Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第6回本部幹部会 すばらしき「人間革命の劇」を演じよう

1996.12.16 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  不動の自身を富士のごとく
 この一年間、本当にご苦労さま! 心から感謝申し上げたい。ありがとうございます。また、見事な演奏を、ありがとう!
 学会歌を歌いましょう! ともどもに楽しく歌を歌いながら、前進しましょう!
 きょうは、ここ「牧口城」(東京牧口記念会館)から、見事な白雪の富士が一日中、見えた。美しき富士。素晴らしき富士。富士の姿を見ると、自然に合掌したくなる。ちなみに、合掌には「十界互具」の意義がある。(十の指が十界を表し、十指を合わせるのが十界互具を表す)
2  富士と言えば、小説『宮本武蔵』(吉川英治著)を思い出す。小学五年生の時、恩師の檜山浩平先生が、授業で読んでくださった書である。その『宮本武蔵』の次の一節が、当時から私の脳裏を離れない。これまでも幾度となく申し上げてきた、あまりにも正しい言葉である。
 「あれになろう、これに成ろうと焦心あせるより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へびずに世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人がきめてくれる」(『吉川英治全集』19、講談社)
 何があろうと、だれが何を言おうと揺るがない。あせらない。迷わない。これが本当の人生である。人間の証である。
 いわんや日蓮大聖人の仏法の真髄は「殉教」である。自分が決めた、その場で生ききっていくのである。使命の場所で死んでいくのである。
 戸田先生も、富士を仰いで言われた。青年部時代、先生と私の二人だけの時であった。
 「大作、静かに見えるようだが、富士山のてっぺんは烈風だよ。頂点に立つ人間は、烈風を受けなければならない」と。
 この言葉を、私は生涯、忘れることはない。
 ともあれ、この『宮本武蔵』の一節を、きょう、私は皆さまに贈りたい。
3  戸田先生は、言われた。
 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と。
 あと数年で二十一世紀。創価学会も、いよいよ青年部が広宣流布の一切を引き継ぐ儀式の時代に入ってきた。青年部の存在が、決定的に大事になってきた。時代は変わる。変わらざるを得ない。変わらなければ、新しき世紀は開けない。
 ゆえに、壮年部、婦人部の皆さまも、青年部を最大に守り、鍛え、「後継の道」を立派につくっていくよう、応援をお願いしたい。
4  また、青年部も、その決意で進んでいただきたい。そして「世界第一の仏意仏勅の団体」「尊き広宣流布の団体」である創価学会を、見事に引き継いでいただきたい。
 さらに、その意味から提案したい。二十一世紀に向けて、明年から毎月、新たに青年部の幹部会を開催してはどうだろうか。
 「第一回全国男子部幹部会」「第一回全国女子部幹部会」(明年一月は男女合同の予定)と、今再びの陣列で、出発してはどうだろうか!(賛同の大拍手)
 できれば会長はじめ全幹部が出席し、全力で応援していきたい。どうか、この幹部会を前進の節目としながら、二十一世紀への盤石な伝統を築き、人材の大河をつくり上げていってほしい。そして青年部の力で、新しき「創価の時代」を、見事に切り開いていただきたい。
5  「内面の豊かさ」こそが美しい
 私は今年(一九九六年六月)、キューバを訪問した(六月)。思い出深いキューバ。その「救国の父」「キューバ共和国の父」と言われるのがホセ・マルティである。
 彼は、おもに亡くなる前の二年間(一八九四年〜九五年)、ある少女に励ましの手紙を書き送った。その一部を紹介したい。
 「内面的な豊かさを持つ人は、外面的に着飾る必要はないのです。外面にこだわる人ほど、内面世界が乏しく、着飾ることによって、その乏しさを隠そうとするのです。自らの内面的な美しさを自覚する者は、借り物の美しさなど、外に求めないのです。美しさを自覚しているがゆえに光を放っているのです。そして他人を明るくし、楽しくさせるよう、つとめるでしょう。なぜならば、他人に悲嘆ではなく、歓喜をもたらすことが、人間としての義務だからです。そして美を認識している人は、他人にも美しさを見いだすことができます。それゆえ他人と自分を尊び、大切にすることができるのです」(スペイン語版『ホセ・マルティ書簡集』社会科学出版)
6  また彼は、次のようにつづっている。
 「お母さんを慈しみ、包んでいきなさい。母親という、その女性から(=あなたが)この世にやってきたこと自体、大いなる誇りなのです。自らの内面を見つめた時、そして今の行いを振り返った時に、朝の光に照らされた大地のような自分があればよいのです。朝の光の素早さと清らかさを感じればよいのです。
 軽薄な世界など他の人間に任せればよいのです。あなたは、それ以上に価値ある人間です。微笑みを浮かべて、(=軽薄な世界を)通り抜けていきなさい」(同前)
 ″何があろうと、微笑みを浮かべて、軽薄な世界を通り抜けていきなさい″――正しき真理の言葉である。
 私どもが見ているのも、目先の「軽薄な世界」などではない。深く尊き「永遠の世界」である。「永遠の幸福の追求」が仏法なのである。うつろいゆく世相を悠然と見おろしながら、「わが信念の道」に生ききってまいりたい。
 我らは我らの道を行く。堂々と「永遠の幸福」の大道を、そして「永遠の発展」の大道を進んでまいりましょう。
7  サーツ女史の信念の戦い
 先日、金秋のモスクワから一冊の本が届けられた。それは、ロシアの「児童芸術の母」として世界の子どもたちから愛されたナターリア・サーツ女史の自叙伝(ロシア語版『人生――縞模様』、ノーボスチ出版社)である。
 女史は三年前(九三年)、九十歳で亡くなられた。女史の遺作を、彼女が創立したモスクワ児童音楽劇場の会長(V・プロフォロフ氏)が贈ってくださったのである。
 女史と築いた友情の絆は、このように、今でも固く結ばれている。私には、そして創価学会には、そうした友情で結ばれた人々が世界中にいる。
 自叙伝には、女史と私との出会いの思い出もつづられている。
 (名誉会長と女史との出会いは八一年五月、モスクワで。以来、七回にわたり語らいを。また、モスクワ児童音楽劇場は、民音の招聘で二度、来日公演を行っている)
 女史は生前、″池田先生から学んだ仏法の永遠の生命観が、人生に限りない希望を与えてくれた″と語っていた。
 今、ロシアでは、二年前に出発した、わがロシアSGIの友が、元気に「行学の二道」に励んでいる。女史が生きておられれば、必ずや、よき理解者になられたにちがいない。
8  女史は若き日に、何の罪もない夫を、独裁者スターリンによって銃殺された。さらに、自らも、いわれのない罪をでっちあげられて、シベリアなどで五年間も投獄された。そんな目にあいながらも、「信念」のためには自分を曲げず、戦ったのである。
 自伝では、この収容所での体験も回想されている。取り調べは、あまりにも卑劣であった。″早く家族のもとに帰してほしければ、友人を陥れるウソの証言をせよ″と迫られたのである。しかし、彼女はきっぱりと断った。
 「私は子どものころから、ウソをついてはいけないと教わってきました。親しい人(家族)の幸せをウソで買いとるなんて、私にはできません!」
 女史は人間としての尊厳を、誇り高く守り通した。堂々たる人生であった。立派な人生であった。
 私たちは信仰者である。信仰とは究極の「信念」である。少々の難くらいで、文句を言ったり、引いてしまうならば、あまりにも、なさけない。あまりにも、愚かである。
 御書には「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」――賢いのを「人間」といい、愚かなのを「畜生」というのである――と仰せである。
 愚かであってはならない。賢明な「信念の人」でなければ仏法者ではない。
9  女史が投獄された部屋には、他にも冤罪えんざい(無実の罪)で捕われた女性が何人かいた。皆、恐怖におびえ、悲しみに打ちのめされていた。
 サーツ女史は、自分も絶望的な状況にありながら、それでも自分のことだけに心を閉ざしてはいなかった。″生きる希望をなくした同室の人々が、どうすれば立ち上がれるか″を、女史は考え始めたのである。他者のことを思いやることによって、彼女の心に再び太陽が昇りはじめた。
 女性は強い。やはり婦人は「太陽」である。「元始、女性は太陽であった」(平塚らいてう)という言葉があるが、これは世界共通の真理と思う。
 女史は思った。「何とか皆が生き抜いていけるよう助けなければならない。そして自分も生き抜いていこう。頭を切り替えよう。そして信じよう。『今この時が決して終末ではない』ことを」
 姿は敗北者のようであっても、これで人生が終わったわけではない! これで戦いが終わったわけではない!――これが女史の信念であった。
10  戸田先生は言われていた。「負けた時に、勝つ原因をつくることができる。勝った時に負ける原因をつくることもある」と。
 日蓮大聖人の仏法は「本因妙」の仏法である。「現当二世」の仏法である。過去を振り返るのではない。常に「現在」から「未来」への挑戦を始める。永遠に「これから!」「これから!」である。ゆえに行き詰まりがない。
 創価学会は、御本仏がつくられた仏意仏勅の教団である。末法万年尽未来際までの行進である。目先のことに右往左往するのではいけない。世の毀誉褒貶をはるかに見おろしながら、永遠に「これから!」の決心で進んでいただきたい。
11  その場で輝け! その場を変えよ
 「心」を変えれば、「環境」も変わる。仏法でも「依正不二」「一念三千」と説く。
 周りを見渡せば、獄中にも多彩な人材が集まっていた。いつまでも嘆いていてもしかたがない。女史は思った。
 ″それぞれの持ち味を生かして、学び合う機会をつくろう。学校をつくろう″
 ″あの人は化学の講義ができるだろう。あの人には医学の講義をしてもらおう″
 女史自身は、見事な歌声を披露した。ある時は、よく響く澄んだ声で、プーシキンの詩を朗読した。皆、感動した。勇気がわいてきた。
 暗く閉ざされた牢獄。だからこそ、静かに勉強できる学校となった。芸術を存分に味わう劇場ともなった。心一つで何でも変えられる。
 ″さあ、今いるこの場所で、楽しく有意義な一日一日を送ろう″と。
 本当に賢明な人は、どんな状況でも価値を創造する。
12  いわんや仏法では「心はたくみなる画師えしの如し」と説く。「心」は名画家のごとく、一切を自在に描き出していく。したがって、人生そのものが、「心」の描く「名画」である。「心」が創り上げる芸術である。
 また、指導にあたっても、こちらの「心」次第で、いくらでも美しいドラマを描いていける。おなかがすいている人にはパンをあげよう。パンがなければ″言葉のごちそう″だけでもあげよう、と。顔色の悪い人、体が心配な人には、心が軽くなり、「よし健康になろう」と希望を出せるような話をしてあげる。
 会ったら「何か」を与えなければいけない。喜びを、勇気を、希望を、安心を、また哲学を、知恵を、展望を――何かを与えてあげることである。
 また、花を見る余裕もない女性がいる。うちに帰っても、花を見て楽しむどころか、お母さんに文句だけ言って、寝てしまう。そういう人には、ちょっと角度を変えて、美しい花や芸術に心が向くようにしてあげる。それだけで、ぱっと開ける場合がある。
 わが「心」を絵筆のごとく自在に使える名指導者であっていただきたい。
13  喜びの″一波″を起こせ、友の心に
 サーツ女史の牢獄は小さかった。しかし、そこで偉大な歴史はつくられた。
 ″小さな集い″が大切なのである。大きな会合で、大勢の人に拍手されて話すことが偉いのではない。人目につかない小さな集い――座談会が、また家庭指導が大事なのである。個人指導が大事なのである。
 大きな会合だけでは一方通行になる。それでは皆の本当の力を引き出すことはできない。
 一対一で、いい味のある対話ができ、人間味のある励ましで人を発心させられる人が本物である。その発心こそ長続きする。その決意が起爆剤になる。
 その「一波」から「万波」が広がる。丹念に一軒一軒を回る。真心で一人一人と語る。この苦労でつくった一波こそが万波に広がっていくのである。創価学会のこれまでの発展の秘けつもここにある。
 したがって、もう一度これに徹していけば、また再び「万波」を起こせる。そこに末法万年の広宣流布の発展の道が開かれていく。
14  サーツ女史は、皆と決めていた。「人間は一人きりで悲しんではいけない」と。
 一人では悲しみが余計に深まる。救いがなくなる。
 ″人の間″と書いて、人間と読む。人間と人間の切磋琢磨のなかでこそ、「人間」ができていく。「自分」が豊かになっていく。
 時には、組織がわずらわしく、「一人きり」になりたいと思う場合もあるかもしれない。しかし実際に一人きりになり、退転してしまえば、どれほど寂しいか。どれほど、わびしいか。同志とともに、喜怒哀楽を繰り返しながら、にぎやかな″人間の世界″で生き抜いてこそ、成長できるのである。
15  このように、サーツ女史は優れた哲学者であり、人間主義者であった。
 人間主義とは、何も高尚な理論である必要はない。どこまでも人間を信ずること、人間と人間を結ぼうとすること。ここに人間主義がある。つまり「友情」をつくっていくことである。
 友情は強い。学会も、根底は友情である。同志愛である。異体同心の信心の団結である。それがあって、組織の機構がある。それを反対にしてはいけない。
 組織は、友情を、同志愛を、そして信心を深めるための手段である。それをあべこべにしたら大変である。組織を目的にした場合には、権威主義の組織悪になってしまう。
 ともあれ、友情を地域に社会に広げゆく学会活動は、毎日毎日、「人生の宝」を積んでいるのである。
16  私どもは信仰者である。「あの人は素晴らしい!」「ああいう人間に、なりたいな!」――人々から、そう思われる人生を生きていただきたい。人生の「人間革命の劇」を自分らしく、つくっていただきたい。
 「人間革命」とは何か。きのうまで遊んでばかりいた人間が、きょうから勉強を始めた。これも、ひとつの人間革命である。
 きのうまで、あまり御書を読まなかった人間が、きょうから御書を読み始めた。きのうまで、あまり働かなかった人間が、きょうから朝早く起きて働き始めた。
 これも人間革命である。何でもいい、自分らしく自分自身を革命していくことである。″自分が変わる″ことである。
 日々、自分らしく、自分の人間革命の劇をつづっていくのが最高の人生である。その成長の姿それ自体が、偉大な折伏なのである。
17  「まことのとき」に戦う人が賢者
 ここで御書を拝したい。これまで繰り返し拝してきた「開目抄」の一節である。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 ――我ならびに我が弟子は、諸難があろうとも、疑う心がなければ、必ず自然に仏界にいたるのである。諸天の加護がないからといって、(法華経の大利益を)疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。我が弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、(大難が起こってみると)疑いを起こして、皆、信心を捨ててしまったのであろう。愚かな者の常として、約束した事を、(まさに、その約束を守るべき)本当の時には忘れるのである――。
 「自然に仏界にいたる」――この一生を戦い通せば、必ず、仏になると仰せである。だからこそ、どんなにつらいことがあっても、「一生成仏」をとげなさい、と。
 「一生はゆめの上・明日をせず」である。一生は夢のようなものである。明日さえ、どうなるかわからない。自分でどうすることもできない。そのなかで、永遠に自由自在に生き抜ける自分をつくるのが「一生成仏」である。そのための信心である。そういう境涯を、つくれるかどうかが″今世の勝負″である。
 生命の境涯を変える――これは科学でも経済でも政治の次元でも、どうしようもない。仏法しかない。その仏法に、私どもは今世でめぐりあったのである。
 いったん、この地球で一生成仏すれば、次は、地球以外の仏国土に生まれることもできる。この地球だけが人間の住むところではない。宇宙には無数の国土がある。そのなかでとくに悪い国土が、この裟婆世界なのである。
 たとえば「四恩抄」には「此の娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば人の心もやはらかに賢聖をのり悪む事も候はず」云々とある。
 「法華経の大利益を疑ってはならない」――長い目で見れば「大利益」は必ずある。一時は悪く見えても、絶対に「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」できる。
 「現世が安穏でないと嘆いてはならない」――安穏であれば、生命は鍛えられない。食べたい時に食べ、寝たい時に寝ていれば堕落しかない。
 難と戦ってこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」と仰せである。
 仏道修行に苦労は多いけれども、安穏なだけの人生では、とうてい得られない「人間革命」という大歓喜がある。だから大聖人は「まことの時にこそ、信心の約束を忘れてはなりませんよ」と、厳しく仰せになっているのである。
 どうか来年も一緒に、堂々たる「勝利の一年」を迎えましょう!
 同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。ありがとう。お元気で。よいお年を! 青年部万歳!

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