Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二十二回SGI総会 ″人間味″こそ仏法者の魂

1997.2.19 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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2  人生を、大いに楽しんでいただきたい。人生は「楽しむ」ためにある。人生は「幸福」が目的である。一生のうちで、「楽しかったこと」と「苦しかったこと」との差し引きが、どうなるか。「楽しかったこと」のほうが多ければ幸福である。「苦しかったこと」のほうが多ければ不幸である。そして、賢明な人、強い人は、どんな苦しい時でも、勇気をもって乗り越えていける。
 勇気がなく、くよくよと悲観的な人は、小さなことにも苦しんでしまう。
 皆さまは、人生を楽しめる賢者であっていただきたい。
3  人間主義者・釈尊は歓待する人
 釈尊が、弟子たちとともに、ガンジス川のほとりの町の人々から招かれたときのことである。その日、釈尊を囲んで、皆で一緒に食事をし、そして仏法を語り合う会合が開かれた。
 一人の農夫も、ぜひ釈尊の話を聞きに行こうと思い立つ。ところが、朝、出かけようとすると、飼っていた牛が一頭、見当たらなくなってしまった。
 農夫は一刻も早く会合に行きたかったが、大事な生活の糧である牛を探すことが先決である。ようやく牛を見つけ出して、群れに戻すと、もう夕暮れが迫っていた。
 農夫は朝から何も口にせず、一日、歩き通しで、おなかがペコペコであったが、ともかく釈尊のもとへと急いだのである。会場に到着すると、すでに皆、食事を終え、まさに釈尊の説法が始まろうとする時であった。
 しかし釈尊は、ようやく駆けつけた、その農夫の姿を見ると、すべての事情を察した。
 彼が、どれだけ疲れているか。どれだけ、おなかをすかしているか。それにもかかわらず、どれだけ、けなげな求道の心で、ここにやってきたのか。鏡に映し出すように、釈尊だけは、わかってくれた。
 釈尊は主催者に頼んで、まず農夫の席をもうけ、食事をさせてあげた。そして、彼が食事をすませ、一息つくのを待って、それから釈尊は法を説き始めたのである。この農夫が、それこそ喜んで、また真剣に法を聞き、心から満足したことは、いうまでもない。
 まさしく、皆を満足させてあげるのが「仏」である。
 ところが、この時、こうした釈尊の心づかいに対し、僧のなかには、眉をひそめ、文句をいう者もいた。「たった一人の、しかも、みすぼらしい庶民のために、なぜ、そこまでするのか!」と。
 しかし、釈尊は、言い切った。「おなかがすいている時に説法をしても、理解などできない。空腹ほど、つらいものはないのだから」と。
 権威主義でもなければ、組織主義でもない。温かな人間主義である。こうした釈尊の、そして日蓮大聖人の慈愛が、何ひとつわかっていないのが宗門であると、多くの人が憤慨している。
 釈尊は、「九横の大難」と厳然と戦った。悪逆の提婆達多らの策謀や誹謗等に対して。そのなかで、一人一人を最大に尊重しつつ、着実に、また堅実に、麗しい和合の世界を広げていったのである。
4  ともあれ、来られた人を、「ようこそ、いらっしゃいました! 本当に、ご苦労さまです」と、抱きかかえるように迎える。この人間性の振る舞いから、すべてが出発することを、リーダーは忘れてはなるまい。
 皆が喜び勇んで前進していけるように、心を使い、頭を使っていくのである。古来、西洋においても、プラトンやアリストテレスなどの哲人たちが、「歓待」すなわち「人を歓迎し、もてなすこと」を、寛容な人間精神の徳として重んじてきた。
 牧口先生が獄中にあって、(その著作を)精読しておられたカントも、″「永久平和」のための世界市民法には「歓待」の精神が不可欠である″と論じている。
 二十一世紀を前に、国境を超え、民族を超え、言語を超えて、「人間」を大切にしながら、世界市民の連帯を広げているのが、SGIである。そして、その最も人間味あふれる中核が、ここ香港である。
5  ウィルソン博士はSGI運動を高く評価
 国際宗教社会学会の初代会長であり、私と対談集(『社会と宗教』。本全集第六巻収録)を発刊した、高名なウィルソン博士(オックスフォード大学元教授)は、SGI運動の特長を、学問的な見地から十点に要約し、高く評価してくださった。すなわち――。
  (1) 一般の市民による在家の団体である。
  (2) 日常の生活に根ざした実践的な運動である。
  (3) 人々の救済のための幅広い条件を備えている。
  (4) 積極的な人生を考える現実肯定の宗教である。
  (5) 現実生活での価値創造に力点を置いている。
  (6) 既成の僧侶仏教の制約から解放されている。
  (7) 地域組織が、人々の相互扶助の役割を果たしている。
  (8) 社会に積極的に開かれ、文化的な価値創造をしている。
  (9) 行動主義の団体である。
  (10) 罪を悔いる宗教でなく、幸福を追求する宗教である。
 ――くわしい分析は略させていただくが、「社会」のために、「文化」のために、そして「民衆の幸福」のために、SGIは、ますます積極的に行動し、貢献してまいりたい。
6  大聖人は仰せである。
 「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ
 ――不軽菩薩が人を敬ったことは、一体、どういうことか、よく考えなさい。教主釈尊が、この世に出現された根本目的は、「人間としての振る舞い」を教えるところにあったのである――と。
 「新たな千年」は、このSGIの人間主義が、いよいよ壮大なスケールで実験され、検証されゆく人類史の本舞台である。
 どうか、たくましく賢き楽観主義で、家族を包み、同志を包んでいっていただきたい。そして、強く優しき「人間の英雄」として、使命のこの一生を飾っていただきたい。
 各国のますますの栄光と繁栄を、心から祈ってスピーチとしたい。

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