Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ニューヨーク文化会館の集い(1) 右手に勇気のたいまつ 左手に正義の哲学

1996.6.15 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  「生老病死」を乗り越え、生き抜き、楽しむ
 ニューヨークは、本当に立派になりました。素晴らしいニューヨークになりました。皆さまは勝ちました! おめでとう! そして、ご苦労さま!。記念に和歌を贈らせていただきたい。
  堂々と
   ついに勝ちたり
     ニューヨーク
   不滅と不敗の
     記録を築けり
  信深く
   友情深く
     ニューヨーク
   世界の友は
     讃え見つめむ
  大聖人
   断固 護らむ
     ニューヨーク
   希望と勇気で
     日々を楽しめ
 信仰は何のためにするのか。それは、「だれよりも素晴らしい人生」を生きるためである。だれも避けられない「生老病死」の苦悩を、悠々と乗り越えるためである。
2  「生」――人生、生きねばならない。何があろうと、生き抜かなければならない。あらゆる悩みを乗り越え、あらゆる苦難を乗り越え、どのように力強く、毎日毎日を生きていくか。そのための偉大なる生命力を与えてくれるのが妙法の信仰である。
 何のために生まれたのか、わからない無価値な人生ではつまらない。目的観もなく、ただ「何となく」生き、食べ、むなしく死んでいくのでは、低次元の動物的人生ではないだろうか。
 そうではなく、人のため、社会のため、自分のために、何かを為す。何かを創る。何か貢献する。そのために、生ある限り、一生涯、挑戦し抜いていく。それでこそ「充実の人生」である。「価値の人生」である。人間らしい「高次元の生き方」である。そして、妙法の信仰は、そのなかでも最高の価値を、人のため、自分のために創造できる原動力なのである。
3  「老」――人生、あっという間に過ぎてしまう。またたく間に、老人となり、体力も衰える。あちこち故障も出てくる。
 その時に、わびしく、寂しい老人になるのではなく、秋の黄金の実りのような豊かな自分自身となるための信仰である。大いなる夕日は、天地を荘厳に染めて輝きわたる。その″輝きの光景″のような老年を、後悔なく、にっこりと迎えるための信仰なのである。
4  「病」――生身なまみの体である。だれしも、何らかの病気の苦しみがある。
 その病苦を、たくましく克服する力をわき出す妙法である。
 日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」――南無妙法蓮華経は獅子がえるようなものである。いかなる病気が障害になろうか(いな、どんな病気も必ず退散する)――と仰せである。
 また、病気になろうと、どんな境遇になろうとも、広宣流布に生きる人を必ず御本仏は守ってくださる。諸仏・諸菩薩・諸天が、こぞって、その人を守る。
 大聖人は、こう約束してくださっている。
 「此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し
 ――この良薬(御本尊)を信受する女性等を、この四人の大菩薩(地涌の菩薩のリーダーである上行じょうぎょう無辺行むへんぎょう浄行じょうぎょう安立行あんりゅうぎょう菩薩)が、前と後ろ、右と左に立ち添って、この女性が立たれたならば、この四大菩薩も、お立ちになる。そのようにして、この女性が道を行く時には、この菩薩も道を行きます。たとえば、「影と身」「水と魚」「声と響き」「月と光」とのように決して離れないのです――。
 このように、必ず守ってくださる。しかも、それが生死を超えて永遠に続くのである。
5  「死」――これは厳しい。だれびとも、いつかは死に直面する。
 その時に、妙法の軌道を行く人は、法華経(譬喩品)に説かれる「大白牛車」という車に乗って、悠々と霊山に向かっていける。大宇宙の仏界と融合するのである。
 大白牛車は、長さも幅も高さも壮大な大きさであり、しかも、すべて金銀をはじめとする無数の宝石で飾られている。
 同じ「車」でも、ニューヨークを走る黄色いタクシーとは、だいぶ違う。しかも交通渋滞もない。
 大聖人は仰せである。
 「法性のそらに自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候
 ――仏界の空に自在に飛びゆく車を、大白牛車と言うのである。私より後に来られる人々は、この車に乗られて霊山浄土へ、おいでになることでしょう。その時は日蓮も同じ車に乗って、必ずお迎えに向かいましょう――。
 大聖人の御言葉だけは絶対である。真実である。信受すべきである。
 最高の宇宙ロケットも比べものにならない。この大白牛車に乗って、自由自在に、次の使命の舞台へと飛んでゆく。
 法華経に「しょうぜんと欲するところに自在」(開結三八八㌻)とあるように、自分が生まれたいと思う場所に、生まれたい姿で生ずるのである。地球とは限らない。知的生命の存在する星は、宇宙に数限りなくある。これは現代の天文学でも、多くの学者が推定していることである。
6  妙法の「軌道」を忍耐強く前へ
 今世で一生成仏すれば、その「仏」の境涯は永遠に続く。
 「生死」「生死」と、生々世々、生まれるたびに、健康で、裕福で、頭もよく、最高の環境に恵まれ、福運に満ち満ちた人生となる。また、自分でなければならない使命をもち、使命にふさわしい姿で生まれてくる。それが永遠に続く。もう二度と壊れない。
 この「永遠の幸福」のために、今世で仏界を固めなさい、仏道修行に励みなさい、と言っておられるのである。
 ゆえに、ともかく成仏への「軌道」を離れないことである。広宣流布、仏道修行の「軌道」を忍耐強く、前へ前へと進むことである。
 毎日の勤行も大変である。弘教も大変である。機関紙の拡大も大変である。会合も大変である。時には、いやになったり、休みたいこともある。私どもは凡夫であるゆえに、それも当然であろう。
 大事なことは、ともかく「軌道」を離れないことである。忍耐強く、励まし合いながら、「仏の道」を歩み続けることである。
 「軌道」を外れたら、車でも、飛行機でも事故を起こす。目的地にも着けない。人生は、不幸へと墜落していってしまう。目には見えないが、「生命の軌道」がある。「絶対的幸福への軌道」は厳然と存在する。それが妙法の軌道である。
 退転することなく、この道を歩み通せば、必ず最後には、物心ともに「所願満足」の人生となっていく。
 長い目で見なければならない。何ごとも、立派なものは、すぐにはできない。また簡単にはできない。修行もなく、簡単に功徳が出れば、皆、簡単に信仰をやめてしまう。結局、不幸になってしまう。
 いい学校には簡単に入学できない。だからこそ一生懸命、勉強する。その結果、実力がつく。それと同じである。修行があって成仏がある。
7  今回のニューヨーク訪問は十五年ぶりである。
 戸田先生は、「十五年」を信仰の実証の目標としておられた。よく言われたものである。
 「小さな芽が、十五年すると大樹になる。十五年間、その芽を見なかった人は、『あっ、すごいな!』と思う。これが冥益みょうやくである。
 反対に、かつての大樹が、十五年経つうちに、いつしか枯れてしまっている。これが冥罰みょうばちである」
 十五年前の六月、この地で、一緒に語り合った青年たちが、今、堂々たる大樹と育ち、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の中核として活躍しておられる。この姿それ自体が、偉大なる「人間革命」の証明である。
 戸田先生は「を植えても、育つまで、十日や二十日はかかる。信心して、本当に良くなるのは、十五年からである。だから、腰をすえて信心に励みなさい」と言われていた。
 ニューヨークの愛称は、「ビッグ・アップル」。そのリンゴの樹も、根を張り、枝を伸ばし、実をつけるには、それ相当の年月がかかる。これが道理である。
 ゆえに、焦ってはならない。最後に勝てば、いいのである。その人が本当の勝利者である。
8  「自由の女神」の「たいまつ」は世界を照らす
 ニューヨークと言えば「自由の女神」。その「たいまつ」の光は、アメリカはもちろん、世界の「自由」の未来を照らしている。
 (像の正式の名前は「世界を照らす自由」。アメリカ独立百周年の折、フランスから友情をこめて贈られた)
 この女神像の作者は、だれか。それはフランスの彫刻家・バルトルディ(一八三四年〜一九〇四年)である。
 ちなみにバルトルディのサインが入った「自由の女神」像のデッサンは、今、創価大学の重宝の一つとなっている。
 じつは、「自由の女神」の顔は、作者バルトルディのお母さんがモデルであると言われている。苦労して自分を育ててくれた母――彼は、感謝の思いを、かたちにしたかったのかもしれない。
 また、子どもにとって、母の顔は一番美しく、尊いものなのかもしれない。
 女神は、右手に高らかに「自由のたいまつ」を掲げ、左手に「独立宣言書」を抱えている。
 このポーズは、バルトルディが若き日に見た一人の乙女の姿が、もとになっているという。
 野心の権力者ルイ・ナポレオン(ナポレオンの甥)に抗議して、民衆が立ち上がった(一八五一年)。権力側のバリケードを前にして、人々が立ちすくんだ時である。突然、夜の闇を破って、たいまつを掲げた乙女が出現した。
 「前進!」。叫びつつ、彼女はバリケードを飛び越えた。その瞬間、銃声が鳴り響き、乙女は倒れた。
 しかし、彼女のたいまつは、バリケードに燃え移った――。
 この無名にして、崇高なる乙女の姿が今、「自由の女神」としてそびえ立っているのである。
9  「太陽の仏法」が生老病死の闇を破る
 今の世界にも、希望がない。展望がない。哲学がない。日本をはじめ、前途に明るい光明がない。経済も、政治も、環境問題、人道問題も、すべてが行き詰まっている。その根本の「人間」自身が行き詰まっている。
 だからこそ、私ども地涌の菩薩が出現したのである。だからこそ日蓮大聖人の「太陽の仏法」が、どうしても必要なのである。
 私どもは今、右手に「勇気」のたいまつを高らかに掲げ、左手に「正義」の哲学を抱きしめて、立ち上がった。生老病死の闇を破り、社会と世界の闇を豁然かつぜんと破って、行動を始めたのである。
 世界の中心地である、ここニューヨークの皆さまこそ、その「勇気」と「正義」の模範であっていただきたい。
 ニュー「ニューヨーク」(新しきニューヨーク)の希望の未来を祝福し、本日の記念のスピーチとしたい。
 皆さま全員の「前進」と「健康」と「幸福」と「裕福」と「無事故」を、心よりお祈りします。
 きょう、お会いできなかった大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 ニューヨーク、おめでとう! ありがとう!

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