Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第6回本部幹部会 すばらしき「人間革命の劇」を演じよう

1996.12.16 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

前後
17  「まことのとき」に戦う人が賢者
 ここで御書を拝したい。これまで繰り返し拝してきた「開目抄」の一節である。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 ――我ならびに我が弟子は、諸難があろうとも、疑う心がなければ、必ず自然に仏界にいたるのである。諸天の加護がないからといって、(法華経の大利益を)疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。我が弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、(大難が起こってみると)疑いを起こして、皆、信心を捨ててしまったのであろう。愚かな者の常として、約束した事を、(まさに、その約束を守るべき)本当の時には忘れるのである――。
 「自然に仏界にいたる」――この一生を戦い通せば、必ず、仏になると仰せである。だからこそ、どんなにつらいことがあっても、「一生成仏」をとげなさい、と。
 「一生はゆめの上・明日をせず」である。一生は夢のようなものである。明日さえ、どうなるかわからない。自分でどうすることもできない。そのなかで、永遠に自由自在に生き抜ける自分をつくるのが「一生成仏」である。そのための信心である。そういう境涯を、つくれるかどうかが″今世の勝負″である。
 生命の境涯を変える――これは科学でも経済でも政治の次元でも、どうしようもない。仏法しかない。その仏法に、私どもは今世でめぐりあったのである。
 いったん、この地球で一生成仏すれば、次は、地球以外の仏国土に生まれることもできる。この地球だけが人間の住むところではない。宇宙には無数の国土がある。そのなかでとくに悪い国土が、この裟婆世界なのである。
 たとえば「四恩抄」には「此の娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば人の心もやはらかに賢聖をのり悪む事も候はず」云々とある。
 「法華経の大利益を疑ってはならない」――長い目で見れば「大利益」は必ずある。一時は悪く見えても、絶対に「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」できる。
 「現世が安穏でないと嘆いてはならない」――安穏であれば、生命は鍛えられない。食べたい時に食べ、寝たい時に寝ていれば堕落しかない。
 難と戦ってこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」と仰せである。
 仏道修行に苦労は多いけれども、安穏なだけの人生では、とうてい得られない「人間革命」という大歓喜がある。だから大聖人は「まことの時にこそ、信心の約束を忘れてはなりませんよ」と、厳しく仰せになっているのである。
 どうか来年も一緒に、堂々たる「勝利の一年」を迎えましょう!
 同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。ありがとう。お元気で。よいお年を! 青年部万歳!

1
17