Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5回本部幹部会 創立者の魂を継げば永遠に発展

1996.11.17 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  名門・中山大学からの栄光を全世界の同志と共有
 堂々たる「創立六十六周年」を迎えることができた。天も晴れ、地も晴れ、一千万の同志の心も晴れ、私の胸には、わが同志の、喜びと自信に満ちた勝鬨が響いてくる。ありがとう!
 すべて、皆さまのお力と、皆さまの信心によるものである。私は、大切なわが同志の皆さまに、深甚の感謝と祝福を申し上げたい。
 この晴れの元初の儀式を、日蓮大聖人に御報告申し上げ、なおかつ、初代会長・牧口先生、第二代会長・戸田先生にご報告申し上げることは、なんとうれしいことであろうか。
 広宣流布の偉大なる弟子たちは、見事に三類の強敵を打ち破り、黒い悪辣な権力と真っ向から戦い、永遠に輝く末法万年への大道を、ついに開くことができた。
 今、ここに重ねて、敬愛するわが同志の皆さまに、心から感謝を捧げたい。ありがとう!
2  ただ今、中国屈指の名門であり、最先端の知性の学府である中山大学から、栄えある「名誉教授」の称号を拝受した。厚く御礼申し上げたい。
 折しも本年(一九九六年)は、中山大学の創立者であられる孫中山先生、すなわち「中国の国父」と慕われる、偉大なる孫文先生(一八六六年〜一九二五年)の生誕百三十周年である。
 孫文先生の誕生日であり、中山大学の創立記念日でもある今月(十一月)の十二日には、各地で盛大な記念式典が開催されたことも、よく存じ上げている。
 「民衆こそ皇帝なり」「民衆こそ王者なり」――孫文先生は、この揺るぎない信念をもって、壮大なスケールで、「人類の覚醒」を促し、「世界の平和」を目指しておられた。
 孫文先生は、ある講演で述べている。「皇帝時代においてはただ一人の人間が皇帝だったが、民国になってはこの四億人がすべて皇帝なのです。これが、民をもって主となすということであり、これこそ民権の実行であります」(小野川秀美責任編集、世界の名著64『孫文 毛沢東』中央公論社)
 その意味において、本日の栄誉を、私は、この会場に参加された代表の皆さまをはじめ、世界百二十八カ国の全同志と共有させていただきたいと思う。
3  日本と中国、孫文と牧口先生の縁
 私どもの信奉する日蓮大聖人は、中国・朝鮮半島について、「日本国は彼の二国の弟子なり」(仏教はインドから中国や高麗〈朝鮮半島〉に伝えられ、さらに日本に伝わってきたのだから)仏教においては日本は中国・高麗二国の弟子の立場といえるでしょう――明確に書いておられる。
 日本は、仏教も、文化も、中国から、そして朝鮮半島から学んできた。この大恩を、絶対に、永遠に忘れてはならない。それが、まことの人間の道であり、また仏法者の生き方である。
 しかし、かつての日本は恩を忘れ、中国・韓国を見くだし、傲慢に振る舞って、結局、自滅の坂を落ちていった。
 信仰とは、最も強く、最も深く、信義を貫くことである。
 創価学会は、この人間主義のままに、アジアに、世界に、友情を結んできた。中国から、私どもが、このように大きな信頼を寄せていただいていること、それ自体が、創価学会が大聖人の正道を歩んでいる証左であると、私は申し上げたい。
4  また、私どもの創立記念日、そして牧口初代会長の殉教の日を前に、孫文先生にゆかり深き中山大学の諸先生方をお迎えできたことは、この上ない喜びである。
 と言うのも、一九〇五年(明治三十八年)、孫文先生は、ここ東京で、水の流れのごとく、静かに、また、たゆみなく、人材を結集し、歴史的な中国革命同盟会を結成された。革命の一つの原点を日本でつくられたのである。〈当時、日本における中国留学生の総数は一万人以上に達しており、腐敗した清朝を打倒しようという革命的な息吹が強まっていた。孫文の中国革命同盟会の結成によって、それらの勢力が一つにまとめられた。
 その同じころ、若き牧口先生は、中国の留学生のための学校「弘文学院」で教鞭をとっておられた。牧口先生は、孫文先生より五歳若く、この時、三十四歳。この学校には、孫文先生の同盟会に身を投じた青年も学んでいた。牧口先生の授業に感銘した留学生が、のちに『人生地理学』の講義を翻訳して中国で出版したというエピソードも伝えられている。
 中国と創価学会の縁は、まことに不思議である。国交正常化後、最も早く、中国からの若き留学生をお招きしたのも、この創価大学であった。
 また、孫文先生には、「大砲」という愛称があった。豪快に大砲を撃ち放つような、豪放磊落な大人であった、というのである。
 生前の戸田第二代会長を知る、ある新聞記者が、「戸田先生は、孫文先生に似ていた」と語っていたことを、私は懐かしく思い起こす。
 きょうは、うれしいことに、牧口家、戸田家の皆さま方も、お越しくださっている。この式典を、牧口先生、戸田先生のお二人が、にっこりと微笑み合いながら見守っておられることを、私は確信してやまない。
5  「抑圧に抵抗せよ」「そのために連帯せよ」
 中山大学が、そうであるごとく、創立者の魂が受け継がれる大学は、永遠に発展する。創立の精神が生き続ける組織は、無限に前進するものである。
 中山大学の創立は、一九二四年(創立当時は広東大学。後に中山大学に改称)。孫文先生の逝去の前年であった。孫文先生は、衰弱した体をおして、ほぼ毎週、中山大学を訪問し、後を託す学生たちに、実に十六回にわたって講義を行ったのである。毎回、約二時間。「三民主義」について講義を行ったのである。
 孫文先生は、中山大学の学生に烈々と訴えた。
 「人を抑圧するものは、天に逆らって行動しているのであり」「(人間を抑圧する)強権に抵抗してこそ、われわれは天にしたがって行動することになる」(伊地智善継・山口一郎監修『孫文選集』1、社会思想社)
 悪い権力、悪い人間と戦わない人生は、正しい道を歩んでいないのだというのである。そして、強権に抵抗するためには、世界の民衆が連帯する必要がある、と。
 まさしく、牧口先生、戸田先生の信条と一致する。
6  牧口先生は、日本の非道な権力には、断じて妥協しなかった。
 牢獄にあっても、中国をはじめアジアへの侵略戦争は、日本の思想の根本的な狂いがもたらしたものであることを勇敢に主張し、殉教されたのである。
 その不二の弟子である戸田先生は、「どの国の民衆も、絶対に犠牲になってはならない。世界の民衆が、ともに喜び、繁栄していかねばならない」と叫び、「地球民族主義」の理念を掲げたのである。
7  今、私の胸には、民衆とともに歩んだ孫文先生の心を、だれよりも知る夫人・宋慶齢そうけいれい女史の言葉が響いてくる。
 「大衆をうらぎってはならない」「(=大衆の)信頼にたいして、永遠に忠誠をちかわねばならない」(野沢豊『孫文――革命いまだ成らず――』誠文堂新光社)と。
 大衆を裏切るな! 大衆の信頼に対して、永遠に忠誠を誓うのだ!――これは、絶対に忘れてはならない創価学会の根本精神でもある。
8  孫文――「障害があるほど勇み立て」
 偉大なる先覚者の常か、孫文先生の人生もまた、迫害に次ぐ迫害であった。迫害こそが偉大さの証拠である。「孫文の犯罪」という悪辣なデマの文書を、国の内外にばらまかれたこともあった。首に懸賞金もかけられた。それでも、「挫ければ挫けるほど奮い立ち、事あれば事あるほど勇み立ち」(前掲『孫文選集』2)と、悠然と前へ進んだ。
 これが革命児である。これが偉人である。これが人生の真髄の生き方であり、「創価」の生き方である。
9  先日、″孫文先生は、兵法の大家・孫子の七十代目の子孫に当たる″という研究が明らかになり、日本の新聞でも報道された。
 孫文先生は、「先に声を発して敵の気力をそぐ(先声人を奪う)」という、中国古来の兵法のままに、声を発して戦い続けた。
 声はタダである。最強の弾丸である。御書にも「声も惜まず」と仰せである。
 正義を言い切っていく明快な声、悪を断ち切っていく強い声、折伏の声、励ましの温かい声、ほめたたえ、ねぎらう優しい声――。ともかく内外を問わず、人と会い、声をかけていくことである。
 外交の最前線で対話し、また対話してこそ、正義の「前進」はある。内輪では大きな声でいばりながら、外では小さな声でおとなしくなっている――それではあべこべであり、臆病である。
 声は生命力の表れである。ゆえに声が大事である。今、我々は獅子のごとく、鋭く、堂々と、破折しゆく言論が大切である。ここに広宣流布を開く道がある。
10  孫文先生は、晩年、反逆者の卑劣な裏切りによって、絶体絶命の窮地に追い込まれた。偉大な人には、裏切りはつきものである。
 しかし、やがて学生をはじめとする青年たちが猛然と立ち上がった。彼らは連戦連勝を重ね、ついに孫文先生を苦しめた反逆者を、見事、追放したのである。その朗報を耳にしつつ、孫文先生は波乱の生涯を終えた。
 孫文先生は、長年にわたる苦難の大闘争を耐えに耐えた。矢面に立ち、懸命に時をかせいだ。そして、若き人材群の威風堂々たる登場によって、晴れ晴れと、最後を大勝利で飾った。中国の大革命の幕が開いたのである。
 私にも孫文先生の心情が、痛いほどわかる気がする。私もただ、青年が立ち上がるのを待ちながら、耐えに耐え、時をかせいでいる。
11  いつの時代も、いかなる戦いも、後継の青年によって決まる。
 若いということは、素晴らしい。どんな肩書も財産も「若さ」にはかなわない。
 戸田先生も、常に若い人を大事にされた。
 周恩来総理が、創価学会に注目した理由の一つも、私が若かったからである。周総理とお会いした時(一九七四年十二月)、私は四十六歳であった。そのかなり前から、総理は学会に注目しておられた。
 きょうお迎えした中山大学の王学長も、四十五歳の若き大学者である。中国の″重点大学″の学長のなかでも一番若い。
12  さて、あの大文豪・魯迅ろじん(一八八一年〜一九三六年)も、中山大学で教壇に立った。魯迅は、新聞の「寸鉄」という欄に、こうつづっている。
 「暗夜をよろこぶ妖怪は多く、なお暫くは薄暗がりを作り出せるかもしれないが、しかし光明はかならずや訪れる。あたかも夜明けをさえぎることはできないように」(伊藤虎丸訳『魯迅全集』10所収、学習研究社)
 人類が待望してやまない「生命の世紀」の荘厳なる夜明け。そこへ我々は進んでいる。
 わが創価学会、わがSGI(創価学会インタナショナル)は、万年の未来を目指して、さらに堂々と、敢然と、悠々と、大前進していくことを誓い合いたい。
 謝謝シェシェ! サンキュー・ソー・マッチ! ありがとう!

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