Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表者勤行会 「文明の衝突」よりも「文明の対話」を

1996.3.21 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  先月(二月)、SGI(創価学会インタナショナル)の一行がモスクワを訪問し、ゴルバチョフ氏と懇談した。氏は次のように語っておられたという。ありのままに、ご紹介したい。
 「池田会長はお元気でしょうか。私の親友である池田会長に、くれぐれもよろしくお伝えください」
 「桜は、どうですか。″私の桜″は大きくなりましたか。あの桜は私にとって生涯の宝です」「″私の桜″が日本で生長していると想像することは、私にとって、何よりの楽しみの一つです」(九三年四月、創価大学に記念植樹した)
 「池田会長との対談は大変に有意義なものでした。質問をし、答えをいただく、また私も質問に答える──生きた知性の交流でした。池田会長との会見、対談はいつもそうでした。特に、創価大学の古い日本の家屋(万葉の家)での語らいは、よく思い出します」
 「私は政治の場で、池田会長は宗教・哲学の場での発言です。でもライサ(夫人)は哲学部ですし、ツィプコ(ゴルバチョフ財団前事務局長)も、ともに作業をしてくれました。池田会長と共同作業ができたことは大変に重要なことでした。
 池田会長に感謝しております。東洋の哲学・仏教が秘めている宝を語ってくださった。大変に興味深い期間でした。
 ハンチントン教授(ハーバード大学)は『文明の衝突』ということを言っていますが、池田会長と私の対談は『文明の交流』だったのではないでしょうか」
 「(対談集は)何ページくらいになりますか」(六百ページくらいですとの答えに)「そんなになりますか。ずいぶんと語り合ったものですね」
 「池田会長が、このように全期間を通して、この対談に全力を尽くしてくださったことに御礼申し上げます」
 「池田会長に心から、温かい友情の気持ちをお伝えください。どうか、今度、私が日本に行く時は、池田会長に日本にいていただけるようにもお伝えください」
3  ゴルバチョフ氏については、先日対談した金庸きんよう氏(香港在住の文豪)も高く評価しておられた。
 今、世界に必要なのは「文明の交流」であり、「文明間の対話」である。そこから新しい何かが生まれる。そこから友情が生まれる。友情が生まれれば平和が生まれる。皆さまも、皆さまの立場で、友好を広げる対話をお願いしたい。
 「本当に裕福な人とは友人の多い人」という言葉もある。友人が広がることが、自分の人生が広がることなのである。
4  学会本部と関西学園、もとは永井信濃守の領地
 このたび、学会本部のある信濃町の歴史をまとめた『新・信濃原の郷土史』が聖教新聞社から発刊された。
 この本では、戸田先生が戦争中、信濃町に折伏の歩みを運ばれた尊い歴史も紹介されている。
 以前も紹介したが、信濃町の名前は、この地域に、江戸幕府の重臣・永井信濃守しなののかみの屋敷があったことに由来する。
5  ちょうど現在の学会本部のあたりは永井家の屋敷だったようである。
 永井信濃守は徳川家康、秀忠、家光、家綱と四代の将軍に仕え、徳川幕府の基礎を築いた一人である。代々の将軍の厚い信頼を得て、老中などの要職を務めた。飢饉に苦しむ関西の人々の救済に尽力するなど、幅広い活躍をしたと伝えられている。
 永井信濃守の領地は関西にもあった。関西創価中学校・高等学校がある大阪府交野かたの市、そして枚方ひらかた市の関西創価小学校がある場所も、ある時期、この永井信濃守の領地であったという。
 ちなみに、隣の寝屋川市には、かつて池田村と呼ばれた地域があるが、そこも永井信濃守の領地であった。
 学会本部といい、関西創価学園といい、まことに不思議なえにしで結ばれている。
 さらに縁深きことに、その永井信濃守の一族の末裔まつえいの一人が、実は学会の婦人部の方である。
 愛知県知多郡で支部副婦人部長として活躍されている。地区部長をされていた亡きご主人とともに、地区担当員として第一線で戦ってこられた功労者である。お子さま方も学会活動に頑張っておられると、うかがっている。
 また以前には、父君であられる永井幾麻いくま画伯(故人)の貴重な絵画を東京富士美術館に寄贈してくださっている。この場をお借りして、改めて御礼申し上げたい。
 画伯は、同じ一族である作家の永井荷風かふうとも親交が深かったという。
 先日、私は永井さんに記念の和歌を贈らせていただいた。
 「名門の 永井の城と かさなりて 信濃の城も 共に栄えむ」
6  今、大座談会運動が、さわやかな友好を各地に広げている。皆さまの尊き健闘に、心から「ご苦労さま」と申し上げたい。
 「広宣流布」も「仏道修行」も、足元を大事にするところから始まる。この関西文化会館は、オープンして十六年。皆さまのおかげで、地域にがっちりと根を張っている。地域の防災にも大いに貢献するなど、近隣の方々からも大きな信頼を得ている。私たちは、一つ一つの出会い、一つ一つの縁を大切にしたい。組織であれ、個人であれ。そこに、広々と未来が開けゆくカギがある。
7  庶民の勇者がナチスに抵抗
 ″ドイツの良心″である哲人政治家・ヴァイツゼッカー前大統領が、SGIのドイツ総合文化センターを訪問された。昨年の九月、ライン河畔かはんの景勝の地に建つ同センターで開かれたシュテファン・ゲオルゲ(ドイツの代表的詩人)の記念展示会に出席してくださった。
 前大統領とは、五年前、ボンの大統領府で語り合ったことが忘れられない。
 前大統領は「歴史の真実に目を閉(と)ざしてはならない!」と一貫して訴えてこられた。戦後五十年余の今日、日本がアジアの信頼を得るためにも真摯に学ばねばならない真理である。
8  前大統領は、あるスピーチの中で、ナチスと戦ったドイツの一人の庶民に光を当てておられる。
 それは、オットー・クヴァンゲルというベルリンの一労働者である。その庶民のレジスタンス(抵抗)については小説にも描かれている。ハンス・ファラダ著の『死ぬときは誰もがみな独り』である。
 ゲシュタポ(ナチス・ドイツ秘密国家警察)の調書をもとにした小説である。そこには次のように書かれている。
 家具工場で働くオットー・クヴァンゲルは、愛する一人息子を、ナチス政府に徴兵された。息子が戦死したという通知に、悲しみにくれる妻。ラジオの組み立てが好きで、争うことなど大嫌いな息子だった。
 「壮烈な戦死なんてウソだわ! 他の兵士の模範だなんてウソだわ! ひどい戦争で殺されたのよ! ヒトラーのために!」
 オットーは、この後も、近しいユダヤ人のおばあさんが死に追いやられるなど、ナチスの残忍な正体を次々と目のあたりにする。そして、それまでの「我関せず」の態度を捨て、妻と二人して抵抗の道を選んだのである。
9  その抗議の方法は″言論″であった。″黙ってはいられない! せめて自分の周りから、一人でも抵抗する人をつくりたい″と。
 今の世であれば、存分に語ることもできる。どんどん人と会って、自分の考えを話すこともできる。しかし、当時のドイツには「言論の自由」はなかった。陰湿な密告の網が張りめぐらされていた。悪らつなデマが繰り返される暗黒の時代に、夫妻が工夫をこらして考えたのが、ハガキによる呼びかけであった。
 彼らは庶民の率直な言葉で、一枚一枚ハガキを書きつづり、建物の階段など、人の目につきやすい場所に、そっと置いたのである。
 「ヒトラーは私の息子を殺しました。彼はあなたの息子たちも殺すでしょう。彼は、世界中の家庭に悲しみをもたらしても、やめようとはしないでしょう」
 「ヒトラーの嘘を信じてはいけません。彼は、私たちを破滅させたいだけなのです」等々──。
 見つかったら大変である。それは「死」を意味する。それでも夫妻は力を合わせ、励まし合いながら行動を続けた。彼らは信じていた。
 「このハガキは、単にヒトラーに抵抗するというだけでなく、『全ての人がヒトラーに従っているわけではない』ことをわからせる効果がある。もっと増えていくよ。私たちと同じ考えをもった人がもっと増えていくよ」と。
10  正義のための戦いこそ勝利者の証
 戦いは二年にもわたって地道に続けられた。すべて手書きで、一つ一つ時間をかけ、二百八十五枚ものハガキと手紙をつづっていったのである。
 しかし、運命の日が来た。ついに発覚し、逮捕されたのである。
 処刑されるに及んでも夫妻は毅然としていた。そして、お互いにかばいあって、自分だけが責任を負おうとするなど、崇高な夫婦愛を示した。
 「私たちは絶対に後悔しない! 自分たちは何一つ間違ったことをしていない!」。この誇りを貫いたのである。
11  獄中、処刑を控えた彼が、同じく牢につながれた音楽家と対話する場面がある。彼は率直な疑問を投げかける。
 「私がしたことは、どれだけ役に立ったのだろう?」「皆が殺されてしまうのであれば、抵抗は何の役に立つのだろうか?」
 音楽家は言う。
 「あなたは、少なくとも悪に対して戦った。あなたは悪人にはならなかった。私たちは、死ぬまで『自分はまっとうな人間だった』と胸を張れるじゃないか」
 「多くの人は皆、一人で行動しなければならない。そして、一人で死んでいかねばならない。しかし、私たちは一人ではないんだ」
 「あなたと私、牢につながれている多くの人間、そして収容所にいる何千もの人々、この同志たちは、まだまだ今日も明日も戦い続けていく」
 「私たちの戦いは無駄ではない。私たちは正義のために、暴力に対して戦っている。それ自体、何があろうと勝利者の証なのだよ」と。
 正義は連帯する。人間の善なる心と心を結んでいく。いかなる策謀も、その気高き連帯を断ち切ることはできない。
 そして、信念は受け継がれていく。はかない泡のごとき世のうつろいなど、はるかに見おろしながら、信念の炎は人から人へ、心から心へ、永遠に燃え続ける。
12  崇高な「生き方」こそが社会を変える
 ヴァイツゼッカー前大統領は、この歴史の一コマに触れて、こう語っている。
 「処刑される前の彼は不屈の平静さと自らの本質への確信を示し、尋問の際にはかえって迫害する側の担当官を困難な立場に追い込み、不安にし、こうして強靭な生を実現していきます。
 われわれに強い印象を与えるのは、こういうしるしが示している気骨・節操です」
 そして、現代への教訓として、こう結論するのである。
 「決定的に重要なのは、頭で考えていることだけではなく、人間としての在り方であります」と。
 観念ではない。現実にどう生きているか。どう振る舞っているか。その「生き方」にこそ、社会を根本的に変えゆく力が込められている。
 この「庶民の勇者」は、こうして「強靭な生」を生き「崇高な死」を迎えた。
13  だれしも、いつかは死ぬ。そのときに、暗い曇り空のような、また何も見えない闇夜のような死ではなく、「荘厳な落日」のような死でありたい。
 大空を真っ赤に燃やす、大いなる夕日のごとく、美しく、雄大な人生の完成でありたい。その後すぐに、私どもは、また次の使命の人生を、福徳に満ち満ちて、楽しく出発できるのである。
 私どもの生死は「生も歓喜」「死も歓喜」の無上道の旅路である。
 この「無上道」の軌道に合致していくのが「学会活動」の軌道である。必ず、絶対的な幸福の道に入っていく。
 妙法流布を目指す学会活動には一切、無駄がない。社会に尽くせる。友人が増える。知識も増える。健康になる。体も心も頭脳も強くなる。サビつかない。
 どうか「もっと健康になろう」「もっと強くなろう」という気持ちで、楽しく行動していただきたい。
 そして全員が、うんと長生きしていただきたい。
14  用心すべき敵は「悪知識」
 素晴らしき「無上道」に入ったのだから、最も気をつけなければいけないのは「悪知識」である。
 日蓮大聖人は、次の涅槃経の文を繰り返し引いておられる。
 「菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ・悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る
 ──菩薩よ、悪象等に対しては心に恐れをいだいてはならない。悪知識に対しては恐れの心をもちなさい。悪象のために殺された場合、(肉体が損なわれるだけだから)地獄・餓鬼・畜生の三悪道に至らない。悪友(悪知識)のために殺された場合、(肉体も心も、ともに破壊されるので)必ず三悪道に至る──。
 悪い象に殺されるとは、今でいえば交通事故、災害などによる不慮の死に当たろう。もしも、そういうことがあっても、信心が破壊されていなければ福徳は消えない。三悪道には堕ちない。しかし、悪知識によって信心を破壊されたまま死んだ場合には、必ず三悪道に堕ちてしまう。
 悪知識は甘い言葉や、巧みなウソで、信心を紛動させようとする。こういう「悪知識」には、よくよく用心しなさい、と大聖人は教えてくださっているのである。
15  一九九一年六月に会見した折、ヴァイツゼッカー大統領は、私に語っておられた。
 「SGIの皆さんは、世界的に平和に寄与されています。皆さんの活動によって、地球的規模で、それぞれの地域を″開かれた″ものにするべく貢献されんことを、心から期待しています」と。
 また、九五年九月、ドイツ総合文化センターを訪問してくださった時でも、「SGIの皆さんの運動が発展していくことを期待します」と話されている。
 学会活動は、地道である。しかし、その意義は永遠であり、世界の良識が期待する「時代の最先端」なのである。
 創価学会なかんずく関西創価学会は、人間として最高に尊い「庶民の正義の団体」である。
 だから強い。だからこそ、世界の知性が信頼してやまないのである。
 学会はどこまでも学会らしく、さらに雄々しく、さらに堂々と、人類のために勝利の前進を続けてまいりたい。
16  常勝の獅子たれ
 関西でも、創価大学、創価学園の出身者が健闘している。本日の創大卒業式に、私はメッセージを贈った。
 獅子として生き抜け!
 獅子として走れ!
 獅子となりて戦え!
 そして
 すべてに勝ち抜き
 獅子王となりて
 わが人生を飾ってくれ給え!
 こう、私は呼びかけた。
 この言葉を皆さまにも贈り、「関西は永遠に、断固、『常勝の獅子』であっていただきたい」と申し上げて、きょうのスピーチとさせていただく。

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