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日蓮大聖人・池田大作

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中部代表者協議会 「いつも希望」「いつも楽しむ」大境涯

1997.5.26 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  信仰者の境涯は、どうあるべきか。
 第一に「何があっても恐れない」ことである。心を紛動されないことである。
 世の中には策謀があり、偽りがある。それらに、いちいち心を動かされるのは、あまりにも愚かである。また不幸である。
 絶対にウソがないのは妙法である。日蓮大聖人である。ゆえに、広宣流布に生ききっていく人生が最も賢明である。
 信仰しているゆえに、いやな思いをすることもあるに違いない。人一倍の苦労もある。しかし全部、自分自身の修行である。
 大聖人は「一生成仏」と仰せである。成仏するためには、必ず三障四魔という関門を越えなければならない。越えれば一生成仏であり、永遠にわたって仏の大境涯を楽しみきっていける。ゆえに何があろうと恐れず、楽しく、勇んで、前へ前へと進むことである。
 第二に、「いつも希望を燃やす」人生である。希望ほど強いものはない。妙法は「永遠の希望」である。何があっても希望を失わない人こそが幸福者である。
 第三に、「どんな時でも楽しめる」境涯である。
 死んでいく時にさえ、心から笑いながら「ああ、おもしろかった。さあ、次はどこへ行こうか」と、楽しんでいける。それが信心の境涯である。そういう人は、またすぐに生まれてくる。自分の望む通りの姿で、望む通りの所に生まれてこられる。
 ある人は家庭のことで悩む。「いやな女房だな」「いやな主人だな」――しかし、五千年も一緒にいるわけではない(爆笑)。仏法の永遠の眼から見れば一瞬である。
 また、境涯を開けば、奥さんが叱る声も、ジャズか流行歌に聞こえる(爆笑)。
 何があっても楽しめる大境涯――信心は「歓喜の中の大歓喜」なのである。
3  はースト博士の分析――学会の前進は二十世紀の仏教改革
 つい一昨日(五月二十四日)、重大な意義をもつ「知性のメッセージ」が、アメリカのボストンから寄せられた。ここ中部で、私は全国、全世界に向かって紹介させていただきたい。
 今回、世界の最高峰・ハーバード大学の仏教研究フォーラムと、私の創立したボストン二十一世紀センターとの共催で「アメリカの仏教」と題する会議が開催された。
 会場は、ハーバード大学の神学部のキャンパス。私が、二度、講演した会場も、それぞれ近くにある。この会議の席上、ジェーン・ハースト女史が、「二十世紀の仏教改革」をテーマに、研究発表された。ハースト博士は、アメリカのガリューデット大学の教授である。(世界で唯一の視聴覚障害者のための大学として名高い)
 発表は、「創価学会と日顕宗の分離」について論じたものであった。ボストン二十一世紀センターの横田代表から、内容の報告があったので、ハースト教授のご了解をいただき、ここで、ポイントを、お伝えさせていただく。なお、教授はアメリカにおける著名な仏教研究者であり、視聴覚障害者の心の研究においても有名な実績がある。
4  教授は、長年にわたる研究の結果として、次のように分析されている。
 「私は日蓮正宗と創価学会の分離を興味深く見ております。それは十六世紀におけるカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)の関係に深く類似しているからであります。
 まず時代背景を見れば、十六世紀は産業革命の前夜というべき、社会、経済、技術の多大な変化が起きた時代でありました。さらに、新大陸の発見によって、ヨーロッパの人々の目が世界へと開かれました。
 そうしたなかにあって、カトリックはどこまでも(ローマ中心の)地域意識を離れることができず、教義的にも独自の世界観に閉じこもっておりました。加えて、『教会の商業化』が精神の荒廃を、もたらしておりました。こうした条件のなかで、カトリックが新しい時代の要求に応えることは容易ではなく、そこにプロテスタントの改革の運動が興隆したといえます。
 同じように、二十世紀の後半は、国を超えた世界的な交流が活発になり、人々が自己と社会を『地球的な視野から捉えていく』必要に迫られた時代であります。
 日蓮は地球的な視野に立ち、世界の広宣流布を志向しましたが、日蓮正宗の僧侶たちは日本という枠を離れることができず、新しい時代の変化に対応することができなかった、といえるでしょう。一方、創価学会は地球的な視野に立った民衆運動を展開しております」
 教授は、世界史的・人類史的な次元から、学会の前進を「二十世紀の仏教改革」として明快に意義づけておられる。
5  さらに教授は、こう述べられた。
 「次に、宗教的な視点に立てば、日蓮正宗と創価学会の論争の視点を、次のように大別できると思います。
 (1)″僧侶の権威性″と″在家の創造性″(2)″階級主義の組織″と″平等主義の組織″(3)″神秘・儀式の重視″と″個人の信仰の重視″
 (4)″伝統に即した教義の理解″と″教義そのものへの理解″(5)″局所的・保守的・神秘的な宗教観″と″地球的・革新的・合理的な宗教観″(6)″脱世間の志向″と″社会参加の志向″」と。
 見事な洞察である。教授のこの一点一点の分析に、私たちは心から納得し、賛同する。
 また「創価学会が日蓮正宗と分離したあとの変化には大きなものがあります。そのひとつは、運動のグローバル化(世界化)が始まり、日本の文化と伝統の枠を超えたことであります。そして御本尊と会員一人一人の間に仲介者がなくなり、民主的な組織が確立しました」と。
 (博士は「そうしたなかで大きな鍵を握るのは池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の存在であります。会長はモラルの力を基盤とし、一千余万の会員を権威で動かすことなく、民主的な組織の建設に力を注ぎました。その結果、今、アメリカの組織は多様性と平等性に満ちたものとなっております」とも語っている)
 博士は「創価学会は『ボストン二十一世紀センター』などを中心に、文化と宗教間の対話も積極的に展開しております。私は、創価学会はもう、日蓮正宗と再び協力関係を結ぶことはないのではないかと思います。なぜならば分離によって得たものがあまりにも大きいからです」とも述べている。
 分離して本当によかったというのである。日顕宗の愚劣な策謀から七年。今や、世界の第一級の知性のこのような客観的な見解が、ハーバード大学という厳格な学問の場で発表されるに至った。歴史的な発言として、後世に厳然と留めさせていただきたい。
6  会員をわが子の如く、わが子には信心を教えよ
 信心の大事な基本について、六点にわたって確認しておきたい。
 第一に、幹部の家で、子どもが信心していないのは、母親の信心の責任である。これは、牧口先生、戸田先生の教えである。
 子どもに信心をさせなければ、結局、子どもも、親も、損をしてしまう。また、親が幹部だからといって、その子どもを特別扱いする必要はない。
 学会は「信心第一」である。本当に広宣流布のために尽くしている「信仰者」こそがいちばん、偉いのである。
 第二に、先日、ある投書があった。
 それは「私たちは一生懸命、選挙の支援活動をしている。候補者の家族自体が、もっと真剣にやってもらいたい」と。
 正論であるから、一言、言っておきたい。本来、支援活動については、学会は、あくまでも自由である。
 第三に、戸田先生いわく「組織を大切にしない人は、わがままな信心である。それでは功徳は出ない」と。組織の中で、人々のために苦労していること自体が、尊い仏道修行である。
 広宣流布を推進し、魔を打ち破る。その、崖を登っていくような戦いこそが、地涌の菩薩の姿である。
 第四に、幹部は、会員をわが子のごとく愛していかなければいけない。そこに本物の指導者の心肝がある。
 戸田先生はよく、法華経講義が終わると、参加者に、「聞いてくれて、ありがとう!」と丁寧にお礼を言われていた。この戸田先生の心を思えば、幹部は絶対にいばってはならない。
 第五に、とくに壮年幹部は、婦人部を絶対に叱ってはいけない。自分の奥さんを叱れないで、人の奥さんを叱るなど、とんでもないことである。
 第六に、報告などで「悪しき権力と戦う」という言葉がよくあるが、権力は魔性であり、悪辣であるのに決まっている。甘ったれた気持ちで、そのようなことをいうのは、よほど厳しい認識のわからない人間である。
 また、よく「正義を証明します」とあるが、正義は正義に決まっている。正義だから迫害を受けているのである。幼稚な心のような表現を使うものではない。
7  ともあれ、御聖訓に照らし、日顕宗は「終にほろびざるは候はず」――必ず最後には滅亡の悲運におちないものはない――と仰せの通り、衰亡の暗闇の坂を、いよいよ転落し始めた。
 そして学会は、「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」――必ず最後には、全世界へ(妙法が)広宣流布していくことは間違いない――との御金言のままに、二十一世紀へ、いな新たな千年へ、世界宗教の旭日の光彩を、いよいよ燦然と輝かせていくのである。
 そのわが道は「金剛の道」であり、「世界の道」であり、「永遠の道」であり、「勝利の道」である。この道をさらに悠然と、この道をさらに愉快に、わが中部の同志と、ともどもに歩み、飾りゆくことを念願して、私のスピーチといたします。
 きょうは、本当に、ご苦労さま。心から感謝申し上げます。
 (中部文化会館)

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