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日蓮大聖人・池田大作

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第1回本部幹部会、全国青年部幹部会 青年よ一人立て! そこに「師弟の大道」が

1996.7.19 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  文化の闘士カルザスの勇気ある戦い
 海外から来られた皆さま、ようこそ!また、素晴らしい演奏と合唱、ありがとう!
 さきほど「月光」の演奏に使われたピアノは、スペインの大音楽家、パブロ・カザルス(一八七六〜一九七三年)が所有し、使っていたとされる、大変に由緒あるピアノである。本日、初めて演奏していただいた。
 カザルスは、牧口先生と、ほぼ同世代。(牧口先生は一八七一年生まれ)
 お二人はともに、偉大なる平和と人道の闘士であった。
 その意味において、カザルスゆかりのピアノが、牧口先生を顕彰する殿堂(東京牧口記念会館)で奏でられたことは、大変に意義が大きいと私は思う。
2  カザルスは、人種や思想のゆえに迫害されている人を見ると、絶対に黙っていなかった。そうした人々を厳然と守る「勇気の人」であり、「正義の人」であった。
 ″人権への野蛮な圧政を許してはならない。民衆が権力を監視し、正していかねばならない″――カザルスは、これしかないと主張した。それこそが「文明の勝利」であると考えた。
 ゆえに、祖国スペインのフランコ政権によるファシズム独裁や、ナチス・ドイツに敢然と抵抗し、チェロと指揮棒を手に世界中を駆けめぐった。(カザルスは、こうした演奏旅行で得た収入の大部分を、反ファシズム勢力の援助にあてた)
 祖国であろうと、否、祖国であるゆえに、「こんな国に、いることはできない! 私は文化の闘士として世界を回る。チェロと指揮棒さえあればよいのだ!」。
 おそらく彼は、このような気概であったにちがいない。
 彼は、正義を攻撃する悪とは、絶対に妥協(だきょう)しなかった。徹底して戦った。
 このように教育し、彼の生命に刻みつけたのは、彼のお母さんであった。
 母親の信念が大事である。信心の世界においても、母親の信心が立派な家庭は、子どもも立派に育っている。
 彼は語っている。
 「人間性の尊厳に対する侮辱は、私への侮辱だ。不正に抗議することは良心の問題なのだ」(井上頼豊『カザルスの心――平和をチェロにのせて』岩波ブックレット)
 外からの圧迫が、あればあるほど、内なる生命力を奮い立たせて立ち向かっていく。これが青年である。
3  ″文化の力″″魂の響き″が最後に勝つ
 ちょうど六十年前の一九三六年七月十九日、カザルスは、祖国スペインで行われる「世界平和のための祭典」(ナチスによるベルリン・オリンピックに反対して開かれた「人民オリンピック」)で指揮をすることになった。
 曲は、ベートーヴェンの「第九」(第九交響曲)である。ところが、その前日のリハーサルの真っ最中、突然の知らせが入る。(会場はバルセロナのカタロニア音楽堂。ちょうど第三楽章が終わり、まさに合唱が始まるところだった。以下、前掲書、コレドール『カザルスとの対話』佐藤良雄訳、白水社刊を参照)
 「反乱軍(ファシストの軍隊)がこの地を攻撃しようとしている。明日の公演はできないだろう。一刻も早く、全員ここから避難してほしい」――。
 驚きの知らせ。だが、カザルスは、厳然と皆に呼びかけた。
 「今、別れたら、われわれは、いつまた会えるかわからない。別れる前に、最後まで演奏しようではないか」
 すると全員が、次々に賛同の声をあげ始めた。「そうだ!」「賛成!」「賛成!」と。
 そして再び、演奏を始め、あの「歓喜の歌」を力強く歌い上げていった。それは、暴力に屈しない文化の力の象徴であった。
 「われわれの″魂の響き″が、最後に勝つのだ!」との叫びであった。
 心打つ、名画のごとき場面である。このような心意気に、本当の創価学会の息吹もある。
4  ともあれ、ひとつ間違えば、パニックになりかねない緊急事態であった。しかし、指揮者カザルスの「勇気の一言」が皆の心にも勇気を吹きこみ、皆の心を一つにしたのである。
 指導者の「勇気の一言」がどれほど大事か。「智慧の力」がどれほど必要か。右手に「勇気」、左手に「智慧」。それでこそ本物の指導者である。そうでなければ、形だけの指導者である。
 「声仏事を為す」と、御書には仰せである。勇気の「声」が、大勢の同志を守る。広宣流布を進める。この事実を深くかみしめていただきたい。
5  カザルスは、生涯、民衆とともに、民衆の中で生き抜くことをモットーとしていた。
 彼は言う。
 「私は庶民の中で育ち、庶民といつも一体だった」(前掲『カザルスの心』)
 「私は決して自分の貧しい生まれを忘れない。そしていつまでも、故郷の同胞たちのそばに立ちつづけるつもりだ」(同前)
 私も、彼と同じ気持ちである。まじめな会員のために、そのためにだけ私は生きている。思えば、牧口先生も、貧しい寒村出身の一庶民であることを誇りとしておられた。
 地位ではない。肩書でもない。妙法をたもち、広宣流布に生きている人が、最も尊いのである。庶民が、一切の「原点」なのである。
 わが創価学会は、いやまして威風堂々と、民衆とともに、庶民とともに、「大勝利の曲」を奏でつつ、第二回、第三回と、本部幹部会を続けてまいりたい。
 第一回の本部幹部会、おめでとう! 新しい歴史が開幕しました!
6  きょうは、イタリアからも代表が参加されている。そこで、イタリア・ルネサンスの大哲学者フィチーノ(一四三三年〜九九年)の話をしたい。
 今、各地で「ミケランジェロ展」が開催されている。若き日のミケランジェロも、この哲学者に学んだという。(「ミケランジェロ展」は一九九六年、新宿、京都に続いて、八王子市の東京富士美術館で開催)
 フィチーノは、学問に本格的に取り組み始めた青年を、こう励ました。
 「急ぐ必要はありません。しかし、止まってはいけない。ランナーが報われるのは、スタートの地点ではなく、ゴールにおいてなのです。だれでも――たとえ怠け者でも――レースを『始める』ことはできます。しかし、『完走する』人は非常に少ない」
 その通りである。人生もそう。仏道修行もそうである。完走してこそ成仏はあり、幸福はある。
 また「スタートした最初は、まだ種の時期で、イバラや石が、あなたの脅威となります。だが、なかばまで来ると、最も魅力的な花々が、あなたに微笑みかけます。そして最後には、最高に甘い果実が収穫できるのです」と。
 万般に通ずる道理である。努力なくして、花もなく果実もない。
 この毎月毎月の本部幹部会を確かなる前進のリズムとして、ともどもに励まし合いながら、人生の勝利へ、栄光のゴールへと「完走」していっていただきたい。
 これが、私のお願いである。
7  キューバのホセ・マルティは十六歳で独立闘争に
 今回の旅で初訪問したキューバで、私は「共和国の父」として最高に尊敬されているホセ・マルティ(一八五三年〜九五年)の記念館を見学した(六月二十五日)。
 マルティについては、ハバナ大学の講演(「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」)でも論じた。また今後、キューバのマルティ研究の第一人者、歴史家のヴィティエール博士とも対談を進めることになっている。(月刊誌「潮」で「『キューバの使徒ホセ・マルティ』を語る」を連載。二〇〇〇年四月号で終了)
 マルティは、十六歳で独立闘争に立ち上がる。以後、投獄、流刑、追放、亡命の連続。実に生涯の半分以上、亡命生活を余儀なくされる。
 四十二歳の若さで、戦場で銃弾に倒れるまで、まさに波乱万丈の人生を送ったのである。
8  今は甘やかされた環境である。それでは人は堕落してしまう。苦しまなければ、「人間」はできない。また、人間をつくるのは師弟である。組織上の機構ではない。他の偉大な世界の学者、先駆者、指導者も、やはり「師弟」しかないと気づきはじめている。
 一八七一年、彼は監獄で半年間、重労働を課せられた。そのあと、スペインに追放された。十七歳であった。十代からの大闘争である。
 私も十九歳から戸田先生のもとで、それはそれは戦った。戦い切った。
 マルティは、スペインに出発する直前、自分を教え育ててくれた恩師である詩人にあてて、こうつづっている。
 「私には多くの苦しみがありました。しかし、それらの苦しみを毅然と耐え抜いたという確信があります。これだけの力を発揮できたのは、そして真の丈夫になるだけの力があると実感できるのは、すべて先生のおかげです」(``PAGINAS ESCOGIDAS'', Joese Matti, editions politicas, 1968)
 師匠を胸に抱く人は強い。智慧もわく。師匠の恩を忘れない人は永遠に美しい。
 裏切りは醜い。そういう人間は、永遠に苦悩の境涯となる。
 私は戸田先生、牧口先生を全世界に宣揚した。その報恩のために、今も走り抜いている。これが「師弟の道」である。これが若き日に定めた私の人生である。この心にこそ、真の創価学会がある。
9  自分が学べ、自分が戦え、自分を磨け
 マルティの青年時代――それは常に圧迫との戦いであった。
 二十六歳の時には、逮捕され、再びキューバを追放される。そのなかで彼は、「ペンの力」を振るって論文や詩や戯曲など、あらゆるものを書いた。「声の力」をいだして演説に、討論に、正義を語り抜いた。「組織の力」を重んじ、革命組織のリーダーとして活躍した。
 また彼は「学ぶ」ことを決して忘れなかった。
 座談会はじめ会合を担当する幹部も、自分が学ばなければならない。自分が研鑚もせず、皆に満足と納得とみずみずしい息吹を与えられるはずがない。
 マルティは哲学や文学の学位を取得する一方、大学などで教鞭を執り、「教育」に力を入れた。
 私の焦点も「教育」である。同じ方程式である。
 さらに、フランスの文豪ユゴーと出会うなど、交友を広げている。
 彼は、自分で学び、自分で考え、自分で動き、自分で組織をつくり、自分の力で戦いを進めていった。組織の上に乗っかっていたのではない。だれに頼ることもなく、自分で自分を鍛え、揺るがぬ自分自身を築いていったのである。
 これこそ戸田先生の教えである。
 戸田先生は、組織の上にあぐらをかくような惰性や甘えが青年にあれば、烈火のごとく叱られた。役職も「自分で、その位置をつくりあげなければならない」と厳命されていた。
 役職にふさわしい働きがなければ、形式主義である。組織主義である。それでは、どんなに役職が上がったとしても何の意味もない。かえって、後輩の邪魔になってしまう。
10  マルティは、二十七歳の時、闘争の真っただ中で、次の言葉を残している。
 「私は『栄誉』はいらない。それよりも私の仕事を成就させるための『力』がほしい。木を植えた人間が、その枝を使った屋根の下に住めないことは、初めから承知しています」(Joese Matti, ''Epistolario'', Editorial de Ciencias Sociales, 1993)
 私は「木を植える」人間だ。それでいいんだ。その木を使った家に住もうとは、初めから思っていないんだ――と。ゆえに、ただ「力」がほしいのだ、と。
 よく「私は力がありません」と言う人がいる。甘えた言葉である。力がなければ出せばよい。私どもには題目がある。題目をあげれば、御本尊からいくらでも力はいただけるはずである。
 マルティの「必死の覚悟」「真剣な一念」――青年ならば、こうした潔い心をもつべきである。
 これが″大乗の人生″である。これこそ学会精神であり、戸田先生のただ一人の真の弟子である私の心である。
11  戸田先生は言われた。
 「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」と。
 戸田門下生のなかで、私がその「一人の青年」になった。だからこそ、世界的な創価学会をつくり上げた。だからこそ、すべてに勝ち、戸田先生の言葉を満天下に堂々と証明したのである。
 「一人」でいい。「だれか」ではなく「自分」が厳然と立てばよいのである。
 ゆえにきょう、私は申し上げたい。「青年よ、全員が一人立て!」と。
12  エマーソン――「自由の人」とは不動の「深淵の人」
 ホセ・マルティが青年時代、「人間と時代の抑圧から最も解き放たれている人」として敬愛してやまなかった人物がいる。それは、だれか。
 それは私も大好きで、よく読んだアメリカの思想家エマソンであった。
 宗教や学問の権威と戦い続けたエマソンの生涯は、波乱万丈、批判と圧迫の連続であった。
 しかしエマソンは、それらをはるかに見おろし、「信念の言論」をとどめ残した。それらは今も燦然と輝き続けている。何も束縛がないのが「自由」ではない。何があっても揺るがない信念をもつ。そこに「自由」はある――これこそマルティ青年がエマソンに見いだした″解き放たれた精神″であったと言われる。
 エマソンは語っている。
 「優位の座ぶとんに納まっている者はいねむりをするものだ。圧され、苦しめられ、打ち負かされて、何かを学ぶ機会が恵まれるというものである」また「私どもが屈服しさえしなければ害悪はみな恩人である」(「つぐない」『エマーソン選集・2 精神について』入江勇起男訳、日本教文社)と。
 青年は安逸に流されてはならない。甘えた環境では成長はない。大いに苦労を求め、勇んで労苦を財産として、一流の人格と力を磨かねばならない。自分を「磨こう」「もっと磨こう」――その一念で青年部は、いよいよ本格的な自己鍛錬を開始していただきたい。
13  「一人」が立てば不滅の「城」と
 ここ「牧口記念庭園」(東京牧口記念会館に隣接)には、五百本もの梅が植えられている。庭園がある一帯は昔から「梅坪」と呼ばれ、その風情は地域の方々にも大変に喜ばれている。
 広い庭園を整備してくださっている「守る会」の皆さまに、この席をお借りして、改めて深く深く感謝申し上げたい。
14  古来、この「梅坪」の名家の一つが、谷津家であった。谷津家は、もともと、滝山城を築城(一五二一年)した大石家の家臣として栄えたようである。
 滝山城の城主となった北条氏照は、のちに、居城を滝山城から八王子城に移した。その時、家臣は、滝山城下に留まる者と、八王子城についていく者に分かれたが、谷津家は、この地に留まった。そして、江戸時代には、谷津家が「梅坪」の名主となっている。
 その谷津家の総本家の十七代目当主である谷津英一さんは、学会員である。現在、地元の滝山支部梅坪地区の地区幹事をされている。同じく地区幹事の奥さまとともに頑張っておられ、二人のお嬢さんは、東京創価小学校に通っておられることを紹介しておきたい。
 滝山城下、また梅坪にあって、三百五十年もの間、この地を守り抜いてこられた谷津家への敬意をこめ、私は先日、ご夫妻に和歌を贈らせていただいた。
  不滅なる
   十七代の
     城主かな
  滝山城は
     新たに光りぬ
15  日蓮大聖人は「目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う」――妙法の功徳は、上七代、上無量生の先祖から、下七代、下無量生の子孫に及ぶ――と仰せである。
 「一人」が厳然と立てば、「一族の城」は輝きわたっていく。そうできる、お一人お一人であっていただきたい。
16  母の恩を報ずるために広宣流布
 七月十九日、女子部結成四十五周年、おめでとう!
 この晴れやかな創価の女性のスクラムを、大聖人も微笑み、喝采しておられることと思う。
 弘安元年(一二七八年)七月、大聖人は、女性門下の千日尼(せんにちあま)に、こう仰せである。
 「父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたり・いづれも・わけがたし、其の中にも悲母の大恩ことに・ほうじがたし、此れを報ぜんと・をもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんと・をもへば現在を・やしないて後世をたすけがたし、身をやしない魂をたすけず
 ――父母の恩のなかでも、慈父の恩を天に譬え、悲母の恩を大地に譬えております。どちらも区別できない大恩です。そのなかでも、悲母の大恩は、ことに報じがたいものです。この恩を報じようと思うのに、外典の三墳、五典、孝経などの教え(仏典以外の教え)によって報じようと思えば、現世を養うだけで、死後を救うことはできません。身を養っても、魂を救うことはできません――。
 「但法華経計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば・悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す
 ――ただ法華経ばかりが女人成仏の経であり、悲母の恩を報じる真実の「報恩の経」であると見きわめました。そこで、悲母の恩を報じるために、この経の題目を一切の女人に唱えさせようと誓願したのです――。
 すべての母、すべての女性に妙法を教えたい。この大聖人の御心は、あまりにも深く、あまりにも温かい。その大聖人の誓願に、まっすぐに連なっているのが、女子部、そして婦人部の皆さま方である。その日々の活動を大聖人が御守りになり、御ほめにならないわけがない。
 大聖人は、厳然と、三世永遠にわたって、皆さま方を、母を慈しまれるように大切にされ、守ってくださることは、まちがいないと私は断言しておきたい。
17  「人間にとって幸福の条件とは何か」。
 著名なジョン・デューイ研究センターのヒックマン所長に、ある人がたずねた。
 デューイ博士は、牧口先生がとくに深く研究した哲学者である。先日、アメリカでもデューイ博士について語らせていただいた。
 (六月十三日、コロンビア大学での講演「『地球市民』教育への一考察」。デューイゆかりのニューヨーク文化会館で行われたSGI(創価学会インタナショナル)の集いには、ヒックマン所長からメッセージが送られた)
 ヒックマン所長は、「幸福の条件」について、次のように答えられた。
 「デューイの哲学の特質を、ひとことで表すとすれば、それは″成長″であります。その哲学に従えば、″幸福な人″とは″成長している人″です。また″不幸な人″とは、いかなる原因が背景にあれ、″成長が止まった人″です」
 「精進」か「退転」か。「前進」か「後退」か。それが、人の幸・不幸を決めるのだと。
 また、こうも語っておられる。
 「成長には必ず抵抗が伴うものです。成長には必ず対抗勢力が現れるものです。反対に、何の疑われることもなく、何の迫害もなければ、成長の理由そのものが存在しなくなってしまいます」
 迫害があるから成長できる――確かに、正しい論理であると思う。
 何もないことが「幸福」なのではない。あらゆる抵抗を乗り越えて、成長し続けることこそ、「幸福」なのである。
18  カーネギー――今なすべきことを完璧になせ
 このほど、ニューヨークの「カーネギー・ホール」で、世界青年平和文化祭が行われた(六月十八日)。見事な文化祭であった。
 「鉄鋼王」のアンドリュー・カーネギー(一八三五年〜一九一九年)が、大改築の費用を出したので「カーネギー・ホール」と呼ばれる。
 カーネギーは当時、「世界一の富豪」と呼ばれた。その彼が「成功の秘訣」として語ったことがある。それは何か。
 彼は言った。「貧乏人の子どもに生まれること」であると。
 ″それなら、私も″という人がいっぱいいる。
 貧しいからこそ発奮する。貧しいからこそ努力する。ゆえに進歩する。勝利する。これが、彼の哲学であった。
 自分の苦労で偉くなったのでなければ、「借りものの羽根を頭に飾って、威張って活歩しているにせ物なのだ」(『鉄鋼王カーネギー自伝』坂西志保訳、角川書店刊)
 そんな、にせものに、だまされるな、と。
 また彼は、青年に、こう説いた。
 「諸君の精力と思考とを、自分の使命に集中させよ! なすべきことを、とことんまでやりぬけ。あらゆる改善をし、あらゆることに精通し、なすべき仕事を完ぺきにマスターせよ!」
 彼は若いころ電報の配達人をしていた。その時も毎朝、だれよりも早く出勤し、町名を全部、暗記した。町の人の名前を必死に覚えた。そういう一歩一歩から、たたき上げた人物だったのである。一歩一歩を完ぺきに勝利して、その上に、彼の成功があった。
19  徹すれば道は開ける
 カーネギーは徹した。
 どんな分野でも、中途半端はいけない。徹するのだ。そこからすべてが開けるのだ――と。
 画家のレーノルズの言葉にも、こうある。(以下、サミュエル・スマイルズ『自助論』竹内均訳、三笠書房から)
 「他に秀でようと思ったら、気が向こうと向くまいと、朝も昼も夜も一心不乱に政策に打ちこむべきだ。それはもはや楽しみの域を超え、苦行よ呼ぶにふさわしい」
 また、詩人グレイは言った。「何かに打ちこむことこそ、人生の幸福である」
 ある有名な宗教家は「人間は、錆びて腐るよりは、すり切れたほうがいい」と。
 何もせず錆びていくより、行動し、あたえぬき、貢献しぬいて生きていけというのである。
 またフランスのある哲学者は、「休息しよう」と言われて答えた。「休息なんて、あの世に行けば、永遠に休息できるではないか」
 「なぜ生きているうちに安息を求めるのか」と。有名な言葉である。
20  青年は、自分をいじめるかのように苦に徹した時、本当の自分の″輝き″が出る。
 環境ではない。全部、自分である。自分が一から創るしかない。
 何かをつくれ! 何かを始めよ! 何かで結果を出せ! それでこそ「人間」であり、「青年」である。それでこそ「未来」に生きる素晴らしき人生である。
 こう申し上げ、本日のスピーチとさせていただく。
 遠いところ、また長時間、本当にご苦労さま! ありがとう!

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