Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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三重代表者会議 創価の道で連戦連勝で

1997.5.25 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  妙法の軌道とは、広宣流布の軌道である。具体的には学会活動の軌道である。広宣流布の組織にのっとって、ともに進むのが最高の人生の軌道であり、最高の健康の軌道でもある。
 学会活動は義務ではなく「自由」である。やらなかったからといって罰則があるわけではない。個人の自由意志である。
 自分の自由な決心で、「よし、やろう」と進むのが学会活動である。その繰り返しによって、三世にわたる「永遠の自由」の境涯を築けるのである。
 また勤行は、「端座して実相を思う」儀式であり、朝な夕な、私どもは、大宇宙を見わたし、見おろしているのである。
 全宇宙が――何千億、何兆もの星々が――御本尊に含まれている。その宇宙を、三世にわたって自在に遊戯できる境涯を、私どもは日々の修行で開いているのである。
 生々世々、宇宙の好きな場所に生まれ、生まれるたびに、広宣流布の指導者をはじめ、あらゆる分野の大指導者として活躍できる自分になる。その大福徳を今、学会活動で積んでいるのである。
3  「認識せずして評価するなかれ」
 三重の皆さんは、いじらしいほど、けなげに戦ってこられた。邪悪な権威・権力と、敢然と戦い抜いてこられた。皆さまのご健闘を心からたたえたいとの思いで、私は四年半ぶりに、三重を訪問させていただいた。(拍手)
 奈良から三重へ――万葉ゆかりの美しき緑の道が続いていた。私は、お懐かしい三重のあの友、この友を思い浮かべ、題目を送りながら移動してきた。
 ある交差点の信号で車が止まると、標識が目に入った。そこには、「阿仏房」の「阿」という字に、「保健」の「保」という字が書いてある。
 「なんと読むのでしょうか? アホとも読めますが」と東京からの同行者が、笑いながら言った。だが、私は、きちんと調べて確認するように指示した。小さなことかもしれない。しかし、一事が万事である。
 確かめもせず、いいかげんに評価してしまう――日本人の軽薄な風潮を、牧口先生は厳しく戒めておられた。「認識せずして評価するなかれ」と。また、この地でも、きっと、わが学会員が活躍しておられるに違いない。私は、その様子が、ぜひとも、知りたかったのである。
4  調べてみると、先ほどの標識の文字は「あお」と読むことがわかった。名賀郡青山町の地名である。木津川の上流に位置し、初瀬街道の交通の要衝として栄えてきたようだ。
 「阿保」という名前は、一説に、古代この地を開発した「阿保氏」に由来するとされる。古くから開け、この一帯には古墳も多い。万葉集に「阿保山の 桜の花は 今日みかも 散り乱るらむ 見る人なしに」(作者不詳)と詠まれているのは、この付近の山ではないか、という説もある。いずれにしても、歴史のロマンをたたえた美しい天地である。
 そして、ここにも、名張東本部・青山支部・阿保地区の地涌の友が、意気軒高に活躍されている。「聖教新聞」の拡大を通して友情と理解を見事に広げておられる。本年、すでに地区で九世帯の弘教をされたとうかがった。まことに尊い方々である。
 かつて、三重の伊賀出身の松尾芭蕉は、「奥の細道」を旅しながら、各地の風景を俳句として後世にとどめ残した。今、私は、日本全国の″細道″に分け入って、広宣流布の尊き同志をねぎらい、励まし、未来永劫に顕彰してまいりたいという心境である。
5  霊地への参詣よりも信仰の「心」こそ大事
 御聖訓には、「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し」――「私たちが住んで法華経を修行している所は、どんな所でも常寂光の都となるであろう。私たち(大聖人と弟子の最蓮房)の弟子檀那となる人は、一歩も歩かないで天竺(インド)の霊鷲山を見ることができ、本有の寂光土へ昼も夜も往復なされるということは、言いようがないほど、うれしいことである」――と仰せである。
 日本中、世界中、学会員が、今いるその場を「本有常住」の常寂光土へと、たくましく変えていっておられる。その姿は、まさに、この御聖訓の通りである。
 「日蓮がたましひすみにそめながして」――日蓮が魂(全生命)を墨に開いていくことができる――と仰せの御本尊を受持して、広宣流布に行動していくところが、私どもの「本国土」であり「仏国土」なのである。
 現実の生活の場を離れて、どこか別のところに特別な聖地を求め、神秘的な霊地に行くのではない。だれもが「どこでも」、そして「いつでも」、わが胸の宮殿を開いていくことができる――これこそ最も普遍的な信仰のあり方である。
6  私が対談したオックスフォード大学のウィルソン博士も、そのことを強調しておられた。(国際宗教社会学会元会長。名誉会長と対談集『社会と宗教』〈一九八五年、講談社〉を発刊。本全集第6巻収録)
 博士いわく、「信仰は、特定の場所を神聖視する地域主義的なシンボリズム(象徴主義)を克服すべきである。寺院建築は、本来の宗教心や精神と比較すれば重要ではない」と。
 思えば、牧口先生は、大聖人の仏法に出あうはるか以前、すでに、若き日の大著『人生地理学』において、こう喝破しておられた。
 「発達した人民は、必ずしも宗教の起源地、その他の霊地を参詣せずとも、内心の信仰によって、その宗教心を満足させることができる」(「都会及村落地論」、『牧口常三郎全集』第二巻。現代表記に改めた)
 本当に、すごい先生である。
7  青年よ学べ、牧口先生、戸田先生に続け
 牧口先生は半世紀前、国家神道を柱とする軍国主義に反対し、獄中闘争を開始された。何ものも恐れぬ鉄の信念である。
 御家族への手紙では、地獄のような独房を「三畳間、独り住居のアパート生活です」(「書簡集」、『牧口常三郎全集』第十巻。以下、引用は同書から)と笑いとばしておられる。また「独房で思索ができて、かえって良かった」と書いておられる。まさに「心一つで地獄にも楽しみがあります」と書かれた通りの御境涯であられた。
 食事は、はじめのうちは「タクワン、ミソ汁、御飯」だったが、戦局が悪くなるにつれて、御飯には大豆、アワ、トウモロコシ、コウリャンが多くなり、ミソ汁は塩水となり、おかずは茶ガラとなったという。しかも時間も、めちゃくちゃであった。朝食が午前十一時、昼食が正午、夕食が午後一時などという日もあった。冬は、持病のひざが痛み、指も凍傷にかかるほどであった。
 そういうなかで牧口先生は、厳然と勤行・唱題し、読書と思索に努めた。
 「青年時代からあこがれて居た本が読めるので、却って幸ひである」とも書いておられる。
 また「一冊の本になるくらい」自己の信条を書かれたのである。いわんや青年部が、恵まれた環境にあって、「行学の二道」を、ひた走っていくのは当然である。
8  御書に仰せである。
 「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏しょうじょを習学すべし」――この妙法蓮華経の大法を広宣流布するためには、必ず一切経を安置し(手もとに置いて準備し)、八宗(当時の仏教すべて)の教義書を学習しなければならない――。
 ここにいう「一切経」とか「八宗」とは、今でいえば、あらゆる学問であり、さまざまの思想に当たる。御書の勉強を中心に、ありとあらゆる勉強をしていかなければ、広宣流布の大指導者にはなれない。偏頗な独りよがりになっては、だれも納得しない。
 ゆえに戸田先生は、私に、あらゆる学問を教え、伝えてくださった。「あすにでも自分は死んでいくから、そのために今、全力で教えておくのだ」といわんばかりの、遺言のような講義であった。いわば「戸田大学」である。すべて広宣流布のための勉強であった。
 戸田先生にお仕えし、先生を支えた、その果報で今、世界の大学の「名誉博士号」が相ついで寄せられている――私は、そう思っている。
 それはまた、獄中でさえ勉強を続けておられた、あの牧口先生に連なる「知性の勲章」でもある。創価学会の師弟に脈々と流れる「あらゆることを学ぶ」開かれた精神を、世界がたたえているのである。学会のこの心は、すぐに傲慢になり、「認識せずして評価する」日本の狭い心とは正反対である。
9  牧口先生は、獄中の訊問に対して、厳然と、こう主張しておられる。
 「釈尊が大敵に敗けずに生活を遂げて人間の達し得べき最高の理想を示して人間の生活目的を明かにし、且其実現の手本をみずから具現されたのが所謂『仏』と云ふものであらう」(『牧口常三郎全集』第十巻)
 戦時中、国をあげて、国家神道に迎合していくなかにあって、牧口先生は一人、勇気凛々と、正義の信念を炎のごとく叫ばれた。牧口先生が、牢獄で烈々と宣言なされたように、「大敵」を打ち破って、生活で勝ち、人生で勝ち、社会で勝ち、人間性で勝っていくことである。具体的に結果を出し、理想を一つまた一つ実現していくことである。それが「仏」の道であり、ここに仏法の真髄がある。
 どうか三重の皆さまは、牧口先生・戸田先生が教えてくださった、創価の「この道」を、私とともに、連戦連勝で進んでいただきたい。この一生を悔いなく戦いきって、見事な勝利の決着をつけていただきたい。
10  ″人々を癒し元気にする″修行を
 リーダーは、皆を「ほめたたえていく」ことである。大誠実で「尽くしていく」ことである。心が小さい人は、人をほめられない。それではいけない。
 「ありがとう、ありがとう」「ご苦労さま」「立派だね」「すばらしいね」と、徹底的に、ほめたたえていける指導者が偉い。ほめるのは「おだてる」のとは違う。誠意をもって、希望と張りを与え、その人が喜んで活躍できるようにしていく励ましである。
 釈尊は、病める人、苦しむ人に「癒しの手」を差しのべた。学会は、同じ心で「希望と喜びの手」を差しのべるのである。しかも、世界最高の哲学をもっている。
 「右手には慈悲を」「左手には哲学を」。これが創価学会の行進である。
11  二百年前の鎖国の時代に、日本とロシアの橋渡しとなったのは、ここ三重出身の大黒屋光太夫(=商船の船頭として江戸に向かう途中、嵐にあいロシアに漂流して、後に帰国。ロシア文化を初めて日本に伝えた)であった。
 そのロシアの文豪・トルストイは『戦争と平和』に書いている。
 「もしわるい人間が、お互いに結合して力をつくるなら、潔白な人間も、同じことをすべきである」(中村白葉訳、河出書房新社)と。
 悪人は結託する。ゆえに、善なる民衆が聡明になり、スクラムを組んで、悪の連合を圧倒していかなければ、人類の悲劇の流転は、いつまでも変えられない。
 団結しましょう! また、皆を団結させ、連帯を内外に広げていける人が偉いのである。
 「仏法は勝負」である。仏法は仏と魔との闘争である。ゆえに仏法者は一生涯、まっすぐに戦い切っていくのである。「獅子王の心」で戦う人が「仏」になる。
 すばらしい研修道場を荘厳してくださっている″守る会″をはじめ、皆さまの気高い真心に、重ねて御礼申し上げたい。
 きょう、お目にかかれなかった方々にも、くれぐれも、よろしくお伝えください。(拍手)
 (三重研修道場)

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