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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部各種グループ総会 仲良く人生の満開の花を

1996.5.16 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  小林古径画伯──逆境で精進、弟子の道に徹した人生を
 「紅梅会」「常盤ときわ会」「荒城の月グループ」の皆さま、総会おめでとう。
 えにし深き皆さまにお会いでき、私は本当にうれしい。本日のお祝いの意義を込め、小林古径こけい画伯の名画「紅白梅こうはくばい」にまつわる話を、少々紹介させていただきたい。
 日本画で「昭和」を代表する一人が、小林古径画伯と言われる。まさに時代を画する日本画の大家であられた。
 その小林画伯が描いた美しい「紅白梅」の絵を、かつて学会創立六十周年をお祝いして、画伯のお嬢さんが寄贈してくださった。現在、創価学会の重宝となっている。
 この方は、二月の本部幹部会にも参加され、私も皆さんに紹介させていただいた。壇上におられた上品なご婦人である。
 大田区の大森の出身で、聖心女子大学をご卒業。学会員として清らかな信心を貫いてこられた。八十歳になられた現在もなお、地区幹部としてお元気に活躍され、拠点も提供してくださっている。今年は入会されてちょうど四十年を迎えられるという。
 (昭和三十一年〈一九五六年〉、大阪に住んでおられた時に入会。若き池田名誉会長が指揮をとった弘教の息吹の中で仏法にめぐりあった)
2  横田地さんのお父さまである小林古径画伯とは、どういう方であったか。
 古径画伯は、牧口先生と同じ新潟のお生まれ(一八八三年生まれ)。牧口先生よりも十二歳若い。また誕生日は二月十一日、戸田先生と同じである。(戸田先生よりも十七歳年長)
 三歳で母を、九歳で兄を、そして十歳で父を亡くすという不幸に見舞われた。
 牧口先生も、六歳までに実のご両親と生き別れになったといわれるが、そうした少年時代の逆境も共通している。ともに、苦難をバネに精神を鍛えぬいた。
 また、謹厳で、無駄なことを言われなかったところや、一つの道に徹する強さ、人の心の機微を知る優しさなど、牧口先生と古径画伯は相通じる点が多いようである。
3  幼いころから画才を認められた古径青年に、やがて人生を決定づける出会いがおとずれた。
 師匠・梶田半古かじたはんことの師弟の結実である。そのとき、青年は十六歳。才能・人格ともに深く尊敬する師匠のもとで、懸命に精進を重ね、彼の画境は一気に花開いた。
 その真剣な姿勢から、彼は「半古塾」の塾頭となっていく。また、師匠の影響を受けて文学にも親しみ、常に書物を懐に入れて寸暇を惜しんで学んだという。
 しかし、画伯が二十四歳の年、師匠が持病の結核を患い、塾は解散されることになった。その後も、師の病状は悪化する一方で、その生活も次第に苦しくなっていった。
 古径画伯は、自分も苦しい生活でありながら、およそ十年にもわたって師匠の生活を支えた。最後の一年間は、自宅の近くに家を借りて、そこに師匠に住んでもらい、手厚くみとったのである。
 師匠の恩に、最大の真心で応えていった弟子──美しき師弟のドラマであった。
4  また、古径画伯は、美術界の大御所であった岡倉天心と親交をもつという幸運にも恵まれた。天心は、まだ売れない貧しい画家だった氏に教えた。「常に最高の次元を目指せ!」と。
 画伯は、このように良き師匠、良き先輩に恵まれただけでなく、良き友や良き後輩にも恵まれた。友人には、前田青邨せいそんや安田靫彦ゆきひこ、今村紫紅しこう速水御舟はやみぎょしゅうらがおり、良きライバルとして切磋琢磨していった。後輩には、弟子でもあった奥村土牛とぎゅう画伯がいる。どなたも、大正から昭和にかけて画壇をリードした錚々たる方々である。
 現在、日本美術院理事長を務めておられる平山郁夫画伯も、古径画伯の指導を受けた一人であられる。
 (平山画伯は池田名誉会長の『敦煌を語る』『仏教思想の源流』『中国の人間革命』(聖教文庫版)、井上靖氏との往復書簡集『四季の雁書』等の装画を担当してくださっている)
5  「仲良きことは美しき哉」
 こうした素晴らしき人間関係にも育まれながら、古径画伯は宝の名画を、次々と生み出していったのである。
 画伯の代表作には、いずれも有名な「異端」「竹取物語」「鶴と七面鳥」「清姫」「髪」「孔雀」「楊貴妃」などがある。また「八仙花」と題する作品は、東京富士美術館に所蔵されている。
 さて、横田地さんが贈ってくださった「紅白梅」の絵は、古径画伯自身、深い愛着をもっておられたという傑作である。
 描かれているのは、二本の梅の枝。片方の枝には、紅い花、もう片方の枝には白い花が、清らかに咲き薫っている。そして、それぞれの枝がお互いを支えあうように重なりあって、美しき調和の妙を示している。
 この絵には、心温まる父と娘の情愛が込められている。それは五十六年前のこと、嫁ごうとする愛娘の玲さんに、父親の古径画伯が描き贈ったものである。絵を手渡すとき、画伯は玲さんに、静かに一言、「白い梅は夫で、紅い梅は妻だよ」と言われたという。
 ″どんなことがあっても寄り添って支え合って、仲良く人生の満開の花を咲かせていきなさい″という心だったのではないでしょうか──と彼女は振り返っておられる。
 「仲よきことは美しき哉」。これは武者小路実篤の有名な言葉である。たしかに仲が良いということは、人間の世界でも、植物の世界でも、すべての世界にわたって、調和がとれ、美しいものである。
 梅は厳しい冬をじっと耐え、春に先駆けて凛と咲く。その馥郁ふくいくたる香りは、辺りをも浄めながら広がっていく。私どももまた、そうした人生でありたい。また、皆さま方ご一家が、そして壮年部と婦人部が、見事な調和の「紅梅・白梅」を咲き薫らせてゆくことを、私は祈りたい。
6  彼女は「学会員になって本当によかった」と喜んでおられた。
 同志がいることは幸福である。戸田先生は、「中年以上になった女性にとって幸せなことは、何でも話し合える友人がいるということだ」とも言われていた。
 彼女を折伏されたのは関西婦人部の方で、今も第一線で元気に活躍されている。
 日蓮大聖人は「すべからく心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」──ただ一心に南無妙法蓮華経と自分も唱え人にもすすめなさい。これのみが人界に生まれた今世の思い出となるのである──と仰せである。
 広宣流布のために行動したことこそが、最極の思い出となり、歴史となる。
 人生、あっという間に終わってしまう。仏法のために生きてこそ、最後に本当に「所願満足」の人生となる。そういう人生を飾らなければ、自分が損である。
7  広布に生きる女性を最高に称讃
 なお、古径画伯が娘の玲さんに贈られた名画「兎」も先般、東京富士美術館にご寄贈いただいた。
 古径画伯は、可憐な兎の姿に娘さんへの思いを重ね合わせて描かれたのであろうか。満月のような、大きな父の慈愛にいだかれた娘の幸福が、私にはひしひしと伝わってくる。
 兎といえば、こういう御書がある。
 「兎は経行の者を供養せしかば天帝哀みをなして月の中にをかせ給いぬ・今天を仰ぎ見るに月の中に兎あり。されば女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈はたなごころを合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手みてをのべて御頂おんいただきをなでさせ給うらん
 ──(昔)兎は「経行」をしている人(歩いて修行している人)のために(わが身を焼いて)供養したので、(その修行者に姿を変えていた)帝釈天はこれに心を動かされ、月の中に兎をおかれました。そのために、今、天を仰ぎみるとき、月の中に兎がいるのです。
 ですから女性の御身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、必ずや大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して(あなたを)礼拝され、地神(大地の神)は、御足を大切に、押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう──。
 この御文を、尊敬する学会婦人部の皆さまに捧げさせていただき、本日の記念のスピーチとしたい。

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