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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表研修会(第3回) 「心」をつかめ! 「知恵」を出せ!

1997.2.1 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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2  どんな状況にあっても、言葉の力によって、人の心をつかみ、人の心を変えていける。
 この徳川夢声氏の持論は、「いいたいことも適当にいえない沈黙は石ころ、いいたいことが立派にいえる雄弁はダイヤモンド」(同前)である。
 黙ってしまっては負けである。学会の強さも、折伏のなかで鍛え上げた「ダイヤモンドのごとき、庶民の雄弁」にある。
 リーダーが会合で話す時も、「何のために」話すのか。「話のための話」ではいけない。「勝つための話」である。
 皆が、生活に勝ち、人生に勝ち、広布に勝っていくためのエネルギーを送るのである。皆の心を勝利に向かって爆発させていくのである。焦点の定まらない話であってはならない。
3  悪世末法である。妙法を、はじめから素直に信じる人は少ない。しかし、話を聞かせることが、下種になる。相手の生命に「幸福の種」を植えているのである。
 また、「法」のために悪口を言われれば言われるほど、自分自身の罪が洗われ、仏界が輝き出してくる。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」――(妙法の)悪口を言う人には、いよいよ強く言い聞かせなさい――と。
 大聖人は、言論闘争の獅子王であられた。
 「例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい振舞・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ
 ――たとえば日蓮が(権力者の)平左衛門尉のところで堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない――。
 この心で、私は戦ってきた。あの「大阪事件」の裁判でも。戸田先生を死ぬまで苦しめ続けた「権力の魔性」を打ち破るために。多くの民衆を泣かせてきた「冤罪」の闇を晴らすために。
 私は法廷にあって、若き創価の獅子らしく、真実を語り、正義を訴えた。そして昭和三十七年(一九六二年)の一月に無罪の判決。二月に完全勝利を勝ちとったのである。
 苦楽をともにした関西の同志のことは、永遠に忘れられない。この言論闘争・人権闘争の「使命の宝剣」を、わが青年部に私は託したい。
4  私は戦う、″時をかせぐために″
 最後に、釈尊の時代の伝承を紹介したい。「自分を犠牲にして、時をかせいだ男」の話である。
 釈尊の晩年、ネパールにあったとされる釈迦族の国は、大国の舎衛国に攻撃され、鎮圧された。釈尊の″九つの大難″の一つである。
 この時、釈迦族の一人のリーダーが、攻めてきた悪王(波瑠璃王)に言った。
 「王よ、ただ一つ、願いを聞いてもらいたい。自分は、これから池に飛び込む。私が、もぐっている間だけ、城の門を開いて、皆が出ていくのを許してほしい」
 王は″池にもぐっている間といえば、ほんの数分だ。それくらい許してやろう″と思った。
 頼んだ男が、王自身の親族だったからでもあろう。
 ところが、その男は、池にもぐってから、なかなか浮かんでこない。その間に、民衆は、どんどん自由の身になっていった。「おかしい」と思った王は、部下に命じて池を調べさせた。すると、男は自分の頭の″まげ″を解き、池の中の木の根っこに髪を縛りつけて死んでいたのである。浮かんでこないわけである。男は、こうやって、自分を犠牲にして「時をかせいだ」。その間に自由になった釈迦族の人々は、再び別の場所で国をつくったという説もある。
5  状況は違うが、先輩が後輩を思う気持ち、親が子を思う気持ちは、これと同じであろう。永遠に変わらない。
 「自分は、ぎりぎりまで頑張る。いな、自分を殺し、自分が犠牲になって、時をかせぐ。だから、その間に立派に育ってくれ。前進してくれ。そして必ず、自分の志を継いでくれ!」と。
 私も、青年部に対して、同じ気持ちであると申し上げ、本日のスピーチとしたい。

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