Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表者会議(第1日) 打って出よ われらは革命児

1996.11.22 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

前後
2  清教徒たちは、聖職者の腐敗や堕落を絶対に許さなかった。教会の傲慢な差別や形骸化を認めなかった。そして「宗教改革」を、未完成のまま終わらせては断じてならないと、立ち上がったのである。
 ところが、この新たな改革の動きをつぶそうと、旧勢力は猛然と攻撃してきた。これが歴史の常である。″服従せよ! さもなければ追放する″という権力の恫喝が加えられた。
 当時の記録によれば、清教徒たちは「四方八方から追いたてられ、迫害された。(中略)ある者は連れていかれて牢にたたき込まれ、またある者は、家を包囲されて、夜となく昼となく監視され、その手から逃れることはほとんどできなかった。そしてたいていの者は、住みなれた家と土地を残し、生計のすべてをすてて、やむなく立ち去らねばならなかった」(アメリカ古典文庫15『ピューリタニズム』大下尚一訳、研究社出版)という弾圧の連続であった。
 そうしたなかで、一部の清教徒たちが、オランダへの移住を経て、新大陸アメリカへの旅立ちを決心した。これがメイフラワー号の出発となったのである。
3  彼らは考えた。″何もせず、ただ老いていくのみでは、やがて敵の罠に陥ったり、取り囲まれて、そこから出て戦うことも、逃げることも、できなくなってしまう″と。
 そして、今こそ、自分たちから打って出て、自分たちの理想の国土を、自分たちの力でつくろう! と行動を起こしたのである。
 彼らは、いわゆるエリートではなかった。その多くがイギリスの小さな村の出身。中心のリーダーであったブラッドフォードという青年は、聖職者でもなければ、大学出でもなかった。父がいないなか、苦労して人格を鍛え上げた人物である。
 苦労に徹した人、また、しっかりと地に足のついた庶民こそが強い。学会を支え、守ってくださっているのも、そういう尊い方々である。いわゆるエリートは、要領がよく、ずるい場合がある。この時、青年リーダーは三十歳。若き血潮が熱くたぎっていた。
 戸田先生も言われていた。
 「閉ざされた青年であってはならない。水の信心というけれども、水も、時と条件によっては、沸騰することもあるのだ。革命児は、ただの平穏な、ゆっくりした生活を夢見るようでは、成長できなくなるだろう」と。
4  「アメリカ建国の父たち」は決然と信念に殉じた
 ともあれ、悪戦苦闘の航海は二カ月あまりに及んだ。そしてさらに、上陸すべき、ふさわしい地点を求めて約一カ月。この間、船の上では、自由と平等を重んじ、法に基づいて、″結束して理想の社会を建設しよう″という誓約が結ばれた。これが有名な「メイフラワー契約」である。
 長く苦しい航海の果てに、ボストン近くのプリマスに上陸。ここは、私どもの「ボストン二十一世紀センター」からも大変に近い。
5  彼らを待ち構えていたのは何であったか。それは、ただ荒野であった。
 歓迎してくれる友もいなかった。風雨をしのぐ宿もなかった。助けの手を差し伸べてくれる町もなかった。しかも、過酷な冬が来ていた。
 ″今でいえば、南極大陸への上陸を想像すれば、少し実感がわくかもしれない″と言う人もいる。
 最初の冬だけで、次々と壊血病などによって倒れ、生き残ったのは、総勢百二人の半数・五十人。わずかに二十三世帯だけとなってしまった。
 ひどい時には、その五十人のなかでも、健康な人間は六、七人しかいなかった。しかし彼らは、献身的に看病にあたり、仲間を励まし合い、守り合っている。
 やがて春になると、地元の先住民(インディアン)から、トウモロコシの栽培や、タラの漁の方法も学んだ。彼らには、愚痴も文句もなかった。決然と、わが信念に生き、そして殉じていった。
6  彼らのアメリカ移住の歴史的意義については、さまざまな意見があるが、私が対談したトインビー博士は″この困難な環境でこそ、その後のアメリカの大建設のために必要な鍛錬が積まれたのである″と見ておられた。
 思えば戸田先生は、あの「3・16」に際して、「本来ならば、訓練のために野宿ぐらいさせたいところなのだ。私は、学会の青年を軟弱にはしたくないのだよ」と言われていた。
 その後、幾万、幾十万の移民が続いていく。
 あのハーバード大学が創立されたのは、この先人たちの第一歩から、わずか十六年後(一六三六年)。今年九月で創立三百六十周年を迎えた。
 ともあれ、″未来の人々のために、喜んで「踏み石」になろう!″″世界を照らしゆく「丘の上の灯台」となろう!″――こうした先駆者の一念が、アメリカの歴史に、生き生きと脈打ってきたことは間違いない。
7  我らは、大仏法の人間主義、平和主義、文化主義を掲げ、末法万年への広宣流布の大航海を進んでまいりたい。そして、素晴らしき「仏国土」を開拓し、永遠なる民衆の理想郷を朗らかに建設してまいりたい。
 御聖訓には「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也
 ――生命には限りがある。惜しんではならない。願うべき究極のものは仏国である――と。
 すなわち、それが広宣流布である。これが人間にとっての最極の目的への道である。ゆえに、その道を歩み、切り開いていく人こそ、人類の根本を行く「宝の人」なのである。

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