Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「創価学会後継者の日」の集い、スリラン… 後継者とは師の偉大さの証明者!

1997.5.5 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

前後
2  本日は、私どもにとりまして、意義深き「後継者の日」であります。
 「後継」といえば、貴大学こそまさしく、人類の教師である釈尊の精神を脈々と「後継」しゆく学府であります。
 今、私は、仏法の人間主義が、幾千年にわたって海を越え、山を越え、人から人へ、心から心へ受け継がれてきた壮大な「後継」のドラマに、思いを馳せております。
 思えば釈尊は、あらゆる人間の生命から、「智慧」と「勇気」と「慈悲」を限りなく引き出そうとした、「人間教育の先駆者」でありました。しかし、その生涯は、「九横くおうの大難(九つの大難)」といわれるように、迫害の連続だったのであります。
 すなわち、悪意と嫉妬の悪口をあびせられ、また、裏切り者の策謀で何度も命を狙われ、さらに讒言によって訴えられ、まったくいわれのない事件を捏造されたのであります。ここに、いつの世にも変わらない迫害の構図があります。
3  大難を一身に受けながら、命を賭けて戦っている――この釈尊を、ずるい大人たちは、ただ傍観するだけでした。自分が痛い思いをしなければ、それでいい。自分が巻きぞえにならないよう、うまく立ち回っておこう――こういう卑怯な心であった。
 戦時中、アジアへの侵略戦争に抵抗し、殉教した牧口先生を見殺しにした「卑劣な坊主」や「意気地なしの幹部」も、まったく同じでありました。彼らは、牧口先生を守るどころか、反対に、かかわり合いを恐れて、権力にへつらったのであります。
 また、釈尊に出会うと顔をそむけたり、扉を閉じたり、窓をふさいだりした世間の人々もいたのであります。
 しかし、そうした大人たちとは対照的に、釈尊に真心を込めて、土で作った餅を差し出した童子がいました。今で言えば、未来部の皆さんです。
 「自分は、今は、この尊い正義の人のために、何もできない。しかし、何としても、お役に立ちたい!」――そういう「心」が気高いのです。「心」が大切なのです。
 師匠に「何かをしてもらおう」とか、「守ってもらおう」などという、甘えた卑しい心の弟子が何人いても、何ごとも達成しない。
 「師匠を、何としても守ってみせる!」
 「師匠とともに難を受け、一緒に戦い抜く!」
 この「獅子王の心」の弟子が一人立てば、一切が成就する。これが仏法の「師弟の道」であります。牧口先生が大難の時は、戸田先生が一人立たれた。戸田先生が大難の時は、私が立った。厳然と、お守りしました。
4  アショーカ大王が釈尊の精神を継いで立った
 釈尊に尽くそうとした、このけなげな童子は、その「心」によって、無量の福徳を積み、百年ののちに、世界に轟く王者、すなわちアショーカ大王となって生まれたと、仏典は説いております。
 その三世永遠の生命観はともかく、アショーカ大王が、仏法に巡りあい、″われは釈尊の精神の後継者なり!″との自覚をもって立ち上がったことは、事実であります。
 要するに、釈尊が開始した「理想社会の建設」は、いぜんとして実現されていなかった。それどころか、釈尊の晩年には、釈迦族の国が軍隊に虐殺されるという悲劇さえ起きたのです。
 そういう「権力の魔性」に対して、仇を討ち、平和の大仏法を満天下に実証し、釈尊の真実を世界に宣揚したのが、アショーカ大王だったと言えましょう。
 彼は、「孔雀の王朝」(マウリヤ朝)と呼ばれた大国の第三代の王として、不滅の業績を残しています。
 私が対談した世界的な学者にも、「尊敬する人」として「アショーカ大王」を挙げた人が何人もいました。
5  彼は、仏教の慈悲を根底に、戦争を放棄し、民衆に奉仕する福祉の政治を行いました。また、多様性を尊重し、信教の自由を厳守したことも有名であります。さらに、遠くエジプトやギリシャにも「平和の使節」を送り、広大な人間の交流を開いております。
 そしてアショーカ大王は、人間ばかりでなく、動物のための治療所も設け、広い地域に植樹を行うなど、環境保護にも取り組みました。
 なお、本日、出席してくださっているコスタ副総長は、動物学の高名な大学者であり、環境問題にも世界的なスケールで尽力しておられることを、ここに紹介させていただきます。(拍手)
 アショーカ大王は、じつに三十七年間といわれる長い在位期間、″世のすべての人々が幸福になるまで、私は努力をやめない″と、大情熱を燃やし続けました。
 もとより次元は違いますが、私が第三代会長になって、今年で三十七年。戸田先生でさえ、七年間で終えられた激務を、私は果たし続けてきました。そのあとを継ぐのは、皆さんです。未来部です。私は未来部に後を託したいのであります。(拍手)
6  アショーカ大王が、わが子に望んだことは何だったか――。
 それは「断じて、仏法の後継者に育ってもらいたい」ということでした。
 この父の期待に応えて、王子と王女は誇りも高く、使命に徹していったのです。そして王子と王女が向かったのが、貴国すなわちスリランカでした。
 王子は「スリランカの人々は、聡明である。われらは、師匠である釈尊の言葉を受け継いで、このスリランカに仏法を輝かせていくのだ!」という凛然たる決心でありました。
 また王女も、釈尊ゆかりの菩提樹をスリランカに移植したと伝えられております。その貴重な菩提樹の葉を、以前、貴国の文化大臣から、いただいたことを忘れることはできません。
 ともあれ、戸田先生は、常々、厳しく叱咤しておられました。
 「本当に偉大な人生とは、権力者になることでもなければ、いわゆる有名な人間になることでもない。創価学会のリーダーとなって、広宣流布に尽くしていくことこそ、最高にして永遠の誉れである」と。
 博士や医師になったり、留学したり、議員になったり、それ自体が偉大なのでは断じてない。それらよりも、広布の組織で活躍する人生こそが、本当に「偉大な人生」なのであります。
 本日、私もまた、「わが創価の後継の君たちよ、断固として、仏勅の創価学会の組織で生き抜け! 組織で戦うなかにこそ、『仏道修行』があり、『広宣流布』があり、『人間革命』がある。
 ″一人で自由に信仰しよう″などというわがままな、また身勝手な姿は、正しい信仰とはいえない。ただの拝み屋である」と明確に言い残しておきたいのであります。
 組織が好きでないと言っても、人間の体も組織体です。社会も学校も宇宙も皆、組織体です。単独で成り立ってはいない。
 また釈尊の時代も、日蓮大聖人の時代も組織をつくって戦ったのです。
 組織は、束縛されるものではなく、自分を最高度につくり上げ、活躍させてくれるバネである。いちばん尊い仏道修行の場であります。「戸田の命よりも大切な広宣流布の組織」と言われた意味を、かみしめていただきたい。
7  ここで一言、「親と子は、意見が合わなくて当たり前である」と申し上げておきたい。
 親と子は、世代が違う。何十年も時代が違うのだから、当然、社会も大きく変化している。それなのに、意見をすべて一致させようとするのは、そもそも無理なことであります。
 ゆえに、賢い子どもは、親の言うことを「そうですか、そうですか」と聞こうとする。賢い親は、子どもの言うことを「そうか、そうか」と聞いてあげられる。
 戸田先生も、よく「親子喧嘩ほど愚かなものはない」と言っておられた。
 これは簡単なことのようで、非常に大切なことなのであります。皆さんも家に帰ったら、ご両親の言うことを、よく聞いてあげてほしい。それができるのが大人です。賢明な生き方です。親孝行です。
8  最後まで走り抜け! それが勝者
 私が貴国を二度目に訪問した一九六四年、東京オリンピックが開かれました。
 一万メートルの競走――一周四百メートルを二十五周もする熾烈なレースです。貴国スリランカの代表選手が、その決勝に臨みました。
 あいにく彼は、一週間前から風邪をこじらせてしまい、最悪の体調でした。三十分を超える激しいレース。途中で、十人近い選手が次々に棄権していきました。
 やがて、先頭集団が白熱の一位争いを繰り広げ、皆がゴールした。走っているのは、彼一人だけになりました。
 その彼に、心ない言葉を投げつける観衆もいた。
 しかし、人が、どう言おうが、どう見ようが、彼には関係ありませんでした。ただひたすらに、彼は、真剣に走り続けたのです。
 一人きりで、一周、また一周。その姿に感銘した七万人の競技場は一体になって、沸き立つような拍手と声援に包まれました。
 そして、四周遅れの彼が、ついに完走し、ゴールインした時、まるで優勝したような、感動の大喝采が送られたのであります。
 これは、オリンピック史上に語り継がれるドラマとなっております。
 諸君も、どんな時にも、このスリランカの青年のように、決して、あきらめてはならない。
 断じて、わが使命の道を、自分らしく、愉快に、勇敢に、そして、我慢強く、また忍耐強く、最後の最後まで、走り抜いていただきたいのであります。
 結びに、わが敬愛する貴大学、そして「光り輝く国」スリランカの二十一世紀の「栄光」と「勝利」を、心よりお祈り申し上げ、私の謝辞といたします。
 (創価大学記念講堂)

1
2