(『自由への長い道――ネルソン・マンデラ自伝(下)』東江一紀訳、日本放送出版協会刊)。
 まさに学会精神である。
 中部の若き後継の友が、「人間の尊厳」のために、毅然と胸を張り、頭を上げて、「人道」と「正義」の連帯をさらにはつらつと広げゆくことを、心から期待して、私のスピーチといたします。
 (中部文化会館)

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