Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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十二月度全国県長会議 励ましこそ万の力

1996.12.5 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

前後
1  大聖人の御手紙は、どこを拝しても「励まし」また「励まし」である。
 ある御書では、婦人の門下(四条金吾の妻である日眼女にちげんにょ)を、こう励ましておられる。
 「一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・乃至梵王・帝釈・日月等にだにも・ふびんと・をもはれまいらせなば・なにかくるしかるべき、法華経にだにも・ほめられたてまつりなば・なにか・くるしかるべき
 ――一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方(全宇宙)の諸仏をはじめとして大梵天王・帝釈天、また日天・月天等にさえ、かわいい人だと思われたならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか――。
 濁りきった悪世末法である。その真っただ中で広宣流布を進めゆくことが、どれほど大変か。大聖人は、だれよりも、わかってくださっている。
 「からんは不思議わるからんは一定」――状況がよいのは不思議、悪いのは当然であり、決まったこと――である。
 だからこそ、何があっても動じることもなければ嘆くこともない。
 平然と胸を張って生きよ! 無量の仏が味方である。梵天・帝釈も、ほめたたえている。日天・月天も見守っている。大きな大きな心で、楽しく前進していけばよい!
 大聖人は、そう激励してくださっている。
2  「一人一人が強くなる」ことが勝利
 「一つ失敗するごとに一つ進歩する」――中国の国父である孫文は常に、この底抜けの明るさと、ふてぶてしいまでの強さで、同志を励まし続けた。
 要するに「すべてが鍛錬」である。ゆえに「一人一人が強くなればいい」と。
 戦いは長い。孫文は決して、短兵急には考えなかった。
 「世間でいう成功者とは、一時の栄えに過ぎない。志と信義を持つ者こそが、万世にわたる功績を成す」とは、彼の至言である。
3  広宣流布は、万年への人間革命の大闘争である。万年の戦いは、まだ始まったばかり。いまだ緒戦にすぎない。
 戸田先生は、詠まれた。
  妙法の
    広布の旅は
      遠けれど
   共に励まし
     とも共に
       征かなむ
 「励」ましという文字には、「万」の「力」とある。まさに、人々に「万」の「力」を贈るものこそ″励まし″である。
 一人でも多くの友を、心から励まし、勇気づけ、元気づけながら、創立七十周年(二〇〇〇年)へ、希望の旅を開始したい。
4  賢者は人生を楽しむ! 小さな世界を見下ろし
 唐の詩人・白楽天は、日本でも愛された民衆派の大詩人である。
 日蓮大聖人も、その詩を読まれていた。彼の詩の一つにこうある。
  蝸牛角上かぎゅうかくじょう 何事をか争う
  石火光中せっかこうちゅうに この身を寄す
  富めるに随い 貧しきに随いて しばらく歓楽せよ
  口を開きて笑わずんば これ痴人なり
    (中国の詩集7『白楽天詩集』山本太郎訳、角川書店)
 ――カタツムリの角の上では、二つの種族が戦争をしているという。(『荘子』にある物語。左の角にはしょく氏、右の角にはばん氏がいて、多くの戦死者を出しながら長年にわたり戦争を続けている)
 何を争っているのか知らないが、何とまあ、ちっぽけなことだ。
 人間も、火打ち石の光のように短い人生で、何をつまらぬ争いを続けているのか。
 そんなことは放っておいて、富める者も、貧しい者も、それぞれに人生を楽しみなさい。
 人間に生まれた以上は、大きな口を開けて、心から笑うような人生を生きなければ、その人は愚か者である――。
5  小さな争いを見おろし、笑い飛ばしながら、悠々と生きたい、と。
 私どもは万年の未来へ、楽しく「王道」を行けばよいのである。「覇道」は歴史によって必ず裁かれる。「王道」とは、民衆根本である。「覇道」とは、エゴ根本である。
 わが学会の陣列は、いよいよ強く、いよいよ世界的になっていることを誇りとしていただきたい。
 全員が、よいお年をお迎えください。また全国の会員の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えくださいと申し上げ、私のあいさつとします。

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