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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表研修会 「苦しんだ人」こそ勝利する

1996.12.21 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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2  「二百年」とは、どんな年月か。二百年前、日本は江戸時代。フランスはナポレオンがイタリア遠征をしていた。中国は清王朝のころ。そして、ちょうど二百年前の一七九六年、イギリスではジェンナー(一七四九年〜一八二三年)が、安全な「種痘法」を発見した。天然痘(痘瘡とうそう)という「死の病」を撲滅する偉大な第一歩であった。
 日本人の大人は、だれでも左右どちらかの腕に「種痘」の痕が残っている。このおかげで私たちは、天然痘で死ぬこともなく、顔にアバタを残すこともなく成長できた。しかし、つい二百年前まで、人類は有史以来、この病気で苦しみ続けた。世界の各地で、人々は、ばたばたと死んでいったのである。
 二百年前の一七九六年、ジェンナーが画期的な「牛痘接種ぎゅうとうせっしゅ」を始めた。それが全世界に″広宣流布″し、一九八○年五月、世界保健機構(WHO)から「天然痘は地球上から根絶された」と宣言された。
 人類を苦しめ続けた「不幸」のひとつは絶滅した。その間、約二百年。ジェンナーは「人類の恩人」である。
3  しかし、はじめは非難ごうごうであった。専門家の医師は認めない。権威ある王立協会は、ジェンナーの論文を受け取らない。聖職者は、牛痘を人間に植えつけるなんて「神の道の妨害だ」と説教した。
 また「牛痘を受けると、牛のように耳は毛むくじゃらになり、牛のしっぽがはえる」と書かれた。多くの人が信じた。今、考えれば、笑い話のようであるが、新しい動きに対しては必ず、古いものからの攻撃がある。牛痘に反対するための団体まで組織された。嘲笑もされ、ジェンナーは「四面楚歌」であった。
 しかし「実証」ほど雄弁なものはない。「牛痘」の効果が知られていくと、先入見や利害のからまない人々は、ジェンナーを認めた。
 それまでの「人痘じんとう」接種(天然痘患者の膿を植えつける)が、時に死亡者を出したのに比べて、「牛痘」接種は極めて安全だったのである。
 ナポレオンは、イギリスと戦争中だったにもかかわらず、英国人のジェンナーに「記念メダル」を贈って、たたえた。ナポレオン軍は全員、強制的に「牛痘」の接種を行った。
 やがて世界に広まったが、日本は鎖国中であったため、普及されたのは世界で一番あとのほうであった(幕末)。
 私どもも、二百年後には、人間の不幸の流転にストップをかけた「人類の恩人」と言われるにちがいない。
4  謙虚に「民衆の知恵」に学べ
 ジェンナーが牛痘を発見するきっかけは、何だったのか。それは「民衆の智慧」であった。
 牛と接触することが多い農村の人は、よく「牛痘」にかかった。たいてい、赤い発疹が出るだけである。そして「一度、牛痘にかかると、もう天然痘にはかからない」という民衆の言い伝えがあった。この言い伝えを科学的に研究して、ジェンナーは「種痘」法を発見したのである。
 ジェンナー以外にも、同じ言い伝えを聞いていた人は無数にいたであろう。しかし、民衆に学ぶ謙虚な心をもっていたゆえに、ジェンナーだけが、新しき歴史をつくった。そこに、彼の勝利のカギがあった。
 (種痘については、ロベルト・マルゴッタ『図説 医学の歴史』岩本淳訳〈講談社〉、W・H・マクニール『疫病と世界史』佐々木昭夫訳〈新潮社〉、深瀬泰旦「ジェンナー」『歴史読本――世界の名医たち』一九八九年四月増刊号所収〈新人物往来社〉を参照した)
5  ともあれ、「勝利」は「苦しんだ人」にしか訪れない。苦しまず、悩まずして、勝利はない。
 ジェンナーが、″民衆に学んだ″ように、リーダーは″会員を尊敬し、会員に学ぶ″ことである。
 ″これほどまでに″と言われるほど、徹底して″会員を大事にする″ことである。一生懸命に″会員の幸福を祈り″″会員を守る″ことである。これが根本中の根本である。ここに徹すれば、学会に永遠に行き詰まりはない。
 そして、後継の青年を全力で育てていくことである。融合一体して、一緒に戦うなかで、「強い人間」をつくり、「負けない人間」をつくり、「智慧(ちえ)のある人間」をつくっていかねばならない。
 私どもは、永遠に前進し、永遠に拡大しゆく、広宣流布の「完全勝利の大道」を、断じて開きたい。二百年後の完全勝利のために、まず明年を完ぺきに勝利してまいりたい。
 各県・各区の大切な同志に、どうかくれぐれも、よろしくお伝えください!

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