Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表者勤行会 「覚悟の信心」から無限の力が

1997.5.20 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  大難は「我らがために」と感謝を
 日蓮大聖人が「私のことを、こういうふうに人に話しなさい」と教えられた珍しい御書がある。(「弥三郎殿御返事」、御書1449㌻)
 ある在家の門下に、仏法対話の仕方を教えられたのである。(一説には武士であった斎藤弥三郎とされている)
 わかりやすく大意を言うと「(日蓮大聖人という方は)日本の国が仏法の正義にそむいたゆえに『このままでは滅びてしまう。外国からも攻められるだろう』と、日本の国を救うために、『わが身はどうなってもよい』という覚悟で正義を叫ばれた」と。
 その結果、「二十余年・所をおはれ弟子等を殺され・我が身も疵を蒙り二度まで流され結句は頸切られんとす、是れひとえに日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還つて怨をなしなんど・せらるる事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞きほどかずして或は所を追ひ或は弟子等を怨まるる心えぬさよ、設い知らずとも誤りて現の親を敵ぞと思ひたがへて詈り或は打ち殺したらんは何に科を免るべき
 ――二十余年の間、いる場所を追放され、弟子等を殺され、わが身も傷を受け、二度まで流罪され、ついには頸を切られるところであった。これはひとえに日本国の一切の人々が将来、大苦悩にあうことを早くから知って、嘆き(助けてあげようと思って)行動した結果である。
 ゆえに心ある人々ならば、「我々のために(大聖人は)難にあってくださったのだ」と思うべきである。もし恩を知り、心ある人ならば、(大聖人が)二つ打たれる杖の一つは替わりに打たれるべきである。それもしないどころか、反対に迫害するとは、まったく、どうしたわけであろうか。(中略)たとえ知らないで、誤って自分の親を敵と思い違え、ののしり、あるいは打ち殺したならば、(知らなかったと言っても)どうして罪をまぬかれようか――。
 大聖人は、こう言いなさいと、門下に教えられたのである。
 信仰してない人でも大聖人に恩を感じて「二つの杖のうち一つ」は受けるべきだ、と。いわんや門下は当然であった。また、こう仰せである。
 「たとえば物ねたみする女の眼を瞋らかして・とわり後妻にらむれば己が気色のうとましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如し
 ――(日本の人々が大聖人を非難しているありさまは)譬えば「嫉妬した女性が(焼きもちのあまり)目をいからせて相手の女性をにらみ、自分のものすごい形相を知らずに、かえって相手の目が恐ろしいと言っている」ようなものである――。
 ――今も全部、焼きもちなのである。
3  手紙の最後には、法戦に臨む門下の心がまえとして、こう書かれている。
 「構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但ひとえに思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし
 ――心して覚悟を決め、所領(領地。今で言えば財産・地位にあたろう)を惜しんだり、妻子を顧みたり、人を当てにして、不安になり恐れることがあってはならない。ただ、ひとえに思いきりなさい。
 今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、今まで自分が生き永らえているのは、このこと(法華経の法戦)にあわんがためである。この今の戦いこそ、宇治川を渡す所であり、勢多川を渡す所である。名を上げるか、名をくだすかの境目である。(宇治川も勢多〈瀬田〉川も、関西の要害の川。源平の合戦でも勝負を決する要所となった)
 人間に生まれるのはまれであり、法華経は信じがたいとは、このことである。(今こそ成仏する千載一遇のチャンスである)
 (この戦いに勝つために)「釈迦・多宝・十方の仏よ! 来(きた)り集まって、わが身に入り、われを助けたまえ!」と一念を決めなさい――。
 今こそ、成仏できるかいなかの「境目」である。広宣流布の宇治川であり、瀬田川である。渡りきれば勝利である。断じて、渡りきらねばならない。「覚悟の信心」には、無限の力がわく。釈迦・多宝・十方の諸仏が、こぞって力を与えてくださるのである。
4  周総理は世界の人々から尊敬された
 周恩来総理について、少々、触れておきたい。
 「中国人はもちろんのこと、全世界の人々の最も尊敬すべき人――それは周総理であった」(周恩来記念出版刊行委員会編『日本人の中の周恩来』里文出版)と、語った人がいた。
 その周総理は、創価学会のことを熱心に知ろうとされていた。日本から政財界の人々が訪中すると、よく創価学会のことを質問されたという。
 ある時、会見を終えた周総理が、中日関係のスタッフを集めて、語った。
 「きょうも、創価学会のことを質問した。十人中、九人までが、創価学会のことを悪く言っている。これは、創価学会が偉大な団体である証拠である」(王效賢おうこうけん中日友好協会副会長の話から)
 さすがに総理は、見る″目″がまったく違う。
5  ″世界一の紳士″と称えられていた国連事務総長のハマーショルド氏は、周総理と会った後、こう語ったという。「周恩来と比べたら、私ごときは野蛮人だ」(『日本人の中の周恩来』以下、引用は同書から)
 米中国交のアメリカ代表・キッシンジャー博士も、文化的奥行きの深い周総理に魅了された。(博士は池田名誉会長と対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』を発刊〈一九八七年、潮出版社〉)
 また、ある人は、総理の手腕を、これが「政治芸術」というものか、と感嘆したという。
 アンドレ・マルロー氏の名作『人間の条件』の登場人物の一人は、周恩来総理であると言う人も多い。
 総理について「世界を地球儀のようにして、その掌中に置いている」と言われた。頭に全世界が入っている、とも。
 総理の口からは、各国の経済・政治状況から、農産物の生産量、輸出入量まで、あらゆるデータが語られる。しかもそれは、ただの数字の羅列ではなく、国際情勢への深い″読み″に基づいていた。
6  「大衆とともに生きる」人をたたえる
 「日本の芸術界の様子をうかがいたい」と、総理が、日本の演劇人を集めたことがあった。
 一人の若い劇作家が、地方の農村や炭坑などで働く庶民と、苦労をともにしながら作品を上演している様子を報告した。
 「とてもいい。じつにいい。あなたが選んだ道は正しい。困難は続くでしょうが、必ず貫きとおして下さい。″大衆と共に、大衆の中で″ですよ」
 劇作家の目から、ほろりと涙が落ちた。日本では、このように認められ、力強く励まされたことはなかったからである。
 日本では「大衆」という言葉さえ揶揄され、軽蔑の目で見られた。「人々の苦労と涙の中に身を投じたい」という生き方など、理解する人はいなかった――。
 「ご夫婦には、子どもさんがおられないと、うかがいましたが、淋しいことでしょうね」ある人が、そう聞くと、総理は答えた。
 「いや、全中国の子どもたちが、みんな私たちの子どもだと思っていますから、少しも淋しくありません。革命の後継者は、どんどん育っています」
7  総理は、民衆への優しさと同時に、歴史の真実に対しては、どこまでも厳しい姿勢を貫いた。
 ある日本人が、総理に問うた。
 「あなたたち中国人にとって日本の国旗、日章旗は見たくもない旗でしょう」
 総理は、はっきりと答えた。
 「その通り。あの旗を見ると、私たちは気分が悪くなるほどです。しかし日本人の皆さん方は、ぜひ日の丸の旗を見るたびに、この旗の下でどんな悪いことを中国にしたかを常に思いおこしてもらいたいと思います。その意味において、どんなに悪い思い出がある日章旗でも、日本の国旗として、反省のためにも他の旗に変えないでもらいたい」と。
 ある日本人に、中国の友人が、こう語った。
 「国交回復前、中国を訪れた日本の人々は、中国の現状と中国のやっていることを何とか理解しようと努めてくれた。今、日本の若い人達は中国人の暮らしをみると、軽蔑の気持ちを表情に表す」と。
 そうだとすれば本当に、情けない国になってしまった。そういう傲慢な日本を見返すような大発展の中国に、今、なってきた。いずこの国であれ、私は虐げられてきた人々が胸を張って立ち上がる日を熱烈に待っている。その日の到来を心から喜んでいる。
8  「坐して語るより、起って行動せん」
 周総理の若き日の詩に、こういう一節がある。革命の同志の死に際して贈った詩である。
  「耕さずして
    なんの収穫ぞ」
  「坐して語るより
    むしろ起ち上って行動せん!」
  「たくましく鋤をふるい
    未開の大地を切り開こう
  種を人間界ひとのよに播き
    血を大地に注ごう」
  
  「別離は人の世の常
     行末はさらに永別あり!
   されど生死の悟りに徹し
   立派に行き
   立派に死ぬる覚悟あれば
   よし 永別の日の来ようとも
     心安らかならん」
      (「生別死離」林芳訳、詩集『寥天』サントク・エンタープライズ出版)
9  また、民衆による周総理への賛歌に、こうある。
  「人民の総理は 人民を愛し
   人民の総理を 人民は愛す
   総理は人民と甘苦を共に
   人民は総理と 心ひとつに」(同前、訳者あとがき)
 総理の言葉に、「人を養う者の終りなき労働! 人を喰いものにする輩の飽くなき享楽!」(「抑圧者の享楽」前掲書)と。
 総理は青年時代から、人を食いものにする悪人と、休みなく戦い続けてきたのである。
10  かつて戸田先生は、信徒を食いものにする悪侶との攻防にあって、こう言い残された。
 「私たちは、金剛不壊の御本尊をいただいている。なにを恐れることがありましょう。『魔の挑戦には、身命を賭して戦う』ところに創価学会の使命があることを知らなくてはなりません。それでこそ、創価学会の存在が偉大なのであります」と。
 その模範が関西である。偉大なる関西のわが同志が、獅子王の心で総立ちし、三世永遠の「金剛不壊の生命」を堂々と勝ち取り、飾りゆかれることを心から念願して、私のスピーチといたします。
 ありがとう。おめでとう!
 (関西文化会館)

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