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日蓮大聖人・池田大作

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第十一回本部幹部会、第三回全国婦人部幹… 二十一世紀へ広宣流布を一歩前進

1997.5.19 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  周総理は「自力更正」を人民に訴えた
 そうした難局のなかで、周総理が一貫して人民に訴えたのは、いったい何か。
 それは、有名な「自力更生」ということである。屹立(高くそびえ立つ)した、自立の生き方である。すなわち、何ものにも頼らない。だれも、あてにしない。他人に依存しない。
 「だれも頼らない」――私の心境も同じである。
 そして、自分で自分を強め、自分で自分を成長させていく。どんな敵にも、また、どんな困難にも、断じて屈服しない。断じて恐れない。これが自力更生の精神とされる。ここに、あの大革命を成し遂げた根源がある。
 この自力更生の精神は、もともとは、日本の侵略と戦うなかで生まれたものである。本当に日本は悪い。
 日本軍は、中国の主要な港を占領。連合国からの援助ルートを断ち切り、封じ込めようとした。その日本の悪逆・横暴を、中国の人々は「自力更生」を掲げて、毅然と乗り越えたのである。
3  周総理は言われた。「闘争のなかで自己を強化し、荒れ狂う風雨のなかで自己を鍛えなければならない」(新中国建国の翌年の一九五〇年。中共中央文献編集委員会編『周恩来選集』中国国際図書貿易総公司)
 嵐のなかの闘争――草創の創価学会も、そうであった。皆、いさぎよく戦った。今、闘争なき幹部は、堕落の幹部である。広布に戦えば、三障四魔、三類の強敵が必ず出る。ゆえに、難を受けている人、また、その人とともに戦う人だけが、日蓮仏法の真髄の道を歩んでいるのである。
 さらに周総理は、他国の民衆も、同じように「自力更生」の道を進むべきだと訴えた。
 周総理は「人民の力」を信じた。信ずるのは人民である。抑圧され、虐待され、侮辱され、侵略され――やっと生き抜いてきた人民が、自分たちの力で、自分たちの国をつくり、栄えさせていこう! と立った。
 すばらしいことだ。その人民の勝利を、歴史に厳然と示そうではないか!――これが周総理の確信であった。
4  私どもで言えば、信ずるのは御本尊である。そして、信ずるのは学会員である。会員が大事である。大幹部が大事なのではない。だから私は、ただ会員の皆さまのために耐え、戦っている。
 苦しんだ人こそが勝利し、幸福にならねばならない。いつも負けてばかりで、不幸であるならば、それは仏法ではない。人生の真実の歩み方でもない。
 不幸の人が、みんな幸福になる。幸福な人は、より以上、幸福になる。そのための信心である。そのための人生ではないだろうか。(賛同の拍手)
 私は少年時代から、中国を守りたいと願ってきた一人である。それは、私の兄たちから、中国への日本軍の侵略の残虐さを聞いていたからである。
 いつか中国に尽くしたい――この少年時代の理想を今、実現できるようになった。中国の堂々たる発展に接し、本当に私はうれしい。上海の発展も、素晴らしかった。
 かつての上海を知る方は「まるで別世界に来たようだ」と言われていた。それほどの中国の発展である。「人民の力」を信じた周総理の一念が、見通しが正しかったのである。(拍手)
5  新中国は「人民を味方して」勝利
 今回、上海大学の銭偉長せんいちょう学長ご夫妻と何度も語り合った。上海大学からは「名誉教授」の称号をいただいた。(一九九七年五月)
 学長は、世界的な物理学の大家。アメリカで、ポーリング博士とも一緒に研究をしておられた。
 周総理の信頼が厚かったお一人であり、現在、全国政治協商会議副主席という要職にある。
 孔祥瑛こうしょうえい夫人は、孔子の七十五代目の直系の子孫という名門であられる。
 私は学長にうかがった。かつて中国で内戦や抗日戦争があった。中国共産党は、軍備をはじめ、さまざまな面で不利だとされた。多くの人が「共産党軍は負ける」と思った。しかし、勝った。
 いろいろな原因があるでしょうが、最大の原因は何だとお考えですか――と。
 学長は一言、こう答えられた。
 「庶民の力です。庶民が味方したんです」そして「共産党軍には清潔さがありました。人民を大事にしました」と。
 民衆は「共産党軍は、自分たちの本当の味方なんだ」と思った。そして協力した。庶民を味方にしたゆえに勝った――というのである。
 要するに、「庶民を味方にしたか、敵にしたか」。ここに勝利の要諦はあるといえよう。
6  思えば、先日スピーチした中国の女性革命家、秋瑾しゅうきん女史が訴えたのも、「女性の自立」であり「人間の自立」であった。(秋瑾女史の闘争については、九七年三月二十八日の全国幹部研修会でスピーチ〈本全集87巻収録〉)
 若き彼女は、上海の地で女性解放の雑誌(『中国女報』)を創刊し、こう呼びかける。「人間として、意気地がないのは、おそろしいことです」と。安逸を打ち砕く、炎の一言である。
 戸田先生も「学会に臆病者や意気地なしが増えたら、おしまいだ」と言われた。
 牧口先生は「羊千匹よりも獅子一匹」と叫ばれた。これが学会精神である。
 秋瑾女史は信じた。「自立」こそ、人間を人間たらしめる根本であると。
 そして周総理は訴えた。本当の「自立」とは、人々のために責任を担い、皆に尽くしていくことである、と。
 これも重要な「人間革命」である。使命を自覚した人間の生き方である。
 総理の呼びかけに応えて、中国の青年たちは勇ましく立ち上がった。
 その一人が、上海大学の銭学長である。銭学長は「私は科学で祖国を救おう!」と、自分の人生を決める。そして、それまでの志望を変えて、あえて物理学者としての挑戦の道を進まれたのである。
7  秋瑾女史のことを語る時、私はいつも、学会の女子部のことを思う。
 ″女子部″の秋瑾女史の大情熱に心を揺さぶられて、中国の″男子部″も立ち上がったのである。
 学会精神、なかんずく関西魂は、中国の「自力更生」に似ていると、けさ、妻と話し合った。
 周囲の人たちも「その通りですね」「だから関西は強いのですね」と語っていた。
 関西の同志は、低次元の人間の嫉妬や軽蔑など、まったく眼中に置かない。ただ敢然と戦う。広宣流布への命をかけた戦闘がある。
 わが学会の全世界の模範は「関西魂」であると、私は明確に言っておきたい。(拍手)
8  周総理夫人――心は永遠に「革命の青春」
 七年前(一九九〇年)の五月、私は周総理の夫人である鄧穎超とうえいちょう女史を、北京のご自宅に訪ねた。女史とは何度もお会いしたが、それが最後の語らいとなってしまった。(九二年七月に逝去)
 女史は、私どもとの交流を、ことのほか大事にしてくださった。忘れ得ぬ思い出である。
 その年の十月のこと。女史のもとに、かわいらしい少年・少女たちが、やってきた。子どもたちに、″人民の母″は語った。
 「どうか、私たちを超えていってください。祖国の未来は、皆さんの創造と開拓にかかっているのですよ」
 大人に対するのと同じ、真剣な語りかけであった。
 「自力更生の精神をもつならば、必ず前人を追い越し、前人をしのぐ貢献ができる」とは、周総理の信念である。
 同じように、学会の未来を担うのは、青年部である。諸君も、先輩を大きく乗り越えていっていただきたい。「前人をしのいで」いただきたい。そして立派に、「二十一世紀の創価学会」を大発展させていただきたい。
 関西をはじめ全国の青年部、頼むよ!(拍手)
 鄧女史は、子どもたちに、こう語る。
 「私は年をとりましたが、心は革命に生きる青春のままです。私は八十五歳のおばあさんですが、あなた方と一緒に前進したいのです!」
 ″心は今も「革命の青春」そのものです″――本当に偉大だと私は思う。
 その意味で、年配の方々も青年の情熱で、生きがいをもって、広宣流布へ戦っていただきたい。
 また、関西が一切の模範となって、新しい「二十一世紀の創価学会」の創出、建設を、お願いしたい。(拍手)
9  戦時下に叫んだ日本人女性――「日本民衆の敵は軍国主義」
 日本が中国を侵略したころ、勇気をもって中国へ渡り、中国人とともに、日本の軍国主義と戦った女性がいた。いつの時代も女性は強い。勇敢である。草創の学会もそうであった。全部、婦人部が先駆を切ってきた。ここ関西の婦人部もじつに頼もしい。
 この「日本人でありながら、日本と戦った」若き女性は、中国では有名である。周総理の指導する新聞に執筆したこともあるし、鄧小平とうしょうへい氏も彼女をたたえている。
10  上海への日本軍の攻撃を見て、彼女は書いた。(高杉一郎『中国の緑の星――長谷川テル 反戦の生涯』朝日選書。以下、引用は同書から)
 「砲火と砲煙がこの国際都市をおおい、恐慌と恐怖の叫び声があがっている」
 「私の心は叫ぶ。日中両国人民のために戦争をやめろ! と」
 彼女は、中国に押し寄せた「巨大な灰色の煙」が、中国人はもちろんのこと、「日本の民衆を窒息させている」と見抜いていた。そして「息子や夫を戦争に奪われた(=日本の)年老いた農民や女たちの泣き声が、私の耳には聞こえてくる」
 「私は両国人民の殺しあいを全身全霊をもって憎む」
 「私は(中略)声をかぎりに日本の兄弟たちに呼びかける。――いたずらに血を流すのは、おやめなさい。あなたがたの敵は、海の向こうの中国にいるのではないのです、と」――
 日本の民衆の″敵″は、中国ではなく、日本の軍国主義者だ!――そう彼女は見抜いていたのである。じつに聡明な女性であった。
11  彼女の名は、長谷川テル。ここ関西で青春を生きた。奈良女子高等師範学校で学んだ女性である。彼女は中国人と恋愛結婚し、彼を通して、大きく国際意識を広げた。そして「日本が絶対に悪い」と見破った。
 「人間らしい心と明晰な理性をもっている人ならば、かならず中国に同情するでしょう。わたしは畜生ではありません。わたしもまた正義について学びました」(長谷川テル著『嵐の中のささやき』高杉一郎訳、新評論刊。彼女はエスペラント語で書いた。以下、引用は同書から)
 日本の政策に従わなかっただけで「国賊」「非国民」「売国奴」などと呼ばれた時代である。(牧口初代会長、戸田第二代会長も軍部に従わなかったために、「国賊」と非難された)
 「お望みとあれば、どうぞわたしを裏切者とよんでくださっても結構です。わたしはこれっぽっちもおそれはしません」
 何とでも言いなさい、私は恐れない、と。腹が決まっている。
 「むしろわたしは他民族の国土を侵略するばかりか、(中略)この世の地獄を現出させて平然としている人びととおなじ民族のひとりであることを恥とします。(中略)それは愛国主義ではなく、排外主義なのです」
 邪魔者は排除する。それが日本だ!――こう糾弾した。
 彼女は苦労を重ねて、中国の抗日軍と合流。ラジオで、中国に来た日本軍に正義を訴え続けたのである。
 日本にいる両親は、周囲から「自決せよ」と脅され迫害された。彼女自身も、日本人からは狙われ、中国人からも、日本人であるゆえに、しばしば白い目で見られた。しかし彼女は叫び続けた。
 ″中国の勝利は、全アジア、そして全人類の明日への鍵である″
 利口な女性である。「本質」を見抜いていた。
12  彼女は体をこわし、五歳の男の子と一歳にもならない女の子を残して、三十五歳を前に逝去する。
 ――学会でも、広宣流布のために戦って、体をこわす人もいるかもしれない。しかし、何があっても、全部、妙法に包まれた生命であり、生死である。
 法華経寿量品には「更賜寿命(更に寿命を賜え)」(開結五〇三㌻)と言って、信心によって生命力が強くなり、寿命を延ばすことができるとされている。
 また寿量品に「慧光照無量 寿命無数劫(慧光照らすこと無量にして 寿命無数劫なり)」(開結五〇九㌻)とあるように、仏の智慧の光の及ばないところはなく、仏の生命は永遠である。
 三世永遠の生命から見れば、全部、いい方向に、幸福の方向に、成仏の方向に向かっているのである。妙法を確信するべきである。目先の現象にとらわれて、信心を曇らせてはならない。
 無名で、国賊と呼ばれた彼女の短い人生は今、アジアに燦然と輝いている。子どもたちも中国人として立派に育った。私は喝采を送りたい。
 歴史は繰り返す。今また日本は国家主義の危険な方向に向かいつつある。だからこそ、平和主義、国際主義の私と創価学会を迫害するのである。
 戦いましょう! 「断じて悲劇を繰り返さない」ために。
13  私もよく知る日本の著名なジャーナリストが、こう語っておられた。
 「日本は戦後処理をしていない。第一に、心の問題として。中国は、心を大事にする国です。心の問題さえ、はっきりさせれば、あとは難しい問題はない」と。
 (「それをやっているのが池田先生です」とも語っている)
 日本は、すでに戦後処理が終わったような顔をして平然としているが、(歴史認識の問題も含めて)「心」の問題を解決せずして、真の友好はない。それを避け、ごまかして、「経済」とか「物」の話だけを進めても、砂上の楼閣である。
 (中国最大の青年の新聞「中国青年報」のアンケートでは、「日本の軍国主義の復活」に強い警戒感が示された。また日本でも、ある調査で「中国を信用できない」という青年が最近、初めて半数を超え、相互不信の状況にある)
 だから、私どもの民衆友好運動が大切なのである。
14  大難こそ御聖訓どおりの証拠
 ひさかたぶりに、懐かしい関西の戸田講堂で、明るい幹部会、おめでとう!(拍手)
 戸田講堂と言えば、戸田先生。先生は、ここ関西でも、常に御書を拝し指導された。中之島の公会堂(大阪市中央公会堂)では講義もされた。
 あの「″まさか″が実現」(第四回参院選の大阪地方区で学会推薦の白木義一郎氏が当選した際の新聞の見出し)と大々的に報道された年、昭和三十一年(一九五六年)には、先生は「三沢抄」の講義をされている。(大阪・大手前会館。『戸田城聖全集』第七巻)
 御聖訓を通して、同志の心に深く「関西魂」を打ち込まれたのである。
 「三沢抄」にいわく「たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をたる人なれども生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す」――たとえ智慧明らかな師匠に出会い、真実の教えである法華経に巡りあって、正法を得た人であっても、生死の苦悩の流転を出でて仏になろうとする時には、必ず影が身に添うごとく、雨に雲が伴うごとく、三障四魔といって七つの大きな出来事が現れてくるのである――。
 学校でも、試験を乗り越えなければ卒業できない。仏法では、魔を乗り越えなければ仏になれない。魔と戦い、魔を打ち破った分だけ、仏に近づくのである。
 三障四魔のうち、七番目の最大の難関が「天子魔」である。「第六天の魔王」の画策のことである。それを打ち破ってこそ、仏になれる。要するに、「権力の魔性」との闘争に打ち勝ってこそ、仏になれるのである。今、この一点を自覚していただきたい。
15  同じく「三沢抄」には、わかりやすく、こう仰せである。
 「末代の凡夫・一代聖教の御心をさとり・摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば・第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならば・かれが我が身の生死をいづるかは・さてをきぬ・又人を導くべし、又此の国土をさへりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲・色・無色の三界の一切の眷属けんぞくもよをし仰せ下して云く、各各ののうのう能能に随つて・かの行者をなやましてみよ・それに・かなわずば・かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或はをどしてみよ・それに叶はずば我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・をどして見むに・いかでか・とどめざるべきとせんぎ僉議し候なり
 ――末法の凡夫が、釈尊一代の教えの真意を悟り、天台大師の摩訶止観という重大な書の心を体得して(一念三千の法理を悟り)、まさに仏になろうとすると、第六天の魔王は、それを見て驚いて、こう言う。
 「ああ、とんでもないことだ。この者(法華経の行者)が、この国で活躍するならば、彼自身が生死の苦悩を離れるだけでなく――それだけならまだしも――人々をも導ていくであろう。そして、この国土を押さえ取って、私(魔王)の領土を浄土(仏国土)に変えてしまうであろう。どうすればよいか」
 魔王は、こう言って、欲界・色界・無色界の三界(六道輪廻の世界)の一切の手下を招集して、次のように命令をくだす。
 「各々の能力に従って、あの法華経の行者を悩ましてみよ! それでだめなら、彼の弟子や支持者、その国の人々の心の中に入り代わり、諫めたり、脅したりしてみよ!」と。
 「それでも(法華経の行者を)倒すことができなければ、われ(魔王)自ら降りていって、国主(権力者)の身心に入り代わって、脅してみよう。そうすれば、どうして(広宣流布を)止められないことがあろう」と評議するのである――。
 この世界は第六天の魔王の国土である。いわば、第六天の魔王が地主である(爆笑)。魔の国土を、仏界の国土に変えられては困るのである。自分の家来ももっていかれてしまう。魔王は、それを恐れるのである。
16  これまでも学会を乗っ取ろうとした魔の勢力があった。しかし、私がいたから全部、失敗した。だから、悔しいのである。だから攻撃するのである。
 御書に照らし、魔の勢力から嫉妬され、憎悪され、迫害されることは、日蓮仏法を真実に行じている何よりの証拠であると申し上げたいが、どうだろう(賛同の拍手)。
 だからこそ、創価学会の三代の師弟は、本物なのである。ここに創価学会の永遠の根本軌道がある。「権力に脅かされてなるものか!」「だまされるな!」――この強き心こそ、成仏へのバネである。この心を忘れてはならないというのが戸田先生の講義の真髄であった。
 この戸田先生の弟子として、私は大聖人の仰せの通りに、ここ関西の天地で王難を受けた。投獄された。そして関西の同志とともに、すべてを勝ち越えた。この関西は、魔軍を呼び起こし、打ち破ったのである。永遠にそびえ立つ「関西城」「錦州城」「創価城」である。私は、これからの一生も、関西とともに戦います!(拍手) いっしょに進みましょう!(拍手)
17  偉大な人材を!偉大な組織をつくれ!
 きょうは、後継の青年部が集っている。関西青年部は「百万の正義の陣列」を、痛快に、また粘り強く、実現していただきたい。世界史に燦然と残していただきたい。(拍手)
 いよいよ「今世紀の総仕上げ」の時。それは関西からである。(拍手)
 「二十一世紀の出発の先駆」。それも関西である。関西の陣列を信じる以外にない。二十一世紀へ、広宣流布へ、一歩も二歩も前進する原動力は関西なのである。
 わが天地に「偉大な人材」を、「偉大な組織」を厳然とつくっていただきたい! そして、「不屈の闘争こそが関西魂である」と天下に示していただきたい!と申し上げ、私のスピーチを終わります。
 ありがとう! おおきに! サイナラ!(拍手)
 (関西戸田記念講堂)

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