Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香港・マカオ合同最高会議 「実証」が最高の雄弁

1997.2.13 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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2  中国文学の伝統は、民衆の声を代弁
 本年七月の中国返還を前にして、現在、私は、文豪・金庸きんよう氏と、「香港の明日」を語りあっている。
 金庸氏も、かねがね香港SGIの活動を高く評価してくださっている方の一人である。
 昨年五月三日の香港総合文化センターの開所式にも、ご多忙のところ、足を運んでくださり、心こもる祝辞をくださった。「池田先生と会談した折、真の『二十一世紀人』になるには、まず大いに胸襟を開いて、見解の違う人々も互いに理解しあい、慈悲の心を養わねばならない、と語り合ったことを覚えています」と。
 金庸氏のご厚情に感謝と敬意をささげる意味からも、ここで、中国文学の偉大な伝統について、若干、言及させていただきたい。
3  金庸氏の武侠ぶきょう小説は、よく『水滸伝』と比較される。
 戸田先生のもとでの青年部の訓練の集いは、『水滸伝』を読むことから始まった。そこで「水滸会」という名前になった。
 民衆に親しまれてきた『水滸伝』。しかし、それは同時に「権力から憎まれ続けてきた文学」であった。「文学の名に値しない」と、さげすまれたこともある。それも「『水滸伝』が、ある意味で「民衆の声を代弁する文学」だったからである。
 『水滸伝』の大きなテーマの一つは、「責任を果たさない為政者への怒り」と言われる。
 物語の舞台は、北宋の時代の末期。皇帝はじめ権力者は、自身の欲望におぼれ、世は乱れていた。また、その隙をねらって外敵が侵入しようとしていた。
 中国の格言に「先憂後楽」(范文正公「岳陽楼記」)とある。民に先んじて、世の行く末を憂い、自分一身の安楽は、あとまわしにする――これが為政者のあるべき道である、と。
 ところが現実は反対であった。そうした為政者の堕落への憤りが、弱きを助け、強きをくじく『水滸伝』の豪傑の活躍となって描かれたともいえよう。
 金庸氏は、つねに民衆の視点に立って、数々の評論をつづってきた。
 金庸氏の武侠小説の多くも、『水滸伝』と同じく、横暴な権力への反骨に貫かれている。評論も小説も、どちらも「民衆の側に立つ」ことで共通している。その意味で、金庸氏こそ、「民衆の声を代弁する」という中国文学の心を受け継ぐ文学者であるとたたえたい。
4  文学といっても、日本文学と中国文学では、その傾向性が大きく違う。
 こうも言われている。中国は「載道さいどう(道を載せる)の文学」――すなわち、人間としての道、社会が進むべき道を示す文学である。日本は「言志げんし(こころざしを述べる)の文学」――つまり、自分個人の気持ちや、個人的な体験を描く文学である、と。
 日本は「私小説」が主流である。個人の苦しみ、悩みを告白する作品が多い。
 もちろん、中国にも同様の面はあるが、中国の文学を貫くのは、より大きく社会への関心である。人間と社会に与える影響を、つねに考えてきた文学である。
 「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」(「典論」に収める魏の文帝の言葉)――文章は国を治め、ととのえる大事業であり、また永遠に朽ちることのない盛大な事業である、と。
 文章とは本来、それほど大きな力をもつ。その力を深く深く知っている中国である。その分、中国の文学は骨格が太い。概して日本の文学はスケールが小さく、「箱庭の文学」だといわれるのも、こうした文学観の違いからくるのかもしれない。
 詩歌にしても、中国の詩は、広く民衆の悲しみ、苦しみを託している。「詩経」の作品、また屈原、杜甫など、中国の代表的詩人の作品の多くも、そうである。これに比べて、日本の詩の多くは、社会的関心が薄いとされる。
 中国哲学・文学研究の第一人者、バートン・ワトソン博士(コロンビア大学元教授。『法華経』や御書を英訳)も、「中国の詩にくらべると、日本には社会的詩歌に乏しい」と指摘している。
5  白楽天は民衆の苦しみを歌った
 そうした民衆の苦しみを歌った詩人の一人に白楽天がいる。唐時代の大詩人である。日蓮大聖人も「白楽天が楽府」と述べられている。
 白楽天は「民衆の側に立ってこそ文学者である」ことを強く意識していた。だから、難しい言葉も使わなかった。「だれにでもわかりやすい」言葉を使った。
 高い地位(現代でいえば法務大臣)にありながら、詩ができるたびに、字を知らない老婆に自分で読んで聞かせ、「どこか、わからないところはないか?」と、たずねたといわれる。
 「上善は水のごとし」(老子)――最も良いものは、水のように淡々としているという。良い文章も、あたかも水のように、自然と人の心に染み入っていく。
6  その白楽天の詩に「重い税金」(「重賦じゅうふ」)という詩がある。
  大地に桑・麻うえるのは
  人民すくうが目的だ
  人民ぬのきぬ(=布絹)つくるのは
  わが身を生かすが目的だ
  わが身にあまれば税として
  お上の天子にさし上げる
  (中略)
  ところがどうした 日がたてば
  欲ばり役人 もとどおり
  おいらをしぼって 天子にこびる
  年がら年じゅう しぼりとり
  (吉川幸次郎・桑原武夫『新唐詩選続篇』岩波新書)
 自分たちの使命を忘れ果て、重い税金を取り立ててばかりいる。白楽天は、そうした権力者への激しい怒りを、民衆に代わって、ぶつけたのである。
 民衆の味方であり、弱者の味方であること。「民の怒り」を「我が怒り」とすること。これが中国の文学者の伝統であった。また、これこそ「文」に生きる者の重大な使命であろう。
7  金庸文学の魅力は信義を貫く「丈夫の心」
 金庸氏の武侠小説の「侠」という言葉の意味も、日本と中国では、大きく異なる。中国でいう「侠」とは、「命にかえても信義を貫く」という「丈夫の心」である。
 どちらが上か下かという「タテ」の関係や、利害で結ばれた関係ではない。利害を超え、立場を超えて、人間同士の「ヨコ」に広がる「平等の人間愛」である。
 金庸氏の武侠小説の世界を、司馬遷の「史記」の世界に、たとえる人も多い。
 魯迅が「歴史家の絶唱」とたたえた「史記」――司馬遷その人自身が、「侠」の人であった。
 友人の李陵が、皇帝(漢の武帝)の怒りに触れて罪に落とされようとしていた。しかし、だれも弁護を買って出る者はなかった。かかわりを恐れたためである。
 しかし司馬遷は、身を挺して友人を弁護した。そのため司馬遷自身も、「宮刑(この場合は男性を去勢する刑罰)」という重い刑罰を受ける結果となった。
 「民は、信なくば立たず」(論語)――人間の社会は、「信義」がなければ成り立たない。「信義」こそ、人間社会を支える土台である。たとえ身を捨ててでも、約束は守る。信義は裏切らない。そういう良い意味での「侠」の精神が、あまりにも欠けている現代である。
 読者の心に、「人間としての在るべき道」を染み込ませていく文学が今、求められているのではないだろうか。金庸氏の武侠小説が幅広い支持を得ているのも、人間愛に満ちた人生への渇きが、人々の心の奥底にひそんでいるからかもしれない。
8  戸田先生は「青年は世界的な文学を、つねに読んでいきたまえ」と教えられた。
 文学は人の心を広くする。人の心を引き上げていく。大きな文学を読むと、それまで思いもよらなかった「広い世界」に出あえる。世の中が一変したような驚きが生まれる。
 だから、日本のある中国文学者が、皮肉をこめて言っていたという。
 ″自分の子どもを政治家や金持ちにしたいのなら、決して文学を読ませてはいけない。文学を読めば、自分一人の欲望を追い求めることが、いかに恥ずかしいことかを知るだろうから″と。
 本来、それほど文学は、「人間性」を高める滋養になる。
9  中国の格言に「恒産なくして恒心なし」(孟子)とある。――生活が豊かでなければ、安定した豊かな心は生まれないという意味である。しかし日本は、生活が豊かになったが、豊かな心をなくしてしまった。「恒産」が「恒心」をのみこんでしまった。このままでは未来に光はない。しかも今、頼みとする「恒産」すら、あやうくなりつつある。どうすればいいのか。
 牧口先生は、「行きづまったら原点に帰れ」と言われた。原点とは「人間」である。まず、社会に「人間らしい心」を取り戻すことである。心に、広々とした「窓」を開けることである。その意味で、文学が果たす役割は大きい。
 金庸氏と私は、これから文学・歴史・人生について、じっくりと語り合っていく予定である。
10  勤行の姿勢に信心が現れる
 戸田先生が会長に就任されて初めての新年(一九五二年〈昭和二十七年〉)のことであった。
 戸田先生が、まず指導されたのは、いちばんの基本の勤行についてであった。
 「御本尊の前で勤行する時は、日蓮大聖人の御前にいると同じことなのです。かりにも、だらしない態度であってはならん。居睡りしたり、欠伸をしたりするような勤行では決してなりません。心豊かに朗々と唱題することです」と。
 もちろん、こちこちに緊張して勤行するということではない。大聖人は「無作三身如来」であられる。ゆえに、こちらも自然な姿でよいのである。
 経文には、「端座して実相を念え」と説かれている。
 「端座」とは、威儀を整えて、きちんとした姿勢で、御本尊に相対することである。極端に体を揺らしたりしては「端座」にならない。
 また、具体的に祈りを定めて行うことである。
 勤行は信心の基本であり、諸法実相で、勤行の姿に信心が現れるといってよい。その意味で、だれが見ても「ああ、すがすがしいな」「荘厳だな」と言われるような、王者のごとき勤行を身につけていただきたい。
11  異体同心が発展の因
 なお、これまで「香港SGI賞」を受賞された方々から、香港の皆さま方に、くれぐれも御礼を申し上げてください、との伝言を託されている。
 先日の本部幹部会(二月八日)で紹介させていただいた、安楽花子さんも、そのお一人である。今年、八十八歳になられる。目の不自由ななか、凛然と広宣流布に生き抜いておられる。そして「自分は、なんとしても、学会を守り抜いていきます」との心情を語っておられる。そのお心が、あまりにも尊い。
 ――香港・マカオでも、懐かしい草創の大功労者の方々が、皆、お元気である。大勢の新しい人と調和しながら、異体同心で発展しておられる。その姿が、私はうれしい。
 安楽さんは、社会的にも有名な人物を生んだ一族のご出身である。(たとえば安楽さんの叔父にあたる安楽兼道氏は、明治の三代の宰相のもとで、警視総監を務めた)
 そういうご一家のなかで、安楽さんが入信されたきっかけは、何であったか。ある日、たまたま通りかかった婦人の下駄の鼻緒が切れてしまった。そこで、安楽さんがすげてあげたところ、その人から、「『祈りとして叶わざるなし』の信心をしませんか」と声をかけられた。
 安楽さんが「あなたは願いが叶いましたか?」とたずねると、即座に「叶いましたよ!」。その声を聞いて、安楽さんは素直に入信されたという。
 まさに阿吽あうんの呼吸であった。こうした学会員の確信の息吹。生命にみなぎる勢い。それが、社会のすみずみに仏縁を結び、広宣流布のうねりを起こしてきたのである。
 きょう、お越しになっておられる、マカオSGIの議長夫妻をはじめ、香港・マカオの皆さまが、社会で見事な実証を示しておられるご様子は、よくうかがっている。
 日蓮大聖人は「現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん」――今世で、眼前の証拠を現した人が、法華経を説く時には、信ずる人もいることでしょう――と仰せである。
 「実証」ほど雄弁なものはない。説得力のあるものはない。
 偉大な使命をもち、仏の生命を継いでおられる皆さま方のご健康と、ご多幸と、ご活躍こそが、この世で最も重要なドラマであると申し上げ、私のスピーチとします。
 役員の皆さま方には、大変にお世話になります。風邪をひかれませぬよう、祈っております。きょう、お目にかかれなかった方にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
 多謝トーチェ、多謝!

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