Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第3回本部幹部会 万年の勝利へ 人間王者の歴史!

1996.9.26 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

前後
2  日蓮大聖人は仰せである。
 「かかる悪所にゆけば王位・将軍も物ならず・獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず
 ――(死後の地獄という)このような苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にもたたない。獄卒の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない――。
 このような哀れな姿にならないために信仰しなさいとの厳愛の御言葉である。
 位や名声など虚像である。幻である。追いかけても何にもならない。それよりも無名であっても、人のため、法のために生きる人生が、どれだけ尊いか。「私は、これでいい!」「私は、やり切った!」と言える信念の人生のほうが、どれだけ幸福か。
 皆、同じ人間である。違うのは「境涯」である。「境涯」の違いだけは、死をも超えて永遠に続く。ゆえに「心こそ大切なれ」なのである。
3  ブルーノ――″われに正義あり ゆえに何ものも恐れず″
 きょうは、はるばるイタリアからメンバーが参加されているので、イタリアの話もしたい。
 フェリペ三世と同じころ、異端の罪で投獄され死刑になった殉教者がいた。イタリアのジョルダーノ・ブルーノ(一五四八年〜一六〇〇年)である。殉教のない宗教はない。殉教こそ宗教の誉れである。殉教こそ宗教の魂なのである。
 牧口先生も、戸田先生も、殉教であられた。私も殉教の決心でやってきた。自分の功徳など考えなかった。利益など眼中になかった。ただ命がけでやってきた。そうしてつくりあげた創価学会である。だから勝った。だから大聖人が厳然と守ってくださった。だから、これだけ世界的になった。
4  ブルーノは、処刑を宣告する異端審問官に向かって、言い放った。
 「判決をうける私よりも判決を下す諸公のほうがおびえているではないか」(野田又夫『ルネサンスの思想家たち』岩波新書)
 ――死刑判決をする資格が、あなたがたにあるのか。あなたがたに信念はあるのか。あなたがたは、私のほうが正義であることを、本当は知っているではないか!
 ″言われたら言い返す″強さがある。生命力がある。勢いがある。悪に対して「おとなしい」のは卑怯である。学会は「おとなしく」なってはならない。吼えていかねばならない。
 ブルーノは強かった。火あぶりになっても、声ひとつあげなかった。彼は″火あぶりの煙とともに、我が魂は天に昇っていくのだ!″と確信していた。「狂った社会」を悠々と見おろしていたのである。
 われらもまた一切を見おろしながら、正法広宣流布の痛快なドラマを、つづってまいりたい。
5  多くの死を看取ってきた、ある看護婦さんが語っていた。
 「結局、人間というものは、『生きてきたようにしか死ねない』ものですね」
 だからこそ、「幸福に死ぬ」ということは、大変難しい。一生の総決算である。本当の自分が、そこに出る。
 幸福に生き、幸福に死ぬ――そのための信仰である。信心を持った人に、不幸な死に方はない。
 戸田先生に、私が熱原の三烈士の死について質問したことがあった。先生は言われた。
 「たとえ殺されたとしても、妙法のための死であるならば、それは、たとえば眠ったとき、はじめちょっと何か夢をみたが、あとはぐっすり休めるようなものであるから、成仏はまちがいない」
 妙法に殉じた人は、すぐ、また生まれてくる。元気はつらつたる、福徳に満ち満ちた姿で戻ってくる。日蓮大聖人も、絶対そうなると、仰せである。
 「寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて」――寂光世界に往生を遂げ、たちまちの間に九界生死の夢に帰ってくる(生れてくる)――。
 御本仏は、うそをつかれない。だから、まったく心配はないのである。事故死などの場合も、これに準じて考えていただきたい。
6  サッコとヴァンゼッティ――″信念を貫けて幸福だ″
 冤罪えんざいによって死刑にされた「サッコとヴァンゼッティ事件」にふれたい。
 (同事件については、一九八九年八月の学生部夏季講習会〈本全集第73巻収録〉、同年十月の第三回SGI世界法律家会議でも紹介)
 「無政府主義者」として、政府から目を付けられた、アメリカの二人の労働者。一人は、ニコーラ・サッコ。もう一人は、バルトロメオ・ヴァンゼッティ。二人とも「無政府主義者」である以外は、何も悪いことはしていない。普通の労働者であった。
 「思想・信条の自由」が保障されているから、権力者は、この二人に「お前たちの思想が悪い」とは言えない。そこで、″でっちあげ″の殺人罪で投獄した。今から、七十年前の実話である。こういう手口で常に「冤罪」がつくられていくものだ。
7  この、まったく「でっちあげ」の事件に対し、世界的に非難の声が沸き起こった。
 「この二人を救わなければ」「何の罪もないではないか」
 人々は団結して釈放を訴えたが、結局――死刑(一九二七年八月二十三日)。権力は非情である。
 この二人の最期に、有名な言葉がある。
 「もし、こういう事態でなかったら、私は町の片隅で人間を軽蔑するような言動をしながら、天寿を完うしたかも知れません」(ハワード・ファスト『ぼくらは無罪だ! サッコとヴァンゼッティの受難』松本正雄・藤川健夫訳、新評論社)
 ――もし迫害されなかったら、一生、街角に立って、通行人をうらやみ、世間を恨み、人の悪口ばかり言って、人生を終わったかもしれない、と。
 「寛容、正義、人間の理解などに対する仕事をすることを望むことは決してできなかったでしょう」(同前)
 しかし、迫害のおかげで、そういう立派な仕事ができた、と。
 迫害されなければ「わたしは、だれにも認められず、人生の敗残者として、死んでいったことだろう。ところが、おれたちは今では敗残者ではない。おれたちには、素晴らしい生涯が与えられ、おれたちは、勝利をおさめた。こんな大事業は一生かかったって、できやしない」(フィル・ストング「サッコ=ヴァンゼッティの最期」木下秀夫訳、『世界ノンフィクション全集』15所収、筑摩書房)
 俺たちは、失敗者ではない。俺たちは「大勝利者」なんだ。人類に権力の悪辣あくらつさを教え、人類の相互理解に役立って死んでいける。何という幸せ者だろう――と。
 そして、ヴァンゼッティは、こう言い切る。
 「私は自分が正しいということを十分確信していますから、あなたがもう一度私を死刑にすることができるとして、私はもう一度生まれることができるとしたら、今までやってきた事をもう一度やるでしょう」(前掲『ぼくらは無罪だ! サッコとヴァンゼッティの受難』)
 自分は正しい。何も罪を犯していない。だから、再び処刑されるとしても、この次の人生も同じように生きるつもりだというのである。
 何と堂々たる″勝利者″の叫びであろうか。
8  だれが本当に偉いのか。二人は労働者である。地位もない。何もない。しかし信念があった。真実があった。
 民衆のなかにこそ偉大な人物がいる。民衆をこそ一番に尊敬していくべきである。それが民主主義であり、仏法である。
 仏法では、不軽菩薩――すなわち「どんな人をも軽(かろ)んじてはいけない」と説く。ここに仏法の真髄がある。また大聖人は、広宣流布の同志を仏のごとく敬うことこそ「最上第一の相伝」であると仰せである。
9  わが生命を「黄金」に変える信仰を
 いわんや、我々は仏法に命を捧げている。文句など言う資格はない。必要もない。大聖人は「此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり」――石を金にかえる、と仰せである。
 仏法に命を捧げることは、わが身を″黄金″にかえることである。どうしようもない、つまらない自分が、光り輝く最高の生命になる。永遠に、そうなる。だから、本気になって信心しなさいと仰せなのである。
 長い間ではない。今世は、あっという間に終わってしまう。その間、信心をやりきれば、永遠に仏である。だから今、元気なうちに、思う存分、戦ったほうが得である。病気になってから、「もっと頑張っておけばよかった」と後悔している人もいる。
 だれもが、いつかは死ぬ。今、ここにいる我々、そして、この瞬間、地球上にいる数十億の人類も、百年後には、ほとんどだれも残っていない。これは、どうしようもない厳粛なる事実である。この事実を深刻に自覚すれば、人生を無駄にはできない。
 短い人生を、最高に価値あらしめるためには何をすべきか。それを知っているのは私どもだけである。この人生で、自身の仏界を固めきって、永遠の幸福境涯を築くのである。そのための「信心」であり、「仏道修行」なのである。
10  死の審判の前には、地位も富も無力
 大聖人は限りなく優しく、一面、実に厳しい。こう仰せである。
 「我弟子等の中にも信心薄淡うすき者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず
 ――わが弟子等であっても、信心の薄い者は、臨終の時、阿鼻地獄に堕ちる相を現して苦しむであろう。(あらかじめ警告しておくから)その時、私(大聖人)を恨んではならない――。
 「信心薄淡き者」とは、格好だけ、名前だけ信心しているようで、実際には広布への行動がない人間と拝せよう。たとえ御本尊を持っていても、信心が弱かったり、信心利用であったり、戦うべき時に戦わない人間は、「臨終の時」になって苦しむ、と。
 また、こうも仰せである。
 「日蓮をたすけんと志す人人・少少ありといへども或は心ざしうすし・或は心ざしは・あつけれども身がうご合期せず
 ――日蓮を助けようと志す人は少々いるけれども、あるいはこころざしがうすい。あるいは志が厚くても、身がそれに伴わない――。
 決意が弱い人間。気持ちだけで行動がない人間。こうした人々もまた、人生の最終章で苦しむことになってしまう。それを哀れむがゆえに、真剣に信心に励みなさい、と大聖人は大慈大悲で教えてくださっているのである。
11  「死」という厳しき審判は、すべての人に下される。いわば″最後の審判″である。ミケランジェロが描いた「最後の審判」も厳粛な作品であった。ただし仏法の審判は、他のだれが裁くのでもない。自分自身が自分自身の生命の因果によって裁かれるのである。
 浮世は、夢のようなものといえる。最も重要にして永遠性の問題は、厳粛なる「死」をどう迎えるかである。「社会的地位があるから」とか、「幹部だから」とか、そんな形式は、「死」の前には、まったく無力である。
 ただ信心で決まる。生命で決まる。
 学会の幹部となりながら、退転し、反逆していった人間たちもいる。彼らは、不正、エゴ、学会利用、金銭問題、また、自分が偉くなれずに逆恨みしたり、皆から嫌われたり――こうした理由から、清らかな信心の世界にいられなくなり、自分から出ていったのである。その末路は御書に照らし、まことに厳しい。
 無名であっても、愚直なまでに、一筋に、きまじめに、広宣流布に戦い切った人が、本当に人生の最終章を幸福に楽しみ、荘厳に、次の人生へと出発していけるのである。
12  超一流の写真家として大変に著名な白川義員氏の言葉を紹介したい。氏は先日、こう語っておられたという。
 「一度、恐怖におびえた人間は使えない。ひるんだ人間は使えないんです」と。
 臆病はいけない。日蓮大聖人も「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と、何度も門下を戒めておられる。
 また氏は「泣きながらでもついてきた弟子は、みんな立派になっていますね」とも。
 これは写真の世界の話であるが、仏法においても、まったく同じである。やはり、一流の人物の言葉には、深き普遍性がある。
13  柔術の達人と呼ばれた紀州(和歌山)の武士は、後継ぎの家族から「秘伝を教えてほしい」と請われて、こう答えた。
 「特別の秘伝などない。ヘソを食い抜いてでも勝て。それが秘伝だ」(「関口柔心」、森銑三『近世人物夜話』講談社学術文庫を参照)
 私が何度もお会いした松下幸之助氏も、成功の秘訣をこう語っておられた。
 「世間の人は、商売は時には損したり、時には得したりと思っています。それは真剣勝負とは言えまへん。首をはねたり、はねられたりしているうちに勝つということはありまへん。いつも勝つ。いつも得する。それが、ほんまの商売人です」
 どちらも、その分野での″達人″の言葉である。要は「真剣勝負」しかないというのである。
14  難と戦う無名の門下にこそ、聖人、賢人と
 日蓮大聖人は、仰せである。
 「世末になり候へば聖人・賢人も皆かくれ・ただ・ざんじむ讒人ねいじん佞人わざん和讒きよくり曲理の者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば」――濁世の末法には、聖人とか賢人と呼ばれる精神的な指導者は姿を消してしまう。一方、人を陥れて保身をはかる心卑しき者たちが充満する――と。
 (「讒人ざんじん」は偽りを言って人を陥れる者。「佞人ねいじん」は、強い者に対して、こびへつらう者。「和讒わざん」は、表面は和やかに見せて、陰で人を陥れること。「曲理きょくり」は道理を曲げること)
 本当に、この御言葉の通りである。今の社会は、大聖人の御指摘の通りになっている。
 さて、このような濁世にあって、大聖人はだれを「聖人」と呼ばれたか。このことを、きょうは皆さまに明快にお伝えしたい。すなわち大聖人は、妙法流布のために戦った在家の人々を「聖人」と敬い、「賢人」とたたえられたのである。
15  たとえば「日妙聖人」。鎌倉在住の無名の婦人信徒である。今の″婦人部″の方々である。日妙聖人は、大聖人を慕って、はるばる鎌倉から佐渡を訪ねている。しかも、幼子を連れての大変な旅であった。
 大聖人は「相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし・犬のごとし」――相州の鎌倉から北国の佐渡の国までその中間は一千余里におよんでいる。山海をはるかにへだて、山は峨々としてそびえ、海は滔々として波立ち、風雨は時節にしたがうことがない。山賊や海賊は充満している。途中の宿の民の心は虎や犬のようである――と、命がけの旅であったことを思いやられている。
 大法難の渦中である。多くの弟子檀那が難を恐れて信心を捨て、退転していった。そのなかで日妙聖人は、懸命に信心を貫いた。その志と行動を、大聖人は「日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云」と最大にたたえられ、「日妙聖人」の名を贈られたのである。
 志は、「まことの時」にこそ表れる。逆境の時の行動によって、その人の「真価」がわかる。そのことを大聖人は、きちっと見極めておられた。
 「聖人」等の名前を贈られたのも、その門下が順調な時ではない。逆境の時にこそ差し上げられている。本当に、すごい仏様であられる。
 反対に、大事な時に信心を捨ててしまう愚かな人間のことを、「開目抄」には「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」――拙い者の常として、約束したことを、まことの時には忘れてしまうものだ――と仰せである。退転者、反逆者の姿である。
 また大聖人は、下総しもうさ(現在の千葉県・茨城県の一部)の信徒、大田乗明を「乗明聖人」とたたえられた。
 別の折には「身命よりも此の経を大事と思食す事・不思議が中の不思議なり」――あなた(大田乗明)が、ご自分の生命よりも法華経を大事と思われていることは、不思議の中の不思議です――と称賛されている。
 そういう不惜の信心の人であった。
 さらに大聖人は、佐渡の阿仏房を「阿仏上人」と呼ばれた。
 阿仏房は、佐渡で大聖人を支えた門下である。また高齢にもかかわらず、佐渡から身延を何度も訪れている。その求道の姿は、今の「多宝会」の方々と重なる。
 また、光日房(光日尼)という婦人門下には「光日上人」と。このほか「浄蓮上人」(浄蓮房)。駿河国興津の信徒である。また「妙密上人」、鎌倉在住の信徒である。
 そして南条時光には「 上野賢」と。
 これらは、いずれも、社会的には無名の在家の信徒である。難と戦った人々である。こういう人々にこそ大聖人は「聖人」「上人」「賢人」の名を贈られた。
 無名の在家の信徒――皆さま方である。我々のことである。
 御本仏が一信徒を、これほどまでに尊び称賛されている。なんと素晴らしいことか。これが日蓮仏法である。ここに本当の釈尊の精神もある。
 広宣流布に生き抜く私どもの戦いを、大聖人は必ず御照覧くださっている。三世十方の仏菩薩が絶対に守ってくださっている。心から、ともに「万歳」を叫ぼうではありませんか!(賛同の大拍手)
16  人間の尊貴は「心で決まる」「行動で決まる」
 大聖人が、出家の門下を「聖人」「上人」という称号で呼ばれたことは、御書には記されていない。
 ただし、日源という僧については「聖人なり」とたたえられている。自分が矢面に立ち、同志を守るために不惜身命で戦った僧である。
 また、後世の記録には、熱原の法難で戦った日秀、日弁の二人の僧に「上人」の称号が与えられたとある。(富要五巻)
 いずれにしても大聖人は、僧だからではなく、正法のため、民衆のために戦った人だから、たたえられたのである。高僧だから聖人なのではない。有名人だから賢人なのではない。人間が高貴であるかいなかは「心」で決まる。「行動」で決まる。
 ″この高貴なる人を見よ!″″この人を、たたえるのだ!″――これが大聖人の仏法の魂である。
 広宣流布に戦う皆さま方こそが、最高に尊く、最高に偉い方々なのである。
17  万年に輝く「生命の宮殿」を建設
 こんな話がある。一生懸命にレンガを運んでいる人たちがいた。
 ある人が声をかける。「何をしているのですか」
 一人が答える。「ただ、レンガを向こうへ運んでるだけだよ」
 別の一人は言う。「レンガで壁を造るんだよ」
 そして三番目の人は、こう答えた。
 「おれは宮殿を造っているんだ。そのために今、一つ一つレンガを運んでいるんだよ」
 質問した人は思った。
 ″レンガを運ぶ″姿は同じでも、心の中は、こんなにも違う。三番目の人だけが、「宮殿を造るんだ」と誇りをもっている。彼にとって、働くことは「自分の宮殿を造る」のと同じだな、と。
 私どもの日々の行動は、地味かもしれない。しかし、その一つ一つが、万年の「民衆の宮殿」を築いている。そして自身の「生命の宮殿」を建設し、立派に荘厳しているのである。
 いつも、本当に、ご苦労さま。くる日もくる日もの皆さまのご苦労を、私は最大にねぎらい、たたえたい気持ちでいっぱいである。
 今こそ、力を合わせて、万年の「勝利の道」を、万年の「栄光の城」を、万年の偉大なる「世界の塔」を、そして、万年にわたる「永遠の人間王者の歴史」をつくるために戦いましょう!

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