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日蓮大聖人・池田大作

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第1回全国学生部幹部会 「民衆の世紀」の夜明けへ太陽と輝け

1997.4.15 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  『エミール』――恩師との思い出
 先日、学生部の代表の皆さんから、フランス革命前夜(七年前)の一七八二年に出版された「ルソー全集」(フランス語版)を頂戴した。
 ルソーの名著に『エミール』がある。
 戸田先生が亡くなられる前、電車の中で「今、何を読んでいるのか」と聞かれた。ちょうど、その時、読んでいたのが「エミール」であった。戸田先生は「内容を話してみよ」と。すぐに、お答えしたが、いつも厳しい先生であった。
 『エミール』(今野一雄訳、岩波文庫)の中でルソーは、「最も教育された者」とはどういう人間かを論じている。
 ルソーは語る。それは「人生のよいこと悪いことにもっともよく耐えられる者」である、と。
 仏教でも、仏を「能忍」、すなわち「能く忍ぶ」人と呼ぶ。ルソーの言葉は、仏法にも通じる。
 ゆえにルソーは、「ほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることにある」と結論した。意味の深い、大切な言葉である。
 私は戸田先生から、訓練を受けきった。一番の代表として、朝から晩まで先生の側にお仕えした。それはそれは厳しい訓練であり、教育であった。
 先生は「戸田大学」といわれていた。二人きりの大学であった。その薫陶を受けたことが、私の青春の誉れであり、幸福である。
2  本年は、私が戸田先生と出会って五十年。入信まもないころ、諸君と同じ年代の私に、戸田先生が「この御書だけは命に刻んでおきなさい。学会の闘士になるためには、この御書は忘れてはならない」と言われ、教えてくださった御聖訓がある。
 それは、御義口伝の一節、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」――億劫(きわめて長遠の間)にわたって尽くすべき辛労を、我が一念に尽くして(広宣流布に戦って)いくならば、もともと自分の身に備わっている無作三身の仏の生命が、瞬間瞬間に起こってくるのである――であった。
 本当に広宣流布に徹すれば、信心に徹すれば、人生の真髄の生き方に徹すれば、自然のうちに仏の境界が薫発される、という意味である。
 この「師弟の御金言」を、私は万感を込めて、二十一世紀の広布のバトンを託す、わが後継の弟子・学生部の諸君に贈りたい。
3  学生が立てば歴史が動く
 本日の会合には、二十一世紀の中国を担う三億七千万の青年の連帯――全青連(中華全国青年連合会)の若きリーダーが駆けつけてくださった。
 (蒋慶哲しょうけいてつ団長をはじめ二十人が、学会青年部の招きで来日。幹部会の冒頭、団長があいさつ。名誉会長とも会見した)
 「若い人と会いたい」「これからの人を大事にしたい」――これが周恩来総理の一貫した心であった。戸田先生もそうであった。
 総理は、この心で、私を迎えてくださった。お会いしたのは、一九七四年十二月五日である。北京の病院である。(SGI会長は当時四十六歳。周総理は七十六歳)
 今、私も、同じ思いで、日中両国の若き友情を見守りたい。
4  全青連が設立されたのは、新中国建国の年である一九四九年の五月四日。
 「五月四日」といえば、その三十年前の一九一九年五月四日に、歴史的な「五四ごし運動」が起きている。これを皮切りに、中国の学生たちは澎湃と立ち上がった。目の前に広がるのは、とほうもない混乱の社会であった。
 列強諸国、なかんずく日本による侵略。それと戦わず、民衆を犠牲にして、自分たちの権力と権益を守ることのみに汲々とする軍閥政府や官僚勢力。また、女性差別をはじめとする古い封建の風潮。そのなかで、学生たちは立ち上がったのである。
 ″絶対に変えられるはずだ!″″変えてみせる!″と――。
 学生たちには、鋭敏かつ柔軟な知性があった。揺るぎない決心があった。
 今、日本には、社会の改革に立ち上がる学生がいなくなってしまった。「精神闘争」がなく、脆弱になってしまった。
 その意味でも、「日本の将来は、創価学会の学生部に頼むしかない」というのが、心ある多くの人々の真情であろう。
5  組織が皆の力を引き出し、生かす
 中国の戦う学生たちの中に、二十一歳の周恩来青年の凛々しき姿もあった。
 この年、留学先の日本から急遽、帰国した周青年は、天津の南開大学に行き、学生の連帯の「核」となる組織をつくる。
 周総理は、若き日より、組織の大切さ、「核」をつくることの重要性を知っていたのである。これが、近代の最先端をいく指導者の「知力」である。
 終戦直後、ある知識人と話した時、その人が語っていた言葉が、今も耳朶から離れない。
 「これからは、組織の時代だ。組織をつくるか、組織をもつか、それで決まる。しかし、なかなか組織はできないものだ」と。
 戸田先生は、牢獄から出られた後、「広宣流布の組織をつくる!」と決められ、見事に、創価学会という最高の組織をつくられた。偉大な先生であった。
 組織というと、何か自由を束縛する、邪魔なものと感じる人もいよう。
 しかし、「自由」といっても、自分がどう進めばいいのか、何の道もないなら、「無軌道」になってしまう。走るときも、道がなかったら、どう行けばよいのかわからないし、迷走してしまう。
 組織があるからこそ、弱い自分を律してくれるし、励まし、支えてくれる。行くべき軌道を歩んでいける。また、皆の力を集め、そのなかで、自分の力を存分に生かしながら、大きな価値を創っていけるのである。
 何ごとも、バラバラでは、力は出ない。私たちのこの体も、すべて「組織体」である。だからこそ、手も足も目も口も、それぞれの部分が生き生きと生かされるのである。
 周総理の慧眼は、「組織をつくる」大切さを見逃さなかった。また総理は、「幅広い民衆に根ざした創価学会の組織」の大切さに、いち早く注目されたのである。
6  若き日の周総理――「覚悟」の革命闘争
 周青年がつくった組織の名は、「覚悟社」。周青年の命名であった。
 「革命のためなら、いつでも、喜んで命を投げ出そう!」との心意気が伝わってくる。革命児としての当然の決意である。
 「覚悟」とは、″深き自覚″との意義である。
 戸田先生も、よく「覚悟の信心に立て!」「覚悟の人生を生きよ!」と、言われていた。周青年の心と、同じ心の波長である。
 「覚悟社」は、初めは、たった二十人という少数精鋭からの出発であった。
 学会も同じである。最初の青年部は二、三十人からの出発だった。
 たとえ人が少なくても、本気で立つならば、いくらでも時代を動かすことができる。「必死の一人は万軍に勝る」とは、昔からの格言である。
7  「覚悟社」の一員には、十五歳の鄧穎超とうえいちょう女史もいた。のちの周恩来夫人である。
 女史とは、中国で、日本で、何度も何度も、お会いした。いつの日も、語らいを心から喜んでくださった。
 当時、彼女は天津の第一女子師範学校の学生であった。いうなれば、周総理も、女史も″学生部″の出身であった。
 「覚悟社」は、半数の十人が女性であった。彼女たちは、男女平等を高らかに謳った。
 「男性と女性に、上も下もない! 平等な革命の同志だ! 革命に、上も下もない! 人生にもない!」
 時代の夜明けを告げる、この学生のスクラムを、北京のある新聞は、「天津の小さき明星」と、たたえた。大空に、まっ先に輝く金星のようだと。明星が光り始めたあとは、次々と、きら星が夜空に現れる。「彼らは、きっと何かやるだろう」との大きな期待のあらわれだったであろう。
 学生が立ち上がれば、歴史が動く。これは、古今東西の定説である。いつの時代も、学生の使命は、「先駆」であり、「開拓」であり、「変革」である。
8  周青年たちは、著名な学者や言論人らを招き、一緒になって学んだ。共同の図書室もつくり、それぞれ自分の本を持ち寄って、研鑚しあった。「本を読もう」「みんなで語り合おう」との、みずみずしい探究心があった。
 そして『覚悟』というタイトルの論文集を発刊し、ペンの力で、新社会の建設へ、多くの人々を鼓舞していったのである。
 私どもで言えば、「聖教新聞」「大白蓮華」「第三文明」などの機関紙や出版物にあたろう。
 「新しい時代」を先取りし、「新しい思想」を語り、「新しい英知」を磨いていく――彼らの行動と言論は、同世代の友人、そして民衆に、生き生きと波動を起こしていった。
 「覚悟社」の連帯は、わずかの間に、新しい友人を糾合し始める。私どもの運動と同じ方程式である。
 「まず足元を固めよう」「足元から出発しよう」「身近なところから、立ち上がろう」「『自分』から取り組もう」「そこから波を起こそう」――これが青年たちの決意だった。
 周青年は、常に訴えた。
 「改革といっても、革命といっても、自分から始める以外にない」と。
 ″社会を変えるためには、人間を変えるしかない。そのためには自分自身を変えていく以外にない″――彼の信念は、生涯、一貫して変わることはなかった。
 私どもの「人間革命」の心と深く通じ合う。
9  日々、「新しい自分」を創造せよ!
 学生の心を変える意味であろう、論文集の創刊号には、周青年を中心に「学生の根本的覚悟」と題する主張を載せた。
 「学生は社会に関わっていこう! 学生は無知や無関心であってはならない! しかし、社会の風潮に流され、軟化されてもならない!」と。(中国語版『覚悟』人民出版社。以下、参照)
 そして、学生は、いかにして自身の変革に取り組むべきか。それには十五の心すべき精神があるという。
 すなわち、「自覚」「革新(新しいものを求める)」「精確(きめ細かく確実)」「自決(自ら判断する)」「実行」「奮闘」「勇敢」「犠牲(献身する)」「持久」「誠実」「創造」「発展」「平等」「互助(ともに助け合う)」「博愛」――であると。
 覚悟の深い学生は、こうした全人格的な錬磨ができる。″無限の光明を放つ青春の生き方があるのだ″と周青年たちは訴えたのである。
 そして結論として、こう友に呼びかける。
 「学生の根本的な覚悟とは何であろうか? 我々は、ただ一言で答えよう。それは、学生としての新生命を創造しゆくことである」
 まさに「人間革命」である。わが命を革めよ! わが生命を新たにせよ! 生活に「新生命」の息吹をみなぎらせよ!――と。
10  この創刊号には、鄧穎超とうえいちょう女史も論文を載せている。彼女は叫ぶ。
 「なぜ、学生が着飾ってばかりいるのか!」「なぜ、学生が、つまらない雑誌ばかりを読んで時間を無駄にしているのか」
 また「今、必要なのは、事を成す人間である!」と。
 大切なのは「実践の人」だというのである。女史の聡明さが思い出される。素晴らしい人柄の女性であった。
 さらに彼女は、″魔は内部に巣くう″と見抜いていた。
 「運動が大きくなると、不純な動機で近づき、邪魔や批判ばかりする人間が出てくる。そのくせ、自分ではやらない。放っておくと破壊に走る。そういう人間には気をつけなければならない」と。
 女史は、「一人立つ」強き女性であられた。
11  「思想は獄中で躍動する」
 さて、この論文集が発刊された一九二〇年一月、抗日闘争の先頭に立った周恩来青年は逮捕され、約半年にわたって投獄される。寒い冬であった。
 偉大な人物は必ず、迫害に遭うものだ。投獄されるか、処刑されるか。それからみれば、悪口など問題ではない。御書にも「法華経の行者は悪口罵詈される」と繰り返し仰せである。
 彼は二十二歳の誕生日を牢獄で迎えている。
 しかし、獄中にあっても、彼は、ともに囚われた学生たちを励ましながら、歴史や英語、法律、経済、心理学などを、互いに講義し合った。牢を出た後の闘争のために、革命の指導者に成長するために、皆で学んでいった。それは、まさに「監獄大学」であった。
 「思想は獄中で躍動する」(金沖及主編『周恩来伝』狭間直樹監訳、阿吽社)とは、当時の彼の有名な言葉である。
 戸田先生も獄中で悟りを得られた。
 人生の英雄になれるかどうか――それは試練を受けて乗り越えられるかどうかにある。
 今、皆さんは、牢に入らずとも、自分自身の「使命の場」で生き抜き、戦い抜いていけばよい。それが「英雄」である。そこに信心が躍動してくる。
 四十年前、私も、権力の策謀によって投獄された。私は、戸田先生のため、また大切な学会員のために獄中で殉じていく覚悟であった。
 (その権力の魔性との攻防のなか、学生部は誕生した。一九五七年〈昭和三十二年〉六月三十日である。SGI会長の入獄は同年、七月三日。出獄は七月十七日。なお周総理の出獄も一九二〇年の七月十七日である)
12  民衆が従順であればあるほど、権力は傲慢になる。調子に乗る。これが権力の本性である。
 民衆が、権力に愚弄され、いじめられてきた歴史を、何とか変革しなければならない――そう立ち上がったのが過去の真実の学生運動であった。
 どうか諸君は、この方程式を、しっかりと胸に秘めていっていただきたい。転倒の歴史にピリオドを打っていただきたい。それが学生部の使命である。
 一九六八年九月、私が「日中国交正常化」を訴えたのも、学生部総会の席上であった。中国の人民を苦しめた日本こそが、中国の国連加盟と、その発展に最大に貢献すべきことを、私は、その時に申し上げた。
 (全青連の蒋慶哲しょうけいてつ団長は、名誉会長との会見で「中国の青年は、名誉会長が中日国交回復に尽力してくださった恩を決して忘れません。忘れてはなりません」と語った)
 きょうまた、ここにいる学生部の勇者の諸君にも、再び、「日本こそが、中国の発展に最大に貢献すべきである」と明快に宣言しておきたい。諸君、お願いします。
13  周夫妻は楽天主義に生き抜いた
 ところで、周恩来青年が、獄中にあって、横暴な地主を糾弾する演劇などを皆で演じたエピソードは有名である。その姿に看守までが心を動かし、感動して理解者になっていったという。
 周総理は、鄧穎超とうえいちょう女史とともに、いかなる苦難にあっても、生涯、「楽観主義」に生き抜いた。
 恐れない。卑屈にならない。負けない。心を追いこまれない――これが楽観主義の生き方である。
 のちの一九四一年、抗日戦争の真っただ中でのこと、周総理は反動分子に狙われ、身の危険にさらされる。それでも彼は堂々と戦い抜いた。
 鄧穎超とうえいちょう女史も、一生懸命に周総理を励まし続けた。そのころ、鄧穎超女史は自分を「大楽天(大いなる楽天家)」と呼んでいた。
 すると、周総理も、こう自称したのである。「さい楽天(楽天を競い合う人)」と。
 互いに称え合い、楽観主義を競い合う――和やかな同志の姿である。
 わが創価のスクラムもまた、互いに尊敬し合い、励まし合い、助け合い、成長を競い合ってゆく人間道場である。
 責め合ったり、追及し合ったりする冷たい関係ではいけない。励ましてあげなければいけない。「大丈夫だよ」と、楽観主義のほうへ、元気を与えてあげなければいけない。
 お父さんやお母さんにも、たまには電話でもしてあげて、「今度帰ったら、肩をもむよ」とか、優しい言葉を贈ってあげてほしい。
 みんなを元気にさせて、味方にしていく――それが価値創造であり、それが賢者である。
 ともあれ、希望は自分でつくるものである。どこであろうと、何があろうと、そこで幸福をつくっていく――それが創価の生き方である。
14  民衆の中に飛び込み、苦難に挑め
 さて、牢獄から出た周青年は、波乱万丈の学生生活の結論として、覚悟社の同志の前でスピーチする。
 「祖国を救う道は、我々自身が民衆の中に飛び込むことだ!」と。
 勉強さえしていればいい。自分の道さえ歩んでいればいい――そんな心の狭い利己主義ではない。ひたすら「民衆の中へ」――これが周青年の信念であった。
 学会と同じである。組織の中へ、学会員の中へ、座談会の中へと飛び込んでいく――これが本当の大聖人の仏法である。一流の人生の生き方である。
 学生部の諸君は、大事な大事な私の門下生である。ゆえに、本当のことを語っておきたい。人生の真髄の生き方を言っておきたい。
15  先日(四月六日)、リーダーシップをテーマに、フィリピン大学のアブエバ前総長と語り合った。
 (SGI会長は、人間を善と価値と希望の方向へ導く「人間主義のリーダーシップ」の重要性を論じた)
 周総理ととう女史の偉大なリーダーシップは、こうした学生時代の闘争のなかで、つくられた。
 わが学生部の諸君もまた、「あえて苦労に」「あえて苦難に」挑んでいただきたい。そのなかから、自然のうちに、リーダーシップは育っていく。発酵していく。鍛えられていく。机上の計算や観念で身につくものではない。
 最後に、周総理二十四歳の年(一九二二年)の詩を紹介したい。
  「耕さずして なんの収獲ぞ」
  「坐して語るより むしろ起ち上って行動せん!」
  
  「たくましく鋤をふるい 未開の大地を切り開こう
   種を人間界ひとのよに播き 血を大地に注ごう」
   (『寥天りょうてん』林芳訳。サントク・エンタープライス出版部)
 この詩にこめられた意味を、諸君は深くかみしめていただきたい。
16  試練に鍛えられた天才レオナルド・ダ・ヴィンチ
 さて、一四五二年、今から五百四十五年前の、きょう四月十五日に生まれた大芸術家がいる。″ルネサンスの巨人″レオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二年〜一五一九年)である。
 レオナルドについては、三年前(一九九四年)の六月、イタリアのボローニャ大学でも講演した。
 (九百年の伝統を誇る世界最古の総合大学。SGI会長には、この折、同大学から博士の証である「ドクター・リング」が贈られた)
 タイトルは、「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」(本全集第二巻収録)。
 幸い、イタリアでも、かなりの評価をいただいたようである。
 レオナルドは、画家であり、彫刻家であり、また科学者、技術者、哲学者としても、多くの業績を残した。偉大な天才である。彼の有名な言葉がある。
 「大なる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない」(カール・ヤスパース『リオナルド・ダ・ヴィンチ』藤田赤二訳、理想社)
 要するに、苦しみという″根″があってこそ、才能の″開花″もあるということであろう。
 講演のあと、ミラノに移り、私はミラノ城(スフォルチェスコ城)を訪れた。そこで、レオナルドが部屋一面に描いた天井画と壁画を見た。
 樹木の″根″の部分まで克明に描写されていた。普通、樹木を描いても、根までは描かない。しかし、レオナルドは、根に着目し、全部、描いていた。忘れられない光景である。
 諸君も自身の″揺るぎない根″を大切に育てていただきたい。
17  レオナルドは、こうも述べている。
 「純金は火によって精錬される」「まことの金は試金石に会いて識られる」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫)
 日蓮大聖人も仰せである。
 「石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる」、「賢聖は罵詈して試みるなるべし
 試練に鍛えられてこそ、本物ができる。苦難に試されてこそ、真価は明らかになる。
 レオナルドの生涯は、無理解や、嫉妬の批判の連続であった。これだけの天才であったにもかかわらず、いや、むしろ、天才であったがゆえに批判された。
 大聖人の御生涯も、迫害に次ぐ迫害の連続であった。偉大であればあるほど、迫害される――これが世の常である。人間世界の実相である。
 しかし、レオナルドは、厳然として動じない。こう記す。
 「真理――太陽。嘘――仮面」(杉浦明平訳、前掲書)と。
 ウソは仮面である。闇のなかで本性を隠そうとする。しかし、「真理の太陽」のもとでは、隠れるものは何もない。その太陽の火は、あらゆるウソの詭弁家を焼きつくして、真実を白日のもとに明らかにする。真実は、絶対に隠せない! 偽りは、必ず打ち破られる!――これがレオナルドの確信であった。
 私も同じ信念である。真実ほど、強いものはない。真実に生き抜く人生は、最後に必ず勝つ。また、勝たねばならない。
18  正義の「太陽」と燃えよ!
 日本は今、価値観も、哲学も、信念も何もない社会になってしまった。この社会の闇を、「真実の太陽」で「正義の太陽」で焼きつくしていかねばならない。
 そのためには、諸君自身が、厳然と輝く「太陽」となって、二十一世紀を正しく照らしていくしかない。それ以外に、日本の未来は開けない。
 ゆえに、限りない期待をこめて、諸君に、こう申し上げたい。
 戦う学生部たれ!
 正と邪を、はっきりさせる学生部たれ!
 学生部、ここにあり、という旗を立てよ!
 ″生命のルネサンス″の先頭で、さっそうと道を開いていっていただきたい――と。
 きょうは、遠方からも各大学のメンバーが参加しておられる。本当にご苦労さま!
 また、お会いしましょう! お元気で!

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