Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新年の集い 生き生きと「精神の闘争」!

1997.1.2 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  強く生きよ、信仰は絶対の確信
 遠いところ、新年から、本当にご苦労さま。
 学会員ほど、けなげなる方々はいない。私は尊き学会員の皆さまに合掌する思いで生きている。
 人間、だれが偉いのか。だれが尊い人なのか。
 日蓮大聖人は仰せである。「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」と。
 偉大なる法を持ち、弘めている人こそが偉大なのである。人気があるから、地位があるから、名声や財産があるから偉いのではない。
 妙法を持ち、民衆の中で、民衆のために働く人こそが尊貴なのである。また、その人のいるところこそが寂光土なのである。
2  百カ国以上のSGI(創価学会インターナショナル)の友から、はつらつと「新年の集い」を開いた喜びの連絡が入っている。わが同志は、百二十八カ国で、その国の幸福のために活躍している。創価学会は、世界的に隆々と発展している。滔々たる大河の流れのごとく、人間革命の波を広げている。
 ある財界人が言っていた。「創価学会は、どんなに迫害されても、たたかれても、朗らかに、力強く、前へ前へと進んでいる。こんな偉大な団体は、いまだかつてないでしょう」と。
 大事なのは「毅然たる信心」である。何ものも恐れない勇気である。強い人は幸福である。何かあると紛動される弱い人間は不幸である。
 悪に対して反撃もできない臆病な人間には、功徳は出ない。
3  信仰とは絶対の確信である。生き生きと、生きることである。生きて生きて生き抜いて、法を弘め、法楽を満喫しながら、「所願満足」の人生を楽しんでいくのが信仰者である。
 フランスの高名な美術学者ルネ・ユイグ氏(SGI会長と対談集『闇は暁を求めて』を発刊。本全集第五巻収録)が「エスプリ(精神)の戦い」を強調しておられた。「人間が精神闘争を忘れた。惰弱になった。これほどの不幸な世紀はないだろう」と。
 その意味で、日本の将来は危険である。精神の価値が、全くわからなくなってしまっている。人間が脆弱になり、堕落してしまった。希望もなく、思想もなく、展望もない。多くの人が、このままでは日本の未来は暗黒と見ている。
 また、「精神の闘争」がなければ、世界の未来も危険である。その一番、肝心要の正しき闘争をしているのが学会である。皆さまである。
4  「難を忍び、慈悲ある」人が本物
 法華経には「悪口罵詈」と説かれる(勧持品)。真の法華経の実践者には必ず悪口があり、難がある。しかし、それに耐えて広宣流布する人を、必ず梵天・帝釈は守る。また、迫害した人は無間地獄に堕ちると明確に説かれている。
 大聖人は仰せである。
 「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
 ――日蓮の法華経の理解は天台や伝教の千万分の一にも及ばないが、(法華経の行者として)難を耐え、慈悲がすぐれているという事実は(天台・伝教に対して)おそれ多いくらいの思いである――。
 この御金言を深く拝して進んでいる唯一の団体が、創価学会である。
 慈悲である。慈悲なき幹部は幹部ではない。幹部があって会員があるのではなく、会員の皆さまがあってこそ幹部がある。会員の皆さまのために幹部がいるのである。
 どうすれば皆が喜ぶのか。会合に来られた方々の食事はどうか。交通の便はどうか。疲れてはいないか。足りないことはないか。もっと、してあげられることはないか――いつも考え、心を配っているのが本当の仏法の指導者である。
5  尊き一生である。この一生で「永遠」が決まる。人生の真の勝負は「死」の時である。厳然と信心しきった人が、永遠の勝利者となる。それを「一生成仏」という。そのために、この一年を、ともどもに勝利してまいりたい。

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