Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回アメリカSGI最高会議 信は光! 確信の人生は満月のごとし

1996.6.1 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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2  アメリカ創価大学のロサンゼルス校には、映画「風と共に去りぬ」の撮影に使われたと言われるユーカリ並木がある。この「詩情の道」を通るたびに、作品の最後の場面を思いだす。
 傷心の主人公・スカーレットは誓う。
 タラへ帰ろう。タラの地から、もう一度やり直そう。いったん心に決めれば、できないことはないはずだ。明日には、また明日の太陽が昇るのだから――と。
 南北戦争による混乱、愛児の死、夫との別れ等々、押し寄せる人生の波乱に独りきりになった彼女を立ち上がらせたのは、「故郷」であった。
 人生も、変化の連続であり、波乱の連続である。しかし何があろうとも、帰るべき「原点」をもち、「ふるさと」をもつ人は強い。
 皆さまも、常に、わが学会の「同志の世界」に立ち返り、語り合い、また出発していく――これを繰り返しながら進む人生であっていただきたい。その人こそ、根本的に正しき軌道を進める人である。
 今夜は満月である。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し
 ――法華経は闇夜の月のようなものである。法華経を信じても深く信じない人は、半月が闇夜を照らすようなものである。深く信ずる人は満月が闇夜を照らすようなものである――
 信は光である。信強き人は、心に光があふれる。人生が光に包まれる。
 「確信の人」は満月のごとく、太陽のごとき幸福の人生となる。
 アメリカ広布の最高リーダーの皆さまは、メンバーが一人ももれなく皓々こうこうたる満月のごとき幸福に輝いていくよう「真心」を尽くしていただきたい。丁寧に心に染み入るような励ましの対話をお願いしたい。そして親切に、一人一人を心を込めて大切にし、満月のように円満な、仲良き「連帯」の光を強めていただきたい。
 組織は「人間の集まり」である。人間と人間の交流が根本である。心と心のギアが、がっちり、かみ合っていることが根本である。「心こそ大切」なのである。
 命令や号令で組織が強くなるのではない。反対である。一人一人を大切にする「心」が人を動かすのである。友を大切にする「行動」こそ、発展の原動力である。
3  リーダーは常に学ぶことである。リーダーの成長が止まれば、苦しむのは後輩である。その意味で、「リーダーシップ」について、何点か、中国の古典から学びたい。
 まず孔子の言行録である『論語』に、こうある。
 「知者はまどわず。仁者じんしゃは憂えず。勇者はおそれず」
 これは「知恵のある者は、道理に通じているので、あれこれ迷うことがない。人への慈愛のある者は、欲がないので、くよくよ心配することがない。勇気のある者は、大胆なので、びくびくすることがない」という意味である。
 リーダーは人一倍、「知恵」と「慈愛」と「勇気」がなければならない。
 また人それぞれ個性があり、「知」に優れた人、「慈愛」深き人、「勇気」のある人などがあろう。そういう特長を最高に生かし、価値創造していけるのが、この妙法である。
4  また孔子と並ぶ儒教の哲学者・孟子は言っている。
 「民の楽しみを楽しむ者は 民もまた其の楽しみを楽しむ」
 「民衆の楽しみを、ともに楽しむ指導者であれば、民衆もその指導者の楽しみを、ともに楽しむものだ」という意味である。
 自分のことではなく、ただ民衆をどう喜ばせるか、どう幸福にするか――それを考え、祈り、それを楽しんでいく。これが「学会精神」である。またアメリカの「民主の精神」にも通ずる。
 上も下もない。皆、平等である。いな、役職が上になればなるほど、礼儀正しく、腰を低くして皆に仕えていかねばならない。これが仏法のリーダーである。
 「論語」には、こうもある。
 「文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかる後に君子なり」
 「文」とは「文化的な洗練」である。「質」とは人間本来の「質朴しつぼくさ」である。その両者が立派に調和しているのが名指導者だ、というのである。
 リーダーは、たゆみなく学び、「教養」を深めたい。とともに、虚飾なき、ありのままの「人間性」を豊かにたたえた人であっていただきたい。
5  ガンジーの言論戦――声は力、言葉は力
 満月にちなんで、月氏の国インドのお話をしたい。
 「インド独立の父」マハトマ・ガンジーは、インドを歩きに歩いた「行動の人」であった。温かく民衆に語りかける「声の人」であった。と同時に、たゆみなく書き続ける「ペンの人」であった。
 彼は生涯で一千万語を書いたという。合計六年近くも過ごした獄中でもペンを手放さなかった。
 では、ガンジーの言論戦の大きな″武器″となったものは何か? それは、彼自身が発刊した「新聞」であった。″新聞の唯一の目的は奉仕でなければならない″――これが彼の信念であった。
 彼は、新聞を通して「非暴力による抵抗」を訴え、民衆を鼓舞した。彼が獄中で書き始めた「自叙伝」も新聞に連載され、全国の幾千万の民衆が毎回の掲載を待ちわびたという。そして、新聞にちりばめられたガンジーの精神を民衆に語り広げていったのは、多くの無名の青年たちであった。
 わがアメリカSGIの青年部も凛々りりしく立ち上がった。
 インドの青年たちは新聞を手に、勇んで農村に出向き、ガンジーの非暴力の精神を語った。字が読めない人のために、皆で読み合わせをするという麗しい光景も見られ、全国の津々浦々つつうらうらで大衆の″耳″によって読まれていった。このように″無冠の勇者たち″の活躍によって、ガンジーの魂のメッセージがすみずみにまで浸透しんとうし、民衆は奮い立った。
 日蓮大聖人のメッセージを伝える――わがアメリカの同志は、尊き尊き″仏の使い″である。「ご苦労さま、ありがとう」と合掌(がっしょう)する思いで、最大に賛嘆申し上げたい。
 また、この席をお借りして、日本の「無冠の友」の皆さまに厚く御礼申し上げたい。
6  ガンジーの言論戦は民衆を強くし、賢くする運動であった。
 あるとき、旅先で、ガンジーが乗る車に、一人の農民が投げた紙が飛び込んできた。その紙には、いにしえのインドの著名な詩人の詩がつづられていた。
 ガンジーは感動して語った。″インドほど、農民が文明化されている国は世界中にない″″この一枚の紙が、その証拠である″と。これほどまでに、民衆が聡明になっている――これが、ガンジーにとっての何よりの喜びだったのである。
 自分が一番苦労し、一番働き、そして、人々が賢くなり、幸せになっていくのを喜ぶ――それが指導者である。
 賢くなったインドの民衆は次々に立ち上がった。だれもが運動の意義を正しく知っていたがゆえに、強かった。幾世紀もの間、家に閉じ込められてきた婦人たちも、男性と肩を並べて行進するようになり、長年の鎖を断ち切って自らを解放した。この目覚めた民衆の力が、独立への大きなうねりを起こしていったのである。
 ガンジーは述べている。
 「たゆまず、休みなき努力によってこそ、『信念』は『豊かで揺るぎなき体験』に変わるのです」
 信念といっても、行動しなければ、つまるところ観念にすぎない。たゆみなき行動によってこそ、信念は自分自身の血となり、肉となる。仏法の信念を肉化すれば、それが成仏である。
 たゆみなく、休みなき努力――まさに、アメリカSGIの最前線の友の姿である。さらに健康第一で、二〇〇〇年のアメリカ広布四十周年へ、民衆の「大言論運動の歴史」を、つづっていただきたい。
7  全世界に「平和の種」を
 過去・現在・未来にわたって、仏法に悲観はない。楽観あるのみである。ゆえに、何があろうとも、私どもは永遠に楽観主義で進んでまいりたい。
 第二次世界大戦中、ナチスと戦ったノルウェーの国民詩人エーヴェルランは、高らかに謳っている
  民族をくつがえすことはできても
  自由の精神を倒すことはできない
  思想を縛ることはできない!
  武器のない者のみ
  めどもつきぬ泉を有する
  精神のみ勝利を収めることができる
    (詩「灯火管制の都会」林穰二訳、『世界名詩集大成』15所収、平凡社)
 ″精神の力″″思想の力″は不屈の強さをもつ。この力をもって、平和の二十一世紀へ、愉快に、堂々と進んでまいりたい。
 末法万年のため、私は、アメリカに、全世界に、平和の種を植えつけるため走り抜きます。
 皆さまの、ますますの生命力、健康、無病息災を祈り、私のスピーチを終わりたい。

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