Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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SGI春季研修 21世紀へ 人材の流れを滔々と

1997.4.19 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  求道の旅路――福徳は三世に
 SGI(創価学会インタナショナル)の大切なわが同志の皆さま、本当に、ようこそいらっしゃいました。深き求道のリーダーであられる皆さま方を、私は合掌する思いで、また、お一人お一人の肩を抱きかかえるような気持ちで、最大の敬意をもって、お迎えしたい。
 佐渡の地に流された日蓮大聖人のもとに、鎌倉から、遠い、険しい道を越えて、はせ参じた、一人の婦人門下がおられた。
 大聖人は、「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」――(仏法のために遠い旅をした)道の遠さに、信心の志があらわれるのであろうか――とたたえておられる。
 また、「釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん」――釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行菩薩等の大菩薩、梵天、帝釈天、四天王等が、この女性を、影が身に添うように守られることでしょう――とも仰せである。
 皆さま方の福徳も絶大である。ただただ仏法のために、お金を工面し、時間をやりくりして、喜んで集ってこられた皆さまの功徳は、生々世々、永遠に、また子孫末代まで光り輝いていくことは、絶対に間違いない。
 皆さま方のおかげで、世界百二十八カ国・地域のSGIの連帯は、二十一世紀へ、いよいよ水かさを増して、着実に前進している。(=二〇〇〇年十二月現在、SGIは百六十ヶ国・地域に発展)
 基盤は完璧にできあがったと、私は申し上げたい。とともに、皆さま方の気高き貢献と労苦に、謹んで、御礼申し上げたい。
2  SGIのスクラムは常に、社会に広く深く根を張って進む。
 これまでも幾度となく確認してきたが、大聖人は、「智者とは世間の法より外に仏法をおこなわ」――智者とは、世間の法より外に、仏法を行じることはない――と仰せである。
 また、「随方毘尼」の戒について触れられ、″甚だしく欠陥のないことなら、少々仏教に違うことがあっても、その国、その地域の文化、風俗にそむかないのがよい″と、明快に教えられている。
 仏法は、あくまでも道理である。社会から離れて、また現実から離れて、仏法はない。ゆえに、良識豊かに、そして、常識を大事にしていかねばならない。
 社会を尊重し、社会と調和していく。人間を敬い、人々の中に入っていく。これがSGIの行き方である。
3  また、SGIは、常に「異体同心」で進む。
 日蓮大聖人は、この「異体同心」の信心を、広布発展の要とされた。
 すなわち、「自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(中略)若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」――自分と他人、あちらとこちらというような隔ての心をなくして、水魚の思いをなして(水と魚が離れないような思いで)、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。(中略)もし、そうしていくならば、広宣流布の大願も叶うであろう――と。
 本日、こうして、世界五十六カ国・地域から、人種を超え、民族を超えて、異体同心の信心で集い合った皆さま方の尊い姿にこそ、「広宣流布」がある。
 このSGIの「異体同心」の、にぎやかな前進を大聖人が、どれほど喜んでおられることであろうか。また、どれほど、皆さま方を賛嘆しておられるであろうか。
 SGIは、大聖人の仰せのとおりに進んでいることを、どうか深く確信していただきたい。
4  日寛上人の最晩年、時代は息吹に満ちていた
 リーダーは、生き生きとした探求心で、常に、学んでまいりたい。
 リーダー自らが、みずみずしく学びゆくところに、触発が生まれる。新しい発想が広がる。前進の息吹が漲る。知ったかぶりをしたり、わかったつもりですませるのではなく、万般にわたって啓発していくことを、私は大事にしたい。
 先日、ある海外の同志から、「日寛上人御書写の御本尊の日付が、享保五年の六月十三日となっています。この時代は、歴史的には、どういう時代だったのでしょうか」という質問をいただいた。
 享保五年は、西暦の一七二○年。日本でいえば、江戸時代の中期であり、若き八代将軍・徳川吉宗のもと、有名な「享保の改革」が推進された時代として知られる。
 この改革は、政治腐敗、財政の悪化、経済の混乱などに挑むものであった。
 具体的には、「有能な人材の大胆な登用」「良質な通貨の統一」「新田開発による収入の増加」「目安箱(庶民の直訴箱)の設置」「小石川養生所(貧しい庶民のための病院)の創設」「庶民に学問の道を開く」など、諸改革を断行した。この「享保の改革」は、一般に、江戸時代で最も成功した改革として評価されている。
 とくに、享保五年には、多くの主要な改革が実施されている。
 たとえば、法典の編纂に着手、医薬政策の本格化、防火政策の強化、洋書の輸入禁止の緩和などが実施され、大きな成果があった。
 社会には改革の息吹が満ち、政治も、経済も、大きく転換されていく節目の時期といってよい。
5  改革者として世界広宣流布を展望
 日寛上人の御一生(一六六五年〜一七二六年)は、ヨーロッパでは、合理主義の思想が台頭し、「啓蒙思想」として開花していったころに当たる。
 すなわち、理性の力で、旧来の権威や偏見を打ち破りつつ、社会を解放しようとする精神の潮流である。それは、植物学、化学、天文学、医学などの自然科学の急速な進歩も、もたらしている。
 戸田先生は、「時代が、偉人を要求する。したがって、東洋に偉人が出たときは、西洋にも、偉人が出ているものだ」といわれた。
 例としてヨーロッパを見れば、日寛上人が生まれた一六六五年、若きニュートン(一六四二年〜一七二七年)が「万有引力の法則」を発見。そして、ニュートンの友人であったエドモンド・ハレー(一六五六年〜一七四二年。イギリスの天文学者)が「ハレー彗星」の軌道を測定し、王立天文台の台長となったのは、一七二〇年(享保五年)であった。また、同じく、この年、ドイツの著名な哲学者ライプニッツ(一六四六年〜一七二六年)が、代表作「単子論」を発刊している。
 また、一七二〇年を前後して、多くの思想家、学者が生まれている。
 たとえば、一七一二年――フランスの思想家ルソー。一七一二年――スコットランドの経済学者スチュアート。一七二三年――スコットランドの経済学者アダム・スミス。一七二四年――ドイツの哲学者カント。また、中国・清の時代の作家・曹雪芹そうせつきん(長編小説『紅楼夢』の著者)などである。
6  さて、大事なことは、こうした時代にあって、日寛上人が、偉大なる「宗教改革者」であられたという一点である。
 当時の日本仏教界は、幕府の檀家制度のもと、権力と一体になって、民衆を支配し、収奪する、″葬式仏教″に堕落していた。
 宗門においては、十七世紀前半に、仏像の造立などの邪義を唱える法主が現れるありさまであった。そうした邪義を、厳然と打ち破り、内外に日蓮仏法の正義を、獅子王のごとく打ち立てられたのが、日寛上人である。
 「六巻抄」や、御書の文段を次々に著された、まことに英邁な大学者であられた。それらの御著作は、後世の弟子たちに贈られるものであり、ひとえに、広宣流布を願われてのものであった。
 また、「立正安国」の「国」の本義は、「一閻浮提(全世界)」に通じ、未来に通ずる(文段集八㌻)と明快に指南されているように、日寛上人は「未来の世界広宣流布」を展望しておられた。とともに、庶民を愛し、庶民から慕われる、大人格者であった。
 そして、生涯、僧侶として質素・倹約を心がけ、少欲知足という模範を示された。後に続く僧侶に対しても、自分と同様に振る舞うようにと願われた。もちろん、妻帯などされていない。
 日寛上人は、信徒からの真心の供養を、ことのほか大切にしておられた。″御本尊の書写に対する御供養は、御本尊の文字が変じて、こがね(黄金)となったものである。広宣流布のために必要な場合に使うべきである。そうでない場合には、決して使ってはならない″とも厳しく戒めておられる。
 こうした精神を、ことごとく踏みにじってしまったのが、宗門である。
7  平等大慧の人間仏法を宣言
 日寛上人は、仰せである。
 「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(文段集四四三㌻)と。
 全世界のSGIのメンバーが、日寛上人の御書写の御本尊を拝し、功徳爛漫の実証を示していることを、何よりも、お喜びになられているに違いない。
 日寛上人は、こうも仰せである。
 「この一念三千の本尊は全く余処の外に在ること無し。但我等衆生の信心の中に在す」(文段集四六五㌻)
 また、「この本尊を受持する衆生は皆久遠元初の仏道に入る」(文段集四八八㌻)
 「既に久遠元初の仏道に入る我等衆生の凡身(=凡夫の身)の当体、全くこれ久遠元初の自受用身(=広大な法の楽しみをほしいままに受け用いる仏身)なり」(同㌻)と。
 そして、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人(=日蓮大聖人)なり」(文段集五四八㌻)と。
 「僧侶が上、信徒が下」などという差別意識など、真っ向から打ち砕き、平等大慧の人間主義の仏法を、画期的に宣言なされたのが、日寛上人なのである。
8  日寛上人は″地涌の菩薩の弘教には、まさに怨嫉が多い。そして、その怨嫉の人とは、これ「悪鬼入其身(悪鬼その身に入る)」の大僧である″とも述べられている。(文段集二三四ページ、趣意)
 また日寛上人は、「花の朝に嵐を厭い、月の夕べには雲を厭う。(それと同じように)もし、謗法の悪侶を誡めなければ、どうして正法の善い事をなすことができようか」とも言われている。(文段集二六ページ、趣意)
 まさしく、日寛上人の書写の御本尊は、悪鬼入其身の邪僧の画策から、創価学会を断固として擁護し、地涌の菩薩が一閻浮提の広宣流布を進めゆくための「法華弘通の旗じるし」なのである。
9  同志を守れば自分が守られる
 ともあれ、SGIは、最高に仲の良い団結でありたい。とくに、リーダーの皆さまは、絶対に、感情的になって叱ったりなどしないよう、お願いしたい。
 忍耐強く、皆の話を聞いてあげ、よく激励してあげることが、リーダーの役目である。
 大聖人は、「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか」――かりにも、法華経(御本尊)を持つ者を、互いに、そしってはならない――、また「吾方の人人をば少少の事をば・みずきかずあるべし」――わが味方の人々には、少々の過ちがあっても、見ず聞かずの不利をしていきなさい。仲良くしていきなさい――と仰せである。
 同志は、皆、わが「眷属」である。その眷属を守れば、すべてが諸天善神となって、生々世々、自分を守る働きをしてくれる。これが仏法の偉大なる法理であることを知っていただきたい。
 友を心から尊敬し、賛嘆する人は、自分も尊敬され、賛嘆される。友の幸福を心から喜べる人こそが、幸福なのである。
10  皆さま方は、あまりにも使命深き、あまりにも尊貴なる、地涌の菩薩のリーダーであられる。
 どうか、いつも健康で、いつも朗らかで、そして、いつも若々しく、誠意と真心をもって人に尽くし、自分自身も人間革命しゆく、価値ある人生を皆が生き抜いていただきたい。
 二十一世紀が「SGIの時代」となりゆくことを、世界の民衆が求めている。世界が、皆さま方の活躍を、大きく期待している。
 皆さま方が、「かけがえのない自分自身の舞台」であるそれぞれの国で、社会を大切に、地域を大切に、良き市民として活躍されることが、仏法の偉大なる証明になるのである。
 結びに、縁深き我が友に、「皆さまの勝利が、SGIの勝利」「皆さまの前進が、世界の前進」と申し上げ、記念のスピーチとしたい。

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